今日は市民相談で30年前の土地問題に関する件。如何ともしがたい内容でした。
夜は学習会。久しぶりに多くの仲間が参加してくれました。
以下は社会新報9月30日号から。佐高信さんのコラムです。社会党が新社会党、民主党、社民党に分かれていく過程を見るようです。
マムシの三吾が泣いてる 《 講談師の旭堂南陵が亡くなった。1989年の参議院議員選挙に社会党から立候補して当選。その後、小選挙区制導入に反対して党から除名され、次の選挙で落選した。
経歴の中のこの項を見ながら、大分選出で、やはり小選挙区制に反対して除名された佐藤三吾という人のことを憶った。 食いついたら離れないといった意味をこめて“マムシの三吾 とあだ名された。その人が最後まで反対したのである。
当時、私も記者会見をしたりして反対運動を展開したので、 親近感を抱いていた。
城山三郎と対談した時、旧知の城山に会うなり、「小選挙区制は独裁への道なのに、新聞はいつから賛成 に変わったのかね」と憤慨したロ調で言われたのを思い出す。
佐藤三吾の盟友の村山富市は当時、社会党の委員長だった。 『村山富市の証言録』(新生舎出版)で、村山は、「委員長を辞めてでも『反対する』、となぜ僕は言い切れなかったか。その勇気がなかったことについて、本当に悔やまれる」と言っている。
その悔恨から盟友の復党に力を尽くしたが、 社会党から社民党になって、党員はこの時の苦い経験から徹底的に学んでいるのだろうか。
小選挙区制はファシズムを招くという原理論と、小選挙区制になれば政権交代が起きるという情勢論のぶつかり合いだったと私は思っている。
マムシや私は原理を忘れてはならないと主張したが、時流に乗る状況論が優勢となり、原理派は除名された。
あのころ流行った歌に森高千里の「ハエ男」がある。
あいつはいつも素早いハエ男
甘い汁ずるずるずる
飛びつくすきを見て
ずるずるずるずるずる
あいつはいつも素早いハエ男
これを引きながら私は『エコノミスト』のコラムで、赤松広隆をハエマツと皮肉った。
赤松は『サンデー毎日』の1994年8月7目号で島田紳助に、「みんな社会党を離れて選挙に出る勇気がないから、(社会党は)そんなに割れない。社会党の変化について来れなかった人たちがダダをこねてる」とまで言ったのだから、いまこそ社会党を離れて新党をつくるべきだとハッパをかけられている。彼のその後を思えば苦笑するしかないだろう。
いま、合流という名の社民党解党に動いている人たちは、赤松的ハエ男ではないのか。それに地元の大分が一番熱心だと知ったら、マムシの三吾は怒って墓の下から起き上がって来るのではないか。
私は再度ここで“社会党の宝“山本政弘の言葉を引きたい。
「社民党から民主党へいって立党の意思を通すことは無理だ。今の民主党に、社民党の12人の国会議員が行って、インパクトがあるのか。あるとはまったく考えられない。それでも民主党に合流したいとする人は、政治の考え方より『自分をいかに守るか』という私利私欲しかないのか」
この民主党を立憲民主党に置き換えても、山本の指摘する必要がないだろう。それと も最後は全党員の投票に解党を決めるというのだろうか。
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マムシの三吾が泣いてる 《 講談師の旭堂南陵が亡くなった。1989年の参議院議員選挙に社会党から立候補して当選。その後、小選挙区制導入に反対して党から除名され、次の選挙で落選した。
経歴の中のこの項を見ながら、大分選出で、やはり小選挙区制に反対して除名された佐藤三吾という人のことを憶った。 食いついたら離れないといった意味をこめて“マムシの三吾 とあだ名された。その人が最後まで反対したのである。
当時、私も記者会見をしたりして反対運動を展開したので、 親近感を抱いていた。
城山三郎と対談した時、旧知の城山に会うなり、「小選挙区制は独裁への道なのに、新聞はいつから賛成 に変わったのかね」と憤慨したロ調で言われたのを思い出す。
佐藤三吾の盟友の村山富市は当時、社会党の委員長だった。 『村山富市の証言録』(新生舎出版)で、村山は、「委員長を辞めてでも『反対する』、となぜ僕は言い切れなかったか。その勇気がなかったことについて、本当に悔やまれる」と言っている。
その悔恨から盟友の復党に力を尽くしたが、 社会党から社民党になって、党員はこの時の苦い経験から徹底的に学んでいるのだろうか。
小選挙区制はファシズムを招くという原理論と、小選挙区制になれば政権交代が起きるという情勢論のぶつかり合いだったと私は思っている。
マムシや私は原理を忘れてはならないと主張したが、時流に乗る状況論が優勢となり、原理派は除名された。
あのころ流行った歌に森高千里の「ハエ男」がある。
あいつはいつも素早いハエ男
甘い汁ずるずるずる
飛びつくすきを見て
ずるずるずるずるずる
あいつはいつも素早いハエ男
これを引きながら私は『エコノミスト』のコラムで、赤松広隆をハエマツと皮肉った。
赤松は『サンデー毎日』の1994年8月7目号で島田紳助に、「みんな社会党を離れて選挙に出る勇気がないから、(社会党は)そんなに割れない。社会党の変化について来れなかった人たちがダダをこねてる」とまで言ったのだから、いまこそ社会党を離れて新党をつくるべきだとハッパをかけられている。彼のその後を思えば苦笑するしかないだろう。
いま、合流という名の社民党解党に動いている人たちは、赤松的ハエ男ではないのか。それに地元の大分が一番熱心だと知ったら、マムシの三吾は怒って墓の下から起き上がって来るのではないか。
私は再度ここで“社会党の宝“山本政弘の言葉を引きたい。
「社民党から民主党へいって立党の意思を通すことは無理だ。今の民主党に、社民党の12人の国会議員が行って、インパクトがあるのか。あるとはまったく考えられない。それでも民主党に合流したいとする人は、政治の考え方より『自分をいかに守るか』という私利私欲しかないのか」
この民主党を立憲民主党に置き換えても、山本の指摘する必要がないだろう。それと も最後は全党員の投票に解党を決めるというのだろうか。
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