私は右翼とか左翼とかの定義論争にはほとんど関心をもてない。
どちらにしても、論敵に対するレッテル貼りにしか使われていないように思える。
自分自身が右翼なのか左翼なのか、なんてこともどうでもいい。
ネットの一部でかなり話題になったポリティカルコンパスもやっていない。そもそも多くの質問に答えるのが面倒臭いし。
やってはいないが、たぶん中道やや左くらいのところに落ち着くのだろう。
自分は嘘が嫌い、無責任な煽りときれい事のおためごかしが嫌い。右でも左でも関係ない。
“公論の場を貧しくするネット右翼の病理 [ブログ時評13]”を読んで、どうも納得できない、反論したいという気持が沸いてはきたものの、うまく書けない。なぜなのかと考えてみる。そもそもこの文章が何を言わんとしているのかがよくわからない。「ネット右翼」に対して罵倒に近い批判をしているようだが、著者の使うネット右翼なる言葉の定義、具体的な対象が不明なのだ。
以下は引用。
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「ネット右翼」と目される集団が押しかけ、多数のコメントの山を残した「小倉秀夫の『IT法のTop Front』」では、ネット右翼というものがあるのなら自分こそと名乗ってみて、との趣旨の呼びかけがされたものの、反応は無かったようだ。
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いきなり「『ネット右翼』と目される集団」と書かれてもね。
私にわかるのは、「この人は、小倉弁護士のブログに批判的なコメントを寄せた人たち(私もその一人だ)を『ネット右翼』と呼びたいのだな」ということくらいだ。
自分のことに置き換えてみると、私はこれまでほりえもんことライブドアの堀江社長と彼の支持者に対して批判的なことを何度か書いてきたのだが、「ほりえもん信者と目される集団」とか「ほりえもん信者は名乗り出てくれ」なんて書こうとは思わないし、もし書いたとしたら自分で自分のことを馬鹿だと思うだろう。
罵倒のためのレッテル貼りを、あたかも客観的な言葉であるかのように思い込んでしまうのは滑稽なことだ。その手の「色付きの言葉」を説明なしに使うことは、自らの持つ偏見を宣伝しているようなものであり中立的な読者に対する説得力を損なうだけではないか。
これは左寄りの人が「ネット右翼」という言葉を使う場合だけでなく、右寄りの人が「マスゴミ」「売国奴」「サヨク」といった言葉を使うときにも注意する必要がある。自分の中からあらゆる偏見を無くすのはたぶん不可能だろうが、人から偏見を見透かされると損をする場合が多い。色付きの言葉はなるべく使わないほうがいいし、どうしても使いたければ(あるいは使う必要があれば)中立的な読者からも納得を得られるよう充分に説明したり書き方を工夫すべきだろう。
というわけで、“公論の場を貧しくするネット右翼の病理 [ブログ時評13]”に対する反論はうまく書けなかった(そもそも向こうが何を言いたいのかよくわからないし)のだが、自分なりに「色付きの言葉」について考えることができたのでよかったよかった。
どちらにしても、論敵に対するレッテル貼りにしか使われていないように思える。
自分自身が右翼なのか左翼なのか、なんてこともどうでもいい。
ネットの一部でかなり話題になったポリティカルコンパスもやっていない。そもそも多くの質問に答えるのが面倒臭いし。
やってはいないが、たぶん中道やや左くらいのところに落ち着くのだろう。
自分は嘘が嫌い、無責任な煽りときれい事のおためごかしが嫌い。右でも左でも関係ない。
“公論の場を貧しくするネット右翼の病理 [ブログ時評13]”を読んで、どうも納得できない、反論したいという気持が沸いてはきたものの、うまく書けない。なぜなのかと考えてみる。そもそもこの文章が何を言わんとしているのかがよくわからない。「ネット右翼」に対して罵倒に近い批判をしているようだが、著者の使うネット右翼なる言葉の定義、具体的な対象が不明なのだ。
以下は引用。
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「ネット右翼」と目される集団が押しかけ、多数のコメントの山を残した「小倉秀夫の『IT法のTop Front』」では、ネット右翼というものがあるのなら自分こそと名乗ってみて、との趣旨の呼びかけがされたものの、反応は無かったようだ。
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いきなり「『ネット右翼』と目される集団」と書かれてもね。
私にわかるのは、「この人は、小倉弁護士のブログに批判的なコメントを寄せた人たち(私もその一人だ)を『ネット右翼』と呼びたいのだな」ということくらいだ。
自分のことに置き換えてみると、私はこれまでほりえもんことライブドアの堀江社長と彼の支持者に対して批判的なことを何度か書いてきたのだが、「ほりえもん信者と目される集団」とか「ほりえもん信者は名乗り出てくれ」なんて書こうとは思わないし、もし書いたとしたら自分で自分のことを馬鹿だと思うだろう。
罵倒のためのレッテル貼りを、あたかも客観的な言葉であるかのように思い込んでしまうのは滑稽なことだ。その手の「色付きの言葉」を説明なしに使うことは、自らの持つ偏見を宣伝しているようなものであり中立的な読者に対する説得力を損なうだけではないか。
これは左寄りの人が「ネット右翼」という言葉を使う場合だけでなく、右寄りの人が「マスゴミ」「売国奴」「サヨク」といった言葉を使うときにも注意する必要がある。自分の中からあらゆる偏見を無くすのはたぶん不可能だろうが、人から偏見を見透かされると損をする場合が多い。色付きの言葉はなるべく使わないほうがいいし、どうしても使いたければ(あるいは使う必要があれば)中立的な読者からも納得を得られるよう充分に説明したり書き方を工夫すべきだろう。
というわけで、“公論の場を貧しくするネット右翼の病理 [ブログ時評13]”に対する反論はうまく書けなかった(そもそも向こうが何を言いたいのかよくわからないし)のだが、自分なりに「色付きの言葉」について考えることができたのでよかったよかった。