福音のイロハから順番に紹介していきたいです。<br>また、聖書の御言葉の深い味わいを共有できたらと願っています。
【[イザヤ書55:8,9]「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。──主のことば──天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。】何に対しても神の思いは私たちの思いとは全く違うものです。私たちはよく神ならば決して許さないことも許してしまいます。神は物事を全く違った視点から見ています。私たちが物事を判断する基準と神が判断される基準が異なっています。神の視点に立つことが必要です。あぁ、人はこんなふうに言います。「あのこととこのことに何の害もない、あぁあのことに悪いことが何もない。誰それのこと。あれこれのことを見ていればよい」などと言っては生きる上での標準を他の誰かの中に求めてているのではないでしょう...今日の黙想
【[ルカの福音書18:〜8]いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、イエスは弟子たちにたとえを話された。「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。その町に一人のやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私を訴える人をさばいて、私を守ってください』と言っていた。この裁判官はしばらく取り合わなかったが、後になって心の中で考えた。『私は神をも恐れず、人を人とも思わないが、このやもめは、うるさくて仕方がないから、彼女のために裁判をしてやることにしよう。そうでないと、ひっきりなしにやって来て、私は疲れ果ててしまう。』」主は言われた。「不正な裁判官が言っていることを聞きなさい。まして神は、昼も夜も神に叫び求めている、選ばれた者たちのためにさばきを行わないで、いつまでも放っておかれるこ...ルカの福音書18章①
【[ルカの福音書17:2〜37]パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、人の子の日を一日でも見たいと願っても、見られない日が来ます。人々は『見よ、あそこだ』とか、『見よ、ここだ』とか言いますが、行ってはいけません。追いかけてもいけません。人の子の日、人の子は、稲妻がひらめいて天の端から天の端まで光るのと、ちょうど同じようになります。しかし、まず人の子は多くの苦しみを受け、この時代の人々に捨てられなければなりません。ちょうど、ノアの日に起こったのと同じことが...ルカの福音書17章②
【[ルカの福音書17:1〜19]イエスは弟子たちに言われた。「つまずきが起こるのは避けられませんが、つまずきをもたらす者はわざわいです。その者にとっては、これらの小さい者たちの一人をつまずかせるより、ひき臼を首に結び付けられて、海に投げ込まれるほうがましです。あなたがたは、自分自身に気をつけなさい。兄弟が罪を犯したなら、戒めなさい。そして悔い改めるなら、赦しなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回あなたのところに来て『悔い改めます』と言うなら、赦しなさい。」使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増し加えてください。」すると主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があれば、この桑の木に『根元から抜かれて、海の中に植われ』と言うなら、あなたがたに従います。あなたがたのだれかのところに、畑...ルカの福音書17章①
聖書箇所は昨日と同じです。イエス様は続いて、バリサイ人たちに対してひとつのたとえ話をしています。それは「ある金持ちと貧乏人ラザロ」の話です(19~31節)。たとえ話には必ず強調される一つのポイントがあるのですが、そこからはずれて枝葉に関心が行くと、本筋から離れてしまいます。「たとえ話」を解釈するうえでポイントが一つだということは、聖句を理解する上で大変重要で、注意すべきことです。ここに登場する人物である二人の状況は生前とは全く逆転しています。金持ちは「ハデス」で苦しんでいますが、一方、貧乏人であったラザロは「アブラハムのふところ」で慰めを受けています。「ハデス」と「アブラハムのふところ」の間には「大きな淵」があり、それを越えることはできません。また「ハデス」からも、「アブラハムのふところ」からも生きている...ルカの福音書16章③
【[ルカの福音書16:14〜31]金銭を好むパリサイ人たちは、これらすべてを聞いて、イエスをあざ笑っていた。イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとするが、神はあなたがたの心をご存じです。人々の間で尊ばれるものは、神の前では忌み嫌われるものなのです。律法と預言者はヨハネまでです。それ以来、神の国の福音が宣べ伝えられ、だれもが力ずくで、そこに入ろうとしています。しかし、律法の一画が落ちるよりも、天地が滅びるほうが易しいのです。だれでも妻を離縁して別の女と結婚する者は、姦淫を犯すことになり、夫から離縁された女と結婚する者も、姦淫を犯すことになります。ある金持ちがいた。紫の衣や柔らかい亜麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。その金持ちの門前には、ラザロという、できものだらけの貧しい...ルカの福音書16章②
【[ルカの福音書16:1〜13]イエスは弟子たちに対しても、次のように語られた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この管理人が主人の財産を無駄遣いしている、という訴えが主人にあった。主人は彼を呼んで言った。『おまえについて聞いたこの話は何なのか。会計の報告を出しなさい。もうおまえに、管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は心の中で考えた。『どうしよう。主人は私から管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力はないし、物乞いをするのは恥ずかしい。分かった、こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、人々が私を家に迎えてくれるようにすればよいのだ。』そこで彼は、主人の債務者たちを一人ひとり呼んで、最初の人に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言った。その人は『油百バテ』と答えた。すると彼は、『あなた...ルカの福音書16章①
[ルカの福音書15:11〜32]イエスはまた、こう話された。「ある人に二人の息子がいた。弟のほうが父に、『お父さん、財産のうち私がいただく分を下さい』と言った。それで、父は財産を二人に分けてやった。それから何日もしないうちに、弟息子は、すべてのものをまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して、財産を湯水のように使ってしまった。何もかも使い果たした後、その地方全体に激しい飢饉が起こり、彼は食べることにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせた。彼は、豚が食べているいなご豆で腹を満たしたいほどだったが、だれも彼に与えてはくれなかった。しかし、彼は我に返って言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それ...ルカの福音書15章②
【[ルカの福音書15:1〜10]さて、取税人たちや罪人たちがみな、話を聞こうとしてイエスの近くにやって来た。すると、パリサイ人たち、律法学者たちが、「この人は罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている」と文句を言った。そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。「あなたがたのうちのだれかが羊を百匹持っていて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、喜んで羊を肩に担ぎ、家に戻って、友だちや近所の人たちを呼び集め、『一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うでしょう。あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天に...ルカの福音書15章①
聖書箇所は昨日と同じです。師と弟子とのかかわりは「まずすわって」「計算し」「熟考してから」決断をくだす必要があると考えます。師と弟子とのかかわりは家族以上に優先されることが求められるのですから、弟子となる前にそのリスクと価値について、事前に良く考えるべきことをイエスは三つのたとえで語っています。先ずは、「塔を築こうとするとき」のたとえです。完成に十分な費用があるかどうかを「まずすわって、計算すること」が大切です。そうでないと笑い者となってしまうことを教えています。次は、勝ち目のある戦いかどうかを「まずすわって、考えること」のたとえです。最後は、「塩が塩気を失うようでは、無用な存在となる」ため、「まずすわって、計算し、よく考えて決断する」ことを強調するためのたとえとなっています。「まずすわる」ことが肝心です...ルカの福音書14章③
【[ルカの福音書14:25〜35]さて、大勢の群衆がイエスと一緒に歩いていたが、イエスは振り向いて彼らに言われた。「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。あなたがたのうちに、塔を建てようとするとき、まず座って、完成させるのに十分な金があるかどうか、費用を計算しない人がいるでしょうか。計算しないと、土台を据えただけで完成できず、見ていた人たちはみなその人を嘲って、『この人は建て始めたのに、完成できなかった』と言うでしょう。また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようと出て行くときは、二万人を引き連れて向かって来る敵を、一万人で迎え撃つこと...ルカの福音書14章2
【[ルカの福音書14:1〜24]ある安息日のこと、イエスは食事をするために、パリサイ派のある指導者の家に入られた。そのとき人々はじっとイエスを見つめていた。見よ、イエスの前には、水腫をわずらっている人がいた。イエスは、律法の専門家たちやパリサイ人たちに対して、「安息日に癒やすのは律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか」と言われた。彼らは黙っていた。それで、イエスはその人を抱いて癒やし、帰された。それから、彼らに言われた。「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者が、あなたがたのうちにいるでしょうか。」彼らはこれに答えることができなかった。イエスは、客として招かれた人たちが上座を選んでいる様子に気がついて、彼らにたとえを話された。「結婚の披露宴に招かれたとき...ルカの福音書14章①
