いつの間にか年を越し、阪神大震災から20年が過ぎた。
毎日が楽しくなく、必死で生きているという状態。
京都のほんやら洞が火事で焼失したというニュースが
飛び込んで来た。
私は結構年なので、
ほんやら洞に関しては学生時代に前をよく通ったものだった。
学校の近くにあったからだ。
中へ入ったことは、一度あったか、なかったか。
70年代のカウンターカルチャーの象徴のような喫茶店で、
アングラ的雰囲気があり、ちょっとおしゃれだった。
そのほんやら洞が焼けてしまった。
何やらぽっかり穴が開いてしまったような空虚感が心の中に漂う。
京都には、
ああいうカウンターカルチャー的な空間がいくつかあって、
京大西部講堂などもその一つかもしれない。
独特の作品を上映していた映画館京一会館も
そんな一つだったと思うが、とっくになくなった。
京一会館がなくなった時も空虚な喪失感が襲ってきたものだ。
そういえば、四条河原町にあった本屋、
京都書院がなくなった時もあれはとんでもない喪失感に
がっかり感にすっかりしょんぼりしてしまったものだった。
京都の若者の文化的価値が消失してしまうと、
いいようのない寂しさにとらわれる。
新年早々のほんやら洞火事は、心寒い出来事だった。
何とか再建できないものだろうか。
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京都には、
ああいうカウンターカルチャー的な空間がいくつかあって、
京大西部講堂などもその一つかもしれない。
独特の作品を上映していた映画館京一会館も
そんな一つだったと思うが、とっくになくなった。
京一会館がなくなった時も空虚な喪失感が襲ってきたものだ。
そういえば、四条河原町にあった本屋、
京都書院がなくなった時もあれはとんでもない喪失感に
がっかり感にすっかりしょんぼりしてしまったものだった。
京都の若者の文化的価値が消失してしまうと、
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