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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

広島「無償化」裁判第6回口頭弁論

2015-02-27 09:21:00 | (淑)のブログ
 広島朝鮮学園と広島朝鮮初中高級学校生徒・卒業生たちが「高校無償化」法に基づく指定の義務付けと、「無償化」制度から排除された生徒への国家賠償を求めた裁判の第6回口頭弁論が25日、広島地裁第302号法廷で行われた。朝鮮学校保護者や関係者、日本市民、そして卒業式を数日後に控えた高校3年生の生徒らで傍聴席は埋まった。

 今回被告側は準備書面5を提出。前回も裁判官から指摘された、朝鮮民主主義人民共和国や朝鮮総聯による朝鮮学校への「不当な支配」の問題に関して、一般的に私立学校や外国人学校が特定の団体や本国等から支援を受けるなどして一定の影響を受け、関係性を有することはありえるが、その自主性を歪めるようなものであれば、それが「不当な支配」に当たるとして、法令に基づく適性な学校運営が行われているとする原告らの主張が失当であることを主張した。
 これについて裁判官からは、「被告が主張する『支配』の内容が『不当である』と指摘できる根拠はあるのか」と指摘された。
 原告代理人弁護士の平田かおり弁護士は、イ、ロ、ハの中でハ号にのみ「債権の弁済への確実な充当を求める」という規定が求められる点で、その違いについての釈明は、被告の準備書面では明確にされていないが、被告側の主張はそれに尽きるのか?と糾した。また原告は、今回提出した証拠について説明。朝鮮学校の「高校無償化」除外に関する内容の朝鮮学校生徒らの作文を読み上げ、日本の社会的環境を背景にした、朝鮮学校生徒たちの悲痛な声があらわれていると主張した。最後に足立修一弁護団長が、昨年の国連人種差別撤廃条約審査における日本政府への質問について説明した。





 裁判終了後、広島弁護士会館で報告集会が行われた。足立弁護士は、裁判官が「不当な支配」の根拠について求釈明を行ったのはまっとうで、これに関して国はまったく議論できていないと指摘。裁判所が原告側の主張を理解した上での質問であったと評価した。
 松岡幸輝弁護士は、法廷で裁判官が、ハ号を削除した違法性と、違法とした場合、朝鮮学校を不指定とした違法性についての分析を明らかにするよう求めた点について、「論点を焦点化してほしいということで、今後は細かい論点からより大きな論点で争われていくだろう」と見解をのべた。
 最後に質疑応答が行われ、会場からは「国連勧告をもって被告に揺さぶりをかけることはできるのか」「日本市民が裁判を支援していることを裁判所にどう示せるか」といった質問がなされた。

 この春広島初中高を卒業する原告生徒は、「高校3年間『無償化』適用を求めてたくさんの運動に取り組んできたが、状況は変わらず、私たちの存在が認められないまま卒業することが腹立たしいし、悲しい。卒業しても裁判の原告として、広島朝高の卒業生として、勝利までたたかっていきたい。卒業後は朝鮮大学校に進学するが、金曜行動などにも積極的に参加し、裁判運動に取り組んでいきたい」と話した。

 次回、広島での口頭弁論は5月13日、13時30分から行われる。(淑)
 

大阪「補助金」裁判第13回口頭弁論

2015-02-26 09:00:00 | (相)のブログ
 

 大阪府と大阪市が府、市内の朝鮮学校に対する補助金を不支給とした処分の取消と交付の義務づけを求めた裁判の第13回口頭弁論が2月25日、大阪地方裁判所で行われた。
 先週末から関西地方に出張中の私も傍聴に足を運んだ。
 裁判が開かれた202号法廷は府下朝鮮学校児童・生徒の保護者や学園関係者、地域同胞、日本人支援者ら傍聴に駆けつけた人々で今回も満員となった。
 原告側は2月19日付で第9準備書面、25日付で第10準備書面をそれぞれ提出。内容は、大阪朝鮮学園理事長や教員、保護者、在校生、卒業生、日本人支援者などの陳述書のまとめ、国際人権法の観点から見た補助金不交付の違法性、といったもの。
 法廷では原告側代理人の仲尾育哉弁護士が、提出した書面に関連して意見陳述を行った。仲尾弁護士は、本件補助金不交付処分は恣意的なものであり、民族教育および人格形成、在日朝鮮人のコミュニティの場である朝鮮学校の存在意義を否定し、子どもたちの教育への権利を侵害するものであるとのべた。これまで原告側は主に国内法の観点から補助金不交付が違法であると主張してきたが、今回は国際人権法の観点からも不交付の違法性を主張した。
 また、在校生や保護者、支援者ら朝鮮学校に関わる当事者たちの声も紹介された。
 そして最後に丹羽雅雄弁護団長から、橋下徹大阪市長(前府知事)を証人として申請したい旨の発言があった。
 口頭弁論終了後、大阪弁護士会館前で報告集会が行われ、丹羽弁護団長のほか仲尾育哉弁護士、普門大輔弁護士が今回の口頭弁論および提出した準備書面について説明を行った。また、大阪福島朝鮮初級学校の児童・生徒たちから弁護団へ贈られた寄せ書き色紙も紹介された。