今日は、クラスで発表した原稿を貼りますPDFでお読みくださいhttps://drive.google.com/file/d/1VkxRP2QmmsWkHNDBGP9HBMHSXNzMLLod/view?usp=drivesdk一つ
【[ルカの福音書13:18〜35]そこで、イエスはこう言われた。「神の国は何に似ているでしょうか。何にたとえたらよいでしょうか。それはからし種に似ています。ある人がそれを取って自分の庭に蒔くと、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。」再びイエスは言われた。「神の国を何にたとえたらよいでしょうか。それはパン種に似ています。女の人がそれを取って三サトンの粉に混ぜると、全体がふくらみました。」イエスは町や村を通りながら教え、エルサレムへの旅を続けておられた。すると、ある人が言った。「主よ、救われる人は少ないのですか。」イエスは人々に言われた。「狭い門から入るように努めなさい。あなたがたに言いますが、多くの人が、入ろうとしても入れなくなるからです。家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってから、あなたがた...ルカの福音書13章②
[ルカの福音書13:18〜35]そこで、イエスはこう言われた。「神の国は何に似ているでしょうか。何にたとえたらよいでしょうか。それはからし種に似ています。ある人がそれを取って自分の庭に蒔くと、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。」再びイエスは言われた。「神の国を何にたとえたらよいでしょうか。それはパン種に似ています。女の人がそれを取って三サトンの粉に混ぜると、全体がふくらみました。」イエスは町や村を通りながら教え、エルサレムへの旅を続けておられた。すると、ある人が言った。「主よ、救われる人は少ないのですか。」イエスは人々に言われた。「狭い門から入るように努めなさい。あなたがたに言いますが、多くの人が、入ろうとしても入れなくなるからです。家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってから、あなたがたが...ルカの福音書13章②
【[ルカの福音書13:1〜17]ちょうどそのとき、人々が何人かやって来て、ピラトがガリラヤ人たちの血を、ガリラヤ人たちが献げるいけにえに混ぜた、とイエスに報告した。イエスは彼らに言われた。「そのガリラヤ人たちは、そのような災難にあったのだから、ほかのすべてのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったと思いますか。そんなことはありません。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも多く、罪の負債があったと思いますか。そんなことはありません。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植え...ルカの福音書13章①
【[ルカの福音書12:49〜59]わたしは、地上に火を投げ込むために来ました。火がすでに燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。わたしには受けるべきバプテスマがあります。それが成し遂げられるまで、わたしはどれほど苦しむことでしょう。あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思っていますか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ分裂です。今から後、一つの家の中で五人が二つに分かれ、三人が二人に、二人が三人に対立するようになります。父は息子に、息子は父に対立し、母は娘に、娘は母に対立し、姑は嫁に、嫁は姑に対立して分かれるようになります。」イエスは群衆にもこう言われた。「あなたがたは、西に雲が出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言います。そしてそのとおりになります。また南風...ルカの福音書12章④
【[ルカの福音書12:35〜48]腰に帯を締め、明かりをともしていなさい。主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸を開けようと、その帰りを待っている人たちのようでありなさい。帰って来た主人に、目を覚ましているのを見てもらえるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに言います。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばに来て給仕してくれます。主人が真夜中に帰って来ても、夜明けに帰って来ても、そのようにしているのを見てもらえるなら、そのしもべたちは幸いです。このことを知っておきなさい。もしも家の主人が、泥棒の来る時間を知っていたら、自分の家に押し入るのを許さないでしょう。あなたがたも用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのです。」そこで、ペテロが言った。「主よ。このたとえを話...ルカの福音書12章③
[ルカの福音書12:13〜34群衆の中の一人がイエスに言った。「先生。遺産を私と分けるように、私の兄弟に言ってください。」すると、イエスは彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停人に任命したのですか。」そして人々に言われた。「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」それからイエスは人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。彼は心の中で考えた。『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。...ルカの福音書12章②
[ルカの福音書12:1〜12]そうしているうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスはまず弟子たちに話し始められた。「パリサイ人のパン種、すなわち偽善には気をつけなさい。おおわれているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずにすむものはありません。ですから、あなたがたが暗闇で言ったことが、みな明るみで聞かれ、奥の部屋で耳にささやいたことが、屋上で言い広められるのです。わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、その後はもう何もできない者たちを恐れてはいけません。恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺した後で、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。五羽の雀が、...ルカの福音書12章①
【[ルカの福音書11:37〜54]イエスが話し終えられると、一人のパリサイ人が、自分の家で食事をしていただきたい、とお願いした。そこでイエスは家に入って、食卓に着かれた。そのパリサイ人は、イエスが食事の前に、まずきよめの洗いをなさらないのを見て驚いた。すると、主は彼に言われた。「なるほど、あなたがたパリサイ人は、杯や皿の外側はきよめるが、その内側は強欲と邪悪で満ちています。愚かな者たち。外側を造られた方は、内側も造られたのではありませんか。とにかく、内にあるものを施しに用いなさい。そうすれば、見よ、あなたがたにとって、すべてがきよいものとなります。だが、わざわいだ、パリサイ人。おまえたちはミント、うん香、あらゆる野菜の十分の一を納めているが、正義と神への愛をおろそかにしている。十分の一もおろそかにしてはい...ルカの福音書11章③
【[ルカの福音書11:14〜36]さて、イエスは悪霊を追い出しておられた。それは口をきけなくする悪霊であった。悪霊が出て行くと、口がきけなかった人がものを言い始めたので、群衆は驚いた。しかし、彼らのうちのある者たちは、「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言った。また、ほかの者たちはイエスを試みようとして、天からのしるしを要求した。しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも内輪もめしたら荒れすたれ、家も内輪で争えば倒れます。あなたがたは、わたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出していると言いますが、サタンが仲間割れしたのなら、どうしてサタンの国は立ち行くことができるでしょう。もし、わたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているとしたら、あなたがたの子ら...ルカの福音書11章②
[ルカの福音書11:1〜13]さて、イエスはある場所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」そこでイエスは彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します。私たちを試みにあわせないでください。』」また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうちのだれかに友だちがいて、その人のところに真夜中に行き、次のように言ったとします。『友よ、パンを三つ貸してくれないか。友人が旅の途中、私のところに来たのだが、出してやるものがないのだ。』すると、その友だ...ルカの福音書11章①
【[ルカの福音書10:38〜42]さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」】ここまでの聖書箇所を振り返ってみましょう。イエス様が弟子たちに語った「天...ルカの福音書10章⑤
【[ヨハネの福音書17:3]永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。】知ることは、御言葉、御国の奥義を知ることでもあり、実際にイェシュアを味わい知ることでもあるから、イェシュアご自身を慕い求めることと、御言葉を尋ね求めること、両方が大切ですね御言葉の真意を読み解くこと、御言葉に秘められている神の御心と神のご計画を探り求めることは非常に大事同時に、御言葉に込められている御心を実際に体験的に味わうことも大事その為には、御言葉の意味を尋ね求めることと、実際にイェシュアの御顔の光と輝きを受けるべく、主を慕い求めることの両方が大切ですね神を知るとは?
