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ブックマーク / blog.tinect.jp (37)

  • 「休めるときに休もう」だと、休めない。

    そういえば、さくらインターネットには2日以上連続の有給休暇を事前申請すると、有給休暇手当が1日あたり5千円出る制度あるんです。 もともと、直前の有給休暇申請を減らして、計画的に休みとって欲しいなって事だったんですが、効果てきめんでした。 ペナルティよりベネフィットだなと思います。 — 田中邦裕@さくらインターネット社長🐈‍⬛🐕 (@kunihirotanaka) 2022年9月12日 このツイートに対するリアクションを見ると、どうやら多くの人は、「ベネフィット」という言葉に惹かれたらしい。 会社がはっきりと「連休取得推奨」を表明していれば、従業員は気兼ねなく連休を申請できるし、さらにカネももらえるのだから、確かに魅力的だ。 でも実は、当に大事なポイントは、別のところにあるんじゃないかと思う。 それは、「計画的に休みをとる」というところだ。 なぜなら、長期休暇取得のためには、「仕事に合

    「休めるときに休もう」だと、休めない。
  • おれたちは「ナッジ」を知らなくてはならない

    「ナッジ」とはなにか ナッジとはなにか。 そんなものは検索したらわかりやすい解説がたくさん出てくる。でも、おれは親切なのでいくつか例を書く。 たとえばタバコのパッケージに「生々しい」写真を印刷することを義務付けて喫煙率を減らす。 大学のプリンターの初期設定を「両面印刷」にして紙の消費量を減らす。 空港の男子用小便器に蝿の絵を印刷して、飛び散る汚れを減らす(これは人類のだいたい半分にしかわからないのではないかと思うが)……。 そんな仕掛けである。GPSによる経路検索、品のカロリー表示、テレビのリモコンについたオンライン配信メディアのボタン……。 もともとは「そっと後押しする」というような意味らしいが、ともかく行動科学とか心理学とかそういうものに基づいて政策とかを仕掛けるぜ、という話だ。言い出しっぺの定義によればこうなるらしい。 選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることも

    おれたちは「ナッジ」を知らなくてはならない
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2022/10/19
    cf 「あなたが避難しないと人の命を危険に」について思うこと id:entry:4670600251623237698
  • セルフレジの「ミスったら恥をかくんじゃないか」という緊張感がキツい。

    国民的衣料品店のセルフレジ 国民的な衣料品店がある。あるだろう。みんな着てるやつだ。 全国津々浦々にあるのかどうか、おれは全国津々浦々を知らないので言えないが、まあ、あんたが思い浮かべた大チェーン店だ。 そこが導入したのがセルフレジだ。 おれにはなんの略かしらないが、RFIDタグというものを用いている。 ごそっと商品を置くと、瞬時に品物の点数と価格が表示される。 決済方法をタッチパネルで選ぶ。 クレジットカードならクレジットカードを突っ込んで決済される。現金を選べば、現金をぶちこんでもいい。 やけに長いレシートが出てくる。 商品を袋に入れるのも自分の仕事だ。 このごろじゃ袋も有料だ。袋がなければ、バッグに突っ込む。 きれいにたたむもたたまないもあんたの勝手だ。 そしてあんたは、なんかこれでいいのかしらん?と思って店を出る。 なれてしまえば、これでいい、と思って店を出る。 国民的コンビニエン

    セルフレジの「ミスったら恥をかくんじゃないか」という緊張感がキツい。
  • テレワークだと、新人の「分からない」を拾い上げるのがかなり難しい、という話。

    テレワーク体制での新人教育で苦労している話をします。 3月からこっち、コロナ禍で仕事をする体制になって半年以上が経ちましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。 運動不足になってないですか? 私はリングフィットアドベンチャーを購入出来たんですが、負荷を重くし過ぎて正直あんまり継続出来てないです。 緊急事態宣言が解除されてしばらく経ちましたが、未だコロナが収束したとはとても言えない状況です。 会社によって体制も様々なら企業人の皆様のスタンスも様々でしょうが、可能な限り対人の接触を減らさなくてはいけない状況が続いている、という点については衆目の一致するところではないでしょうか。 で、今しんざきが働いている会社でも、大筋テレワークが基となる体制が続いておりまして、やむを得ず出社せざるを得ないタイミングもあるとはいえ、基的にはリモート勤務主体でお仕事をしております。 で、リモート勤務体制でも、大

