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ドラクエ3
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もう、美容院を、レストランを、お医者様を、あらゆる待ち望んだ発売を、そしてクラブを予約しておかないと。少なくともスケジュールは空けておかないと。それでも、会えないかもしれない。突然あたしは、落雷に撃たれ、焼け焦げてしまうかも知れない。突然あなたは、あたしへの気持ちを失ってしまうかも知れない。だって人生は不条理に満ちているから。あたしには、嫌なことばっかり起こっている気がするから。 でも、ご安心。2期スパンクハッピーは、あなたの愛に永遠の忠誠を誓いますし、落雷に打たれても、岩澤瞳さんは全然平気なのでした。だって幻だったかも知れないのだから。 ですから、あなたがもし元気でも、死にたくても、元気だけど死にたくても、以下の2日ばかりは、お洋服を選んで、髪もメイクもバッチリ決めて、同じ女神を崇める信者同士、教会で集まって、年齢も性別も超えて、仲良く愉しみましょう!!もう、いくら騒いでも良い時代がすぐ
<「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」20周年に於ける、淫らなほど旺盛な活動。その、最初の接触まで> 私の他の活動と同じく皆さまからの深い愛を、そして、私の他の活動とは趣を異にし、10代から80代まで、幅広い年齢層の皆様からご支持頂戴しております、「菊地成孔とぺぺ・トルメント・アスカラール」が今年、結成20周年を迎えます。 編成も、実際に使用する楽器も大きく、非常に腰の重いオルケスタとして、「ライブが年に1回」という年さえ珍しくなかった我々ですが、それでも頻繁なメンバーの変遷を経て、ベストメンバー、ベストコンディションで20周年を迎えられる事を大変嬉しく思います。 これも、古参の方から配信で知った若い皆様まで、我々の世界観と音楽性をご支持賜った多くの皆様からの、愛と官能、煩悶や絶望の肯定、生命力の喚起の賜物であると、感謝に絶えません。今、改めまして、オルケスタの名前はスペイン語で「
菊地成孔です。もう既に公式発表が済んでいますが、私と岩澤瞳さんと、数多くのビートメーカー、衣装デザイナー、メイクアップの人々による運動体、<二期スパンクハッピー>の音源は、さほど多くなく、今だったら「ミニアルバム」と呼ばれたかも知れない3曲入りのシングル2枚(インターナショナル・クライン・ブルー」「ANGELIC」)と、フルアルバム2枚(「Computer house pf mode」「Vandome,la sick kaiseki」)、そして、番外盤である「普通の恋 cwフロイドと夜桜」と、20数年前のコンパクトディスク時代に、わずか5枚の作品を残して活動を停止しました。 これらの作品群、特に「普通の恋」は、主に権利関係の未整理から長い間、実質上の廃盤となっており、亡霊のように様々なメディアに点在したままになっていました。全ての作品の、発売当初のセールスは、惨憺たるものでした。 これら作
もう何年間も、原盤が散逸的に行方不明だったが故、配信も再プレスも何もできなかった「普通の恋cwフロイドと夜桜」の、散逸していた権利関係がやっとまとまりまして、公式配信が決定いたしました!コレぞドッカーン!(もう一生無理かと思ってた正直) そして、この記念に、「第二期(岩澤瞳時代)」の全アルバム、シングルを秋ぐらいまでにサブスク解禁! からーのー(うーダサい笑)「僕がその全アイテムから、誰も知らないアウトテイクスまでを駆使してDJする」。つまり二期スパンクスの音源をクラブの大爆音で聴いて踊る、という、事実上の会員制(二期スパンクス磔の、愛も性も、もう何もかもおかしくなってしまっている。とてもお洒落な老若男女の皆様による)地下ダンスパーティーを行います! ただコレ、岩澤さんの消息(生きてるか死んでるかさえグラグラな方ですので)、あと、音楽的フォロワーを自他共に認識しておられる「あのお2人」が遊