【[ルカの福音書10:25〜37]さて、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試みようとして言った。「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」イエスは彼に言われた。「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」しかし彼は、自分が正しいことを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とはだれですか。」イエスは答えられた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下って行ったが、強盗に襲われた。強盗たちはその...ルカの福音書10章④
【[ガラテヤ人への手紙5:17,18,22,23,24,25,26]肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らうからです。この二つは互いに対立しているので、あなたがたは願っていることができなくなります。御霊によって導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりしないようにしましょう。】肉による行いは御霊の実とは違って、良い行いだとしても人間の修練や努力によって生み出されます。...御霊の実が
どんなに効能書や説明書を添付しても、本当にその本体である主ご自身を食べていなければ、本物の味わいやイェシュアどんなお方なのかがわからないじゃないか。もし、既に本体であるをイェシュア食べていたら、効能書きや説明書なんてどうでもよくて、ましてや、効能書きや説明書があんまり理解できていなくても動揺したり、動いたりしないんじゃないかな。だって本体であるイェシュアを食べて味わって知っているわけだから。イェシュアを未だ本当に味わい知らない人は効能書きや説明書に頼ってイェシュアを探すけどそこまで満足は得られない。本当にイェシュアというパンを食べた人は効能書きや説明書を読んでそれらが正確にイェシュアを描き出してるか確認できる。実際に自分は既にイェシュアを食べて味わい知ってるわけだから。勿論、自分が味わい知っている以外のイ...今朝のレーマ
【[ルカの福音書10:21,22,23,24]ちょうどそのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。すべてのことが、わたしの父からわたしに渡されています。子がだれであるかは、父のほかはだれも知りません。また父がだれであるかは、子と、子が父を現そうと心に定めた者のほかは、だれも知りません。」それからイエスは、弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。「あなたがたが見ているものを見る目は幸いです。あなたがたに言います。多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たいと願ったのに、見られず、あなたがたが聞い...ルカの福音書10章③
【[ルカの福音書10:13〜20]ああ、コラジン。ああ、ベツサイダ。おまえたちの間で行われた力あるわざが、ツロとシドンで行われていたら、彼らはとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって座り、悔い改めていたことだろう。しかし、さばきのときには、ツロとシドンのほうが、おまえたちよりもさばきに耐えやすいのだ。カペナウム、おまえが天に上げられることがあるだろうか。よみにまで落とされるのだ。あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのです。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのです。」さて、七十二人が喜んで帰って来て言った。「主よ。あなたの御名を用いると、悪霊どもでさえ私たちに服従します。」イエスは彼らに言われた。「サタンが稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました。確か...ルカの福音書10章②
【[ルカの福音書10:1〜12]その後、主は別に七十二人を指名して、ご自分が行くつもりのすべての町や場所に、先に二人ずつ遣わされた。そして彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に子羊を送り出すようなものです。財布も袋も持たず、履き物もはかずに行きなさい。道でだれにもあいさつしてはいけません。どの家に入っても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい。そこに平安の子がいたら、あなたがたの平安は、その人の上にとどまります。いなければ、その平安はあなたがたに返って来ます。その家にとどまり、出される物を食べたり飲んだりしなさい。働く者が報酬を受けるのは...ルカの福音書10章①
【[ルカの福音書9:46〜62]さて、弟子たちの間で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。しかし、イエスは彼らの心にある考えを知り、一人の子どもの手を取って、自分のそばに立たせ、彼らに言われた。「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、だれでもわたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。あなたがた皆の中で一番小さい者が、一番偉いのです。」さて、ヨハネが言った。「先生。あなたの名によって悪霊を追い出している人を見たので、やめさせようとしました。その人が私たちについて来なかったからです。」しかし、イエスは彼に言われた。「やめさせてはいけません。あなたがたに反対しない人は、あなたがたの味方です。」さて、天に上げられる日が近づいて来...ルカの福音書9章⑥
【[ルカの福音書9:37〜48]次の日、一行が山から下りて来ると、大勢の群衆がイエスを迎えた。すると見よ、群衆の中から、一人の人が叫んで言った。「先生、お願いします。息子を見てやってください。私の一人息子です。ご覧ください。霊がこの子に取りつくと、突然叫びます。そして、引きつけを起こさせて泡を吹かせ、打ちのめして、なかなか離れようとしません。あなたのお弟子たちに、霊を追い出してくださいとお願いしたのですが、できませんでした。」イエスは答えられた。「ああ、不信仰な曲がった時代だ。いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの子をここに連れて来なさい。」その子が来る途中でも、悪霊は彼を倒して引きつけを起こさせた。しかし、イエスは汚れた霊を叱り、その子を癒やして父親に...ルカの福音書9章⑤
聖書箇所は昨日と同じです。9章28~36節にある山上の「イエスの変貌」(御顔の様子が変わり、御衣は白く輝いたこと)はイエス様が神であり、キリストであることを目に見える形で暗示しています。変貌なさったイエス様と二人の人、モーセとエリヤが「イエスがエルサレムで遂げられようとしているご最後についていっしょに話して」(31節)いるのをペテロとヨハネとヤコブは見ました。モーセとエリヤに共通していることは、神の民を神の民として神の御前に正しく整えるために用いられた人物です。イエス様も同様にその任を御父からゆだねられました。旧約時代を代表するモーセとエリヤの二人が、これからエルサレムにおいてイエス様が成し遂げようとしておられる「ご最後(あるいは、新しい出発)」について、イエス様と話し合っていたことが書かれています。二人...ルカの福音書9章④
【[ルカの福音書9:21〜36]するとイエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じられた。そして、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日目によみがえらなければならない、と語られた。イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の益があるでしょうか。だれでも、わたしとわたしのことばを恥じるなら、人の子もまた、自分と父と聖なる御使いの栄光を帯びてやって来るとき、その人を恥じます。まことに、あなたがたに言います。ここに...ルカの福音書9章③
聖書箇所は昨日と同じですここでは、「あなたは、イエスを誰だと思うか」と、「イエスはなぜ来られたのか」という二つの問いかけがなされています。一つ目の問いに対する答えは、「あなたは神のキリストです。」というペテロかした信仰告白でした。マタイの福音書では、このペテロの信仰告白は御父の啓示によるものであることをイエスは明らかになさいました。この信仰告白こそニ千年のキリスト教会で告白されてきたものであり、教会の土台です。クリスチャンはこの信仰告白なしには立つことばできません。この告白の上に教会は建てられています。この告白なしにはどんなに立派な会堂(建物)があったとしても真の神の国、あるいは教会とは言えません。この告白のあるところには、たとえ小さな群れであっても真の神の国があり、教会があるのです。この告白の直後に、イ...ルカの福音書9章②
[ルカの福音書9:1〜20]イエスは十二人を呼び集めて、すべての悪霊を制して病気を癒やす力と権威を、彼らにお授けになった。そして、神の国を宣べ伝え、病人を治すために、こう言って彼らを遣わされた。「旅には何も持って行かないようにしなさい。杖も袋もパンも金もです。また下着も、それぞれ二枚持ってはいけません。どの家に入っても、そこにとどまり、そこから出かけなさい。人々があなたがたを受け入れないなら、その町を出て行くときに、彼らに対する証言として、足のちりを払い落としなさい。」十二人は出て行って、村から村へと巡りながら、いたるところで福音を宣べ伝え、癒やしを行った。さて、領主ヘロデはこのすべての出来事を聞いて、ひどく当惑していた。ある人たちは、「ヨハネが死人の中からよみがえったのだ」と言い、別の人たちは、「エリヤ...ルカの福音書9章①
【[ルカの福音書8:49〜56]イエスがまだ話しておられるとき、会堂司の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすことはありません。」これを聞いて、イエスは答えられた。「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われます。」イエスは家に着いたが、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、そしてその子の父と母のほかは、だれも一緒に入ることをお許しにならなかった。人々はみな、少女のために泣き悲しんでいた。しかし、イエスは言われた。「泣かなくてよい。死んだのではなく、眠っているのです。」人々は、少女が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。しかし、イエスは少女の手を取って叫ばれた。「子よ、起きなさい。」すると少女の霊が戻って、少女はただちに起き上がった。それでイエスは、その子に食べ物を与える...ルカの福音書8章⑤