 

 2年以上にわたって続く補助金裁判はいよいよヤマ場に入る。弁護団は今後、1945年から現在にいたるまでの朝鮮学校の歴史と日本政府による排除、差別、それに対するたたかいを整理した鑑定意見書を提出する予定。陳述書を書いた人々を中心に人証も申請する。丹羽弁護団長は、裁判官の朝鮮学校訪問と前述の橋下前知事の証人尋問をぜひ実現させたいとの意気込みを語っていた。
 次回期日は5月14日。4月24日には「無償化」裁判の第11回口頭弁論が開かれる。

 

 今回の補助金裁判前日の24日、毎週火曜日に大阪府庁前で行われている「火曜行動」の現場にも足を運んでみた。137回目となる今回も、朝鮮学校への「高校無償化」適用と補助金支給の再開をアピールする大勢の人々の姿があった。(相)








神奈川中高美術部展示会・現実闘悲 現実闘非 現実闘碑

2015-02-25 09:00:00 | (瑛)のブログ
 先日、横浜港大桟橋国際客船ターミナルで行われた、「第9回神奈川朝鮮中高級学校美術部展示会・現実闘悲 現実闘非 現実闘碑」(2月14日~19日)に行ってきた。

 入口には、白い傘が積み上げられ、その周りには、数々のメッセージが無造作に貼りつけられている。



●「ピースサインの本来の意味を知っているのだろうか」
●「自分の痛みだけを理解してほしいと願うのは、都合がよくありませんか?」
●「私たちは『知る』ということから逃げている」
●「物事のよしあしはどこにあるのか?」―。

 この日の展示は、昨秋に同校美術部で立ち上がった「NO WARプロジェクト」の一環だ。

 プロジェクトをしかけたのは、同校美術部教員のカン・テソンさん。
 
 「日本社会を戦争の空気が覆っている。
今という時代を、かれらなりの視点で見て、自分なりの表現をしてほしいと思いました。なぜなら人間は見たくないものには目を閉ざす。どこまで見ようと、知ろうと思うのか。話し合った末の結論は、『今までの自分は戦争について、現実逃避をしていた』ということでした。(戦争に対して)なぜたたかう? なにを背負う? なにを刻む?―。展示タイトルに込められた思いです」

 印象に残った作品について。



 背中合わせの高校生らしき2人が描き込まれたキャンバスは、中央から右が赤、左が青で塗りつぶされていた。「無償化」問題を考えつづける中で生まれたカン・エヒャンさんの作品だ。

 中級部の頃、日本市民の前で朝鮮舞踊を踊るとき、自分が置かれた社会的な状況をもっとストレートに表現したいという思いがあったという。「無償化」や補助金問題で、なぜ朝鮮学校が差別されるのか。朝鮮と日本はなぜ仲良くなれないのか。担任の先生と話しながら、その原因について、自分なりに見つかった答えを絵で表現したという。



 チェ・ジェホさんは、通りがかる人たちに、部員の顔写真をコピーした紙を、「シュレッターにかけてみませんか?」と呼びかけていた。

 チェさんは、「社会が情報化するなかで、人と簡単につながることができるが、簡単に関係も切れる。人間関係が軽く薄くなっていくことに気づかない人が増えている。それに気づいてほしい、進化しているようで人類は退化していることを伝えたかった」と話す。


 ちなみに私はシュレッターにかけることは遠慮させてもらった。チェさんに聞いたところ、かける人が多いとのこと。



 展示を見ながら、「最近、街にあふれる迷彩柄の服についてもどう思いますか?」とカン先生に聞いてみた。

 「仕掛ける側は、戦争を意識しているが、受け取るデザイン側は、迷彩柄を『新しいもの』と受け取って、デザインしているのではないか。戦争や敵軍のイメージは抱いていないと思いますね」

 デザインは、何かを見せつつ、何かを麻痺させるものかも知れない。

 余談だが、同胞一世に会うときは、「アメリカを連想させるジーンズを着ないこと」と教えられた私は、迷彩服には袖を通したことがない。

 街で見ることには慣れたが、ウリハッキョで着用している人を見るとドキッとしてしまう。(瑛)

朝鮮高校生裁判支援全国統一行動 全国集会

2015-02-24 09:00:00 | (K)のブログ


 2月20日、21日の両日、朝鮮高校生裁判支援全国統一行動「朝鮮学校で学ぶ権利を」が行われ、東京、福岡、広島、兵庫、大阪、京都・滋賀、奈良、神奈川、千葉、茨城、北海道で集会やデモがもたれました。



