2月から3月にかけては音楽隊の定期演奏会シーズンです。
残念ながら陸空自音楽隊とは全くご縁がなく行ったことがないのですが、
おそらく他の音楽隊でもこの時期に定演が行われているのでしょう。
先週末は、呉地方音楽隊の定期演奏会に行ってきました。
今回の訪問も、演奏会のためだけに滞在して日帰りです。
行きの飛行機はいつも右舷窓側を選択し、富士山を見ようとするのですが、
いつも気がついたら通り過ぎていて、これが見えます。
「今日もわれ大空にあり」でセイバーが飛んでいた日本アルプスの一端、
静岡、山梨、長野にまたがる赤石山脈だと思われます。
左上の雲の上に見えているのが中央アルプスかもしれません。
会場はいつもの呉文化ホール。
朝8時の飛行機に乗ったので、空港で朝ごはんを食べて時間を潰し、
その上で会場近くには早めに到着したのですが、前を通りかかると
会場前には列を作って開場を待つ人たちの姿がありました。
わたしたちはご招待なので、受付をすると二階に上がり、
決められた席に案内されるのですが、招待でない人は早いもの順で
好きな席に座れるのかもしれません。
呉文化ホールでの招待客は、必ず二階に上がって、そこで金屏風の前にいる
呉地方総監にご挨拶をすることになります。
わたしたちも、12月に退官された池太郎海将の後任になられた
杉本孝幸海将に初めてご挨拶してから席に着きました。
杉本海将は鹿屋の第一航空群の司令であったこともあるそうで、
つまり固定翼パイロット。
呉地方総監部は二代にわたって航空畑の総監ってことになりますね。
プログラム写真転載なので画像が粗くてすみません。
♪ 祝典行進曲(Celebration March)團伊玖磨
第一部の指揮は、呉音楽隊副長の田中孝二二等海尉が行いました。
祝典行進曲は、昭和34年4月10日に執り行われた皇太子殿下、今生陛下の
ご成婚を祝して作曲された華やかなマーチがオープニングに演奏されました。
先日行われた東京音楽隊の定期演奏会にも
「天皇陛下御在位30周年記念」
と銘打たれていたように、呉音楽隊もまた、御在位30周年にして
今年で平成が終わるということを記念する曲をオープニングに選びました。
音楽だけでなく、海上自衛隊では、天皇陛下御在位三十年を記念し、
慶祝行事の一環として2月24日から28日までの間、自衛隊基地の艦船が
満艦飾又は艦飾及び電灯艦飾を実施されていますので、近隣の方はぜひご覧ください。
「祝典行進曲」は最初にiPodが発売された頃、iTunesで購入した
陸上自衛隊の行進曲集に入っていたせいで、とても馴染みがあります。
さすがは團伊玖磨先生、軽やかで明るく、皇室の慶事に相応しく
気品が感じられる典雅なマーチで、その年の秋に行われた
東京オリンピックでは入場行進曲に使われたそうです。
ところで、わたしが東音のコンサートに行った日、いつも写真をくださる
Kさんは陸自中央音楽隊の特別演奏会に行って来られたそうで、
パンフレット画像を送ってくださったのですが、これによると
中央音楽隊でも最初に三善晃の「祝典序曲」を演奏したようです。
ただしこちらの祝典は大阪万博のために作られたものだとか。
それよりも注目したのは
「ヘイル・コロンビア」(アメリカの初代国歌)
「君が代」(フェントン)
扶桑歌(ルルー)雪の進軍(永井建子)
という一連の作品群でした。
この日のプログラムは、このようなもの。
この妙香寺は地元では「君が代発祥の地」と言われており、
昔ここで行われた横須賀音楽隊の演奏会でフェントン版君が代を聴いたことがあります。
ああ、この演奏会、聴きたかったなあ・・・・残念。
さて、呉音楽隊の演奏に戻ります。
♪ ごんぎつね〜音楽と語りのための〜 福島弘和
続いてはなんと珍しい、新美南吉の「ごんぎつね」の朗読に
音楽をつけて音楽劇仕立てにした作品が演奏されました。
この形式の音楽で最も有名なのは、セルゲイ・プロコフィエフの
