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スマホもなくて国によってはインターネットカフェも珍しいような時代、バックパッカーをしていた僕の主な情報収集手段は口コミか安宿に置いてあった情報ノートだった。あちらに面白いものがあると聞けば赴いて、こちらに美味いものがあると聞けば口にする。宿では寝転がりながら、手書きの情報ノートを捲っていた。興味深いのはバックパッカーにはいろいろな国籍の人がいても、手書きの情報ノートに書かれている言語に偏りがあったこと。圧倒的に日本語で書かれたものが多かったのだ。それに比べると、欧米人による記載は少なかった。元禄時代に生きた酒好き女好きのサラリーマン武士がゴシップを記載したような日記が残っているような日本だ。日本人は筆まめな民族なのだと感じていた。 しかし最近は日本人がそれほど筆まめなわけではないと考え方がちょっと変わった。正確には日本人「だけ」が筆まめなわけではなく、東アジアの人たちは基本的に筆まめなので
道端にある小さな喫茶店を覗くと、中では数人の男が寛いでいた。町を歩いていると、このような喫茶店をよく目にするし、中でチャイを飲んでいる人が必ずいる。いったい地元の人たちは、一日に何杯くらいのチャイを飲むのだろうか。相当の量のチャイを飲んでいるように見受けられる。 喫茶店に入っていくと余所者である僕に一斉に皆が注目した。カメラを向けると四角い顔の男は静かに視線を返してくれる。その男だけでなく、背後にいた男もまたじっとカメラを見ていた。
ジャカルタのグロドック地区にある大史廟という中国寺院の中に足を踏み入れた。小さな門をくぐると本堂の建物へと続く道の真ん中には太いロウソクが何本も立てられていた。春節を祝うためなのだろうか。いずれにしてもも、これだけ太いロウソクはあまり他の国では目にすることがないものだった。どのロウソクも火が点けられていて、柱のようなロウソクの上で炎がゆらゆらしていた。 ここは福建南部系華人が建てた廟で、謝玄という中国東晋の将軍を主神として祀っているのだそうだ。そう聞くと道教の寺院だと思ってしまうが、道教の神様だけでなく、仏教系や儒教系の神様も祀られていて、その種類は多い。日本の神社でも祀られている複数の神様が祀られていることが多いけれど、この中国寺院も負けてはいない。これだけ多くの神様が祀られていたら、どのような祈願をされても誰かが対応できるに違いない。 燃え盛るロウソクを眺めながら境内にあるベンチで腰掛
大きなクロントゥーイ市場では見慣れた食材が売られていると同時に珍味もまた売られている。タイの人にとっては当たり前の食材であっても、日本人の僕にとっては珍しいものも売られている。歩いていて最初にびっくりしたのはタガメだった。一見するとゴキブリにしか見えず、ドキッとする。もっとも昆虫食の世界の先進国タイで、タガメは高級食材らしい。まあ僕は高級食材と言われてもタガメを食べたいとは思わないけれど。 次に驚いたのはカエルだった。この市場にはカエルの専門店があって、店先に大量のカエルが陳列されていた。日本でもカエル自体は珍しいものではないし、道路上で干からびているのを目にすることがあるけれど、スーパーマーケットで見たことは一度もない。しかしカエルの脚はフランス料理でも使われるし、中華料理にも使われる食材だ。そのため中華料理の影響を大きく受けているタイ料理でもカエルの肉を使った料理があっても不思議ではな
カオマンガイでお腹を満たした後は、再びバンコク・チャイナタウンの路地を歩くことにした。足を踏み入れた路地はゴミゴミしていて、脇にガラクタが散乱していた。そのガラクタの中に段ボール箱があって、中に生き物らしきものが入っていた。よく見てるとその生き物は猫だった。二匹の猫が段ボールにすっぽり入ってのんびり昼寝していたのだ。 近づいていくと、二匹のうちの一匹が頭を上げてこちらを見はじめる。僕の様子を窺っている。その一方でもう一匹の猫はくつろいだままだ。二匹には首輪らしきものが見当たらないので野良猫かも知れず、人間に警戒心を抱いているのかもしれない。 海外を旅行中に野良犬を見かけると犬も僕を警戒するけれど、僕も犬を警戒してちょっと緊張する。噛まれやしないかと心配になる。狂犬病が怖いのだ。それとは対照的に猫を見ても、そのように感じることはない。冷静に考えると狂犬病は猫からだって感染する可能性はあるのだ