前回予告した通り、タクシー会社を告発するので、今回はチャンネル会員さんのみならずSNS公開とします。理由は、こういう話が好きな人が多そうなので&相手(タクシー会社)が「してくれ」と言うので。の2つなんですが、2つ目の「してくれ」がパーフェクトオチすぎて笑、長い文章の最後の最後に出てくるので(赤い色塗っておきますね笑)、楽しみにしていてください笑。 僕は本来、「SNSで告発」なんて、本来なら、あらゆる卑しさやこそ回避すべき場であるソーシャル空間で、どうでも良いことばかりが優等生みたいに回避され、本物のあらゆる卑しさ、品のなさが、国を挙げてダダ漏れ全面開放になっている、あっちのソーシャルの中でも、最も卑しい行為の一つだと思うのですが、そこは畜生の浅ましさで笑、卑しかろうが何だろうが可笑しいモンはしょうがない笑、落語の下げのように見事なオチがついたのでタダ見の皆さんにもご提供させていただく事にし
自らの予想を大きく超えて、沢山の反応を頂戴しましたが、医師(外科医)である知人から、「お前のルポにちょっとした手落ちがあるので、案の定それがミスリードとなったまま斜め読みされ、そこを指摘されている。まあそれがSNSだが」 という指摘があり、「むむむ?」と思い、確認してみたら「ここかな?」と思われる位置を同定できましたので、まずは何よりそのことと、これはケアレスミスですが、重要な点を落としているので、それの追記。あとは前レポの続きを書かせていただきました。 個人的に当該箇所は、「ちゃんと読めばわかるのではないだろうかな」とは思い込んでしまい、結果としてミスリードを生んでしまいました。エッセイ等とは違い、ルポライトである性質上、これはよろしくありません。 同様のご指摘を正確に数えることは不可能ですが(いま、「正確に数えられること」が多すぎであると僕は思いますが)、その総体を僕が要約するよりも、
初めまして。僕は菊地成孔(きくち なるよし)と申します。音楽と著述を生業にしていまして、SNSというものは基本、やらないし、やったとしても、自分のライブや新刊、イベントの宣伝にしか使っておりません(それも全てマネージャーがやっています)。 なのですけれども、今月22日に、コロナ陽性反応が出まして、結論から先に申し上げると、少なくとも、僕個人に関しては「今度のコロナは感染力強いけど、重症化しない=行動制限もしませんよ」という図式は、真っ赤な嘘で、これは大げさではなく「一歩間違えたら死んでたかも」という経験をしました。 そこで、「SNSというのは、本来、こういうことを発信するためにあるのでは?」と思い、こうして発信させていただいている次第です。やっと今、フラフラではありますが、長文をキーパンチできる肉体的余裕が出てきた。という側面もあります。症状が出始めて10日目、抗原検査で陽性反応が出て9日
藤井風さんだって引くんだから俺だって笑。 と、マジで思っていたわけでは70%ぐらいしかないんですが、今になってコロナになってしまいました。僕は現在、独居なので家族はいませんが、まあ、長沼を始め、仕事上の濃厚接触者はいるので(辻村くん!新音楽の上野山くん、こないだ狭いスタジオ入ったよな!すぐ検査して!笑)、保健所さんと相談して、事務所もしくは施設?みたいなところで10日程度は隔離されます。 外付けの人工呼吸器とか、意識障害とか、いわゆる重症化はしてないので(風邪の重い奴ぐらい。味も匂いもムチャクチャしますし、腹減ってしょうがねえわ笑)、どうかご心配なく。 ただ、「人間ドック」→なんも出ねえゆえに「やったー!」ガッツポーズ→靭帯損傷→リハビリ中に聴力低下で補聴器勧められる→治りかけた来た靭帯、再損傷→口の中大火傷(地獄のキーマカレーで)→そしたら差し歯の根元に病根発見→「インプラントにするけど