「ピーターと狼」
だと思うのですが、作曲者が劇音楽の題材にこのお話を選んだのは、
「オオカミ」→「狐」という連想からだったとか・・まさかね。
自分がやらかしたいたずらのせいで、病気の母親に、今生最後の
うなぎを食べさせてやれなくなった兵十に対し、ごんぎつねは
償いのつもりでせっせと栗や松茸を運んでやるのですが、
そうとは知らない兵十は、ごんを銃で撃ち殺してしまう。
いつも呉音楽隊の演奏会には司会を務める、おなじみの
丸子ようこさんが皆が知っているこの悲しい結末の話を朗読しました。
ごんがいたずらをする様子、川のせせらぎ、夜の道の匂い・・。
こんな物語の情景がありありと浮かぶような、主に和風の旋律からなる
描写的な音楽が、あるときは朗読に絡み、時には独立して
あの「ごんぎつね」の話を紡ぎあげていきます。
わたしとしては、最後に兵十が銃をどんと撃つ瞬間、
ごんがばったり倒れる瞬間をどう音楽に乗せるのかに興味がありましたが、
意外とそこは普通?に、流れる音楽の上に物語を語らせておいて、
その後壮大に盛り上がり、ことばの余韻を味わっている人々に
駄目押しの感動を与える、という構成になっていました。
恥ずかしながらこのわたしも、こんな一語一句覚えている話で何を今さら、
とたかをくくっていたら、曲終了後、右頬に涙が流れ、
(わたしの右目の涙管は事情があって閉塞しているので)
なぜか鼻詰まりを起こしていたのでちょっとびっくりしました。
帰りの車の中でわたしがTOにそのことをいうと、
「なんで『ごんぎつね』なんかしたんだろう」
「どうして?よかったじゃない」
「何もコンサートであんな悲しい話を取り上げなくても、って思った」
TOは「火垂るの墓」を最後まで観ることができず、
(清太が鉄棒をするところでやめてしまった)さらには、
「にいちゃん、なんで〇〇死んでしまうん?」
と何かに引っ掛けて冗談を言っただけで
「やめろおお!」
と嫌がるというくらい悲しい話に弱い人なので無理もないのですが、
そもそも音楽とは、楽しいも悲しいも人の世に起こりうる普遍的なものや
それらを含む森羅万象を音で表すことを目的にしている芸術なのでね。
悲しいからやらないとかいうわけにはいかんのですよ。
「それと、プログラムに書いてあったごんぎつねの解説が嫌だった」
「何それ。わたし読んでない」
「えーと、
『悲しい、悲しいけど美しい。そして死という最大の悲劇が
起こらなければ通じ合わない人間の愚かさを、新見氏は見事に
芸術作品として結晶させています』だって」
「・・・うん・・それはわたしもいやだわ」
新美南吉がこの話を書いたのは若干17歳の時だったそうですが、
おそらく彼はアネクドートとしてこの話を書いたつもりも、
ましてや何かの教訓を示唆するつもりもなかったでしょう。
わたしがこのテーマについて三行で書くならこうかな。
改悛の気持ちから、相手に決して知られずに行う償いという
「善」に報いる「神」はこの時世界にたまたま不在だった
兵十は今後の人生においてごんの死という十字架を負って生きていく
「十字架」はあくまでも観念的な意味ですので念のため。
ここでふと興味を持って調べてみたところ、すごいページが見つかりました。
学校教師のための参考(アンチョコ?)サイトで
「ごんぎつね」で新美南吉は何を伝えたかったか
なぜ悲劇なのか、作者について知ることで、どうして彼が
こんな話を作ったのかを子供達に考えさせようというのですが、
新見の生い立ちが悲惨で、子供時代は孤独だった、に始まって
中国との15年戦争がはじまっており、「ごんぎつね」は
世の中が戦争ムードへと大きく傾き始めている中で書かれている
といったいかにもな日教組的誘導があって、なかなか香ばしいです。
ここには子供から出された意見も列挙されていますが、
「早まって人を殺したり傷つけたりしてはいけない」
「いたずらや火縄銃では決して幸せになれない」