 先週土曜日のこのブログで、2・20文科省行動と文科省への要請、記者会見のことが報告されました。今日は、21日に東京朝鮮中高級学校で行われた全国集会のことを報告します。

 集会ではまず、「無償化」問題をめぐる5年間の動きと各朝鮮高校生のメッセージをまとめたビデオが上映されました。
 続き、日本の大学に通う同胞学生たちによる演劇「チョゴリ」が上演されました。「チョゴリ」は、1948年の4.24教育闘争を題材にしたもので、解放後に在日朝鮮人がどのような思いで朝鮮学校を作ったのか、そこで子どもたちがどのように学んだのかが描かれます。日本政府の弾圧に対し同胞たちは葛藤を抱えながらも闘います。敗戦した後も日本政府の在日朝鮮人政策は植民地時代と変わりなく朝鮮学校への弾圧は昔も今も形態は変わっても同じように繰り返されてきたという、「無償化」問題の本質を浮き彫りにしながら、あきらめず、妥協せず、闘い続けることの大切さを、ひたむきな演技で表現していたと思います。


演劇「チョゴリ」の一場面

 主催者代表のあいさつの後、韓国から駆けつけた「ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会」の共同代表、ソン・ミヒさんが連帯のあいさつを行いました。闘いを共にすることが遅くなって申し訳ないと心情を語りながら、「わが国には「粘り強い者が勝つ」ということわざがある。日本政府とわれわれのどちらが粘り強いのか、やってみましょう。勝利するその日まで共に闘います」と語りました。そして、今年の4.24を起点として、韓国で署名運動や「60万回のトライ」の上映会、講演会などを行うことを報告しました。




あいさつするソン・ミヒさんと「ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会」の横断幕

 次に、東京朝鮮中高級学校高級部3年の生徒が壇上に立ちました。「無償化を実現できなくて後輩たちに申し訳ない」という言葉を先輩たちから聞かされてきたが、それを卒業する自分も言わなければならないのがつらいしくやしいと語り、3年間の闘いの中で「無償化」問題の本質がわかった、これから法律を学んで同胞社会のために役立つ人材になりたいと決意をのべました。ゆっくりと力強く語る、その言葉の一つひとつが参加者たちの胸に深く染み入った生徒当事者の発言だったと思います。

 オモニの代表の発言、福岡、広島、大阪の代表と東京裁判の李弁護士から裁判闘争の報告があった後、最後に集会アピールが読み上げられました。全国集会を新たな契機として、以下3つの運動に全力で取り組むことが訴えられました。
1.朝鮮高校生の無償化裁判の勝利に向けて、全力で支援して行こう
2.日本政府・文科省に対して「高校無償化」(高校等就学支援制度)の朝鮮高校への即時適用を求め、さらに運動を強めて行こう
3.地方自治体による朝鮮学校への補助金の削減・廃止を許さず、支援施策の充実を求め、取り組んで行こう



 20、21日の両日とも参加しましたが、改めていろんなことを考えさせられた2日間でした。「無償化」適用実現の運動が広く日本全国、そして韓国に広がっていること、そして「無償化」闘争の重要さを改めて実感することができました。

 日本政府が行っている朝鮮学校は外しは差別そのものであり在日朝鮮人を狙い撃ちにした弾圧です。常識で判断すれば裁判は負けないのでしょうが、楽観できるとは思えません。日本という国家を相手にしており、歴史的に続けられてきた弾圧と闘っているということ、マスコミなどを動員し「反北朝鮮」「反総聯」キャンペーンが意図的に行われ明らかな不正義を許してしまう社会状況が作られているからです。
 東京裁判の李弁護士は、この「無償化」闘争が4.24教育闘争と同じような重要な闘いであり、その結果は在日朝鮮人の今後を大きく左右する、絶対に負けるわけにはいかない、勝利するためには弁護士だけの力だけではだめで、多くの人たちが共に闘いに参加すること、社会世論の盛り上がりが大切だと語っていました。
 まさにその通りだと思います。

 全国集会には1200人もの人たちが集まったと言います。その熱気の塊は参加者一人ひとりに闘いへの力と使命感を与えたのではないでしょうか。
 全国集会と文科省前行動、全国各地での取り組みについては、月刊イオ4月号の誌面で紹介します。(k)

伊東へGO!