【[ルカの福音書8:40〜48]さて、イエスが帰って来られると、群衆は喜んで迎えた。みなイエスを待ちわびていたのである。すると見よ、ヤイロという人がやって来た。この人は会堂司であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来ていただきたいと懇願した。彼には十二歳ぐらいの一人娘がいて、死にかけていたのであった。それでイエスが出かけられると、群衆はイエスに押し迫って来た。そこに、十二年の間、長血をわずらい、医者たちに財産すべてを費やしたのに、だれにも治してもらえなかった女の人がいた。彼女はイエスのうしろから近づいて、その衣の房に触れた。すると、ただちに出血が止まった。イエスは、「わたしにさわったのは、だれですか」と言われた。みな自分ではないと言ったので、ペテロは、「先生。大勢の人たちが、あなたを囲んで押し...ルカの福音書8章④
【[ルカの福音書8:26〜39]こうして彼らは、舟で、ガリラヤの反対側にあるゲラサ人の地に着いた。イエスが陸に上がられると、その町の者で、悪霊につかれている男がイエスを迎えた。彼は長い間、服を身に着けず、家に住まないで墓場に住んでいた。彼はイエスを見ると叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言った。「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。お願いです。私を苦しめないでください。」それは、イエスが汚れた霊に、この人から出て行くように命じられたからであった。汚れた霊はこの人を何回も捕らえていた。それで彼は鎖と足かせでつながれて監視されていたが、それらを断ち切っては、悪霊によって荒野に駆り立てられていた。イエスが「おまえの名は何か」とお尋ねになると、彼は「レギオンです」と答えた。悪霊が大勢彼に...ルカの福音書8章③
【[ルカの福音書8:19〜25]さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、大勢の人のためにそばに近寄れなかった。それでイエスに、「母上と兄弟方が、お会いしたいと外に立っておられます」という知らせがあった。しかし、イエスはその人たちにこう答えられた。「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う人たちのことです。」ある日のことであった。イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、弟子たちは舟を出した。舟で渡っている間に、イエスは眠り始められた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、彼らは水をかぶって危険になった。そこで弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、私たちは死んでしまいます」と言った。イエスは起き上がり、風と荒波を叱りつけられた。すると静まり、凪...ルカの福音書8章②
[ルカの福音書8:1,2,3,4,5,6,7,8]その後、イエスは町や村を巡って神の国を説き、福音を宣べ伝えられた。十二人もお供をした。また、悪霊や病気を治してもらった女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの女たちも一緒であった。彼女たちは、自分の財産をもって彼らに仕えていた。さて、大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がみもとにやって来たので、イエスはたとえを用いて話された。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いていると、ある種が道端に落ちた。すると、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。また、別の種は岩の上に落ちた。生長したが、水分がなかったので枯れてしまった。また、別の種は茨の真ん中に落ちた。すると、茨も一...ルカの福音書8章①
【[ルカの福音書7:36〜50]さて、あるパリサイ人が一緒に食事をしたいとイエスを招いたので、イエスはそのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。すると見よ。その町に一人の罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油の入った石膏の壺を持って来た。そしてうしろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらイエスの足を涙でぬらし始め、髪の毛でぬぐい、その足に口づけして香油を塗った。イエスを招いたパリサイ人はこれを見て、「この人がもし預言者だったら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っているはずだ。この女は罪深いのだから」と心の中で思っていた。するとイエスは彼に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがあります」と言われた。シモンは、「先生、お話しください」と言った。「ある金...ルカの福音書7章④
[ルカの福音書7:18〜35]さて、ヨハネの弟子たちは、これらのことをすべてヨハネに報告した。すると、ヨハネは弟子たちの中から二人の者を呼んで、こう言づけて、主のもとに送り出した。「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか。」その人たちはみもとに来て言った。「私たちはバプテスマのヨハネから遣わされて、ここに参りました。『おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか』と、ヨハネが申しております。」ちょうどそのころ、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩む多くの人たちを癒やし、また目の見えない多くの人たちを見えるようにしておられた。イエスは彼らにこう答えられた。「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない者...ルカの福音書7章③
【[ルカの福音書7:11〜17]それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちと大勢の群衆も一緒に行った。イエスが町の門に近づかれると、見よ、ある母親の一人息子が、死んで担ぎ出されるところであった。その母親はやもめで、その町の人々が大勢、彼女に付き添っていた。主はその母親を見て深くあわれみ、「泣かなくてもよい」と言われた。そして近寄って棺に触れられると、担いでいた人たちは立ち止まった。イエスは言われた。「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めた。イエスは彼を母親に返された。人々はみな恐れを抱き、「偉大な預言者が私たちのうちに現れた」とか、「神がご自分の民を顧みてくださった」と言って、神をあがめた。イエスについてのこの話は、ユダヤ全土と周辺の地域一帯...ルカの福音書7章②
【[ルカの福音書7:1〜10]イエスは、耳を傾けている人々にこれらのことばをすべて話し終えると、カペナウムに入られた。時に、ある百人隊長に重んじられていた一人のしもべが、病気で死にかけていた。百人隊長はイエスのことを聞き、みもとにユダヤ人の長老たちを送って、自分のしもべを助けに来てくださいとお願いした。イエスのもとに来たその人たちは、熱心にお願いして言った。「この人は、あなたにそうしていただく資格のある人です。私たちの国民を愛し、私たちのために自ら会堂を建ててくれました。」そこで、イエスは彼らと一緒に行かれた。ところが、百人隊長の家からあまり遠くないところまで来たとき、百人隊長は友人たちを使いに出して、イエスにこう伝えた。「主よ、わざわざ、ご足労くださるには及びません。あなた様を、私のような者の家の屋根の...ルカの福音書7章①
【[ルカの福音書6:41〜49]あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分自身の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。あなた自身、自分の目にある梁が見えていないのに、兄弟に対して『兄弟、あなたの目のちりを取り除かせてください』と、どうして言えるのですか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、兄弟の目のちりがはっきり見えるようになって、取り除くことができます。良い木が悪い実を結ぶことはなく、悪い木が良い実を結ぶこともありません。木はそれぞれ、その実によって分かります。茨からいちじくを採ることはなく、野ばらからぶどうを摘むこともありません。良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。人の口は、心に満ちていることを話すからです。なぜあなたがたは、わ...ルカの福音書6章④
【[ルカの福音書6:20〜49]イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話し始められた。「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。今飢えている人たちは幸いです。あなたがたは満ち足りるようになるからです。今泣いている人たちは幸いです。あなたがたは笑うようになるからです。人々があなたがたを憎むとき、人の子のゆえに排除し、ののしり、あなたがたの名を悪しざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。その日には躍り上がって喜びなさい。見なさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。彼らの先祖たちも、預言者たちに同じことをしたのです。しかし、富んでいるあなたがたは哀れです。あなたがたは慰めをすでに受けているからです。今満腹しているあなたがたは哀れです。あなたがたは飢えるようになるからです。今笑...ルカの福音書6章③
【[ルカの福音書6:12〜19]そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。そして、夜が明けると弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をお与えになった。すなわち、ペテロという名を与えられたシモンとその兄弟アンデレ、そしてヤコブ、ヨハネ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、熱心党員と呼ばれていたシモン、ヤコブの子ユダ、イスカリオテのユダで、このユダが裏切る者となった。それからイエスは彼らとともに山を下り、平らなところにお立ちになった。大勢の弟子たちの群れや、ユダヤ全土、エルサレム、ツロやシドンの海岸地方から来た、おびただしい数の人々がそこにいた。彼らはイエスの教えを聞くため、また病気を治してもらうために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人...ルカの福音書6章②
