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玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

一歩と百歩 その2

2006年05月08日 | 日々思うことなど
「一歩と百歩」の続き。
図書館で辞書を調べてみた。田舎の町立図書館なので本の数は少ない。
どの辞書にも「一歩を譲る」の意味として最初に「引けをとる、見劣りする」が載っているけれど「一歩」と「百歩」の比較とは無関係なので引用を省く。

「岩波書店 広辞苑」
一歩を譲る 自分の主張を一部ひっこめ、相手に少し譲歩する。
(百歩譲って) 記載なし


「三省堂 国語辞典」
一歩を譲る  相手の言うことをすこしみとめる。
百歩譲っても 大幅に相手の言うことをみとめても。


「三省堂 大辞林」
一歩を譲る  (自分の説を一部ひっこめ)少し譲歩する。
(百歩譲って) 記載なし


「三省堂 新明解国語辞典」
一歩譲って〔=議論を先に進めるために、かりに相手の主張を認め〕…としても
百歩譲っても〔=教養範囲内で大幅に相手の主張を認めるにしても〕


「三省堂 故事ことわざ・慣用句辞典」
一歩譲る 相手の意見や主張を全面的に否定しようとせず、ある点においては受け入れる。「一歩を譲る」とも。「仮に一歩を譲って部下が勝手にやったことだとしても、君が責任をとるべきだ」
百歩譲っても 相手の言い分などをある程度受け入れて考えたところで、基本的な部分には変わりがないということを表す言葉。「百歩譲って…としても」の形でも用いられる。「不可抗力に近かったという君の言を信じ、百歩譲っても、責任は免れないだろう」


「小学館日本国語大辞典」
一歩を譲る 自分の主張や意見を一部ひっこめて、相手の説を少しとりいれる。 坊ちゃん(1906)〈夏目漱石〉「よしんば今一歩譲って〈略〉下宿の婆さんが君に話した事を事実としたところで」 田舎教師(1909)〈田山花袋〉「彼はまた、仮に一歩譲って、人間がさういふ種類の動物であると仮定しても」
百歩譲って 相手の考えを大幅に認めて。 自己の問題として見たる自然主義的思想(1910)〈安倍能成〉「よし百歩を譲って此等を対岸の火災とくらゐに見ても」 小学校の教科書(1949)〈中村光夫〉「かりに百歩譲って、一部の子供がこんな妙な言葉を使っているとしたら、こういう間違った言い方を直してやるのが、大人の役目であり」


私には「三省堂 故事ことわざ・慣用句辞典」の説明がいちばんわかりやすかった。
「岩波書店 広辞苑」と「三省堂 大辞林」には「一歩」は載っていても「百歩」は載っていない。もしかするとこれは「一歩」のほうが古い言い方で「百歩」は新しい用法(もとは誤用?)であることを表しているのかもしれない。だが、Googleの検索結果では「百歩」の用例が「一歩」のそれよりもずっと多いし、他の辞書には載っているのだから、「百歩譲って」という言葉を誤用とするよりも「広辞苑」「大辞林」のミスと見たほうがよさそうだ。

「百歩譲って」という言い方が「一歩譲って」の誤用ではないことはどうやら確からしい。
だが、それでも私は「百歩譲って」という言い方が好きになれない。「百歩」というのが大げさだし、「譲る」というのも恩着せがましくて嫌らしい。「一歩譲って」と「百歩譲って」について考えているうちに、私が嫌っているのは「百歩」の部分よりも「譲る」のほうじゃないかと思えてきた。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2006-05-10 11:18:50
強調目的の仮定法はIf節の中身が大袈裟、傲慢なほど強調効果が高いって奴ですかね?

「例え○○であっても、私の主義・思想は変えられない」

○○が「スピルバーグ」じゃちょっと強調効果低いかもしれません。

「神様」なんて堂々と言えるほど、自分に自信があれば良いのですけどね。

かの方の思考は例え神様でもどうにもならない気がしますけど…
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譲ってやる (玄倉川)
2006-05-11 19:40:00
「百歩譲って」という表現は譲歩を仮定しているわりに妙に偉そうに感じてしまいます。

「百歩譲ってやったとして」と置き換えたほうがむしろしっくりするような。
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