昨年の春にDC/PRGを解散したのは、端的にミッションを終えたからで、それは「戦争とアメリカ」ということだった。その後世界はその通りになり、つまり戦争とアメリカの時代は少なくとも一旦は終わったが、更に深く酷いことになった。深く酷い世界に対して、顔をしかめるのは児戯にも等しい。酷い世界に対して、嘘でも元気ぶり、作り笑いで家を出るのも。 「もうバンドはやらないでおくべきか、やるのか?」を考えた。もう歳も歳だし。そして、昨年の秋頃から「来年(22年)は、コロナだオリンピックどころではない酷い世界になる。途轍もないことになるだろう」という直感が働き、そのための音楽が必要になる。第一には自分に。そして年が明け、直感は当たった。いつだって現代は混迷する酷い社会だが、今の現代は今までの現代よりも酷い。バンドを結成することにした。年齢的に言っても、高い確率で人生最後のバンドになるだろう。上手くゆくと20年
何か全てが遠い過去のようだ。僕は神田沙也加氏とスパンクハッピーをやろうとして動いたことがある。まだマネージャーが長沼ですらなかった頃だ 全てがもう時効という感じがするので、そして今、夜明けの一番日差しの強い時間なので、とても自然に書いてしまうけれども、僕は1998年に大病して入院し、退院したら原みどりさんがスパンクハッピーを辞めて(河野伸君はその前に辞めていた)、1人になってしまった。 以下、初めて書くことが続くが、僕はファーストスパンクハッピーと全く別に、セカンドスパンクハッピーの構想を練っていて、最初はポップな作曲のパンクバンドだった。角川春樹さんの娘さんはケイティと言って、当時、ケイティ&ダイナマイツというバンドも解散し、行方が分からなかった(ダイナマイツの「ワイルドルビー」は本当の名曲だと思う。「フロイドと夜桜」は、この曲とhitomiの「サムライドライヴ」とバグルズの「ラジオスタ
緊急事態宣言が発出もしくは発令されたので(僕はこの宣言に関して、法的にどういう意味で捉えるかが基準になるとはいえ、「発令」のが適正だと思うが、突如として「発出」が出回ったのは、世の混乱を表す兆候だと思うので、様子を見ようと思っている。因みに「発出」は造語でも新語でもないが)、どのぐらい続くかは分からねども、生活を朝型に変えたほうが色々と都合が良いので朝型に変えてみることにした。 とまれ、57年間の人生のうち、50年間ぐらいは夜型だったので、朝型に帰ると言っても、ジャージをニットにするようにはいかない(ジャージをニットにするだけだって大変である)。これは偶然、というよりグルーヴの中から拾い出したもので、継続できるかどうかも分からない。 昨日(1月7日)に、随分と久しぶりで20時間以上寝た。なぜかと言えば、その前の2日間が小忙しかったからである。通常の日務に、3月を予定しているオ
おい、ぴくにっくでぃすことぱそこんおんがくくらぶー。お前ら詰めが甘いぞー笑。僕は「プティトマト」なんて絶対言わないし笑、ついでに「パスクン」も言わねえわ!笑。打ち損じかも知らないけど。 プチトマトはトマトスリーズ(スリーズはチェリーのことだ)だし、パソコンの正しい発音は「パスカン」だって、とっくの10年前から本にもブログにも書いてるよーん。 そもそも僕を「スノッブなフランスかぶれ」扱いしてるクラクラするほどの古さと鈍さが、しょくんらの音楽の絶妙な古さと抜けの悪さにキッチリ重なってんだよ笑。 君たちはそこそこセンスが良いが、基本、勉強不足で、詰めがちょっと甘い事、自分で気が付いてるだろ?自分のぬぐいきれない後ろめたさを僕なすりつけて、周りにいるバカに良いね貰って安心してる暇があったらもうちょっとマシな曲作れー笑。 と、悔しかったら言い返してみろ先生がいつでも採点してやるわ。どうだオレにピック