    テレワークだと、新人の「分からない」を拾い上げるのがかなり難しい、という話。
  • いくらカネを稼いでも、真の友人や配偶者を求める「我々の動物部分」は決して幸せになれない。

    書は現代日における”生きにくさ”の正体を分析する。 現代社会の科学技術の発達は凄い。 先進国である日に住む私達はその結果とても豊かになり、大なり小なりその恩恵をうける事となった。 では現代の快適さが全ての人を生きやすくしたかというと、そう事は簡単ではない。 科学・経済ともに高度に発達した結果、日の街は潔癖といえるほどにキレイになり文化もかなりリベラルになったが、その結果、そこに住む人としてのある種の特別な文化コードのようなものが自然と要求されるようになった。 快適さの代償として要求される、その特別な文化コードこそが現代の生きにくさにつながっているのではないか、というのが筆者が世に問いかけた事であり、書は精神科医としての視点を持ち合わせた上で現代社会を様々な形で分析していく。 経済人としての人間と動物としての人間 プログラム化された動物は時に”個”ではなく”種”としての最適解を選ぶ

    いくらカネを稼いでも、真の友人や配偶者を求める「我々の動物部分」は決して幸せになれない。
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2020/07/30
    世間的には肉欲が消えていくと言われる年齢にはなったようだが、自分が若い頃から変わらず持て余していたおかげでこのあたりを意識できたのは幸いだったか。
  • 「読み手を怒らせて、ビューを稼ごうとするコンテンツ」には、気をつけなくちゃ。

    ちょっと個人的な話から始めさせて頂きたいんですが、私、「不快感を煽るキャラがメインになっている漫画広告」が好きじゃないんですよ。 いや、ちょくちょくあるじゃないですか。いかにも「あーーこいつ不快!」というキャラが出てきて、不快なキャラが不快な言動をするコマが広告の主要な内容になっているヤツ。 で、散々不快な言動を見せつけておいて、その不快なキャラがひどい目にあう展開なんかもチラ見せしておいて。 「さーこの不快なキャラを見て不快になったろ?こいつがひどい目に遭っているところを見てスカッとしたいだろ?さあクリックして?」 と言われているような広告。 いや、「不快なキャラ」自体が嫌い、ってわけじゃないんですよ? 作劇上不快なキャラが出てくるのは全然構わないですし、なんならそのキャラがひどい目にあって読者が溜飲を下げるのも別にいいと思うんです。それは単なる作劇上のテクニックです。 ただ、「それを前

    「読み手を怒らせて、ビューを稼ごうとするコンテンツ」には、気をつけなくちゃ。
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2020/07/18
    基本無料のスマホゲームにカマトトぶってみたり文才のないブロガーの嫉妬に満ちたメールを怪文書としてさらしものにしたしんざき氏がよくもまあぬけぬけといい子ぶった文章を書けるものです。
  • 「攻撃するために質問する人」が職場にいると何が起きるか

    ちょっと前の話なんですが、職場にて、わたしとはまた別のチームのリーダーが辞めてしまって、とても惜しいなーという気分になっています。 実力がある人でした。色んな知識を持っていて、その知識を応用するやり方も知っていて、課題を見つければその課題を解決する方法を、しかも実現可能なやり方で考えられる人でした。 ただ、私が見る限り、その人にはたった一つだけ、非常に大きな欠点があって。 それは、彼が、 「攻撃の手段としてしか質問をしない人」だった、ということなのです。 まず前提として。 来であれば、「質問」というのは、何か自分が知らないことを教えてもらう、あるいは自分が知っていることと相手が知っていることを合わせて、新しい知見を導くために使うものです。 良い質問があると話が進みますし、皆の知見が深まります。 だから質問は大事ですし、気軽に質問が出来る環境作りも非常に重要です。 その辺の話については以前

