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昨日の出来事(記録として残しておきたい事柄) 昨日はとある契約事の手続きで私のサインが必要だったため、パドヴァの公証人事務所で何人かと集まったわけですが、元弁護士の女性(80歳)と不動産会社社長の女性(65歳)、会計士の女性(70歳)そして50代の公証人の女性の間で生炎上が発生。 生炎上というのはつまり、よくSNSなどバーチャルで繰り広げられるあの炎上が、実際自分たちの目の前にいる生の人間同士の間で行われた、という意味です。まあ、つまり罵詈雑言を叩き付け合う喧嘩ですよ喧嘩。 実は今朝私の耳が若干難聴気味なのですが、昨日あそこに集まった女性達のヒステリックな声の音量が肉体に苦痛を与えるといわれる130デシベル以上であったことは確かで、それが影響しているのでしょう。しかもその大きな声で飛び交う言葉の内容の酷さも加わって、今朝はすっかり心身疲弊状態の目覚めを迎えました。 朝9時。ギラギラのローレ
これは映像ストリーミング会社であるNetflixによるオリジナル作品なので、配給会社による宣伝があちこちでなされたわけではないからきっとご存知ない方も多いと思う。Netflixに登録している人であればいつでも見られる作品なわけだが、私としてはやはり大きなスクリーンで見てみたかったので、映画館での公開は嬉しかった。 監督は「シティ・オブ・ゴッド」などの作品で知られるブラジル人監督フェルナンド・メイレレス。 一緒に観に行った漫画家とり・みき氏から世田谷線の電車の中でNetflixの作る映画の方向性や特徴などについての説明を受けたが、実際、映画というものの本来のあり方、そして産業化が加速する段階で映画が失ってきたもの、実在の人物を演じるとは何なのか、史実とフィクションの織り込み方など、ありとあらゆることを考えながらの鑑賞になった。 ジョナサン・プライスもアンソニー・ホプキンスもそれぞれの教皇を見
そこで「ヤマザキさん、虫好きだしカブトムシのペアいりませんか」とお声がけいただき、まあ、毎年うちにカブトムシ夫妻がご臨終までの期間過ごすのは定例になっているので、今年も引き受けることにした。
イタリアでのCOVID-19感染者拡大について、個人的な経験で思いあたる要因のあれこれ 2020年 03月 23日 イタリアでのCOVID-19感染者拡大について、個人的な経験で思いあたる要因のあれこれ ものすごく個人的見解ではありますが、いまのイタリアでの感染拡大について、自分のイタリア人家族や彼らの日常生活レベルで思い当たることをいくつか。もちろんイタリア人といっても多種多様なので、これはあくまで私のエッセイ漫画などに出てくる家族親族友人をベースとした考えです。 その1) EUの中でも特に高齢化が進んでいるという意味を踏まえれば、こちらの記事が概ね参考になるかと思われます。 https://wired.jp/2020/03/20/why-the-coronavirus-hit-italy-so-hard/ そしてこの記事にも触れられているように、イタリアもスペインも、基本的に老人を放っ
名前:ヤマザキマリ 職業:基本的に漫画家 Instagram / thermariyamazaki https://https://www.instagram.com/thermariyamazaki/
うちの息子の名前は彼から頂戴しました。 デルス。 イタリアでは「日本語でどういう意味なの?」と聞かれるし、 日本では「イタリア語でどういう意味なの?」と聞かれます。 でも、これは東シベリアのナナイという民族の名前なので、日本ともイタリアとも関係はありません。ちなみに日本語に訳すると「白い丘」という意味らしいです。息子が生まれた瞬間、直感的につけた名前にしては、突飛な意味のものじゃなくて良かった。これが「馬の尻」とかだったりしたら焦りましたけど。 でも、それでもデルス以外の他の名前は、あの時点での私には思い浮かべられなかったような気がします。 そしてこのDersuという名前ですが、実は日本よりも欧州の方が知名度が高い上、そのほとんどの人がこれを日本名だと思っていたりするので驚きます。 デルスとは、1973年に黒澤明監督が撮影した映画「Dersu Uzala」の主人公であり、もともとはロシア人
自分がシリアに暮らしていたことも、シリアの人々と交流のあったことも、このドキュメンタリーにただならぬものを感じた大きな理由のひとつかもしれませんが それ以前にこのようなドキュメンタリーを撮ろうと思い、実際に撮った人がいたこと、そしてこのドキュメンタリーを撮ることをサポートしてくれた人々やバックグラウンドを思うと、何より深く気持ちを揺さぶられます。
