ポリクライシス「世界が燃えている」‥12月4日国連人道問題調整室のトム・フレッチャー室長(事務次長)はジュネーブでの記者会見で、「世界が燃えている」と述べ2025年を不安とともに見据えていると語った。ウクライナ、パレスチナ自治区ガザ地区、スーダン、シリアなどで残忍な紛争が激化し、異常気象がかつてない被害をもたらす中、国連の推定によれば、来年世界で何らかの支援を必要とする人々は3億500万人に上る。フレッチャー氏は「私たちの世界は今、ポリクライシス(複合危機)に取り組んでいるが、その代償を支払わされているのは、世界で最も弱い立場にある人々だ」と指摘。格差の拡大と紛争、気候変動が相まって支援を必要とする人々にとって「最悪の状況」が生じていると述べた。来年は紛争の激化や気候変動で数億人が困窮すると警告し、重要な支援を行う資金として474億ドル(7兆円)の拠出を要請していると報告した。(AFP=時事241204) 何たる事だろう。世界の良心は怠惰のままなのか? いや私はそうは考えない。世界は破滅してもオレは(我が帝国は)生き残るのだ‥という侵略者たちが、美しい田園に今日も泥と血にまみれた土足を突っ込んでいる。ロシアプーチン、イスラエルネタニヤフ、そして新たにイモラルなサイコパス・アメリカトランプという独裁者が生まれた。世界が燃えていてもその火を消そうとする良心を有する者たちは凌辱され踏み潰されているのだ。
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内村鑑三翁は明治44年9月10日発行の『聖書之研究』134号で、「世は果して進歩しつゝある乎(思想は之をフィリップ・マウロー氏注)の著書に得たり)」を発表している(全集18、p.242)。この長文の論稿は、当時欧米のキリスト教世界の教義に大きなインパクトを与え続けていたダーウィンの「進化論」に対する鑑三翁の考え方を鮮明に示したものだ。鑑三翁は当時50歳。
鑑三翁は「ダーウヰンの『種の起源』は聖書幷(ならび)に『コロムウェル伝』等と共に余の全生涯に根本的の変化を来したる書である」(全集16、p.510)と記している。大方のキリスト教神学者や研究者がダーウィンの「進化論」に根底から反対する立場を取る中にあって、鑑三翁は「進化論」を否定せず神の存在を前提とした進化論を提唱して、科学と信仰の調和を図ろうとしている。これは鑑三翁の思想や著作においても一貫している。
ところで「進化論」は、生物の多様性や共通性、化石記録や分子生物学的な証拠など、生物学の様々な分野における観察や実験の結果を統合的に解説解明することができるとする理論。これに対し「創造論」は、宇宙や生命などの起源を創世記に書かれた「創造主なる神」に求める考え方であり、「創造主なる神」によって天地万物の全てが創造されたとする聖書に忠実なキリスト教の中核をなす考え方である。
近年のキリスト教世界には有神的進化論(Evolutionary theism)という考え方があって、この神学思想によれば創造論を否定しない一方で進化論を受け入れ、神が進化によって人間を含む生物を創造したと考える、この立場では創世記の天地創造を寓喩的に解釈し宗教と生物学の両立を図る‥とWikipediaには記されている。近年ではこのような考え方がキリスト教世界では主流となっているらしい。
今回取り上げた論稿「世は果して進歩しつゝある乎」は、当時の「進化論」に対する鑑三翁の考え方を示すのみならず、一般的に科学技術が進歩進展する世界の潮流にあって、これを人格、政治、道徳、文化、哲学‥といった領域において、科学技術と同じ軌道でこれらが進歩進展しているのかを問うた論稿であり、これらの進歩が同時に人間を幸福にしているのかどうかを問題視している。今日でも示唆に富む論稿なのでこれを現代語訳した。長文であるので一部を割愛した。
実は鑑三翁は「進化論」をめぐる神学論争にはさほど深い関心を示してはいない。私も同様である。そして私としては鑑三翁の論稿を紹介した後に、私たち現代人が直面している「科学(技術)の進歩」に対する私なりの考え方を記したいと考えた。
注) Philip Mauro、1859-1952、マウロはアメリカ合衆国ミズーリ州セントルイスで生まれた。最高裁判所で実務を行った弁護士、弁理士であり、クリスチャンライター。彼の著書”The world and its God”(1905)では、サタンがキリスト教とその地上で善を行う力に堕落させる影響を与えていることに同意しているものの、サタンの動機は単なる悪行ほど単純ではないとも主張している。マウロはいわゆる創造論者で「進化論」に対する反論を提供し、この科学を冒涜だとして激しく非難している。(日本語翻訳版はなし。Google Booksの書籍紹介文を引用抜粋)。
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