2015-02-23 09:00:00 | (麗)のブログ
毎年恒例、20代メンバーでの旅行。今年は静岡県伊東へ行ってきました!
伊東は私が入社した2009年の夏に行った以来なので、6年ぶりです。

  
伊東温泉・湯の花通り商店街をぶらり散策。この通りにある「お湯かけ七福神」をひとつひとつ探しながらお湯をかけて行きます。しかしこの七福神、みんなコロッとしてて可愛い。
除災の神様、財宝の神様、軍事の神様の「毘沙門天」に、慎重にお湯をかける(淑)さん。


「伊東マリンタウン」へ向かう道中。青春ですね~


お昼ご飯は釜揚げしらす丼にしました

このあと、ゴーカートや巨大滑り台など、様々なアトラクションがある「ぐらんぱる公園」へ。
中でも注目なのが、巨大な風船に入って水の上を歩く「ウォーターバルーン」というアトラクション!
テレビ番組で紹介されているのを見てからというもの、個人的にこのアトラクションが一番楽しみでもありました。
3人乗りで5分間、水の上を優雅?に浮かびながら、バルーンの中でもみくちゃになります。笑
体験してみてわかったのはこのアトラクション、相当な体力を削られます…!が、グループや家族、カップルで乗るとかなり楽しいです!笑


行きの電車で時間がないなか、向かい合わせの座席がある車両まで皆でダッシュしたり、伊東行きの電車に乗り遅れ1時間もヒマを持て余したりとドタバタ珍道中でしたが、これも旅の醍醐味。心も体もリフレッシュした旅なのでした。(麗)

2・20省令改悪から2年を迎えた日~無償化実現の輪

2015-02-21 09:00:00 | (瑛)のブログ


 2月20日は、日本政府が朝鮮高校を「無償化」制度からはずすために、省令改悪した「屈辱の日」から2年を迎えた日でした。

 昨日はちょうど金曜日。朝鮮大学校生徒、東京朝鮮高校生、春に朝高に進学する都内の朝鮮中学生をはじめ約1000人が文科省を取り巻き、「学ぶ権利を」と訴えました。

 この日、文科省に集まったのは茨城、神奈川、愛知、大阪、兵庫、広島、福岡でウリハッキョを支援する日本市民や保護者たち。ソウルからも、「ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会」のソン・ミフィさんが駆けつけ、厳しい闘いを続けてきた人たちが、互いに励まし合い、「無償化」実現の日まで闘うことを誓っていました。

「金曜行動」の前の午後2時からは、40数人の要請団が1時間にかけて、文科省に要請活動。高校就学支援室の担当者に、�裁判の結論を待つことなく、新高校就学支援制度への朝高への適用を行うこと、�国連人種差別撤廃委員会勧告を踏まえ、政府として民族教育への支援を表明し、朝鮮学校への学校教育法「1条校」並みの支援施策を実施すること―を求める要望書を提出しました。

 席上、大阪朝鮮高級学校オモニ会のシム・ミボクさんは、「大阪でも『朝鮮人ころせ』という人権をふみにじるヘイトスピーチが続き、朝鮮初級学校の子どもたちも『ぼくたち、ほんまに殺されるの?』と脅えています。下村文科大臣は朝鮮高校が『1条校』になれば無償化の対象となると発言しましたが、日本人になればいいということで、朝鮮人として生きることを完全否定されたのも同じ。政治問題を口実に、子どもに苦しみを背負わせることは親としてたえがたい」と訴えました。

 この日、大勢の支援者が東京に結集したのは、無償化排除が各地に深刻な悪影響を及ぼしているからです。朝鮮学校への補助金が続々と切られているのがその一例で、各地の日本人支援者は、「朝鮮学校は授業料を上げざるを得ず、学校運営は深刻だ。国連勧告がしめした通り、自治体が補助金支給を再開するように、政府が指導してほしい。憲法と国際法は同一の重みをもつ」(広島代表)と責任を追及しました。

 
 政府が率先して人種差別しているのは、先進国で日本だけです。当然このことは、国際社会で非難されています。しかし、政府にその自覚はあるのでしょうか。

 要請に対する文科省の返事は相変わらずで、朝高を「無償化」の対象に認めなかったのは、◆政治や外交的な理由ではなく、◆指定基準に沿って認めるに至らなかったというものでした。話を聞く姿勢も、表情を変えることなく、淡々とメモを取るのみ。それに対して、参加者たちが怒り心頭だったことは言うまでもありません。

「2・20」のこの日は東京だけでなく、「朝鮮高校生裁判支援全国統一行動」が各地で一斉に行われました。福岡、広島、大阪、奈良、兵庫、京都・滋賀で街頭宣伝や署名、県庁前の座り込みが寒いなか進められました。「金曜行動」はソウルでも行われています。

 大阪では毎週、県庁前で「火曜行動」が続けれています。大阪から上京した元教員のホ・オクニョさんは、「この闘いは人間の尊厳をかけた闘いです。胸を張って堂々と闘いましょう!」と人間の鎖で文科省を囲んだ教え子たちを励ましていました。

 福岡から上京した「朝鮮学校無償化実現・福岡連絡協議会」の瑞木実さんは、「金曜行動」を続けている朝大生を見ながら、「各地のがんばりを肌で感じられた。福岡だけでなく、支援の輪を九州全域に広げていきたい」と目標を語ってくれました。



