去年今年貫く棒の如きもの
ご存じ虚子の名句だけど、ぼくも去年の宿題をひとつのこしたまま年が明けてしまった。うん? 句の意味とはちと、ちがいますな。
さて前回(2)では、カルト集団の教祖 Bruno の哲学的瞑想が退屈とクサした表題作だが、あと半分、「ミステリ部分はけっこう面白い」。
Bruno の瞑想とは、じつは主人公の「わたし」がハッキングしたメールの本文で、「わたし」は「アメリカの中年女性でフリーの秘密諜報員」。本名は明かさず、今回は Sadie Smith と称して、「南仏の田舎に居住するカルト集団的なコミューンに潜入。ミッションは、巨大地下貯水池の建設に反対する環境運動家たちの動静を監視し、扇動工作によって組織を壊滅へと追いこむことだ」。
ネタを割りすぎない程度につけ足すと、その運動家たちが環境テロをおこなう可能性があり、それを未然に防ぐのが Sadie の任務である。
エコテロリズムと聞いてぼくが思い出したのは、だれの名画だったか、ペンキかなにかをぶちまけるという蛮行くらい。が、Wiki によると、もっと組織的で明らかに危険な、文字どおりテロ行為の場合もあるらしい。
これを上のようにスパイ小説として取り扱った例は、ハヤカワ文庫版『新・冒険スパイ小説ハンドブック』にも載っていない。おそらく本書がはじめてなのではないか。
冒険スパイ小説といえば、ぼくは忘れもしない2000年の夏、"Anna Karenina" を英訳で読む直前まで、Dick Francis やら Robert Ludlum やら、その手のエンタメばかり読んでいた根っからのファン。ひさしぶりに昔の血が騒いでしまった。
なにより Sadie Smith のスパイぶりがいい。けっして美人ではないがデカパイ。「冷静沈着でハニー・トラップを得意とするなど狡知にたけ、濡れ場もありニヤリとさせられる」。
もし映画化するなら、と思って『ソルト』や『レッド・スパロー』、『アトミック・ブロンド』など、わりと印象にのこっている女スパイ映画を再チェックしてみたが、どれもヒロインはアクション系。ハニトラでメロメロではなく、キック・パンチでボコボコにされそうですな。
美人すぎるしデカパイでもないけど、冷静沈着、奸計で男を籠絡しそうなのは、『愛の嵐』(1974)や『さらば愛しき女よ』(1975)のころのシャーロット・ランプリングか。彼女は当時、30歳前。いやあ、彼女ならぜひハニトラを仕掛けてもらいたい。
とそんな脱線はさておき、本題にもどると、「作者はこうしたマタ・ハリの流れをくむスパイ小説に飽きたりず、組織の教祖ブルーノの思想を冒頭から開陳」。これがいけない。「エコテロリズムとエコロジーだけという安易な物語を避けた点は評価すべきだが」、いっそエコロジーにしぼり、その路線でいろいろ工夫する手はなかったのか。
あるいは、えらく退屈な瞑想を要領よくカットするか。
ともあれ、ムダに長すぎる。「作者がもしここで純文学とエンタテインメントとの融合を試みたのだとしたら、その意気やよしと賞賛すべきか、それとも無残な結果におわったことを嘆くべきか。評価のわかれそうな水準作である」。
とレビューは結んだけれど、ホンネをいえば、往年のシャーロット・ランプリングを思い出させる美女の主演映画で鬱憤を晴らしたいところです。(了)