ひゃあ出たあ!非実力派宣言!!間違えた非常事態宣言!!違った正しくは緊急事態宣言!!三段オチ!!違うか!!と、ベーアがガチ顔ではなく、余裕の表情だったのをどう見るか。って、今、ロンハー見てて、亮が草薙の代役に感謝している絵を見て、泣きながら書いている56歳ですが、以下、ファンメールボックスの状況を見る限り、事態宣言なくても、もう誰も覚えていないぐらいの状態とは推測しますが(緊急事態宣言が。じゃないよ)、まあその~、先日出演したラジオの再放送ログで、僕の発言が一部がカットされた件について、正式コメント&ルポライトを出します。 ので、今回みたいな、こういうのがお好きな方は、「飛ぶ教室」の公式アカウント(?)とか、僕の名前で出てくるタイムライン(?)とか、ハッシュタグなんとかかんとか、色々あんでしょ?あれに「菊地が、<高橋源一郎「飛ぶ教室」の再放送ログ>で一部コメントに検閲受けたことに、今頃、長
「それはどこにでもある、聞いた事ある、そんな、ありきたりでつまらないお話/スパンクハッピー活動再開に際して/菊地成孔と小田朋美による共同声明」(後編) 「それはどこにでもある、聞いた事ある、そんな、ありきたりでつまらないお話/スパンクハッピー活動再開に際して/菊地成孔と小田朋美による共同声明」(後編) 小田朋美さんと出会ったのは、実はかなり古く、そもそも彼女は東京藝術大学の、僕のクラスの生徒(潜りですが)でした。 女子大生と非常勤講師、等というと、俗流のエロチカが連想されても致し方ありませんが、エロチカどころか、彼女は当時スキンヘッドで、今の5倍ぐらい目つきが悪く、コミュ症の具合も今の3倍は重症でした。初めて出会ったのは、藝大のキャンパス内です。 それは授業前後とかではなく、当時、僕が音楽を担当させて頂いていた、NHKの「爆笑問題のニッポンの教養」という番組の特番(「爆笑問題のニッポンの教
「それはどこにでもある、聞いた事ある、そんな、ありきたりでつまらないお話/スパンクハッピー活動再開に際して/菊地成孔と小田朋美による共同声明」(前編) 「それはどこにでもある、聞いた事ある、そんな、ありきたりでつまらないお話/スパンクハッピー活動再開に際して/菊地成孔と小田朋美による共同声明」(前編) <まず菊地成孔> (スパンクハッピーを包括的に語る事のみならず、ODを小田朋美さんだとして書く文章は、少なくとも僕は、これを最初で最後とするので、小田朋美さんのファンの方は特にお読みください、あるいは特にお読みにならないでください) 一期のヴォーカルだった原みどりさんも、相方だった河野伸くんも共に現役で元気に活動しているし、アルバムはボーナストラックまでついた復刻版が出ています(2007年10月。もう10年以上前ですね。これもぜんぜん売れませんでした。発売時も復刻時も売れないのだから、永遠に
<イン・ダ・ステュディオ> 昔は私もフィフティのように、イン・ダ・クラブだったのである。オン・ダ・フロアだった時もある。いつでもそこは、人が溢れていた。近田春夫の「金曜日の天使」のような、ガラガラの場末のディスコなんて経験した事が無い。最近は、あれは近田さんの空想だったのではないかと思っている。しかし、それが53にもなるとイン・ダ・ステュディオ、しかもイン・ダ・ステュディオ•アローンになるとは。有識者が見れば、楽譜が1曲は坂本龍一の、もう1曲はダフトパンク楽曲だという事が解るであろう。クラブに毎日、用事があった様に、ディスコのフロアにさえ、毎日用事があった様に、現在私は、毎晩、火急の用事がステュディオにあるのである。たった1人なのにも関わらずだ。
*前号までのあらすじ*3年がかりのプロジェクトである大西順子の復帰アルバムからブルーノート3デイズまで。という大仕事を無事に終え、あまつさえ途中にはMC漢との共演もあったが、若干のバカの闖入を除けば難なくこなし、次の大仕事である自分の3デイズに向けて歩みを進めた菊地成孔であった。しかし、DyyPRIDEがデジタルカメラを床に落として壊しちゃった。どうする菊地成孔。 <IXY時代の終わり> 私が「デジタルカメラ」、というか、自分のカメラを持って日々の写真を撮り始めたのは2006年からだから、丁度10周年が終わる頃だ。「8ミリカメラを買わず、ステレオセットを買ったお陰で音楽家に成った」という話しはそこらに書いているが、そこから先が飛んでいる。実のところ私は、かなり初期のHi8から、動画を撮り始めている。勿論、自主映画ではない。敢えて言えば自主AVだが、この話は、特定個人が想定され易いので口をつ