私があの時言わんとしていたことの中には、ネット上で歪曲し、誇張し、まったく見当違いの捉え方をされてしまったものもあります。 私がなぜ漫画家としての労働者的権利を強く訴えたかったのか、作家は「やりたいことやらせてあげているんだから口出し無用」的扱いに黙り続けていられるのか。『テルマエ・ロマエ』という作品があの時のあの編集者とでなければできなかった作品だったという私の気持ちも、炎上の周りで騒ぐ人にはどうでもいいことだったように思えました。
主催:株式会社マンガ新聞(メディドゥグループ)内「オンラインサロン:ネットマンガ実践研究会」 日時: 2018年2月26日(火)19:00〜20:30 (終了後交流会予定)
小松左京遺稿画とトリビュートアート 2018年1月13日(土)〜 1月28日(日) わたしが描いた作品のテーマは小松氏の短編「行きずり」です。
一度目に見た時は作品全体がもたらす大きな衝撃波みたいなものにどかんとヤラれてしまい、細部やその他大勢の登場人物達のあり方まで実はじっくり分析できていなかったのだなと、2度目に見た時に痛感。
能舞台での県談だったのですが、我々のプログラムの終了後には大蔵流狂言師達による『棒縛(ぼうしばり)』の公演もありました。 翌日はロンドン在住のシリア人ジャーナリストから、前日のシンポジウムで私が語った日本における漫画のあり方、漫画という表現の持つ影響力についてのインタビューを急遽受けることになったのですが、「あなたは漫画というツールでシリア国内で起っている深刻で残酷な事態や政治情勢でさえも真実を表現することが可能だと思っているのか」「文字ではなく絵での展開は想像力を限定的なものにしてしまうのではないか」「今回のシンポジウムのように文化遺産に特化したテーマでなければ日本はシリアについて興味を持ってくれないのか」といった深い問いかけもありました。 私はジャーナリストではありませんし漫画そのものにも読者は報道としての役割を求めているわけではありません、でも我々のように想像力の駆使を許される表現者
写真に谷口さんと一緒に写っているのは特集の中でも県談をされている元双葉社の佐藤俊行さんご夫妻ですが、実は私がまだ漫画家になることなど全く考えてもいなかった1980年代末、一時帰国していた日本からイタリアへ戻るアエロフロート機で隣に座られたのがこのご夫妻でした。 当時のフィレンツェのボロ屋にもご招待したり、その後日本へ帰国した際にはご飯を御一緒したりしたのですが、その頃は佐藤俊行さんが谷口ジローさんの編集者だったことなど全く知りませんでした。 それから後、佐藤夫妻とは音信が途絶えてしまいましたが、2011年に開催されたイタリアのルッカ・コミックフェスティバルに谷口ジローさんとともに招待された折りに、谷口さん経由で夫妻と20年ぶりに再会したのでした。
エッセイの冒頭部分で触れている、アニメで紹介されるお弁当、これを見ながら留学時代の私はいつも恋しさと食べたさでもんもんとしていたのでした。
”敬語を使わない外国人”という解釈での吹替え、ほんとにもういいかげん改善してくだされ 2017年 05月 29日 昨日これから撮影に入るとある番組のために頂いた台本で、私が外国の人と交わす会話のやりとりが、私の言葉はイタリア語で喋っていても”です・ます”体であるのに対し、相手のイタリア女性は「なのよ」「そうね」「るわ」「かしら」と日本語で記述されているのを見て、その女性がどんな人なのか、どんな喋り方をするかまだお会いしてもいない段階で「外国の女性はこういう話し方」と決められてしまっていることに、改めて深く深く考え込んでしまいました。
ファシズムの語源は「ファスケス」という斧の周りに木の棒を束ねたものですが、古代ローマ時代の護衛官はこれを担いで独裁官や執政官といった権力者の後ろを歩く習慣があったのだそうです。発祥はエトルリア時代とされています。
下絵とかペン入れはまだラジオのニュースや音楽を聴いたりしながらできるけど、ここまでの段階では部屋を閉め切って音も何もかも遮断。メシも抜き。
澁澤龍彦というひとを最初に知ったのは10代のころイタリアで読んだマンディアルグの翻訳だった、などという話を寄稿しておりますが、この本に執筆したことがきっかけでまさか巖谷國士氏とツイッターでコミュニケーションができるとは、なんたる展開。 高校時代から留学時代の初期にかけてはやたらとシュールレアリズムに嵌っていたのですが、アンドレ・ブルトンやアントナン・アルトーに傾倒しまくり(下の写真は留学直前マン・レイ撮影のアルトーを油絵にしたもの。この絵はこの後、まだ住む家も決まっていないイタリアまでわざわざ持っていった)、パゾリーニの「ソドムの市」から澁澤訳のサド公爵やらマンディアルグをその内容に動じる事無く毅然と読む、という背伸び感弾ける青春時代が脳味噌にフラッシュバックしてまいりました。恥ずかしい。なんて生意気な青春時代……