    「攻撃するために質問する人」が職場にいると何が起きるか
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2020/02/12
    しんざき氏の文章に「こういう人はゆっくり吊し上げていきましょう」的な敵意を感じてしまうのは俺が過敏すぎるんだろうか。
  • 結局、多様性を認めるかどうかは、崇高な理念ではなく、コストとリターンの兼ね合いで決まる。

    ちょっと前に、こんな高須賀さんの記事が投稿された。 個人の幸福は「お金」ではなく「不快なやつは全員ブロック」で実現される。 多様性が当に良い事ならば、 あなたは好きでもない尊敬もできないパートナーと暮らすべきかもしれない。 意見のあわない上司と働くことにも価値がある。 全く信じていない新興宗教の集会に参加すべきかもしれない。 これらの事は全てあなたの人生の見地を広げるのに大きく役立つだろう。 じゃあ幸せに貢献するかというと…… 残念ながらたぶんならない。 こう書くとわかると思うのだが、私達が多様性を褒める時、大抵の場合においてそれは 「自分にとって都合のよい多様性」(=私は他の人とちがうけど、認めてよ。でも不愉快な人は近寄らないで) の事だけを指す場合が多い。 これを読んで、頭を「ガツン」と殴られた気がした。 多様性は「何かを生み出す」のに、有利である。 多様性は素晴らしい。 だから皆、

    結局、多様性を認めるかどうかは、崇高な理念ではなく、コストとリターンの兼ね合いで決まる。
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2020/01/09
    例えがおかしいようでブックマークコメントが紛糾している。
  • 「スキル不足で職場に居場所がないおじさん」の救済プロジェクトに関わった時の話

    昔所属していたSI会社で、「職場に居場所がないおじさん」の救済プロジェクトに関わったことがあります。 いや、実際にそういうプロジェクト名だった訳ではなくて、確か 「キャリア再考プロジェクト」とか「スキルリデザインプロジェクト」とか、なんかそんなかっこいい名前だったような気がするんですが、 一緒に関わった先輩が言った「これ、やってることは職場で居場所がないおじさんのサルベージだよな…」という言葉が強く印象に残っていて、私の中でプロジェクト名が上書き保存されました。 まあその先輩、「リストラ前のアリバイ作りじゃねーの」とかひどいことも言ってたんですが。 どんなことをやったかというと、要するに人事部のサポートみたいな話でして、 ・所持スキルが案件に合わず、なかなかプロジェクトにアサイン出来ない人 ・プロジェクト内でスキル不足の為タスクが振れず、PMから扱いにくいとアラートが出ている人 ・要は社内

    「スキル不足で職場に居場所がないおじさん」の救済プロジェクトに関わった時の話
  • 「自責思考」のような「正しそうで、反論しづらい概念」は、悪用されやすい。

    最近身の回りで「自責思考」という言葉が流行っているので、それについて少し考えたことを書きたいと思います。 言いたいことは、以下の3点です。 ・個人において:「自責思考」というのは「いつなんどきも自分が悪い」と考えることとは違う。「この状況で自分に仮に何かできる/できたとしたら何があるかしら」と考えて状況や自分を向上させるための思考のことでは。 ・組織において:上位者が上位者たる義務を怠って、「自責思考」を口実に部下に責任を押し付けたり搾取するようなことがあってはならないなあ、気をつけよう。 ・もう少し話を広げると:「自責思考」を始めとする「圧倒的に正しそうでそれ単体には反論しづらい大きな概念」を持ち出して搾取する構造を作ってはならない。マネジメント側は気をつけるべきだなあ。 ではそれぞれ書いて参ります。 自責思考は「自分が悪いと思え」とは違う 「自責思考が大事」という話を最近よく聞きます。

    「自責思考」のような「正しそうで、反論しづらい概念」は、悪用されやすい。
  • 実は、やらない理由は「失敗が怖い」「やり方がわからない」ではなく「面倒くさい」ではないですか?