ネットの上では、ここダラのことをヤンゴンの貧民街だと書いている人もいた。でも、少なくともこの集落を歩いている限りではそのようなことは感じない。お店の前にはそれほど古くないバイクが停まっていたりする。確かにヤンゴンのダウンタウン辺りと比べると平均所得は低いからもしれないけれど、極端に低いとはいえない程度だろう。 そうこうしていると、幼い男の子が僕のところにやってきた。カメラを構えると、顔にタナカを塗っている男の子は楽しそうにピースサインをしてくれる。よく見てみると、男の子の着ていたオレンジ色のTシャツにはなにやらアニメのキャラクターらしきものが描かれている。いかにも日本のアニメのキャラクターといった感じだ。でも、調べてみると日本のものではなかった。正解は韓国製のロボカーポリーというアニメの登場キャラクターだった。男の子のTシャツに描かれているのはそのアニメに登場するアンバーというキャラだ。救
バンコクまで向かう列車の出発時間まではまだ時間があったので、引き続きマハーチャイにある商店街の中をウロウロと徘徊していた。ここは観光地でも何でもない普通の商店街だ。歩いている人はみな地元の人で、旅行者の姿は見当たらない。おそらく、僕はこの時この通りを歩いていた唯一の外国人だろう。お店の人はのんびりと仕事をしていて、買い物客もゆったりと道を行き来している。僕がカメラを片手に歩いていても、興味を示したりする人はあまりいない。商店街にはのどかな空気が充満していた。 それでも中には目ざとく僕の挙動に注目する人もいたりして、そういう人たちは無遠慮に声を掛けてくる。僕にとっては待ってましたと思う瞬間だ。写真の花柄のシャツを着た男もそのようなひとりだった。歩いている僕に声を掛けてきた男にカメラを構えると、こんな写真が取れたら楽しいだろうと言わんばかりの勢いで、戯けたポーズを取り出した。その熱意に応じるた
境内はいつも通り混んでいた。外国からの観光客の姿も多い。金堂へと続く参道はお参りする人でごった返しているのだった。そして、参道の真中に置かれた香炉からは黙々と煙が上がっている。次から次へと線香が中に投入されるので、その火が弱まることは当分ないのだろう。参拝客たちは、金堂へと来る前にそこに立ち止まっていた。 眺めていると、一組のカップルが現れた。二人は香炉の前に立ち止まっている。二人のシルエットがもうもうと立ち上る煙の中に浮かび上がっていた。
有楽町駅近くにあるデパートの中にいた。ここは建物がふたつに別れていて、渡り廊下で繋がっている。僕は通路に立ち止まって、反対側に見える通路を眺めていた。通路はガラス張りになっていて、中を歩いている人の姿が見える。 見ていると、三人の人影が通路に現れた。ガラス窓のフレームが連なる中を、三人はゆっくりと移動していた。そのうちに数え切れないくらい見えるフレームが細胞のように見えてきた。そして、三人は細胞の中を自由に行き来しているように思えてきた。
迪化街をウロウロしているうちに日が低くなってきていた。とろんとした黄昏の光が道に降り注いでいた。路面は黄色に輝いていて、道を走る自動車たちはシルエットになっていた。多くの人が家路に就く時刻だ。でも僕は家路に就くことはない。僕の家はここから遙か遠くで、仮の住まいに戻るにはまだ時間が早い。 黄昏に染まった道を眺めていると、一日が終わりつつあるのを感じる。そして何故だか分からないけれど、子どもの頃を思い出す。今実際にいるのは異国の地なのに。黄昏には郷愁に浸らせる力があるのかもしれない。