など、こちらもほとんどが先生の喜びそうなお利口さんばかり。
作家が作品に投影させるのは必ずしも教訓とは限らないし、
17歳の少年、新見がただ
「なんとなくそんな話を描きたかったから書いてみた」
どいうだけだったかもしれないのに。
閑話休題、音楽とは全く関係なかったですね。
さて、「ごんぎつね」のあと、早々に休憩がアナウンスされました。
昨年12月に交代した音楽隊長のお披露目となる日だったので、
第二部以降にボリュームを持たせることにしたのでしょう。
新隊長は石田敬和一等海尉。
呉音楽隊の構成メンバーは全員が海曹海士からなり、
隊長と副隊長だけが尉官となります。
石田一尉は音楽大学ではなく、江田島の幹部候補生学校を卒業し、
初任幹部として東京音楽隊に勤務をしていた経歴を持ちます。
専門はオーボエ。
ちなみに前半の指揮者田中二尉は、最初の任務が駆潜艇「くまたか」だったそうで。
さすがは海上自衛隊の音楽隊、こんな経歴の人もいる。
昨年の12月まで、大湊、横須賀音楽隊の副隊長を歴任してきた石田一尉は
この度呉音楽隊で初めての隊長職就任となります。
♪ 「軽騎兵」序曲 フランツ・フォン・スッペ
最初のステージでどんな曲を振るかというのは、指揮者にとって
「自分はこういう指揮者です」ということを知らしめる意味もあって
非常にこだわりを持つところだと思うのですが、その最初の曲がこれ。
名前を知っているかどうかはともかく、誰でも聞き覚えがあって
広く親しまれている曲を選んだあたりに、新隊長の好みと方向性が窺えます。
その傾向は、次の曲にも表れていました。
♪ 弦楽合奏のセレナードop.48 ペーター・I・チャイコフスキー
わたしはこの曲を「弦楽セレナーデ」という名前で認識していたのですが、
吹奏楽編曲版はこの名称として知られているようです。
本来はオーケストラの4楽章からなる構成ですが、吹奏楽バージョンは
それらの主要部分をメドレーにして12分の曲にまとめてあります。
実家の母は、
「わたしのお葬式にはチャイコフスキーを流して欲しい」
というくらいチャイコフスキーの旋律を愛しているのですが、
その中で彼女が特に好きなのが、3楽章の「エレジー」。(4:10から)
練習の合間にピアノで弾いてあげるとうっとりとしていたものです。
第一楽章は、おそらく皆さんもこれでご存知のはず。
♪ チャルダッシュ ヴィットリオ・モンティ
なんと珍しい、チャルダッシュをコントラバス独奏で聞いたのは初めてです。
音楽隊唯一の弦楽器であるコントラバス(あ、ハープも弦楽器か)を
吹奏楽全員が伴奏に回ってのこれもかつてない組み合わせで。
ニコニコ動画で演奏しているのはベルギーのコントラバス奏者、
ディース・デ・ボーヴェという人で、とにかくテクが凄い。
コンバスは大きいので、音程をこれだけ正確に取れるのはほとんど「神」です。
特に3:14からのフラジオレット(倍音、ハーモニックス)の部分、
これ、抑えるところも普通と全く違うし、音程とりにくいんですよ。
この曲ソリストを務めたのは中串誠海士長。
ハーモニックスのメロディも見事でした。
広島の音楽高校から京都芸大に進んだという経歴で、
自衛隊に入隊したのは平成29年の3月ということです。
実は、プログラムに書かれた彼の「先生」のなかに一人、
わたしが知っている奏者がいるのですが、中串士長が楽器を抱える立ち姿が
後になって思えば記憶に残るその人にそっくりだったような気がして・・・。
教師のスタイルというのはやっぱり弟子に受け継がれるものなんでしょうかね。
「チャルダーシュ」も世間一般に有名で、誰が聞いても楽しく、
さらにはコンバスによる超絶技巧を目でも堪能できるということもあって、
皆演奏を終えた奏者に惜しみなく拍手を送りました。
日頃はベースを支えるという「地味」な仕事をしているベース奏者ですが、
クラシック、ジャズ、その他を問わず、彼らが実は