    ちょっと前のこと。 が、ホームベーカリーを前にして、ウンウン言っていた。 「どうしたの?」と聞くと、「今までとは違う小麦粉を買った。」という。 「なんで焼かないの?」と尋ねると、どうやら今までの小麦粉と膨らみ方が違うとで読んだので、躊躇しているという。 悩んでても結果がわかるものではないので、 「とりあえず、今までと同じやり方で焼いてみりゃいいじゃん。それ見て調節したら?」というと、 「うーん、でも……。」 と腰が重い。 たとえパン焼きであっても、新しい試みは、考えなければならないことが飛躍的に増える。 「まあ、面倒だよな……。」と思ったが、急かすことはないと思い、「がんばれ」と言ってその場を立ち去った。 * 別の日。 子供が、あさがおの観察日記を書いていた。 ところが、書き始めてしばらくして、固まってしまっている。 「どうしたの?」 と聞くと、「うまくかけない。失敗した」という。 色

    実は、やらない理由は「失敗が怖い」「やり方がわからない」ではなく「面倒くさい」ではないですか?
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2019/09/12
    前者と後者はニアリーイコールのような気がするけど。
  • 「感度が高い」とは、要するに「オタクである」ということである。

    つい先日、ツイッターを眺めていたらロンブーの田村淳さんがCLANNADというアニメを褒めていた。 『人生』 CLANNAD after story ヤバイくらいに泣きました…嫁と娘、家族、仲間を大切にしよう!絵が苦手だなぁと思ってた作品が好きになる事を経験しました…そして絵も好きになった!学びの多い作品でした。フォロワーのみんな良い作品を紹介してくれてありがとう!それと便座カバー CLANNADは人生 pic.twitter.com/ooqV79AhhA — 田村淳 (@atsushilonboo) 2019年3月25日 これを読んでいる大部分の人はCLANNADの事など知らないと思うので簡単に説明しておくと、CLANNADは2004年にKeyという会社から出されたPCゲームだ。 いわゆるノベルゲーなのだけど、そのシナリオはすざまじく面白い。ハッキリ言ってプレイすると魂が抜ける事必死である

    「感度が高い」とは、要するに「オタクである」ということである。
  • 日本人は、直ちに全員、Apple watchをつけるべき。

    ネタではなく、結構気で言っているのだが、なぜそこに至ったか、お話する。 * 少し前のこと。 私は知人の紹介で、元医師の、医療系スタートアップの経営者の方にお会いした。 私はスタートアップの経営者にお話を伺うときにはいつも、「なぜ起業されたのですか」と聞いている。 その問題意識こそが、会社の原動力だからだ。 彼は言った。 「日の医療費の伸びは、危機的状況にあります。」 事実、日の医療費は総額40兆円を超え、一人あたりの負担も上がる一方だ。 (出典:http://www.jpma.or.jp/about/issue/gratis/databook/2018/table.php?page=p85 より作成) 「日の皆保険制度をこれからも機能させるには、変わっていかなければなりません。」と彼は言う。 確かに、それには皆がうすうす気づいている。 私は尋ねた。 「どのように変わらなければならな

    日本人は、直ちに全員、Apple watchをつけるべき。
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2019/04/10
    ここで特定の商品名を言ってしまうので呆れてしまう。こういうのがあるから俺がApple社製品を持ちたくない。
  • なぜ「根性」は嫌われるようになったか。