 記者会見場には地方紙やテレビの取材も多く、関心が広がっていることを実感できました。

 長い闘いが予想される「無償化」運動ですが、現場では朝高生たちに寄り添い、支援の輪を広げていく人たちがふんばっています。

そして今日、2月21日17時半からは、東京朝鮮中高級学校(JR十条駅)で集会が行われます。日本の大学にまなぶ留学同の学生たちが演劇「チョゴリ」を上演し、各地から集まる代表たちの熱気あふれる発言が続きます。

 愛知朝鮮中高級学校では、9時から公開授業が行われ、日本の教員が教壇に立つ、という初めての試みが行われます。無償化問題に興味のある方はぜひ足を運んでみてください。(瑛)

忍者の里・伊賀へ

2015-02-20 09:00:00 | (理)のブログ
 今までに取材で行った都道府県は22、旅行も含めると27になりました。この2年間で日本の約半分を訪れたことになります。今回は連載の取材をするため、初の三重県へ。「読者へ会いに」では、伊賀地方に足を伸ばしました。

 伊賀は「忍者の里」と呼ばれるだけあって、駅にはこんなものが! ホームで電車を待つとき左上に気配を感じ、反射的に身構えてしまいました。

  

 目的地は超ローカル。2両編成の電車に乗って山の中を進みます。私の地元にも1両編成の電車が通っているので(町外へ出る二つの公共交通手段のうちの一つ)親近感が湧きました。しかし、途中で線路自体が若干傾斜している部分があり、傾きながらカーブを曲がる時は(これ、横転するんじゃ…!)と気が気ではありませんでした。

 取材がなければ恐らく通ることはなかったであろう道。無事に傾斜地帯を越え、さらに深くなった山景色を見ながら、そこにしかない景色を見ることができるのも出張の醍醐味だなあとしみじみと思いました。(理)

月刊イオ3月号が完成しました!

2015-02-19 09:00:00 | (K)のブログ


 今日は旧正月です。朝鮮半島では、北も南もお休みとなります。月刊イオ編集部もお休みです。でも、昨日、月刊イオ3月号が完成したので、ブログは休まず、3月号の紹介をしたいと思います。 

 月刊イオ3月号の特集は「1945-1950 解放を問い直す」です。
 1945年8月15日、朝鮮民族は解放されましたが、それは同時に分断の始まりでもありました。朝鮮半島の分断を進めるアメリカ(GHQ)と、植民地時代の朝鮮人に対する支配構造を継続させようとした日本政府による弾圧により、在日朝鮮人もまた解放後も闘いと受難の歴史を歩まなければなりませんでした。
 今年は8.15から70年を迎えますが、3月号の特集では、在日朝鮮人にとって解放とはなんだったのか?という問題提起を行い、在日朝鮮人の根本を形作ったとも言える1945年から1950年までの5年間を、当時の朝鮮人の組織作りや帰国運動、権益・生活擁護運動、民族教育とそれに対する弾圧、法的地位などの問題を取り上げて検証します。
 解放70周年に向けた特集の第1弾となります。
 
 特別企画は「「無償化」省令改悪から2年」です。
 この春で「高校無償化」から朝鮮高校が除外され5年が経ちます。2月20日には安倍政権が朝高をはずすために省令を改悪し2年を迎えます。現在、日本の5ヶ所では「無償化」問題で国(日本)を相手取っての裁判が行われています。
 特別企画では、この5年間、不条理な差別に立ち向かい、声をあげ続けてきた5ヵ所の地域の人たちの思いと、裁判を応援するグッズを紹介しています。そして、「無償化」排除を続ける現政権の差別の根深さを考えます。

 特集、特別企画以外にも、阪神淡路大震災で子どもを失った崔さんの20年を語る「息子の遺志継ぎ、共助のまちづくり」、元朝日新聞記者が日本軍「慰安婦」問題をめぐる記事で提訴した問題を扱った「慰安婦記事 捏造ではない」を掲載しています。

 今月号も豊富な内容でお届けしています。ご愛読お願いします。(k)

東京おもちゃ美術館に行ってきました

2015-02-18 09:00:00 | (愛)のブログ
先日、めったにない平日休みがあったため、子どもも保育園はお休みして、家族で東京おもちゃ美術館に行ってきました。
通勤沿線のポスターで見かけてからずっと気になっていた場所で、小さい子どもも楽しめそう!と思っていたものの、なかなか機会をつかめずいたので、せっかくの平日休み、有効に使おう!と当日朝に決めて、行ってきました。

東京おもちゃ美術館は旧四谷第四小学校校舎(1936年竣工、東京市設計)の11教室を使って展示されていて、小さい子どもたちにぴったりのサイズでした。
世界のおもちゃなど、さまざまなおもちゃが展示されていたりしましたが、なんといっても素晴らしいのは、実際に子どもたちが触れて楽しめるおもちゃが揃えられた遊び場があることです!