【[ルカの福音書6:1〜11]ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられたときのことである。弟子たちは穂を摘んで、手でもみながら食べていた。すると、パリサイ人のうちの何人かが言った。「なぜあなたがたは、安息日にしてはならないことをするのですか。」イエスは彼らに答えられた。「ダビデと供の者たちが空腹になったとき、ダビデが何をしたか、どのようにして、神の家に入り、祭司以外はだれも食べてはならない臨在のパンを取って食べ、供の者たちにも与えたか、読んだことがないのですか。」そして彼らに言われた。「人の子は安息日の主です。」別の安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに右手の萎えた人がいた。律法学者たちやパリサイ人たちは、イエスが安息日に癒やしを行うかどうか、じっと見つめていた。彼を訴える口実を見つけるため...ルカの福音書6章①
【主よ帰って来て私のたましいを助け出してください。私を救ってください。あなたの恵みのゆえに。死においてはあなたを覚えることはありません。よみにおいてはだれがあなたをほめたたえるでしょう。私は嘆きで疲れ果て夜ごとに涙で寝床を漂わせふしどを大水で押し流します。私の目は苦悶で衰え私のすべての敵のゆえに弱まりました。不法を行う者たちみな私から離れて行け。主が私の泣く声を聞かれたからだ。主は私の切なる願いを聞き主は私の祈りを受け入れられる。私の敵がみな恥を見ひどく恐れおののきますように。彼らが退き恥を見ますように。瞬く間に。】なぜどうしていつまでという問いかけ用語は嘆きの詩篇の特徴です。神に対する問いかけもあれば、自分自身に対する問いかけ、また神の敵に対しての問いかけと様々です。いつまでですかという問いかけから、十...詩篇6篇
【[ルカの福音書5:27〜39]その後、イエスは出て行き、収税所に座っているレビという取税人に目を留められた。そして「わたしについて来なさい」と言われた。するとレビは、すべてを捨てて立ち上がり、イエスに従った。それからレビは、自分の家でイエスのために盛大なもてなしをした。取税人たちやほかの人たちが大勢、ともに食卓に着いていた。すると、パリサイ人たちや彼らのうちの律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって小声で文句を言った。「なぜあなたがたは、取税人たちや罪人たちと一緒に食べたり飲んだりするのですか。」そこでイエスは彼らに答えられた。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」また彼らはイエスに言った。「ヨハネの弟子た...ルカの福音書5章④
【[ルカの福音書5:17〜26]ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人たちと律法の教師たちが、そこに座っていた。彼らはガリラヤとユダヤのすべての村やエルサレムから来ていた。イエスは主の御力によって、病気を治しておられた。すると見よ。男たちが、中風をわずらっている人を床に載せて運んで来た。そして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとした。しかし、大勢の人のために病人を運び込む方法が見つからなかったので、屋上に上って瓦をはがし、そこから彼の寝床を、人々の真ん中、イエスの前につり降ろした。イエスは彼らの信仰を見て、「友よ、あなたの罪は赦された」と言われた。ところが、律法学者たち、パリサイ人たちはあれこれ考え始めた。「神への冒瀆を口にするこの人は、いったい何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪を赦すこと...ルカの福音書5章③
[ルカの福音書5:12〜16]さて、イエスがある町におられたとき、見よ、全身ツァラアトに冒された人がいた。その人はイエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります。」イエスは手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐにツァラアトが消えた。イエスは彼にこう命じられた。「だれにも話してはいけない。ただ行って、自分を祭司に見せなさい。そして、人々への証しのため、モーセが命じたように、あなたのきよめのささげ物をしなさい。」しかし、イエスのうわさはますます広まり、大勢の群衆が話を聞くために、また病気を癒やしてもらうために集まって来た。だが、イエスご自身は寂しいところに退いて祈っておられた。ギリシア語「レプラ」を、口語訳では「らい病」、新改...ルカの福音書5章②
【[ルカの福音書5:1〜11]さて、群衆が神のことばを聞こうとしてイエスに押し迫って来たとき、イエスはゲネサレ湖の岸辺に立って、岸辺に小舟が二艘あるのをご覧になった。漁師たちは舟から降りて網を洗っていた。イエスはそのうちの一つ、シモンの舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして腰を下ろし、舟から群衆を教え始められた。話が終わるとシモンに言われた。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」すると、シモンが答えた。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」そして、そのとおりにすると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになった。そこで別の舟にいた仲間の者たちに、助けに来てくれるよう合図した。彼らがやって来て、魚を二艘の舟...ルカの福音書5章①
【[ルカの福音書4:31〜44]それからイエスは、ガリラヤの町カペナウムに下られた。そして安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに驚いた。そのことばに権威があったからである。そこの会堂に、汚れた悪霊につかれた人がいた。彼は大声で叫んだ。「ああ、ナザレの人イエスよ、私たちと何の関係があるのですか。私たちを滅ぼしに来たのですか。私はあなたがどなたなのか知っています。神の聖者です。」イエスは彼を叱って、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。すると悪霊は、その人を人々の真ん中に投げ倒し、何の害も与えることなくその人から出て行った。人々はみな驚いて、互いに言った。「このことばは何なのだろうか。権威と力をもって命じられると、汚れた霊が出て行くとは。」こうしてイエスのうわさは、周辺の地域のいたるところに広まっ...ルカの福音書4章③
【[ルカの福音書4:14〜30]イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が周辺一帯に広まった。イエスは彼らの会堂で教え、すべての人に称賛された。それからイエスはご自分が育ったナザレに行き、いつもしているとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その巻物を開いて、こう書いてある箇所に目を留められた。「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。」イエスは巻物を巻き、係りの者に渡して座られた。会堂にいた皆の目はイエスに注がれていた。イエスは人々に向かって話し始...ルカの福音書4章②
【[ルカの福音書4:1〜13]さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダンから帰られた。そして御霊によって荒野に導かれ、四十日間、悪魔の試みを受けられた。その間イエスは何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになるように命じなさい。」イエスは悪魔に答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」すると悪魔はイエスを高いところに連れて行き、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せて、こう言った。「このような、国々の権力と栄光をすべてあなたにあげよう。それは私に任されていて、だれでも私が望む人にあげるのだから。だから、もしあなたが私の前にひれ伏すなら、すべてがあなたのものとなる。」イエスは悪魔に答えられた。「『あなたの神である主を礼拝...ルカの福音書4章①
【[ルカの福音書3:23〜38]イエスは、働きを始められたとき、およそ三十歳で、ヨセフの子と考えられていた。ヨセフはエリの子で、さかのぼると、マタテ、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、マタティア、アモス、ナホム、エスリ、ナガイ、マハテ、マタティア、シメイ、ヨセク、ヨダ、ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シェアルティエル、ネリ、メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタテ、レビ、シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エルヤキム、メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、エッサイ、オベデ、ボアズ、サラ、ナフション、アミナダブ、アデミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、ケナン、アルパクシャデ、セム、ノア、レメク、メ...ルカの福音書3章④
【[ルカの福音書3:21,22]さて、民がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマを受けられた。そして祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。すると、天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」】イエスの洗礼の記事はマタイの福音書にも記されていますが、微妙に異なる部分があります。マタイの福音書には無い記述が、ルカの福音書にあるのです。イエスが洗礼を受けられた後に、イエスが「祈っていると」という記述です。天が開けて、神の御霊が鳩のようにイエスの上に下られるのは、マタイもルカも同様ですが、ルカはイエスが祈っているときに天が開かれたことを付け加えているのです。ルカの福音書よりもマタイの福音書の方が先に書かれていますから、ルカが付け加えた...ルカの福音書3章③