「俺がいなければ音楽は成り立たない」
という強烈な自負を持っていることは、関係者なら誰でも知っています。
そのベース奏者をフィーチャーし、主役に据えたこの選曲は
皆にその存在をアピールする意味でも大成功だったといえましょう。
♪ SEA OF WISDOM〜知恵を持つ海〜 清水大輔
東京音楽隊の高音質の動画が見つかりました。
音楽に興味のない方もぜひ聴いてみて欲しいのですが、
題名を全く言われずに聴いても、クラリネットのマウスピースを使ったカモメの声、
出航に際して聞こえてくる鐘の音など、海をテーマにしている、
とわかる効果があちこちに散りばめられていて、これはもう
海上自衛隊が取り上げるのは当然、という内容となっています。
作者によると、この曲は和歌山県の吹奏楽コンクールのために書かれ、
ここで表現されている海は和歌山県白浜なのだそうです。
朝の海、荒々しい岸壁、そして波を切りながらも進んでいく船・・。
そこには人類の叡智の源である海への敬意が込められています。
この曲が終わった時、まだ時計は開始から1時間半経った3時半をさしていました。
隊長がコールに応えて現我「行進曲 軍艦」を、若い指揮者らしく
少し早めのテンポで演奏し始めた時、もう終わり?と誰もが思った(はずな)のですが、
ここからが大フィナーレだったのです。
指揮者が合図をすると、会場から制服の高校生がステージに上がってきました。
呉音楽隊は地元の中高ブラスバンド部の演奏指導もその任務の一環として
恒常的に行なっているのですが、今回はその「生徒」たちを呼んで、
日頃の練習の成果を一緒にお披露目しましょう、というわけです。
♪ 宝島 和泉宏隆 真島俊夫編曲
東京音楽隊が昨年昭和女子大の人見記念講堂で演奏会をした時、
付属中高、昭和女子大の吹奏楽部と合同で演奏した
「宝島」の演奏が見つかりましたので貼っておきます。
この曲をやったことがない吹奏楽団体は日本には存在しない、
と言い切ってもいいくらい人気の高い曲なので、合同演奏には便利。
やってよし、聴いて良し、会場を最後に盛り上げるのにも最高の曲です。
帰りに話したところ、TOがこの曲を知っていたので、
「知ってたんだ」
とちょっと驚いたのですが、なんでもフュージョン全盛の頃、
Tスクエアの演奏がTDKのコマーシャルに使われていたらしいですね。
わたしもこの曲の、
ファ ミードーレドーレドシ♭ラー ソッラシ♭ードー
ラーソッファミーレードー(F)
が来ると、いつも太腿(なぜか必ず左)に鳥肌を立ててます(笑)
さて、ここで終わるかと思ったら、まだまだ。
サーカスを思わせる「大急ぎのマーチ」が演奏されました。
わたしはこの曲のことを知らなかったので、帰りに、ホールに立って
いつものように観客をお見送りしてくれている隊員の方に曲名を聞きました。
♪ マーチ「一度っきりの人生」 伊藤康英
題名を聞いた時、
「はて、一度っきりの人生、というような曲調には聞こえなかったけど」
と少し違和感があったのですが、作曲者によると、
コンサートの一週間ほど前に、アンコールになにかもう1曲足りないなあと思い、
午前中に作曲、午後のリハーサルに間に合わせたクイックマーチで、
予定された編成のために書いたので、おそらく「一度っきり」しか演奏できないだろう、
とこんなタイトルをつけてみた。
だそうで、納得しました。
これは一緒に演奏した中高生たちも楽しかったことでしょう。
耳に馴染みのある誰でも知っている曲、音楽童話、そして地元の学生との合同演奏。
地方音楽隊の役割をしっかりと果たしつつ、良質な音楽を提供してくれる
新生呉音楽隊のこれからの活動に期待したいと思います。
またコンサートの参加にあたりご配慮をいただきました関係者の皆様に
この場を借りてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。