    ちょっと前まで許されていたのに、時代の流れとともに許されなくなった……。 そういうものはたくさんある。 たとえば体罰とか、容姿を採用基準にするとか、女性をお茶汲み要員として扱うとか。 そのなかでも際立って変わったのは、『根性論』に対する価値観だと思う。 根性論ってそもそもなんだったんだろう? なんで時代遅れになったんだろう?なんてことを、平成生まれのわたしなりに考えてみた。 根性論は強者の理論であり、現在は弱者目線が正義 ゆとり世代のわたしはいうほど『根性論』を押し付けられたことはないけれど、それでも「心を強く持てば乗り切れる」的な主張はそれなりにあった。 文化祭の準備が明らかに遅れていて作業プロセスの見直しが必要なのに、「遅くまで残ってやればできる」。 運動会でリレーに出たい人がおらず足が遅い気弱な子に押し付けておいて、「がんばれば速く走れる」。 販売ノルマの達成がむずかしいなとき、マネ

    なぜ「根性」は嫌われるようになったか。
  • 正義の心で怒る人たちは、なぜ幸せになれないのか。 | Books&Apps

    少し前にろくでなし子さんが怒りについて言及されており、大変に感服したので下に引用させて頂く。 数年前、ツイフェミの人達が「もっと怒っていいんだよ。」と最初に言い始めた頃、わたしは共感してた。でもそこから怒りの歯止めが効かなくなりだし、一緒に怒らない人まで許さず、どんどん過激化し、「ジャップオスはシネ」と言うようになり果てる人まで現れ、「怒り」は人を狂わせると思った。 — ろくでなし子 祝デコまん無罪確定! (@6d745) 2018年10月1日 実際、怒りはとても扱うのが難しい感情だ。 なぜ怒りは人を狂わせるのだろうか?この構図をキッチリ認知する事は、あなたの人生にきっととても役に立つだろう。 というわけで今日は怒りが人を狂わせるシステムについて書いていこうかと思う。 自分は被害者だと思ってしまうと、どんな事でも自分に正義が見いだせてしまう 人は様々な事で怒る。失礼な扱いを受けたり、他人と

    正義の心で怒る人たちは、なぜ幸せになれないのか。 | Books&Apps
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2018/10/17
    表現の自由を言う人も女性性の濫用を非難する人もそれぞれに正義がありすぎるのでどちらにも肩入れしにくくなってるんだよなあ。
  • 「サピエンス全史」の著者が書いた新刊「ホモ・デウス」は、幸福のうちに迎える人類の終末を想像させる。 | Books&Apps

    ナショナルジオグラフィックの番組が面白い。 中でも「世界の麻薬産業」という番組は秀逸だ。(Amazonプライムビデオで見ることができる) 世界の麻薬産業 世界はなぜ、これほどまでに麻薬がまん延しているのか。この事実を正確に把握するため、麻薬の種類ごとにその供給ルートをたどるシリーズである。 今、麻薬の影響下にある人たちを通じて、死を招く麻薬の経済的重要性、世界中に広がる麻薬汚染、それに伴う社会的影響の大きさ、裏に隠された説得力ある科学的知識、そして麻薬の原点にスポットを当てる。 (ナショナルジオグラフィック) 麻薬の生産者、売人、そして利用者と警察。 それぞれの観点から、麻薬産業の闇を取り上げているのだが、まあ見てほしい。 「麻薬中毒」とはどのようなものか、よく分かる。 恍惚とした表情。 ケタミン中毒の20代(!)女性 インタビューに答える麻薬中毒者は 「真の幸福を感じる」という。 事実、

    「サピエンス全史」の著者が書いた新刊「ホモ・デウス」は、幸福のうちに迎える人類の終末を想像させる。 | Books&Apps
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2018/10/04
    (俺は続編等は見れてないけど)昔のSF映画「マトリックス」的ではある。GAFAの本とこれは気になっている。
  • あなたの「いいね」、そのままでも本当に大丈夫?