入った展示室は広々としていて静かで、真ん中に大きなガラスケースが置かれていた。ケースの中にはこの博物館の目玉である財宝が陳列されていた。翠玉白菜という翡翠の彫刻だ。僕はこれを見るためにわざわざここまで足を伸ばしたのだ。 宝石で作った彫刻というと、何やら豪華なものをイメージしてしまうけれど、これが意外なことに白菜の形をしている。でも、ただの白菜ではない。翡翠の色合いがちょうど白菜の葉っぱの色に合致している。そして、緑の葉っぱになっているところにはバッタとキリギリスも彫られているのだった。とても精巧な彫刻だ。でも、一番気になるのは、作者が翡翠の原石を見た時になぜ白菜を彫ろうと思ったのかということだ。 考えながらじっと見ていると、他の来館者もガラスケースのところにやって来た。そして、白菜を指差していた。
鴨母寮市場の中にも、魚屋が入っている。魚屋の前にやって来ると、身から切り離された魚の頭だけが並べられていた。店頭に置かれているのだから、これは売り物なのだろう。でも頭だけをどうやって食べるのだろう。食べられるところは少ない無いように見えるし、ちょっと考えてみても、このような魚の頭の入った料理にはお目にかかったことがない。 この魚たちは虱目魚だ。「虱目魚」と書いてサバヒーと読む。名前に「目」の漢字がある通り、大きな目を持つ魚だ。生きているのなら可愛らしく見えるのかもしれないけれど、さばかれた後の瞳はちょっと不気味だ。いくつもの虱目魚の瞳が微動だにせず、虚空を眺めているのだから。
とある家には木製の格子があって、そこにはヒルガオが巻き付いていた。そして、花を咲かせていた。紫色のヒルガオだった。真ん中には立派な雌しべも見える。花びらの奥からひょこんと頭を出している。自らの花粉をばら撒く準備はもう既に整っているようだ。でも、残念なことにこの花には花粉を運んでくれる昆虫の姿は見当たらない。雄しべはじっと、いつ何時やって来るかわからない昆虫がやって来るのをじっと待っているのだ。 ちなみにヒルガオの花言葉は絆だそうだ。
行天宮は台北にある関帝廟で商売の神様である関羽が祀られている。出来ることならお金持ちになりたいと願う人はどこの国でも多い。そのため台北観光の目玉のひとつでもある関帝廟は連日賑わっている。やってくるのは観光客よりも地元の人の方が多いように見える。 参拝客が出入りする入口よりも立派な扉が設けられているものの、その扉はしっかりと閉じられていた。反対に回ると太い閂で閉じられているのが分かる。鮮やかな朱色に塗られた扉には乳鋲のような飾りが幾つも付いていた。まるで侵入者がこの扉から侵入してくるのを防いでいるかのようだ。 扉の上に目を向けると扁額が掛けられていて、寺院の名前が書かれていた。両脇の柱には彫刻が施されていた。御祭神である関羽はこの扉のちょうど向こう側に鎮座しているのだけれど、人間が中に入るには脇にある小さな扉から入らなければならない。神様の真正面から入るのは不謹慎なのだろう。正中を避けるよう
玉取崎展望台からの見晴らしは素晴らしい。細長く続く砂浜とどこまでも続く青い空がよく見える。海の色はくっきり2色に分かれている。浅瀬の色は薄い青になっていて、深い場所は濃い青になっている。そして、陸地に沿って力強い雲が浮かんでいた。 白い砂浜が広がっているけれど、そこには海水浴客の姿はあまりないように見える。見晴らしが良いからといって、岬の上から暢気に眺めている場合では無いかもしれない。今すぐにでも岬から降りて、白いビーチへ向かうべきなのかもしれない。
大きなマグロの塊がまな板の上に置かれていた。今朝行われた競りで競り落としたものなのだろう。塊は大きい。これだけの大きさがあると一体どれくらいの値が付くのだろう。きっと高いに違いない。 傍らには恰幅のいい男が立っている。男はタオルを手に持っていて、しきりにマグロの表面を拭いている。解凍されたばかりのようで、水分が表面に出てくるのだろう。遠くの海で採れたマグロは、ここまで冷凍されて運ばれるのだ。マグロの塊は伝統の下でピカピカと光っていた。
