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玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

受益者は当事者

2008年02月02日 | 「水からの伝言」
このごろ不思議に思うことがある。
「お金についての常識を持ちましょう」「詐欺は悪いことです」と言っても拝金主義者とは呼ばれないのに、「科学的常識を持ちましょう」「ニセ科学は見過ごせない問題だ」と言うとなぜか「科学原理主義」だの「そんなに目くじら立てなくてもいいのに」といった批判を受ける。
一体なぜなのか、私にはよくわからない。

現代社会で快適な生活を送るのに必要不可欠なのは「経済」と「科学技術」である。
経済(お金)が大事なのはわかりやすい。
お金がなければ何も買えない。社会の中でお金がうまく回らなければ自分の懐にも影響が出る。世の中には詐欺師やインチキ商売が存在し、自己防衛のためにはリテラシーを高め警戒心を持つ必要がある。誰もが経済活動の受益者(当事者)として理解すべきことだ。
ところが、科学(科学技術)については「当事者意識を持たない」と言って恥じない人がいる。

tak shonai's "Today's Crack" (今日の一撃): 「波動測定器」 を巡る冒険
ああ、私は 「水伝」 を巡る 「科学 vs 疑似科学」 のマターなんて、元々それほど興味がなくて、深入りするつもりもなかったのだが、ちょっと覗いてみたらその周辺事情が存外面白いので、今月、これで 4本もそれ関係の記事を書くことになってしまった。

だが、私がブログで関わっているのは、疑似科学の 「周辺」 というつもりなので、そりゃ、疑似科学批判の方々みたいに、先鋭的に切って捨てるみたいな書き方はしない。それで、こんな 批判も受けてしまうのである。

まあ、確かにこの件に関する私のエントリーのトーンが無責任に見えても、そりゃしょうがないのだけれど、別に私は 「科学」 にも 「疑似科学」 にも、全然 「当事者」 としてなんかタッチしてないのだから、どちらにも義理立てする必要がないのである。

引用部の強調は玄倉川による。

私はこれを読んでちょっと呆然としてしまった。
庄内さんがどういうつもりで書いたのか理解できない。ジョークとか悪ふざけのつもりならまだわかるけれど(ちっとも面白くはないが)、本気でこんな風に思っているのなら何をかいわんやである。庄内さんがニセ科学(疑似科学)にどれほど関わりがあるのか、それともないのか私は知らない。関わりがゼロでも生きていくのに支障はないだろう。だが科学に「全然 「当事者」 としてなんかタッチしてない」というのはありえないことだ。そのことを知らないのであればあまりにも無知であり、知っていて無視するのはつまらない虚勢である。

まず「当事者」の意味をはっきりさせておこう。

とうじ-しゃ たう― 3 【当事者】 - goo 辞書
その事に直接関係のある人。

この上なく簡潔明快だ。直接関係があればすなわち当事者なのである。
たとえば、どこかの会社に問題が起きたとしよう。とある食品会社で偽装が発覚し生産停止したとする。
会社の経営者・社員・株主が当事者であることは明らかだ。庄内さんが「 私は「科学」 にも 「疑似科学」 にも、全然 「当事者」 としてなんかタッチしてない」と主張するのはこのレベルの当事者を想定しているのだろう。つまり「自分は科学者でも疑似科学の信奉者でもない」ということだ。
だが、当事者は「会社に所属する人」だけではない。食品会社が生産停止すれば広く影響が出る。原料を卸す会社・製品を輸送する会社・製品を販売するスーパー・製品を購入する消費者がそれぞれに損害や影響を被る。彼らもまた当事者である。

それでは科学(科学技術)が現代社会の人間にどれほどの影響を与えているかといえば、例に挙げた食品会社などとは比べ物にならない。まさに空気や水のようにあらゆる面に浸透し生活を支えている。科学(科学技術)がなければ生きていけないのが現代人だ。庄内さんが科学について「「全然 「当事者」 としてなんかタッチしてない」とお気楽な放言をネットに発信することができるのも科学のおかげだ。物理学がなければ発電所は動かないし、計算機科学や通信科学がなければPCもインターネットもありえない。庄内さんは、いや、現代社会に生きる人間すべてが科学(科学技術)の受益者であり当事者である。
現代人が「自分は科学に当事者としてタッチしていない」と思うのは「空気中の酸素なんて知らないよ」と言うようなものだ。小島よしおのように半裸で「でもそんなの関係ねえ、オッパッピー!」と叫ぶのであればムチャクチャで面白いが、常識ある(はずの)社会人が真顔で(あるいは半笑いで)非常識なことを言うと引いてしまう。

しばらく前に馬鹿げた、しかしありふれた詐欺事件があった。

疑似通貨「円天」による詐欺疑惑
同社のホームページにおいて公開されている映像によると同社に10万円以上を預け、あかり会員になると、1年ごとに預けた金額と同額の円天を受け取ることができるとされており、また受け取った円天は、円天市場で利用することが可能とされている。「年利100%の金利が払われる」と言う事だったが、詐欺の可能性が濃厚であり、2007年10月に出資法違反の疑いで同社は強制捜査を受けた。