    いまどきの20代~50代で、フェイスブックやツイッターといったSNSを使っていない人は少数派といっても過言ではないでしょう。 誰もがオンラインに投稿して、だれもが「いいね」や「シェア」をするのが2018年の現状です。皆さんは、良いインターネットライフを送っていますか。

    あなたの「いいね」、そのままでも本当に大丈夫?
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2018/09/27
    熊代氏のエントリにはブックマークしたくなかったが2011年に佐賀県知事の「お気に入り」、話題になり削除 id:entry:58932514 という事例があったことを伝えておくためやむを得ずコメントを付けておく。
  • 本屋さんには「本が選べる・買えること」以外の本質的な価値がある。

    屋が減っている。この事実はたぶん、ほとんどの人が知っているだろう。 日著者販促センターの統計によると、2000年に2万軒以上あった書店が、2017年5月には1万2000軒にまで減っているそうだ。東京オリンピックが開かれる2020年には、2000年に比べて半数程度の書店数になっているかもしれない。 時勢を踏まえると、屋が減るのは残念だがしかたのないことだろう。でもわたしは、自分でモノの価値を判断する場として、屋は絶対になくなってほしくないと思っている。 意外に多くの人が訪れている屋 2016年に行われたYahoo!ニュースの意識調査調べで、「『リアル書店』に行く頻度は?」という質問が投げかけられた。 これだけ屋が潰れているんだ、さぞや屋離れが進んでいるのだろう……。そう思っていた。 しかし意外なことに、週に複数回書店に行く人は15.3%(17,648票)、週に1回程度行く人は2

    本屋さんには「本が選べる・買えること」以外の本質的な価値がある。
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2018/09/05
    俺が人生で重要視している偶然性というのはどうタグ付けしたらいいのだろうか。
  • 「無敵の人」には、インターネット福祉が必要だ。

    先日、少し前に書いた記事がきっかけで東京FMのタイムラインというラジオ番組に出演させて頂いた。 これも日々記事を読んでくださる皆様のおかげである。誠に感謝申し上げる。 ラジオでは、無敵の人とネット福祉について話させていただいたのだけど、せっかくなのでラジオでは話せなかった事も含めてちょっと記事に書き起こしてみようかと思う。 無敵の人を作る、2つの条件 改めて無敵の人の定義を確認しておくと、彼らは”人間関係も社会的地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない”人達の事である。 無敵の人という単語が一般的に通用するようになったのは2008年の秋葉原通り魔事件である。この事件は当時は衝撃が強すぎた事もあり、色々な報道がなされた事もあってあまり正しく理解されていない。 この事件を正しく読み解くためには、犯人である加藤智大氏の書かれた”解”という著書が参考になる。恐らく殆どの方が

    「無敵の人」には、インターネット福祉が必要だ。
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2018/08/21
    俺もこう思っていたけれど低能先生と呼ばれた容疑者がhagex氏を刺殺してしまったという現実の前にただの綺麗事なのかな、とうなだれている。
  • 日本人のイメージする「個人主義」と海外の「個人主義」は、明らかに違う気がする。

    漫画『ドラえもん』の世界で生きているのび太たちと、わたしが暮らしてきた世界は、ずいぶんちがう。 野球のボールが人の家の庭に飛び込んだとしても、「ごめんくださぁい」なんて声はかけない。 そもそも、ボールが人の家に入る可能性がある場所でボール遊びなんてしたことがない。かみなりさんのような近所のおじさんに怒鳴られたこともない。 地域によってもちろん大きな差があるだろうけど、昔に比べたらずいぶん『世間』が狭くなったのだなぁ、なんて思う。 『世間』が狭くなり孤独になるわたしたち 『世間』という言葉は『社会』と同じような意味に思えるが、実は『世間』には「自分の活動範囲」という意味もある。 たとえば「世間が狭いね」と言うのは、活動範囲が偶然かぶったことへの驚きだ。 『「空気」と「世間」』というでは、世間と社会の定義を、こんなふうにまとめている。 自分に関係のある世界のことを、「世間」と呼ぶのだと思いま

    日本人のイメージする「個人主義」と海外の「個人主義」は、明らかに違う気がする。