先日、近所で行われた金子勝さんの講演会を聞きに行ってきた。
タイトルは「2011年 日本の政治と経済」
いや、別にこの人の話に興味があるわけではないのだが、この人が語るであろうことを
どういう人がどういうスタンスで聞いているのだろうという点に関心があったから。
日本の政治・経済が行き詰まりを見せているのは、こういう草の根レベルの意思決定に
何か問題があるからではないか、という疑問は以前から持っていた。
若者マニフェストのメンバーで元市議会議員の高橋亮平氏も、
メルマガで同様の点を
指摘している(バックナンバーは来月サイトにて公開予定)。
というわけで会場に行ってみて驚いた。20分前なのに、350人収容の会場はほぼ満席。
結局、最後は立ち見が100人近く出るほどの盛況ぶりだ。これがテレビの威力なのだろう。
7割は60歳以上に見えるが、地域イベントとしてはもはや平均的な年齢構成かもしれない。
司会者は何度も「慶應義塾大学、経済学部教授、金子勝センセイ」と連呼する。
会場の大多数の人にとっては、目の前に立つのは、“慶応大学”と“サンデーモーニング”
という二枚の巨大看板を背負った、日本を代表する経済学者というわけだ。
金子先生の話も抜群に上手い。こりゃ相当場数を踏んでいるはず。客層に合わせたウィット
に富んだ話し方、つかみの展開等、綾小路きみまろに似ていなくもない。
だが、スタイルは完全にサンデルを意識している。演台から離れてステージの縁に立ち、
オーバーアクション気味の身振り手振りで声を張り上げ、話中に何度も“正義”という言葉
を交える姿は、完全に和製サンデルだ。
正直、これだけ聴衆を引き込める経済学者は(日本では)他にいないのではないか。
話の内容は、大方の予想通りである。
「小泉構造改革で格差拡大、経済成長もしていない、あれは失敗だった」の繰り返し。
TPPや規制緩和は、もっとみんなでじっくり議論しましょうね。
そして最後は、世界規模でのグリーン革命の推進が世界経済を救うとかなんとか。
ちなみに、「不況になると、すぐに日銀に円を刷らせろとか、規制緩和で競争促進とか
言う論者が出てくるが、そんなものには何の根拠もありません」とバッサリ。
リフレが先か構造改革が先かなんて、金子先生の実社会における影響力
に比べれば、小さな話かもしれない。
というように、分かっている人から見れば、起承転結がぐちゃぐちゃで、今後の方向性
も五里霧中なまま放り出されるようなお話だったのだが、顧客満足度的には上々だろう。
たぶん、さわやかな日曜日の昼下がり、「これといって処方箋を知っているわけではない
けれども、構造改革にも自由貿易にも否定的な老人たち」が200人くらいは
(税金によって)新たに量産されたのではないか。
ちなみに、僕はこれまで、閉塞感の原因はメディアにあると思っていて、彼らが適当な
人選で適当なことしか言わせないから有権者も適当な政治家しか選ばないのだ、と考えてきた。
カメラが回っているうちは「こんなに弱者が可哀そう」なんて嘆いて見せる癖に、
CMになると「社会保障の話なんてみんな退屈ですよね」と平然と言ってのける
年収2千万オーバーのアナウンサーが代表だ。
ただ、どうもそればかりではない気がする。
仮に金子先生がバリバリの自由経済支持者だとしたら、あれだけの人は集められないだろうし、
仮にそう言う論者だけを選んで番組作ったら、数字が取れずに即打ち切りだろう。
結局は「金払ってまで知識を得たいとも、辞書引っ張りだしてまで難しい用語を調べようとも
思わず、自分に心地よい話しか耳に入れない多数の人々」に届けるコンテンツを作ると、
誰がやってもああなっちゃうしかないのではないか。
とりあえず訳のわからぬまま天から降ってきた民主主義という仕組みの中で暮らす島国住民の、
これが現実なのかもしれない。
ただ、変化の芽も感じられた。終了後の質疑応答で「解雇規制の緩和についてどう思われますか?」
と単身突撃している参加者がいたのだ。こういう場でこういうキーワードが出てきたことは
サプライズだろう(金子さんはバッサリ切り捨てていたけど)。
もう一つ、気づいたこと。
要するに、氏はモリタクと同じようなこと言っているのだけど、僕は金子さんは別に嫌いじゃない。
その理由は自分でもよくわからなかったが、昨日見ていて理由が分かった。
彼には、明らかに苦悩の色が見えるから。
恐らく、彼自身、(自分の主義思想的に許容できる範囲において)現状に対する答えが
出せないのだろう。
といって、「財政破綻なんかしません、いくらでも円刷ればいいんですから」なんてバカなこと
を言うほど不誠実ではない。
だから、最後はグリーン革命なんて方向に発散してしまうのだと思われる。
そういえば、彼は正義という言葉の他に、“破滅”とか“戦争”という言葉も何度か使っていた。
伝える言葉がないだけで、見えてるものはそんなに変わらないのかもしれない。