京都本は、見つけるとつい買ってしまうのでいけない。
この本は、
10年くらい前に東京から京都に移り住んだ女性が書いたという
どこかであったパターンの本。
私はとても好意的に読んだ。
京都に来ていかに驚いたかということが書いてある。
これだけ驚いている人が多いのだから、
やはりほかの土地の人には、
京都(京都人)はよほど変わっていると映るのだろう。
それはともかく、
京都の人の醤油はキッコーマンの濃口とヒガシマルの薄口、
という京都の台所事情までが書いてある。
確かにそうだ。ウチでも濃口はキッコーマンで薄口はヒガシマルだ。
ええい、それのどこがいかんか。
こんなとこまで京都の人間の生活を暴かなくてもいいではないか。
なんか、
最近は京都人のあらゆる細部までをほじり尽くすのがトレンド(死語)か。
というか、こういう開き直りが京都の人間の良くないところだろう。
どこが悪いねん、と開き直る。
もっと美味しい醤油があるかもしれないのに、
それを試そうとしないであくまでキッコーマンにこだわる。
でも、本当のことを言えばこだわっているわけではないのだ。
本当は別にどうでもいい。
醤油に関して言えば、代々母から娘へと受け継がれているから、
だけのことだと思う。
だから、何も疑問に思わず使っている。
スーパーへ行けば他の醤油も売っているけれど、
別にほかに変える確たる理由もないからそのまま使う。
それで良いと思っている。
こだわるという行為が、大体品のよくないことだと思う。
そんなことを私が言うな、と怒られそうだが、でも本当だ。
最近、こだわりという言葉を避け、
執着というような言葉を使うことにしている。
こだわりという言葉は、元来マイナスの意味の言葉だからだ。
物品にこだわるのは、品のない人間だ。
京都の人間はこだわるのではなくて、執着心が強いのだと思う。
大福は出町ふたばでなくては駄目、
というのは、こだわりではなくて、執着心なのだ。
…おなじことか
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