これまでブログで書こうかどうしようか迷っていたのですが、現代の日本の仏教界が抱える問題点にもつながる話なので、思い切ってご紹介します。 曹洞宗の僧侶である私の実家の菩提寺が、実は別の宗派であると言うと以外に思われるかも知れません。 正確に言うと、お墓のあるお寺は曹洞宗なのですが、菩提寺は実家から車で30分程離れた別の宗派の寺院で、葬儀や法要はそのお寺と下寺の住職の2人にいつもお願いしていました。 現在は菩提寺と絶縁しているのですが、それは私が曹洞宗の僧侶になったからではなく、10年ほど前、私が仏教に関心を持つ以前に起きたある事件がきっかけです。 当時50代の下寺の住職が、兼務する仕事の職場で破…
私が仏教の道に進んだのは、中村元氏(1912~1999年)が原始仏教について記した本を読んだことがきっかけだったというのは、これまで何度も記したとおりですが、今回は遅ればせながら、同氏にまつわる話をご紹介したいと思います。 中村氏は島根県松江市の出身で、東京帝国文学部印度哲学梵(ぼん)文学科、同大学院卒業。 30歳という異例の若さで同大文学部助教授、文学博士となり、同大教授、文学部長を歴任。 定年退官と同時に東方学院を開き、同院長に就任しました。 インド哲学や仏教学、比較思想学の研究における多大な功績により、1977年に文化勲章、84年に勲一等瑞宝章を受章しています。 中村氏の人柄を語るエピソ…
前回のブログでブータンのことを取り上げたついでといっては何ですが、チベット学者の今枝由郎氏(1947年~)の著書「ブータン仏教から見た日本仏教」( NHKブックス)をご紹介したいと思います(現在は絶版となっています)。 ブータン仏教から見た日本仏教 NHKブックス 作者:今枝 由郎 NHK出版 Amazon 実は、日本の仏教に対し、これほど辛辣な批判を繰り広げている(かつ正鵠を射ていると思われる)書物を、私はほかに知りません。 今枝氏は大谷大学を卒業後、チベット仏教の研究のためにパリ第七大学に留学し、フランス国立科学研究センターに勤務した後、ブータン国立図書館顧問として10年間にわたってブータ…
中国とインドに挟まれたヒマラヤの小国で、国民の大多数が仏教徒というブータンが「世界一幸せな国」として日本でも話題になったことがありました。 国民一人当たりのあたりの国内総生産(GDP)は日本の約10分の1という発展途上国ですが、ワンチュク国王が1972年、国民総幸福量(GNH)という独自の指標を提唱して政策目標に掲げ、国連が2013年に発表した世界幸福度ランキングで第8位に入ったことから、一躍注目を集めました。 ただし、2019年のランキングでは156カ国中95位に転落し、かつての幸福大国はいまや見る影もないというのが実情です。 これは、先進国などからハイテク製品やさまざまな情報が流入し、国民…
国民の96%が仏教徒という世界一の仏教国、タイを訪問しましたので、番外編としてお伝えします。 4泊5日のツアーで、少ない日数ながらもいろいろな観光地を巡ったのですが、特別に印象に残った2カ所をご紹介します(若者に人気のパワースポットというピンクガネーシャも訪ねましたが、ここは私には時間の無駄でした)。 1カ所目は、バンコクで最も有名な観光スポットでもあるワット・プラケオです。 王宮エリアの一角にあるワット・プラケオは、現チャクリー王朝を興したラーマ1世によって1782年に築かれた王室の守護寺院です。 プラケオというのは、本尊として祀られている翡翠製のエメラルド仏の俗称だそうです。 本堂内は残念…
無我の話を続けます。 「正法眼蔵」の「現生公案(げんじょうこうあん)」の巻には有名な一節があります。 「仏道をならふというは自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の心身、他己の心身をして脱落せしむるなり。」 この短い一節の解釈も仏教学者によってさまざまなのですが、私はやはり道元が無我の重要性を指摘したものだと考えます。 最初の一文は、道元が著書で繰り返し語っているように「仏道の修行に際しては、経典や語録などは読まなくてよいから、ひたすら座禅に打ち込め」という意味でしょう。 次の文の「自己をわするる…
「我慢」という言葉が仏教用語であることをつい最近知りました。 岩波仏教辞典にはちゃんと「我慢」という見出しがあり、「煩悩の一つで、強い自我意識から起こる慢心のこと。仏教では自己を固定的実態と見てそれに執着すること〈我執〉から起こる、自分を高く見て他を軽視する思い上がりの心を〈慢〉と呼ぶ」と記されています。 われわれが一般に理解している「耐え忍ぶこと、辛抱すること」とは正反対の意味になりますが、昔の人たちは辛いと感じたときに「我慢だ(これは自我意識から起こる慢心だ)」と口に出すことで、じっと耐え忍んだのかもしれません。 ところで、僧侶になる前の自分と今の自分とを比べると、やはり我慢強くなったと思…