おもちゃのほとんどが木でできていて、都会では普段触れることの少ない木のぬくもりの感じられる空間で思う存分遊ぶことができます。
木でできたおもちゃの木琴などもあり、子どもたちが夢中で木琴とずれた場所も叩きながら(笑)楽しんでました。
上の写真であるように、野菜やキノコ、リンゴなどを模した木で作られたおもちゃを、畑から収穫して、洗って、包丁で切る、といったごっこ遊びができる場所もあり、夢中で切ってました(笑)。

大人よりもまさに子どもたちの場所!といった素敵な空間でした。
木でできたおもちゃを全身を使い遊ぶことの楽しさを改めて目にして、小さい頃にゲームやテレビアニメよりも、こういう遊びの方が何倍も脳も刺激していいのだろうな~と夢中で遊ぶ子どもたちをみながら実感しました。
何よりも表情が違いますね♪

0~2歳児専用の遊び場もあり、平日でも近所のママさんらしき方たちが結構来ていました。
遊び場には棚もたくさんあり、そこにコートや荷物などを置くこともできます。
オムツ替えスペースや授乳室もあり、とても過ごしやすい場所でした。

何よりも子どもが楽しめる、子どものための美術館、とてもおすすめです!(愛)



名はどこへ行った

2015-02-17 09:00:00 | (淑)のブログ
 折にふれて、結婚して子育てをしている友人知人に、夫婦間でお互いをどう呼んでいるのか、聞いている。
 恋人同士だったときは互いの名前で呼び合うのに、結婚して子どもが産まれると、呼び名を「アッパ・オンマ」に変える家庭が多い。
 最も身近な例で言えば、両親。私は生まれてこのかた、父と母が名前で呼んでいる姿を、ただの一度も見たことがない。

 名前はどこへ行ってしまったんだろう―。

 普段からそんなことを考えていたら、先日、毎朝見ている某局のニュースで「夫婦円満のコツはファーストネームで」という特集を組んでいた。
 広告大手の博報堂によると、妻の呼び方で、「ママ・お母さん」、「おい」「ちょっと」など、名前以外の呼び方をしている人は64%で過半数。ファーストネームで呼んだり、「ちゃん・さん」をつけて呼んでいる人が36%という結果だった。



 番組では、名前で呼びかける行為が、体内のホルモンの働きに影響を与えるという研究結果があると伝えていた。既婚女性に第三者が名前で呼びかけるという実験の結果、愛情を感じる時に増えるといわれるオキシトシンが、平均でおよそ16%上昇したという。
 民間のシンクタンクの調査によると、名前で呼び合っている夫婦のほうが、「パパ・ママ」などと呼び合う人よりも夫婦関係への満足度が高い、というデータも。

 私の周辺では、男性に親としての自覚を持たせるために、あえて「アッパ・アボジ」と呼んでいるという人もいた。
 女性の場合、結婚、出産をすると「◯◯さんの奥さん」とか「◯◯のオンマ」と呼ばれることが多く、その上、夫も名前で呼んでくれなかったら、自分のアイデンティティは何だろう?と不安に思うこともあるかもしれないと想像する。
 両親を見ていてもそうだが、せっかく一人ひとりの名前があるのに、名前で呼び合えばいいのに、と思う。
 ただ、結婚も出産も経験していない身なので、実体験をともなわない想像や情報のみで意見を話すことには、二の足を踏んでしまう。「余計なお世話」「経験したことないからわからないでしょ」と思われていないか…。
 ふと周りを見渡すと、結婚し親になった友人が多くいることに気づく。最近とくに、呼び方の問題に限らず、結婚・出産に関しては経験していないと、ほんとうの意味で相手に寄り添うことはできないんじゃないか…、そんな不安、淋しさもよぎる。もちろん反対もしかりで、独身時代を経験したからといって、非婚・未婚の人の気持ちが理解できるわけではない。
 分かった風な口だけは利きたくない。相手の考えを尊重する想像力と感性を持っていたいもの。いよいよ30代に突入した、最近の物思いである。(淑)

健康診断の前日に

2015-02-13 09:00:00 | (相)のブログ
 今日は年に一度の健康診断の日。私がいる職場では、一定の年齢以上の社員は毎年受けることになっている。しかしこれは受診を推奨しているだけで、義務ではない。実際、これまで受診しなかったことは何度かあった。理由は、仕事にかまけてとか、忘れていたとか、そんなたぐいのこと。しかし、40歳を迎える年ということもあって、今回は何があっても必ず受診しようと心に誓った次第だ。
 年に1回の健康診断をネグったり、相変わらず喫煙を続けていることからして、そもそも自分の身体や健康にあまり関心がないのだろう。これまで大きな病気にかかったことはなく、風邪すらほとんどひかないので、己の健康を過信するのも無理ないのかもしれない。
 ただ、やはり年齢を重ねるとともに身体の衰えは実感せざるをえない。
 昨年、日本人男性の平均寿命が初めて80歳を超えた。このデータを当てはめて考えてみると、自分も人生の折り返し地点に到達したとみていいだろう(私は日本人ではないが、日本で生まれ育ち、在住している男性という意味で)。40を目前に、「体が資本」という言葉の意味をあらためて噛み締めてみる。仕事がら規則正しい生活を送るのはなかなか難しいのだが、ならば食事に気をつける、運動する、アルコールや煙草をなるべく控える、などできる限りの努力はしなければいけないと思っている。まあ、それを簡単に実行できるなら誰も苦労はしない。