聖書箇所は昨日と同じです。バプテスマのヨハネのすばらしさは、厳しいメッセージをして、人々を単に震え上がらせただけではなく、神の救いを見るために、人々を説得して、明確な悔い改めの決意を促すことのできた人だったということです。その証拠に、群衆たちも、取税人も、ローマの兵士たちさえも、「私たちはどうすればよいのでしょう。」と尋ねています。具体的な行動をどう決断してなせばよいのかと尋ねているのです。それに対して、ヨハネはそれぞれに違った方法で答えています。①〔群衆たちに対して〕「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」(3:11)自分中心の生き方を明確な決意をもって改めることを促しています。その後の「そうしなさい」というのは現在時制ですから、「~し続けなさい...ルカの福音書3章②
【[ルカの福音書3:1〜20]皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督であり、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイトラヤとトラコニテ地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。ヨハネはヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。これは、預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。すべての谷は埋められ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい道は平らになる。こうして、すべての者が神の救いを見る。』」ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群...ルカの福音書3章①
【[ルカの福音書2:39,40〜52]両親は、主の律法にしたがってすべてのことを成し遂げたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰って行った。幼子は成長し、知恵に満ちてたくましくなり、神の恵みがその上にあった。さて、イエスの両親は、過越の祭りに毎年エルサレムに行っていた。イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習にしたがって都へ上った。そして祭りの期間を過ごしてから帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかずに、イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを進んだ。後になって親族や知人の中を捜し回ったが、見つからなかったので、イエスを捜しながらエルサレムまで引き返した。そして三日後になって、イエスが宮で教師たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したりしておられる...ルカの福音書2章③
【[ルカの福音書2:21〜35]八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子の名はイエスとつけられた。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。そして、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子をエルサレムに連れて行った。それは、主の律法に「最初に胎を開く男子はみな、主のために聖別された者と呼ばれる」と書いてあるとおり、幼子を主に献げるためであった。また、主の律法に「山鳩一つがい、あるいは家鳩のひな二羽」と言われていることにしたがって、いけにえを献げるためであった。そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた...ルカの福音書2章②
【[ルカの福音書2:1〜20]そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照...ルカの福音書2章①
【[ルカの福音書1:67〜79]さて、父親のザカリヤは聖霊に満たされて預言した。「ほむべきかな、イスラエルの神、主。主はその御民を顧みて、贖いをなし、救いの角を私たちのために、しもべダビデの家に立てられた。古くから、その聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。この救いは、私たちの敵からの、私たちを憎むすべての者の手からの救いである。主は私たちの父祖たちにあわれみを施し、ご自分の聖なる契約を覚えておられた。私たちの父アブラハムに誓われた誓いを。主は私たちを敵の手から救い出し、恐れなく主に仕えるようにしてくださる。私たちのすべての日々において、主の御前で、敬虔に、正しく。幼子よ、あなたこそいと高き方の預言者と呼ばれる。主の御前を先立って行き、その道を備え、罪の赦しによる救いについて、神の民に、知識を与え...ルカの福音書1章⑤
【[ルカの福音書1:39〜56]それから、マリアは立って、山地にあるユダの町に急いで行った。そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。そして大声で叫んだ。「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう。あなたのあいさつの声が私の耳に入った、ちょうどそのとき、私の胎内で子どもが喜んで躍りました。主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」マリアは言った。「私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。この卑しいはしために目を留めてくださったからです。ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私...ルカの福音書1章④
【[ルカの福音書1:24〜38]しばらくして、妻エリサベツは身ごもった。そして、「主は今このようにして私に目を留め、人々の間から私の恥を取り除いてくださいました」と言い、五か月の間、安静にしていた。[前節と合節]さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。見なさい。あなたは身ごもって、男の子...ルカの福音書1章③
【[ルカの福音書1:5〜23]ユダヤの王ヘロデの時代に、アビヤの組の者でザカリヤという名の祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。二人とも神の前に正しい人で、主のすべての命令と掟を落度なく行っていた。しかし、彼らには子がいなかった。エリサベツが不妊だったからである。また、二人ともすでに年をとっていた。さてザカリヤは、自分の組が当番で、神の前で祭司の務めをしていたとき、祭司職の慣習によってくじを引いたところ、主の神殿に入って香をたくことになった。彼が香をたく間、外では大勢の民がみな祈っていた。すると、主の使いが彼に現れて、香の祭壇の右に立った。これを見たザカリヤは取り乱し、恐怖に襲われた。御使いは彼に言った。「恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。あなたの...ルカの福音書②
【[ルカの福音書1:1,2,3,4]私たちの間で成し遂げられた事柄については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人たちが私たちに伝えたとおりのことを、多くの人がまとめて書き上げようとすでに試みています。[前節と合節]私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、尊敬するテオフィロ様、あなたのために、順序立てて書いて差し上げるのがよいと思います。それによって、すでにお受けになった教えが確かであることを、あなたによく分かっていただきたいと思います。】「テオピロ」という名前は、神を表わす「セオス」と友を表わす「フィロス」を合わせた名前で、「神の友」、「神に愛された者」、あるいは「神を愛する者」という意味です。彼はローマの高官(執政官)であり、ルカと親しい関係にあった人物です。「すでに教えを受け...ルカの福音書①
【[創世記3:24]こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。】23節では、「神である主」は「人をエデンの園から追い出した」とありました。24節の「23節の「追い出す」と「追放した」は同じ意味を持っていますが、語彙が異なります。「追い出した」は「シャーラハ」の強意形で、「追放した」は「ガーラシュ」の強意形です。前者は「遣わす」という意味で、神のミッション(派遣・使命)としての意味合いを含んでいますが、後者はある所から文字通りに「追放する」という意味です。「ガーラシュ」の例として(すべて強意形のピエル態)、分かりやすいのが次の箇所です。【[創世記4章14節]あなたが、今日、私を大地の面から追い出されたので、私はあなたの御顔を避けて隠れ、...創世記3章(16)
【[創世記3:23]神である主は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。】神である【主】が人をエデンの園から追い出したその意図は何だったのでしょうか。また、人がエデンの園を追い出された後も、自分がそこから取られた「土を耕すため」とは何故でしょうか。そして、そもそもエデンの園とはどういう世界だったのかを考えたいと思います。「追い出した」と訳されたヘブル語は「シャーラハ」です。この動詞は22節の「人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう」の「手を伸ばして」と同じヘブル語です。しかし23節では、主語は人ではなく、「神である主」が「人をエデンの園から追い出し」で使われています。この動詞は「送り出す」「遣わす」という使命を果たすために使...創世記3章(15)
【[創世記3:22]神である主はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」】多くの聖書は、「人はわれわれのうちのひとりのように」の「われわれのうち」「ミンメヌー」をあたかも「神」を意味するものとして訳しています。けれども、「ミンメヌー」を「善悪の知識の木」として解釈し、また、「ひとりのように」の「ケアハッド」を「~とひとつのように」と解釈するとすると、次のように訳すことが可能となります。神である【主】はこう言われた。「見よ。人が善悪を知ることにおいて、それ(善悪の知識の木)とひとつのようになった。」ここで神か強調されていることは、「人が善悪を知ることにおいて、それ(善悪の...創世記3章(14)
【[創世記3:21]神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。】目が開かれたとき、人が最初に芽生えたのは恥しいと思う心でした。彼らは自分たちの裸を覆うために「いちじくの葉」をつづり合わせて、自分たちの腰の覆いを作り、自らの罪や罪悪感を覆いました。人は自分の罪を覆うため、あらゆる努力をするでしょう、けれども、それは一時的に役立つかのように見える「いちじくの葉」のようなものです。なぜなら、いちじくの葉は夕方には枯れてしまい、役立たなくなってしまうからです。また、アダムの犯した罪によって地は呪われてしまい、刑罰的意味を持つ「いばらとあざみ」が多く生えるようになりました。アダムがいちじくの葉をつづり合わせて作った手製の衣に代えて、神はアダムとエバのために「皮の衣」を作り、着せてください...創世記3章(13)
