京都で7月にある日本三大祭りの一つ・祇園祭のプレミアム観覧席をめぐり、八坂神社(京都市東山区)の野村明義宮司が、プレミアム席で酒や料理を出すことに反対し、プレミアム席を売る市観光協会の理事を辞任する…
大阪府の国立民族学博物館(民博)が、館内で保管する沖縄由来の厨子甕(ずしがめ)や骨つぼ計15件について本来所有すべき祭祀(さいし)承継者を探し出し、返還するガイドラインを定めたことが分かった。県内の墓から研究目的で持ち出した琉球人遺骨を巡り、子孫らの返還要求を拒否した京都大とは対照的な対応となる。琉球大の波平恒男名誉教授は「関係者の同意を得ずに取得した人骨や副葬品の返還は世界的な潮流。国内の博物館などでも本来の所有者を探し、返還する動きが広がってほしい」と期待を寄せた。(社会部・知念豊) 民博が4月に施行したガイドラインでは、返還申請者が正当な権利を持つ祭祀承継者と確認できた場合、返還に同意すると定めた。既に厨子甕などに書かれた氏名などの情報を基に調査に着手し、これまでに厨子甕1点の祭祀承継者と考えられる人物を特定した。他の厨子甕などについても調査を継続する方針だ。 民博が保管しているのは
ひさしぶりに平安時代を舞台とする大河ドラマ『光る君へ』がはじまり、一大ムーブメントが沸き起こっています。でも、ちょっと待って。背景を知れば、もっと楽しく味わえるはず。『謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』を刊行したばかりの榎村寛之さんにエッセイを寄稿して戴きました。(なお、榎村さんのエッセイは下記もご覧下さい) 坂東巳之助さん演じる円融天皇と本郷奏多さん演じる花山天皇は…オジとオイ?複雑すぎる『光る君へ』前後の天皇と藤原氏の関係を日本史学者が整理 『光る君へ』宮廷政治の立役者!町田啓太さん演じる公任ら「一条朝の四納言」登場も<90歳まで現役>ロバート・秋山さんの実資はさらにデキる官人だった…日本史学者が整理 天皇の即位と三種の神器 大河ドラマ『光る君へ』を見ていて、上手く演出しているなぁ、でも少し補足が必要かなあというところがしばしばある。 1月28日の放送分でいえば
奈良県橿原市畝傍町の県立橿原考古学研究所で21日、第2回研究講座「大和と沖ノ島の祭祀を語る」が行われ、歴史ファンら約370人が参加した。 同研究所付属博物館で開催中の春季特別展(6月18日まで)の特別展に合わせて全3回開催。今回は同研究所企画学芸部学芸係長の青柳泰介さんが「大和の水辺の祭祀と沖ノ島祭祀」をテーマに講師を務めた。 青柳さんは大和の豪族分布図などを示し、「古墳時代前期後半、発言権のなかった葛城地域集団は朝鮮半島に活路を求め、百済に接近して力をつけていったのでは」と推察した。 朝鮮半島に向かう途中には沖ノ島があり、大和の水辺の祭祀と沖ノ島祭祀には山を起点としていることや、祭祀(さいし)遺物など多くの共通点がみられ、「葛城地域集団が沖ノ島祭祀の開始に関与した可能性がある」と指摘。同集団の新たな本拠地(南郷遺跡群)造営にあたり、山、磐座(いわくら)、水をベースにした地域設計を行い、「
平安時代の貴族邸宅の庭池跡で見つかった人面墨書土器。鬼門除け遺物の最古例の可能性もある(京都市中京区) 平安時代中期ごろ、貴族邸宅の寝殿造(しんでんづくり)があった京都市中京区の発掘調査で、「鬼門除(よ)け」のためとみられる人面墨書土器が見つかった。 鬼門は、陰陽(おんみょう)道で鬼が出入りするとされる北東の方角で、古来、家を造る時などはこの方角に魔除(まよ)けを配してきた。今回見つかったのは、人の顔を描いた平皿で、作庭の禁忌を避ける祭祀(さいし)遺物の可能性がある。専門家は「現代の京都のまちに伝わる鬼門除けの最も古い考古的実例ではないか」と指摘している。 調査した民間会社によると、太政大臣・藤原実頼(さねより)が「小野宮」を再開発した際、敷地北東側に当たる庭池の景石そばに埋めたとみられる。
奈良文化財研究所が平城宮・京跡で行った発掘調査の成果を紹介する企画展「発掘された平城2017・2018」が、奈文研平城宮跡資料館(奈良市)で開かれている。出土例の少ない銅製の人形(ひとがた)など朱雀門(すざくもん)前付近で出土した祭祀(さいし)具などを展示。最新の調査・研究成果に触れることができる。31日まで。 平城宮跡東院地区や朱雀門周辺、法華寺旧境内、興福寺境内などの出土品約90件を展示している。このうち祭祀具では、朱雀大路西側溝から出土した人形や斎串(いぐし)、土馬(どば)などを紹介。珍しい銅製の人形は皇族らが使ったと考えられ、今回の出土品も朱雀門前という場所柄から同様の祭祀具とみられる。 また、興福寺境内から出土した15~17世紀初頭の泥塔(でいとう)も展示。泥土を型抜きして焼いたもので、当時の信仰を考える上で興味深い。このほか、土層に確認できる地震痕跡についても紹介し、地割れの跡