公設市場の中にはもちろん肉屋もあった。店頭には大きな豚の頭が陳列してある。チラガーだ。サングラスをかけていたチラガーは、なんだかご機嫌のように見えてしまう。心なしか豚は笑っているようだ。頭だけになってもまだ人生(豚生?)を謳歌しているのかもしれない。 沖縄の文化は日本本土とはちょっと違う。肉食が一般的ではなかった江戸時代から、沖縄の人たちは豚肉を食す習慣があったのだ。食べる個所も本土よりもずっと多い。耳はミミガーとして食べるし、顔の部分はチラガーとして食べる。写真の頭は飾りではなく、売り物なのだった。
建物の裏口の前で二匹の猫が屯していた。一匹はお座りしながらじっと扉の方を眺めていて、もう一匹は辺りをウロウロしている。二匹は餌をねだっているようだった。でも、猫が見詰めている扉は開くことはないはなかった。 餌の時間が来ているのかどうかは分からない。でも、猫の様子を眺めている限りでは、もう来てしまっているのだろう。そして、餌をくれる人が現れるのを切に願っているように見える。猫は不安そうな視線を閉じられたままの扉に注ぎつつけていた。
僕の前を若いカップルが歩いていた。背筋をピンと伸ばしたふたりはしっかりと手を握って歩いている。でも指は絡み合っていない。男は包み込むようにして、彼女の手を握っていた。 ふたりの間にはちょっとした距離があって、ふたりの心理的な距離もちょっと離れているように見えてしまった。ふたりはまだそれほど付き合いが長くはないのかもしれない。心理的な距離が縮まるのはこれからなのだろう。つきあい始めは一番楽しいときだ。ふたりも距離感が縮まっていくのが楽しい時に違いない。
お揃いの制服に身を包んだ男が店頭に立っていた。ここは食堂だ。ふたりの前には寸胴な目が置かれている。中にはどっさりとビリヤニが入っていた。ビリヤニとは南アジアの炊き込みご飯の一種だ。 ここのビリヤニはうっすらと色付けされたご飯の上に肉を載せたもののようだ。周囲には美味しそうな匂いが立ち込めている。男は皿にご飯を盛っているところだった。その所作を見ていると、もう我慢の限界だった。僕はすぐさまに食堂の中へと入り、ビリヤニを注文したのだった。
大勢の参拝客がいて、浅草寺の境内は大混雑していた。階段の上にある本堂の入口近くに立って参道の方を眺めていると、参拝客の中に埋もれるようにして香炉があるのが見える。次から次へと線香が投入される香炉からは、モクモクと煙が上がっていた。 今日はお祭りの日でもなく、何の変哲もない週末だ。それでも大勢の参拝客で参道は埋め尽くされていた。参道の途中にそびえる宝蔵門の先に見える仲見世通りも人で溢れているのが垣間見える。一体どれだけの人が境内にいるのだろう。
町角に出した椅子に男が腰を下ろしていた。前には台が置かれている。男はコルカタの路上でマンゴーを売っているのだ。テーブルの上にはマンゴーが山積みになっている。でも、残念ながらここはあまり人通りがない。男の店にも誰もいなかった。男はじっと椅子に腰掛けたまま客が来るのを待っているのだ。 そんな屋台を眺めていると、通りの向こうからリクシャーが走ってきた。座席には二人のアバヤを被ったイスラム教徒の女性が座っている。目以外の全身を覆っていて、とても暑そうに見えるけれど、これは余計なお世話だろう。ふたりがマンゴーに興味を示すかどうか、じっと見守っていたけれど、ふたりはマンゴーには一切の興味を示すこともなかった。ふたりを載せたリクシャーはそのまま走り去っていったのだった。
信号待ちをしていると、目の前を人力車が通り過ぎていった。ここ浅草は都内随一の観光地で、日本国内はもとより海外からも大勢の旅行者が訪れている。そして、このような古めかしい人力車はそのような観光客を運んで周辺の名所を巡っているのだった。歩くのは疲れるし、かといって車で回るのは面倒だから、人力車の上から町並みを眺めるのはお手軽で良いのかもしれない。インドと違って人力車は公共交通機関ではないのだ。 ふと、遠くに目をやるとスカイツリーが空の聳えているのが見えた。こうやって見ると。押上に建っているスカイツリーも浅草から近くにあるように見える。