詐欺師たちが「円天」なるニセ通貨を使い、インチキ経済学・経営学で「年利100%」の夢を煽った。
私はエル・アンド・ジーの社員でもあかり会員でもないので庄内さんの(おそらくは)定義するところの当事者ではない。だが、ニセ通貨やインチキ経営学、詐欺商売といったものが横行するのを他人事として見過ごしてはいられない。強制捜査を受けたのは当然のことであり、首謀者が厳正な裁きを受けることを願う。社会の一員、まさに当事者として経済の営みが健全に行われることを願うからだ。
私が理解したところの庄内さん式「当事者」の定義からすれば、私は円天詐欺の当事者ではないので「どちらにも義理立てする必要がない」。無関係な野次馬として事件を面白がり囃し立て、「夢を与えたのだから有害無益と断定はできない」と公平中立を気取り、自分は賢いから詐欺に引っかかることはないと嘯き、強制捜査は「経済君」が立腹しただけだと茶化せばいい。

tak shonai's "Today's Crack" (今日の一撃): 水伝論争と自虐史観論争は似てる
「科学でない」 と言いながら、「いずれは証明される」 などと、まだ科学の文脈で往生際の悪いことをおっしゃる。水伝信奉者に共通するこのあたりのいい加減な曖昧さが、純粋な血を引く科学君にとっては我慢のできないところであるようなのだ。

つまり、科学でもないのに科学のような体裁を取ろうとした、あるいは、現状の科学では理解不可能だろうが、科学ももう少し進化すればわかるだろうという (エラソーな) 言い方をしたために、科学君の方がむっときてしまったというわけだ。


なんともお気楽なことだ。
ある意味うらやましくもあるけれど、ちっとも見習いたくはない。

参考記事
 So-net blog:Chromeplated Rat:当事者意識
 So-net blog:Chromeplated Rat:科学への「信頼」


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6 コメント

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Unknown (forrestal)
2008-02-03 11:11:06
近代以降、分業化、細分化が進み、科学もその他専門性ある事柄も高度になりました。そして、そのシステムによって、社会は、循環してます。多くの国民は、それに頼るほかないわけですが、もちろん、科学なども、現状ものですし、間違いもあります。極力、リテラシーを持って、自己防衛するしかないですね。そして、そこにはリスクが生じるという認識も必要です。

他方、科学なども、多くの国民がいなければ知的遊戯に他なりません。本来、相互に作用しつつ、成り立つものではないでしょうか。こういうことを曖昧にしてしまってるのが、まさに双方の当事者意識のなさなんですが・・・。
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目くじら (Adrienne)
2008-02-09 21:12:18
失礼ながら、やはり目くじらを立てていらっしゃるのでは?

例えば私は、何千何百とある食品会社全てを把握し、常に関心を持っているわけではありません。それに対して、お前も毎日飯を食ってるならもっと関心を持てと言われても困る。
つまり、私はいかなる食品会社とも*当事者としては*関わっていません。
これが「当事者」なる語の一般に通用している意味です。御説はあまりにも「当事者」の意味を広げすぎだと思います。

もう一点。「お金」に関してはポリス的動物である人間全てが当事者というのは確かにそうかもしれませんが、「自然法則」は人間の認識とは無関係に存在しているのですから、そもそも当事者などいうものは観念し得ません。科学の恩恵に浴しているからといって科学に関心を持たなければならないという道理もありません。科学は価値中立です。

最後に。
失礼な申しようで済みません。以上は主に自然科学を念頭においてコメントしたのですが、疑似科学はどちらかというと法社会学的(あと文化人類学?)な関心事であって、科学とはあまり関係ないような気がします。
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個別とメタ (北風)
2008-02-12 22:26:53
>以上は主に自然科学を念頭においてコメントしたのですが、疑似科学はどちらかというと法社会学的(あと文化人類学?)な関心事であって、科学とはあまり関係ないような気がします。

メタ議論はあまり意味がないように思うのですが。

1.ある商品を前にして、それが「科学的に正しいか」という判断は科学によるものでしょう。
2.それが、「科学的な手順に基づいてはいるがエラーなのか」「科学的な手順を全く無視したものなのか」といった、「擬似」かどうかの判断においては「科学」のみというわけにはいかない。
3.その商品が「不適切に科学を装って消費者に訴求しているものか」「どのような被害をもたらしたのか」となると、科学以外の要素が強くなる。
「疑似科学」というものをメタで議論すると、上の1.2.の部分がとばされてしまうので、そうなるのですが、元々、「疑似科学批判」などと呼ばれているものは個別の事象の1.2.が主ですので。
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影響について (北風)
2008-02-12 22:44:47
 「当事者」については各自の語義によりますが、「必要ない」とか「関係ない」という意味で、科学の「当事者ではない」とは言えないでしょう。
 「関心をもて」という点においては、リテラシーというか自己防衛というかそういう点はいるのかな、とは思います。
 「食べ物」でいえば「安全かどうか」を完全に見分けることは出来なくても「変な臭いがしていて傷んでいるようだ」とか見分けれるようにはしたいです。
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Adrienneさんへ (kamm)
2008-02-15 01:00:17
以前玄倉川さんは年金問題には興味がないとたしか仰っていましたので、それについての当事者意識はない、ということらしいですよ。
よくわからない基準ですけれどね。
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当事者 (玄倉川)
2008-02-20 20:09:22
>kammさん
たしかに以前「個人的にはあまり年金問題について関心が持てない」と書いたことはあります。
blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/8b5a62fe4b35ded1f2c560bb77d41014

しかしながら「自分は当事者じゃない」と無責任を決め込んだり
「そんなことに目くじら立てるな」と茶化したことはありません。
真面目な人たちが大事な問題について真剣に議論するのは結構なことです。
そういう人たちがいるから私のようなボンクラでも何とか生きていけるのだと知っています。感謝することはあっても笑い物にすることはありません。
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