お薦めの仏教書の紹介は前回までで打ち止めにするつもりでしたが、もう10冊だけ箇条書きでご紹介させてください。 ただ、私個人の好みが多分に加味されていますので、一部は書店や図書館などで内容を確認された上でご購入することをお勧めします。 「ブッダのことば-スッタニパータ」(中村元訳、岩波文庫) 「ダンマパダ」の次は当然、この本に手を伸ばすことになると思われます。一般に「ダンマパダ」は在家修行者向け、「スッタニパーた」は出家修行者向けといわれます。 「道元「宝慶記」全訳注」(大谷哲夫訳、講談社文庫) 「正法眼蔵随聞記」を読んだ後、さらに道元の言行に触れたいという人にこちらをお薦めします。道元と如浄の…
前回は初期仏教の本を取り上げましたので、今回は道元と曹洞宗の教えに関する本をご紹介します。 初期仏教の際と同様、経典と入門書・概説書を一冊ずつ選んでみました。 道元の主著といえば、仏道のあり方について生涯をかけて執筆した「正法眼蔵」に尽きますが、とにもかくにも難解で、一般向けとはいえませんし、95巻(あるいは87巻)すべてを揃えるのも大変です。 「正法眼蔵」の解説書も数多く出版されていますが、それも負けず劣らず難解であり、倫理学者の頼住光子氏が「道元の文章は多様な読みを許容する、それどころか多様な読みを触発することを目指して書かれたのかもしれない」と指摘するように、著者によってその解釈も千差万…
仏教を学びたいという人たちのために、私が自信を持ってお薦めする本を2回に分けてご紹介したいと思います。 もともと読書が好きで、というより活字中毒に近いタイプで、仏教に関心を持ってからは手当たり次第に関連書を読み漁っています。 その中には、まさに刮目に値する素晴らしい本もあれば、残念ながら期待外れの本もあります。 他人に本を薦めるのは、まかり間違えば、その人の貴重な時間を奪うことになり、安易にすべきではないというのが持論ですが、今回取り上げる本はいずれも定評があり、容赦してもらえると思われます。 むしろ、ご紹介する本をまず手にすることで、仏教学習の近道をたどることができると信じています。 まずは…
昨年末から自宅近くの曹洞宗の寺院で堂守のアルバイトをしています。 堂守というのはその名の通り、堂を守る人、お寺の番人という意味で、参拝客へのお札やお守りなどの授与、御朱印書き、境内と本堂の清掃などを行います。 その日の仕事の最後には、賽銭箱のカギを開けて、中に入っているお賽銭を回収します。 以前は時々1万円札が入っていたそうですが、現在はたまに千円札見かける程度で、百円玉と十円が主です。 今回はこのお賽銭について考えてみたいと思います。 神社やお寺を参拝する際にお賽銭をあげるのはなぜでしょうか。 岩波仏教辞典で「賽銭」を引くと「神仏の服を受けて祈願を成就できたお礼のしるしに神仏に奉る金銭の意。…
なぜ僧侶は葬儀や法要、毎日の仏前のお勤めなどでお経を唱えるのか。 僧侶にとっては当たり前の話ですが、知らない方も多いのではないでしょうか。 私も僧侶になる前は、単なる決まり事なんだろうぐらいにしか考えていませんでした。 曹洞宗でよく読まれる「摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)」や「妙法蓮華経如来寿量品偈(自我偈)」などは、漢文を読めばおぼろげに意味がわかりますが、「大悲心陀羅尼」や「消災妙吉祥陀羅尼」などは、サンスクリット語の音を漢字に置き換えたものなので、まったく意味不明です。 僧侶自身も内容を理解していないお経を読むことに、いったいどんな意味があるのかと疑問に思うのは当然でしょう。 答は意外…
19世紀末に英国の行政官ウィリアム・ピッピがインド北部で釈尊の骨を発見し、その一部がタイから日本に贈られて、日泰寺の創建につながったという話を以前にしました。 この骨の真偽を探るナショナルグラフィックのドキュメンタリー番組を観たのですが、そこにシャカ族の子孫であるという僧侶が登場し、驚きました(タイトルは「Bones Of The Buddha」で、ユーチューブで観ることができます。僧侶が登場するのは番組開始から約30分後です)。 というのは、シャカ族は滅亡したものと思っていたからです。 釈尊ことゴータマ・シッダッタがシャカ族の王子だったことは有名ですが、釈尊の出家後、シャカ族が隣の大国コーサ…
ここ数日、「葬式仏教」に関する本を多読したので、頭の整理をかねてまとめてみたいと思います(ところどころ私見も交えています)。 日本では中世まで、庶民が亡くなっても葬儀は行わず、遺体は河原や道路わきなどに捨てられていました。 当時の僧侶は官僧で、国家の安定を祈禱するのが第一の仕事であり、死は穢(けが)れとして忌み嫌われていました。 ところが、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮ら遁世(とんせい)僧を祖師とする鎌倉新仏教が登場すると、状況は一変します。 死者を極楽浄土に導く儀式としての葬儀が一気に広まり、僧侶が埋葬に積極的に携わるようになったのです。 日本のお寺の9割近くが、室町時代の後期から江戸時代の初…