写真の山は富士山だ。独立峰である富士山の姿は美しい。周囲には高い山は一切なく、富士山だけが大空の中に聳えているのだった。残念なことに、見に来た日は生憎の天気だった。富士山の山頂付近は雲に覆われてしまっていた。 僕は湖畔に立って、雲がどこかへ行ってしまうのを待っていた。すると、僕の気持ちが通じたのだろうか、晴れ間が現れて山頂が雲の合間から姿を現したのだった。頂上付近はうっすらと雪化粧しているのが見えた。8月だと言うのに、山頂付近はかなり寒いのだろう。
ここはかつてグラバーさんの家だけが建っていたところと思っていたけれど、実際には他にも二人の英国商人の家も建っていたところらしい。見晴らしのいいこの場所には、フレデリック・リンガーとウィリアム・ジョン・オルトという人の居宅も建っていたのだった。そして、二人の家も保存されている。グラバーさんの知名度に比べると、二人の知名度はぐっと落ちてしまう。ちなみに、ちゃんぽんのリンガーハットの名はこのリンガーさんから取っているようだ。 庭園は手入れが行き届いていた。花壇ではチューリップが咲いている。満開だった。この地に居を構えていた三人は皆英国商人なのだけれど、オランダと長崎は深い関係があるから植えられているのかもしれない。
鎮西大社と呼ばれることも多いこの神社の正式名称は諏訪神社だ。諏訪神社だけに御祭神は建御名方神とその妃神である八坂刀売神だ。 長崎市の丘の上に建つ拝殿に向かって伸びる参道の両脇には住宅が迫っていた。かつては家が建っている場所も神域だったに違いない。でも、都市化が進むに連れて浸食されてしまったのだろう。参道だけが残された場所のようだった。そんな参道には今でも参道であることを誇示するかのように石造りの立派な鳥居が並んでいた。 鳥居越しにまた別の鳥居が見える。鳥居の見た目はそれぞれ異なっているから、それぞれ建てられた時代が異なるのかもしれない。使用されている石材も違う。白っぽい鳥居もあれば、黒っぽい鳥居もあった。統一感の欠如がかえってこの神社が地元に人に慕われていることの証のような気がした。
町角には粗末なお店があって、中では男が大量のマンゴーに囲まれて座っていた。傍らにある二つの籠はマンゴーで一杯になっていて、男の前の床にもマンゴーが山積みになっている。これらは皆売り物だ。男の小さなお店はマンゴーで溢れかえっていたのだった。後ろの壁には申し訳程度にバナナが掛けられている。 男は写真を撮れ撮れと五月蠅かったのに、いざレンズを向けると、先程までの調子は何処へやら。険しい顔つきになってしまった。残念。
なんの変哲もないコルカタの住宅街の中を歩いていると、道の先に一台の黄色いタクシーが停まっているのが見えた。地元の人はリクシャーばかりに乗ってタクシーを使うことはあまりない。このような場所で客待ちをしているとは思えないから、運転手の家が近くにあるのだろう。この辺りに人通りはあまりなく、真昼間なのに閉じているアパートの窓もある。この年季の入ったアパートのどこかに運転手の家があるのだろう。 コルカタの町を走っているタクシーはみな同じヒンドゥスタン・アンバサダーという古い型のものだけれど可愛らしい。この車のベースとなっているのはイギリスで1956年に生産が開始された「モーリス・オックスフォード シリーズⅢ」で、その生産設備ごとヒンドゥスタン・モーターズが買取り、1958年よりインド国内で生産が開始されているものなのだという。つまり、この車のスタイルは半世紀以上も前にデザインされたものなのだ。でも、
バクタプル旧市街にあるタチュパル広場にダッタトラヤ寺院というヒンドゥー教寺院の入り口には剣を手にした大きな石像が鎮座している。日本のお寺の表門にある金剛力士像のようなものなのだろう。そこで睨みを利かすことで邪悪なものが寺院の中に入ってくるのを防いでいるに違いない。 このような像を目の当たりにすると、中にはすごすごと中に入るのを諦める邪悪なものもあるのだと思うくらいに異形なのだけれど、よくよく見てみると愛嬌のある顔立ちにも見えてくるから不思議だ。口髭の曲線も円な瞳もとちらも可愛らしかった。
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