 そして昨晩。食卓には、先日、広島の親せきから送られてきた牡蠣が上った。カキフライ、生カキをはじめバラエティ豊かなカキ料理をたらふく食べて、たっぷりの栄養とプリン体を摂取してしまったというオチ。もちろん、カキの一つや二つで数値に影響が出ることはないのだが。(相)

紛争地のジャーナリスト

2015-02-12 09:00:00 | (瑛)のブログ


2015年に入り、気が滅入るできごとが世界で起きている。中東での人質事件、数日前、シリア入りしようとしたジャーナリストのパスポート返納…。

今は小学生でもスマートフォンを持つ時代だ。多少の保護はするにせよ、ネットサーフィンを楽しむ子どもは多い。

日本人ジャーナリストの命を落とした映像については、小学校でも話題に上ったようで、人の命を奪った映像をネット上に発信することに憤っていた先輩がいたと子どもから聞かされた。

話は尽きず、なぜそんな危険な場所に行くのか、幼い子どもをなんで置いていったのか…。疑問は尽きないようで、新聞にのった後藤さんの笑顔のスナップや本を見せながら、かれがなんでかの地に向かったか、手持ちの情報を振り絞って伝えた。もちろん何が伝えられたのかは心もとない。

危険を承知で世界の紛争地を取材するジャーナリストたちがいて、本誌でも世界の現状を伝えることができた。

現場に行って、報じる人がいなければ、世界で何が起きているのかを永遠に知ることはない。

安全な場所にいる私たちが、かれらを守るためにできることは?

そんな時に読みかえしたのが、岩崎書店の絵本「あなたへ」シリーズ。

今ここで自分ができることは?―の問いを反すうしている。(瑛)

朝鮮速度

2015-02-11 09:00:00 | (K)のブログ
 最近、朝鮮民主主義人民共和国の記録映画を見る機会があった。昨年2014年の朝鮮の発展の様子を振り返る内容のものだ。話を聞いたり文章で読むだけではわからないが、映像で見るとやはり説得力がある。なかなか面白く、少なくない驚きもあった。

 映し出されるのは、新しくできた街並みや高層ビル、保育所や遊戯施設、工場や農場などである。新しく作られた科学者通りや金策工業総合大学教職員住宅のツインタワー、オートメーション化された工場などが次々と紹介されていたが、設備の素晴らしさ、洗練されたデザイン、高度な技術、生み出される高品質な製品…などは本当にこちらの予想を上回るものだった。
 私が朝鮮に行ったのは5年半前になるが、この間の平壌を中心とした朝鮮の変化は思っていた以上のものがある。

 朝鮮のこの変化は、朝鮮が以前から2012年の金日成主席生誕100年に向けて取り組んできた、その成果もあるが、新しい若いリーダーのもとで、改革が進み人々の意識が変わっているという側面が大きいようだ。企業における「企業責任管理制」、農業における「圃田担当責任制」など新しい管理制度が導入されたのがその一例だろう。建物のような目に見えるものだけでなく、朝鮮の産業全体が活気付いて変革されているという感じだ。
 平壌にこんな施設ができたとか新しい管理制度が導入されたというのは知識としては知っているが、それを映像で見るとやはり認識が違ってくるし、実際に朝鮮に行って自分で体験すると肌で理解できるのであろう。

 ところで、映画の中で何度も出てきたのが「朝鮮速度」という言葉。現在、朝鮮で掲げられているスローガンである。朝鮮ではこのスローガンのもとに、経済はじめ社会全体が躍動し発展しているのだ。
 朝鮮ではこれまで、「千里馬速度」「平壌速度」「80年代速度」「熙川速度」「馬息嶺速度」など、いろんな「速度」をつけたスローガンが作られてきた。しかし、最初に「朝鮮速度」という言葉を聞いたときから心配していることがある。
 「朝鮮速度」というスローガンを使ってしまうと、究極というか、すべてを包括しているというか、次の「○○速度」の「○○」にはどんな言葉を入れればいいの、と思ってしまうのだ。

 ともかく、はやく朝鮮訪問を実現させて、「朝鮮速度」の現実をぜひこの目で見たいものだ。できれば冬に訪ねて、馬息嶺スキー場でスキーを楽しみたいと思っている。(k)