【[創世記3:20]人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母だからであった。】20節では妻の名前が「エバ」に改名されています。妻を「エバ」と呼んだのは、神ではなく人です。聖書で改名されるのは、その存在が新たな霊的な意味を持ったことを意味します。人によって「妻」が「エバ」になったということの中に、どのような新しい霊的な意味があるのでしょうか。「エバ」と訳される名前は、ヘブル語では「ハッバー」です。その名前は、3章20節と4章1節の二箇所のみで使われています。「ハッバー」は、「いのちを与えるもの」という意味です。20節の後半には、それが「生きるものすべての母」「すべての生ける者の母」と定義づけされています。この「すべての生ける者」とは全被造物という意味ではなく、「神によって贖われたすべての神の民...創世記3章(12)
【[ルカの福音書13:22,23,24,25,26,27,28,29,30]イエスは町や村を通りながら教え、エルサレムへの旅を続けておられた。すると、ある人が言った。「主よ、救われる人は少ないのですか。」イエスは人々に言われた。「狭い門から入るように努めなさい。あなたがたに言いますが、多くの人が、入ろうとしても入れなくなるからです。家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってから、あなたがたが外に立って戸をたたき始め、『ご主人様、開けてください』と言っても、主人は、『おまえたちがどこの者か、私は知らない』と答えるでしょう。すると、あなたがたはこう言い始めるでしょう。『私たちは、あなたの面前で食べたり飲んだりいたしました。また、あなたは私たちの大通りでお教えくださいました。』しかし、主人はあなたがたに言います...狭い門
【[創世記3:19]あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」】「汗」と訳された「ゼーアー」は、旧約聖書では、この箇所のみに使われています。新約の「汗」(ヒドロース)は、イエス様がはゲッセマネにおいて「苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた」(ルカ22:44)という箇所一箇所にのみ出てきます。いずれも、糧を得る(原文=パンを食べる)ために、すなわち、神のみこころを行うために味わわなければならない苦しみ(労苦)の「汗」です。ゲッセマネにおけるイェシュアの祈りは、神のみこころを成し遂げる汗となりました。その汗は血のしずくのように地に落ちたとあります。その後のイェシュアは敢然と十字架の死...創世記3章(11)
[創世記3:17,18]また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。創世記3章16節の女に対して語られた「産みの苦しみ」と、17~19節の人に対して語られた「糧を得るための苦しみ」は、それらが罪のもたらした結果であり、罰なのだという解釈がなされることが多いですね。しかし、ここでは、その解釈は取りません。前回、16節の女の産みの苦しみは、「神の民イスラエルが残りの者を産むことにおける終末的な苦しみ」という意味なのだと説明しました。同じように、17~19節の人も生物学的な男という意味ではなく、男と...創世記3章⑩
【[創世記3:16]女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」】14~15節は蛇に対する神の「呪いと福音」が語られ、16節は女に対して、17~19節は人に対する神の計画が語られています。今日は16節を見ていきます。これは女に対して神が語られた言葉です。その内容は二つです。一つは「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む」ということ、もう一つは「あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる」ということです。このことばはのろいのことばではなく、福音なのです。どういうことでしょうか。文脈を流れを考えて、神が蛇と女と人にそれぞれ個別に語られたのではなく、ある関...創世記3章⑨
【[創世記3:15]わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」】14節は蛇に対する神ののろいの宣言でした。それは罪を犯した人間に対する神の恵みの消極面と言えますが、15節はその恵みの積極面が語られています。「敵意をわたしは置く」とあり、次にその「敵意」が「おまえと女の間に」、そして「おまえの子孫と女の子孫の間に」置かれると書かれています。「おまえ」とは、直接的には「蛇」ですが、真の意味はその蛇の背後にいる「サタン」です。また「女」は、直接的には「人の妻」ですが、「女の子孫」の「子孫」(単数)は集合名詞として「神の民イスラエル」(教会)を指すこともあれば、「メシア」とも解釈されます(創世記22:17参照)。「蛇の子孫」と「女の子孫」...創世記3章⑧
【[創世記3:14]神である主は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。】「呪われる」とは、救い難い修復不可能な事態を招いたことを意味します。神が「蛇」(ナーハーシュ)に対して「おまえはこのようなことをした」と言っています。神は女に対しては「なんということをしたのか」と問うていますが、蛇に対して「なぜ、おまえはこんなことをしたのか」と問うていません。神は蛇に対して「おまえは、このようなことをしたので」と一方的に断定してのろっています。蛇が「このようなことをした」ことに対して、「おまえは~の中で最ものろわれる」ものとなったことが宣言されます。神が「のろう」とは、神のさばきを表わすことばであ...創世記3章⑦
【[創世記3:13]神である主は女に言われた。「あなたは何ということをしたのか。」女は言った。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」】神である主が女に「あなたは何ということをしたのか」という問い掛けに対して、女は「蛇が私を惑わしたのです」と答えています。女は確かに蛇に惑わされたことを告白したのです。これは蛇に責任転嫁していると受け取るよりも、自分が蛇に惑わされた(だまされた、欺かれた)と認めていることが大切です。蛇は「巨大な竜、悪魔、サタン、古い蛇」(黙12:9)とも呼ばれ、キリストが再臨されるまで、教会もイスラエルも含めて、全世界を惑わす存在です。「蛇が私を惑わした(だました)」にある「惑わす」というヘブル語は「ナーシャー」です。「蛇が私を惑わしたのです」という場合はヒフィル(使役)態で「だ...創世記3章⑥
[創世記3:11,12]主は言われた。「あなたが裸であることを、だれがあなたに告げたのか。あなたは、食べてはならない、とわたしが命じた木から食べたのか。」人は言った。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」神の問い掛けの第一は、「あなたはどこにいるのか」でした。それは単に場所を尋ねているのではなく、より深い意味で「あなたがいるべきところはどこか」を考えさせ、思い起こすことを願ってのことでした。11節の第二の問い掛けはどういう意味でしょうか。原文直訳するとこうです。「だれがあなたに告げたのか。あなたが裸であることを。」と。この問いも実に不思議な問いです。実は、これはきわめて預言的な問いかけなのです。「あなたはなぜ裸であることを知ったのか」...創世記3章⑤
[創世記3:4,5,6,7,8,9,10]すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。8節は、蛇の言うことをことを聞いて罪を犯した人...創世記3章④
【[創世記3:2,3]女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」】2~3節は蛇に対して女が語った箇所です。妻は直接神の言葉を聞いたわけではなく、夫から伝え聞いただけでした。そうであったとしても、神の言葉を聞くということは人間にとって大変重要なことですが、彼女が「私たち」として語ったその内容は、夫アダムが聞いていた内容とは異なっています。創世紀2:16、17で、神がアダムに語られたことばの情報は以下の通りです。①あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。②しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。③その木から食べるとき、...創世記3章③
【[創世記3:1]さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」】なぜ、蛇は夫のアダムではなく、女に語りかけたのでしょうか。ここに蛇の賢さ(狡猾さ、したたかさ)があります。使徒パウロが言っているように、女には「弱さ」があります。その「弱さ」とは、女は男から造られたという権威における弱さです。男はかしらであり、女はそのかしらに従順であるように造られているのです。パウロは夫婦の一体の奥義が「キリストと教会」の関係にあるとしています。この「女」はキリストに対する教会という立場ですから、「私たち自身」なのです。というのは、この「女」は、神と人との関係では「人」の立場、夫婦の関係では「妻」の立場、親子...創世記3章②
[創世記3:1]さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」蛇はサタンの化身(受肉した姿)です。サタンは人の魂の中に入ってコントロールすることができます。サタンは神に敵対し、その性質は鶴賢く、狡猾で、悪知恵が働く存在です。イエス様が宣教の働きをしていた頃、イエス様は祭司長や民の長老たち、またぱりさい派、律法学者たちのことを、「蛇」「まむしの子孫」と呼んでいました。彼らは、善悪の知識の木である「罪と死の律法(トーラー)を教えていました。彼らはサタンによって魂を完全に操られていました。また、イエス様はサタンのことを「偽り物」「偽りの父」と呼んでいます。またサタンは人に対する妬みによって天から落...創世記3章①
【[創世記2:25]そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。】この節は、3章7節とのつながりがあります。3章7節では、アダムと妻は自分たちが裸であることを知って、イチジクの葉を綴り合わせて腰の覆いを作りました。自分たちのために腰の覆いを作ったのは、その時になって、自分たちが裸であることを恥ずかしいと思ったからです。恥ずかしいとは、私たちが使うような「恥辱心」ことではありません。恥ずかしいと訳された「ボーシュ」は、水源が漏れる状態を表すこ言葉で、神とのいのちの関わりを喪失した無力状態を表します。神に造られた2人は裸でしたが、それは決して無力な状態ではなく、すべてにおいて充足された豊かな存在でした。本来、彼らの使命は、神にある充足されたいのちを保つことでした。罪を犯すまでの裸...創世記2章(20)