<大西順子や挟間美帆について、あなたが知りたい二、三の事柄> 私は巷間、大変な好色で、かつフェチ持ちの変態であり、日々、共演者やファンとセックスしているとすら誤解されているが、そのことに私の音楽自体が影響を与えているのは致し方ないと思う。強面の俳優は概ね、怖い人、もしくは優しい人だと推測され易い。私が大変な好色の健啖家か、もしくはインポテンツの潜在的ゲイだと推測されるのは、私の音楽を聴けば、むしろ自然な事ですらあると思う。 勿論、実際はそのどちらでもないし、では、大体どんなものかと言えば、そんな事は言える筈が無い。秘密だ。SNSは秘密を殺す。やがて秘密自体が絶滅種になるかも知れない。SNSの構造は原理的に露出と隠蔽しか生まない。「隠蔽は秘密では?」と思う御仁も多いかも知れないが、秘め事と隠し事では紙一重でまったく別物である。隠してしまえば、全く見えない。 少なくともプロデューサーとしての私
無料世界「第三インター」が閉店セール状態に入りましたので、こちらで、立ち上げ当初の企画「菊地成孔の一週間」を再開すべく、誕生日周辺の一ヶ月弱をまとめてみました。引用や大意をとって拡散して頂いても構いませんが(というか、止める手段が無いので、こんな事言ってもしょうがないのですが・笑)、なるべくならばミスリードに使用したり、「全くそんな事書いてねえよ」という歪曲(これを、悪意無く平然とやる人々で溢れた星に我々は住んでいます)はなさらぬよう、お願い致します。 2016年6月4日(土曜) <何故私は、最初に初めて最初に抜けるのか?> やはり、というべきか何というべきか、「インターネット空間に文章を無料で書く」という事は環境汚染だと判断し、一度帰郷したネッ都というバビロンから戻ったが、再撤退する事にした。今日、その旨を「第三インターネット」内のブログに書いた。本日より引っ越しが始まる。 ほとんどの人
最近は暇さえあれば、否、暇なんかなくとアナタの管所蔵のFKAtwigsの動画ばかり見ているので或は頭の中がFKAtwigsで一杯になってしまい、来週のソロライブに影響が出たらどうしよう、出る訳ねえじゃん。と行ったり来たりすれ違いなあなたとワタシですが、一方であとはテレビドラマしか見ておらず、ひとつは韓国の「大丈夫、恋だ」と、日本の「恋仲」という、どっちも恋がくっついてるんで、人類って他にやる事無いのかね?と思う訳ですが、とにかく、日本人全員に、黙ってこの2作品を見比べて欲しい。絶対に。そして、胸に手を当てて、いろんな事を考えて欲しい、すぐには指を動かさないで。いや、ポルノではありませんよ。 「大丈夫だ、恋だ」は、自らもセックス恐怖症である精神科医のヒロインと、猟奇的な小説でベストセラー作家/人気DJの、スーパーイケメンなヒーローの話(こっちも父殺しに関するトラウマで狂っているが、症状を全く
1995年。つまり丁度20年前にあなたは何をしていましたか?ワタシはPCすら持っていませんでした。PCを持っていなかった。携帯も持っていなかった。それだけで素晴らしい過去。それだけで、その分だけは間違いなくクール。世界中が。 ワタシは32歳でした。それまでにも本当にいろいろな事が、少なくとも32年間分はあって、ワタシは、何年も流れ流れた果てに、音楽という本流に辿り着いて、やっとデビューが決まった年でした。 今では「第一期スパンクハッピー」と呼ばれるバンドが、ワタシを生まれて始めて作詞家にしました。ワタシは自分からは何にも成らない。いや、成れないのかもしれない。バンドがデビューすることになって、作詞家がいない。メンバーでヴォーカリストだった原みどりさんは作詞をしていましたが、ワタシにはそれがリリックにもヴァースにも思えなかった。これじゃダメだ。 なので自分でやる事にしました。ワタシは生まれて
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