第二尚氏23代当主の尚衞(しょう・まもる)氏(67)が6日、第二尚氏王統の陵墓である世界遺産の玉陵(たまうどぅん=那覇市首里金城町)で清明祭を行い、祖先に礼拝した。衞氏らによると、尚本家による玉陵での清明祭は22代当主の故裕氏が内々に実施していた1970年代後半以来で、約40年ぶりという。
諏訪湖の全面を覆った氷が割れてせり上がる「御神渡(おみわた)り」が5季ぶりに出現したことを受け、八剣(やつるぎ)神社(諏訪市)は2日夜の臨時総代会で、氷の筋や方向を正式に決める神事「拝観式」を5日朝に行うことを決めた。拝観式の後、同神社に戻って過去の御神渡りの記録と照合し、農作物の豊凶や世相を占う。 御神渡りは起点、終点が明確で諏訪湖を南北方向に走る2本の筋(一之御渡り、二之御渡り)と、東から西に向かう筋(佐久之御渡り)が交差していると判断した場合に正式に認定する。 同神社の宮坂清宮司によると、今回想定している筋(氷の亀裂)は、一之御渡りが諏訪市渋崎からいったん岡谷市方面に向かい、諏訪郡下諏訪町高木方面に続いている。二之御渡りは諏訪市の上川河口付近から北へ、佐久之御渡りは諏訪市・下諏訪町境付近から西へ延びている=地図。交差しているかどうか分かっていないが、宮坂宮司によると、交差の有無が判明
奈良市の薬師寺東塔(国宝、高さ約34メートル)の土台部分にあたる「基壇」の下から、奈良時代に使われた銅銭「和同開珎(わどうかいちん)」4枚が出土し、同寺などが17日発表した。基壇を築く前に地鎮祭祀(さいし)を行ってまいたとみられる。基壇では過去にも銅銭が見つかっており、専門家は「工事の段階に応じて祭祀が行われていた様子がわかる」としている。 東塔の解体修理に伴い、奈良文化財研究所と奈良県立橿原考古学研究所が発掘。基壇は東西13・3メートル、南北13・4メートル。基壇の下は、地盤を強化するため、一度掘り返した後に、突き固めてあった。 4枚は直径2・4センチ前後。突き固めた層(厚さ0・4~0・7メートル)の底付近に散らばっていた。東塔の周辺の地盤は軟弱で、基壇を築く際に、銅銭を土地の神にささげて工事の安全などを祈ったとみられる。過去の調査では、基壇の上部で、柱を立てるための礎石の据え付け穴2か
飛鳥寺(奈良県明日香村)出土の「飛」の文字などを記した文字瓦や、藤原宮跡出土の地鎮具を公開する展示会が、同県橿原市の奈良文化財研究所藤原宮跡資料室で開かれている。9月13日まで。 「飛」の文字は平瓦に記され、「飛鳥寺」や「飛鳥」を意味するとみられる。飛鳥寺創建期(6世紀後半~7世紀初め)の最古級の文字瓦の可能性があるという。 展示されている文字瓦は計6点。「多」を4つと「名」を2つ書いた、同じように最古級とみられる文字瓦のほか、瓦製作にかかわった工人集団名の可能性がある「白髪部(しらかべ)」の文字がある瓦も並べられている。 これらの瓦は、奈文研が昭和30年代から進める飛鳥寺の調査で出土。製作地は不明だが、文字はヘラ書きで、窯で焼く前の粘土が柔らかいうちに書かれたとみられている。 また、地鎮具は奈良時代の遺物で、藤原宮大極殿院(だいごくでんいん)内庭跡から出土。須恵器の容器に和同開珎5枚が入
九州最古とみられる神像彫刻が、福岡県太宰府市の民家に保管されていたことがわかった。九州歴史資料館(九歴)=福岡県小郡市=が確認し、21日、明らかにした。平安時代前期の作とみられ、形や構造の特徴から、現存する国内最初期の神像が造られた9世紀制作の可能性がある。 神像彫刻は剣や鏡などのような神体の一つで、神社に人目に触れないよう保管されることが多い。 今回見つかった神像彫刻は貴族の装束をまとう男性の立ち姿で、台座を含め高さは55・6センチ。材はカヤとみられ、内側にえぐりを入れない一木造り。体形は幅広く奥行きがあり量感豊かで、顔立ちは険しい。彫刻表現はシンプルで衣のひだは深く、角張った冠をひもで縛る様子も表現されている。 九歴によると、こうした古式を… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます
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