「テルマエ・ロマエ」は最終回を迎えた時、達成感と開放感に見舞われ、やれるだけのことはやったというすっきり感がありました。この漫画のヒットに絡んで様々なトラブルも併発したせいかもしれませんが、「登場人物ロスになるよ」という友人からの忠告のような現象は全く起らず、むしろ「テルマエ・ロマエのみなさん、さようなら!」という潔い思いしか残りませんでした。 しかし、この伝書スティーブ・ジョブズの漫画版はそれとは様子が違っています。 最終回を迎えたのに、1Pづつ進む度に感慨深い溜息が漏れ、この原作を、この人物を漫画化するに伴った大変さをひしひしと痛感しているのです。 原作では最後のほうで、ジョブズが自分のありのままのひととなりを容赦無く文章で表現してくれたであろうアイザックソンに「よかった」というシーンがあります。「でも読めばきっとイラつくから今は読まない」と。 私はこの漫画では、そんなアイザックソンが
日本でも結構前に動物フィギュアが入ったタマゴチョコが流行った時期がありますが、 その時代よりももっとずっとずっと溯ってイタリアのチビッコ達に支持され続けてきた元祖タマゴ型チョコがこちら キンダー・ソルプレーザ(サプライズ) 発売されたのは今からもう約50年前の1968年。 日本語でのウィキもありました:キンダー・サプライズ 私もたまになんとなく衝動で買ってしまうことがあります。 今回は思い切って3個調達。 1個目、中から出て来たのは頭に筆が生えた水彩画を描ける謎のキャラ 原稿の着彩が滞っていたところなので、ちょっと嫌がらせ感を感じないでもありません そしてどういうわけか、買って来た3個とも全部同じオマケ
『私の友人である谷口ジロー氏は柔らかさを彩る天分を授かっていた』 "Il mio amico Taniguchi possedeva il dono di colorare la leggerezza" イタリアの日刊紙 La Stampa に本日アップされていたイタリアの漫画家IGORT氏の記事です: "Il mio amico Taniguchi " 谷口氏とは20年来の友人であるイゴルト氏は、この記事の中で、谷口ジローという作家が日本よりも欧州で評価されていたこと、その欧州で「漫画界の小津安二郎」と呼ばれる事が負担だという胸の内を語ったことにも触れています。 全文を訳したいところですがざっと抜粋すると: «Perché, non ti piace Ozu?» scherzavo io. E lui, che ovviamente amava il lavoro di Ozu, uno
それにしても、この漫画のアニメーション化が実現したら素晴らしいなという思いでクラウドファンディングに参加してから数年後、ハッと気がついたらなんと大手飛行機会社の機内エンターテイメントでも観られるほどの大ヒットになるなんてこんなに感慨深いことがあるでしょうか。 今回は前回観た時気がつかなかった発見が沢山あり、しかも映像を巻き戻したりできるので、涙目になりながらも細部をいろいろ見直すことができて大満足でございました。 昆虫達もどんな種類のが出て来ているのか今回はしっかり確認できたのと、あとすずさんのミニえんぴつを見ていて、自分も小学校のころ鉛筆のおしりの一面を削ってそこに「やまざき」って名前書いてたのを思い出しました。 どんなわずかなことでも、そこに精緻な考証がなされていることが、この作品の素晴らしさを為している大事な要素であることを痛感。意識には届かなくても視覚の情報察知は容赦ない、というこ
読売新聞でたまに連載していた「イタリア頼り」は今回で最終回です。 取り上げた本はイギリスのSF作家オラフ・ステープルドンの『シリウス』。人工知能を持ってしまった犬の話。 この本が発行されたのは1944年、第二次世界大戦のまっただ中です。日本では絶版になっておりますが、名著なので古本などで入手して是非読んでみてください。 代表作である「最後にして最初の人類 」も素晴らしいです。 SF小説というものは、日本でも海外でも文学界においてはどちらかというと大衆文学にカテゴライズされる傾向がありますが、ステープルドンのような哲学も手がける作家の描く世界観は相当に深いし、視野も多元的だし、文章の上手さも相当だし、構成力も自然なのに抜かりがないし、まあいろんな側面で、言っちゃなんですけど、そんじょそこらの純文学よりも余程クオリティが高いと感じてしまうのでした。
前はいちいち覚えていたのだけどすっかり忘れていました 生きていたら93歳か。 せっかくですので以前文春本の話Webで取り上げた彼の著書を改めてご紹介 漫画やらエッセイやら随分いろんなところで安部公房を取り上げてきましたが、やはり彼の作品は今でもふと思い立っては何度も読み続けているのでした。 本の話WEB "どの作品にも万遍なくまぶされていた「砂」"
過去に谷口先生とやりとりしたメールを読み直しているうちに、先生がその場にまだいるような気がして涙が溢れてきてしまいました。 本当に心から敬っていた人を亡くすというのは、辛いことなのだと痛感しています。 これはアングレームでの特別企画用に作られた谷口先生の動画です。 僭越ながら私も谷口先生を敬愛する同業者として参加させて頂いています。 そしてこちらは
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