「ありがとうございました」と言われない

2015-02-10 09:00:00 | (麗)のブログ
締切前になると、編集部が戦場になるのは毎月のこと。そして夜遅くまで作業することになるのも毎月のこと。
当然、晩御飯も遅くなる。こういう日は家に帰って作るのも面倒なので、手っ取り早く外食で済ませている。

残業後、よく行くのが近所にあるチェーン店の定食屋。その店で最近、気付いたことがある。
食べ終わって店を出ようとする時、決まって店員に「ありがとうございました」と言われないのだ。

自前に食券を買うタイプの店で、飯時になると結構な数の客が入る。店員が店を出る客に気付かない場合が多々ある。
自分も多分これだろうなとは思っているし、店を出るタイミングが悪いのかもしれない。
それにしてもあまりにも「ありがとうございました」と言われないのだ。

これが中々のショックというか、かなり寂しい気持ちになる。
なので過去に二、三度、店員が近くに来たと同時に席を立ちドアを開けたこともあったが、この時も何故か言われなかった。

…そんなに自分の存在が薄いのだろうか。そういう星の元に生まれてきたのだろうか。
もしかしたら、自分がドアを閉めて完全に外に出た後に「ありがとうございました」と言っている可能性もある。
それでも、本人に聞こえないのなら意味がない気もする。

自分はコンビニで「いらっしゃいませ、今晩は~」という店員に対し、声は出さずとも心の中でたま~に、「今晩は~」と返している。
けれど、「ありがとうございました」に関しては「どういたしまして~」と心の中で返したことはないな…と思った。
それほどマニュアル的な「お礼」
に慣れてしまい何も感じない様になっているのかも知れない。

話は戻って、昨晩もいつもの店に立ち寄った。
今日はちゃんと「ありがとうございました」と言ってくれるだろうか…。
ぼんやり考えながら、注文した定食に付いている冷奴に醤油をかける。
が、食べたらウスターソースだった。

「……」

ガクッと項垂れながら、ふと、自分は何しにこの店に来ているんだろう…と思った。
店員に「ありがとうございました」と言われたいがためにこの店に入っているのだろうか?
いやいや、単に「飯を食いに来ている」だけなのだから、いちいちそんなこと気にする方がおかしいんじゃないか…。
ウスターソースだって、案外冷奴と合うかも知れないじゃないか。

そう思いながら水を一気に飲み干した。店を出ると、やっぱり「ありがとうございました」と言われなかった。

(…そんな日もあるさ!明日締切だし!頑張ろ!)

そう思いながら、寒空を見上げたのであった。
心のこもった「ありがとう」が欲しい今日この頃。(麗)

気になっている言葉

2015-02-09 09:00:00 | (相)のブログ
 仕事がら、さまざまな分野の人間と会って話を聞く。
 取材の際に相手が発したことばが後々もずっと頭の片隅に残り、折につけてそのことばを頭の中で反芻し、考えをあれこれとめぐらせる、ということが多々ある。もちろん、それがまとまった思考として結実するということはあまりなく、たいていは、考えがあっちに行ったりこっちに行ったりして、自分の中で消化しきれずに終わるのだが。

 つい先日会ったある人がこんなことを言っていた。
 「理解というものは、つねに常に誤解の総体にすぎない」。
 村上春樹の小説の一節だという。印象に残ったので調べてみると、「スプートニクの恋人」の中の一節のようだ。
 私はハルキストではない。自分の蔵書の中にある数少ない彼の作品の中に「スプートニクの恋人」は含まれていないので、図書館に足を運び、原典に当たってみた。
 当該の一節が含まれている部分を以下に引用する。

 たとえば具体的に言うと、まわりにいる誰かのことを「ああ、この人のことならよく知っている。いちいち考えるまでもないや。大丈夫」と思って安心していると、わたしは(あるいはあなたは)手ひどい裏切りにあうことになるかもしれない。私たちがもうたっぷり知っていると思っていることの物事の裏には、私たちが知らないことが同じくらいたくさん潜んでいるのだ。
 理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。


 ちなみに、くだんの人は上記の一節を引きながら次のような話をした。
 世の中には、自分がわかっていると思い込んでいるが、わかりきれていないことなんてたくさんある。対人関係で言うと、自分が話したことの意味を相手が同じく受け取っているだろうと考えることがすでに誤解なんだ。メディアが発したメッセージを私たちが受け取る場合もそう。人間は多様で、よくわからないもの。だから、あるがままを受け止めるしかない。

 うん、なるほど。
 ただ、村上作品の一節を引きながら語った彼の言葉がなぜ印象に残ったのか、自分でもうまく説明できない。締切原稿のことで頭がいっぱいだから、というのもあるかもしれない。
 例のごとく、話にオチはない。ごめんなさい。(相)