【[創世記2:24]それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。】「結ばれる」と訳された「ダーヴァク」(דָּבַק)には、色々な意味があります。〔1〕結びつく、縁を結ぶ〔2〕すがる堅くすがる〔3〕まといつく〔4〕くっつく、くっついて離れない〔5〕心が惹かれる〔6〕そばにいる、そばから離れない〔7〕へばりつく、打ち伏す〔8〕追いつく、追い迫る、追跡する、押し迫る〔9〕(罪がへばりついて、その結果)、罪を犯し続ける〔10〕堅く守るこれでわかるように、「ダーヴァク」(דָּבַק)には、神と人、および人と人のかかわりがきわめて親密であることをうかがわせる動詞なのです。「一体となる」この箇所を、パウロは奥義だと述べています。【新改訳2017】エペソ人への手紙5章30~32節30私たち...創世記2章(19)
【[創世記2:23]人は言った。「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」】この聖書箇所には、人に「ふさわしい助け手」が与えられた喜びが表されています。「結婚の賛歌」とも呼ばれています。夫婦は生涯を共にする関係です。それで、夫婦は親子・兄弟以上に、「骨からの骨」「肉からの肉」なのです。この関係を、聖書は「イーシュ」(אִישׁ)と「イッシャー」(אִשָּׁה)で表しています。「イーシュ」(אִישׁ)と「イッシャー」(אִשָּׁה)の関係は奥義です。男はヘブル語で「イーシュ」(אִישׁ)。む女はヘブル語で「イッシャー」(אִשָּׁה)です。男と⼥を表わすヘブル語の中で、相⼿にあって⾃分にはない⽂字といえば、⼥の場合は「ヨッド」(י)で、男の場...創世記2章(18)
【[創世記2:22]神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。】「一人の女」の「女」には、「教会」の二つの面、「キリストのからだ」と「キリストの花嫁」」が予表されています。神である【主】が「人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ」ました。女はアダムのからだであり、それは「キリストのからだ」を予表しています。また、その彼女を神はアダムのところに「連れて来た」のです。ここには、女はアダムの花嫁となることが表されています。そして、それは「キリストの花嫁」を予表しています。教会がなぜ「キリストのからだ」であり、「キリストの花嫁」と表現されるのは、創世記2章22節にある神の行為と深く関係しています。アダムから出てきたものだけが彼のからだとなり、聖霊によってアダム(最後のア...創世記2章(17)
【[創世記2:22]神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。】19節でも、「人のところに連れて来られた。」と記されています。19節では「あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥」が連れてこられたのですが、ここで連れてこられたのは「女」です。「あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥」の場合は、人と同じ「土」から「形造られ」ましたが、「女」の場合は人から取った「あばら骨」(肋骨)を用いて「造り上げた」のです。「造る」は、ヘブル語では「バーナー」で、ここが初出箇所です。創世記2章7節では、神である主が土の塵で人を「形造り」(ヤーツァル)、神は「陶器師」にたとえられました。けれど、ここでは、神である主がアダムから取り出されたあばら骨から女を「造り上げ」、神は「建築家」にたとえられます。聖...創世記2章(16)
【[創世記2:21]神である主は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。】「深い眠り」と訳されたへブル語は「タルデーマー」です。創世記2章21節では、アダムを深い眠りに陥らせて、その間に神が不思議なみわざをなさるという意味で使われています。かけがえのない助け手である女を造るときに眠りを与えて御わざをなさいました。神が人の上に「深い眠り」を下されたのは、人の意識が完全に消滅している間に、神のみこころがなされていることを示しています。そのようにして、人は「ふさわしい助け手」と出会いました。「深い眠り」とはいわば仮死状態であり、いわば象徴的な「死」をも意味します。「あばら骨」と訳された「ツェーラー」は、他に「側、板、とびら、脇間、梁」とも訳されます...創世記2章(15)
[創世記2:19]神である主は、その土地の土で、あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥を形造って、人のところに連れて来られた。人がそれを何と呼ぶかをご覧になるためであった。人がそれを呼ぶと、何であれ、それがその生き物の名となった。「名をつける」(カーラー)はある存在を固有名詞で呼ぶことです。それは他の存在と区別することを意味します。人が生き物を観察し、その本質、特性、性質、役割などを見定めて、定義つけたのです。名つける行為には「支配する」という意味合いもあります。けれども、ここでは自分と向き合う存在に「出会わせる」というー目的で、神は人のところに生き物を連れてきたのです。「見つける」(マーツアー)という言葉も、ふさわしい助け手にー「出会わせる」と訳することができます。「名つける」(カーラー)も「見つける」(マーツ...創世記2章(14)
【[創世記2:18]また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」】「ひとり」は、ヘブル語で「バド」で、「棒、枝、肢体」を意味します。それらは単独で存在するものではなく、関わりを必要とする存在であることがわかります。それで「ひとりでいるのは良くない」のです。特に「棒」は契約の箱などを担ぐためのもので、「その棒は箱の周りに差し込んだままにする。外してはならない。」(出エジプト25:15)とあります。ちなみにこの契約の箱と棒をつなぐ「環」は「指輪」のことです。なぜ神である主が人に「ひとりでいるのは良くない」と言われたのでしょうか。それは神である主が「関わりの神」(交わりの神、相互内在の神)であるからです。地は天の写し、つまりエデンの園にあるものの写...創世記2章(13)
【[創世記2:16,17]神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」】「あなたは思いのまま食べて良い。」と訳されていますが、「アーホール・トーヘール」というヘブライ語は、「あなたは必ず食べなさい」と訳す方が妥当です。それは17節にある「あなたは必ず死ぬ」と訳された「モート・タームート」と同様、同じ子音が重ねられているヘブル的強調法からです。16節は「あなたは園のすべての木から必ず食べなさい」という強い命令の言葉なのです。17節には「それから」を意味する「ミンメヌー」がありますが、訳されていません。「ミンメヌー」という言葉が入ることによって、善悪の知識の木に限定されて、そこに焦点が当...創世記2章(12)
「耕し」「守る」の奥義エデンの園では、人は神の言葉である「いのちの木」を食べ、神の精霊である「いのちの水の川」を飲むことで、「耕し」「守る」という務めを果していました。時は変わって、イエス様が死んでよみがえられた後、上からの聖霊の注ぎを受けたことによって、内からと外からの聖霊に満たされるということが実現しました。所謂、「聖霊のバプテスマ」を受けたわけですね。イエス様の弟子たちは、内と外から聖霊に満たされることによって初めて「王なる祭司」の回復がなされました。イエス様は「いと高きところから力を着せられるまでは都にとどまっていなさい。」また、「聖霊があなたがたの上に望む時、あなたがたは力を受けます。そして、、、、私の証人となります。」と言われました。(ルカ24:46〜49)。このように上からの力を受けることで...創世記2章(11)
【[創世記2:15]神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。】エデンの園が設けられたのはそこに人を置くためでした。(2:8)。ところが既にそこにはケルヴがいたのです。【[エゼキエル書28:12,13,14,15]「人の子よ。ツロの王について哀歌を唱えて、彼に言え。神である主はこう言われる。あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。あなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石に取り囲まれていた。赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、縞めのう、碧玉、サファイア、トルコ石、エメラルド。あなたのタンバリンと笛は金で作られ、これらはあなたが創造された日に整えられた。わたしは、油注がれた守護者ケルビムとしてあなたを任命した。あなたは神の聖なる山にいて、火の石の間...創世記2章(10)
【[創世記2:11,12,13,14]第一のものの名はピション。それはハビラの全土を巡って流れていた。そこには金があった。その地の金は良質で、そこにはベドラハとショハム石もあった。第二の川の名はギホン。それはクシュの全土を巡って流れていた。第三の川の名はティグリス。それはアッシュルの東を流れていた。第四の川、それはユーフラテスである。】第一は序数ではなく、技数の「ハード」に冠詞がついて、「ハーエハード」となって、「その一つの川」を意味しています。「その一つ」とは、グループの中でも特に際立たせるときに使われます。「全土を巡って流れていた」と「〜を流れていた」という表現では、似ているようですが、使われている語彙が違います。「全土を巡って流れていた」に使われている「サーヴァヴ」は、イエス様がガリラヤの全域を「巡...創世記2章⑨
【[創世記2:9、10]神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。一つの川がエデンから湧き出て、園を潤していた。それは園から分かれて、四つの源流となっていた。】エデンの園に「見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた」ことに加えて、「一つの川が湧き出て園を潤して」いました。「木」も「川」も、いずれも人が食べ、飲むためのものです。人に飲ませるためのいのちの流れが「川」となって湧き出し、その全体を潤していたのです。「いのちの木」と「いのちの川の水」は神の言葉と聖霊を意味します。それらがエデンの園において混ざり合っているのです。エデンの園において、人は「いのちの木」に象徴される神の御言葉を食べると同時に、...創世記2章⑧
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