釈尊の入滅を喜んだ弟子がいたのをご存知でしょうか。 パーリ仏典の長部経典の「大パリニッバーナ経」には次のような件(くだり)があります。 (釈尊の入滅後)年老いて出家したスバッダはそれらの修行僧にこのように言った。「やめなさい、友よ。悲しむな。嘆くな。われらはかの偉大な修行者からうまく解放された。(このことはしてもよい。このことはしてはならない)といって、われわれは悩まされていたが、今これからは、われわれは何でもやりたいことをしよう。やりたくないことをしないようにしよう」と。 サラリーマンの立場なら、「口うるさい上司が転勤でいなくなってせいせいした」といったところでしょう。 大パリニッバーナ経に…
「平成仏教ブーム」という言葉がありました。 そうしたブームが本当に存在したのか、仏教関連書を売るために出版社が作ったキャッチフレーズなのかどうか、私にはわかりません。 ただ、ブームがあったとすれば、その中心にいたのは間違いなく、スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老のアルボムッレ・スマナサーラ氏(79)でしょう。 そして同氏の人気は今も間違いなく続いています。 スマナサーラ氏は13歳で出家し、ヴィダヤランカラ大(現ケラニヤ大)で学び、教鞭を取った後、35歳のときに国費留学生として来日。 駒澤大学博士課程で道元の思想を研究し、46歳で再来日すると、1994年、49歳のときに日本人信徒らととも…
「人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を切り割くのである」 これは「スッタニパータ」の「コーカーリヤ」の章に出てくる釈尊の言葉です。 修行僧のコーカーリヤは、サーリプッタとモッガラーナ(釈尊の十大弟子で、それぞれ「智慧第一」「神通第一」といわれた)に敵意を抱き、釈尊が何度諭しても悪口を繰り返したことから、やがて全身に腫物ができて死に至ります。 そして紅蓮地獄に生まれ変わり、鉄の串に突き刺され、銅製の窯で煮られるなどの苦しみを、「荷車に積んだ胡麻の数ほど」の長い年月、味わうことになります。 聖者の悪口を言っただけで、どうしてここまで悲惨な目に遭…
現代の日本の仏教界を揶揄する「葬式仏教」という言葉をご存じでしょうか。 この言葉には、僧侶は葬儀や法要を形式的に執り行うだけで、人々の救済や人生の指針の提供など、宗教本来の役目を果たさないという批判が込められています。 もともと原始仏教では、葬儀を執り行うことは出家者の役目ではありませんでした。 パーリ仏典の「大パリニッバーナ経」によると、死が間近に迫る中、弟子のアーナンダから葬儀のやり方を尋ねられた釈尊は「お前たちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ」と述べ、在家の信者たちに任せるよう命じています。 インドで仏教が滅びたのに対し、日本…
曹洞宗宗門庁運営企画室が昨年11月に公表した「曹洞宗 2045年 予測」がかなり衝撃的な内容であるとお伝えしましたが、これを踏まえた同室による「宗務ビジョンの提案」の一部が先月発表されましたのでご紹介します。 ここで「曹洞宗 2045年 予測」のポイント振り返ります。 1.曹洞宗の僧侶の数は加速度的に減少し、教師資格を持つ僧侶は3分の1減の約10,500人となり、寺院数の約14,400カ寺を大きく下回る。 2.30歳以上の若手教師は現在の約2,000人から約500人に激減、教師の3人に2人が60代以上という超高齢化が進む。 3.永平寺、總持寺の両大本山への新到掛塔僧(新しく入山する修行僧)は合…
サラリーマン人生を送ってきた私が僧侶になったのは、仏教を学ぶうちに、釈尊のように悟りを得たいという「菩提心」が抑え切れなくなったからだ、と以前に記しました。 現在は、悟らなくてもいい、悟りの3歩手前ぐらいがちょうどよい、という考えに変わっています。 そう考えるようになった理由の一つは、悟りを開くこと、解脱することが、現実にはかなり困難な作業であることが分かったからです。 原始仏典では、釈尊の弟子たちが次々と阿羅漢となりますが、私はこれまで、悟りを得たと話す僧侶に1人も会ったことがありません(もっとも、悟りを得た人間は自分から口にすることはないそうですが)。 ダライ・ラマ14世がインタビュー記事…
「すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること」 短い言葉ですが、これが仏教徒としての私のモットーであり、これを実践すれば誰もが幸せになれる(はずである)と以前に記しました。 そして会社を定年退職して社会との接触が減ると、なかなか善いことを行う機会に恵まれないとも書きました。 そこで、善行の機会をじっと待つのではなく、自ら進んで機会を掴むことを提唱したいと思います。 ずばり、「一日一善運動」の復活です。 正確には「一日ゼロ悪一善以上運動」で、悪いことを一つでもしたら全く意味がありませんし、善行は一日に何度しても構いません。 それでは、具体的に何をしたらよいでしょうか。 「正法…
以前に「仏教は宗教ではない」という話を書きましたが、それを真正面から否定する本が出版されたことを知り、慌てて買い求めました。 「仏教は科学なのか 私が仏教徒ではない理由」(エヴァン・トンプソン著、藤田一照・下西風澄監訳、護山真也翻訳、Evolving)です。 ただ、最初に申し上げますと、学術論文に近い難解な内容で、よほどこの分野に関心を持っていないと読み通すのが辛いです。 以下、私が理解できた範囲で内容と感想をお伝えします。 私は知らなかったのですが、現在、北米社会では「マインドフルネスへの熱狂」が蔓延しており、それを支えているのが現代仏教の主流派となっている「仏教モダニズム」(アジア仏教の形…
新年あけましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願いします。 月並みですが、「一年の計は元旦にあり」という訳で、自分なりに今年の目標を検討してみました。 今年はへび年ですが、原始仏典の「スッタニパータ」は「蛇の章」の「蛇」の経典群で始まり、その冒頭には次のような偈が収められています。 「へびの毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。ーー蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである」 「この世とかの世とをともに捨て去る」については、さまざまな解釈があるようですが、私は仏教の最終目標である輪廻から…
文化庁が令和6年の宗教統計調査の結果を発表しました。 それによると、2023年12月末現在の神道系の宗教団体の信者数は8337万人、仏教系は8107万人、キリスト系は125万人、諸教は655万人、合計1億7223万人で、例によって日本の人口の1億2374万人(2024年12月1日現在、概算値)を4000万人近く上回りました。 数字は宗教団体の申告によるもので、信者の数え方もそれぞれ独自の方法がとられています。 神道系の信者は氏子の数、仏教系は檀家の数をもとに算出しているとみられ、両者はかなり重複しているようです。 日本最大の宗教団体である創価学会をはじめ、公称信者数が1100万人という幸福の科…
続いて「百丈野狐(ひゃくじょうやこ)」の公案です。 これも私にはよくわからない話なのですが、喉に魚の骨が刺さったように気になる内容なのでご紹介します。 百丈懐海(えかい)が法堂で説法をすると、いつも一人の老人がいて、修行僧と一緒に話を聞いていた。 あるとき、説法が終わって修行僧が立ち去っても、老人が一人残っていたので、百丈は「あなたは一体どういう人か」と尋ねた。 老人は「私は人間ではない」と明かし、身の上話を語り始めた。 「私は迦葉仏(かしょうぶつ、釈尊の前に出現した仏)の時に、この山で住職をしていた。あるとき、修行者から『大いに修行し、悟りを得た人間は、再び因果に落ちることはあるのか』と問わ…
曹洞宗で一人前の僧侶になるには法戦式に臨まなければならないと記しましたが、そこでは首座とほかの修行僧との間で激しい禅問答が繰り広げられます。 少し(かなり)古い映画となりますが、若者の禅寺での修行生活をコミカルに描いた「ファンシィダンス」(1989年)では、この法戦式の場面がクライマックスとなっています。 ところで、臨済宗が、師から示された公案を説いて(禅問答をして)悟りに至る看話禅(かんなぜん)なのに対し、曹洞宗は、ただ黙々と座るも黙照禅(もくしょうぜん)といわれます。 その曹洞宗の儀式で禅問答が行われるのは意外な感じがしますが、実は道元は(一般にはそれほど知られていませんが)中国の禅籍から…
曹洞宗でよく読まれる摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)は、日本で最もポピュラーなお経といっていいでしょう。 262文字という、長くも短くもないボリュームのため、写経でも取り上げられることが多いようです。 ただ、耳にしたり、眼にしたりすることはあっても、全文の意味を理解している人はそれほど多くないかもしれません。 以前に般若心経を暗記するために、逐語訳を作成したことがあるのですが、その際、二つのことに気付かされました。 一つはその構成の妙です。 経文は、観音様が完全なる智慧を獲得し、釈尊の高弟であるシャーリプトラに話しかけるという物語のスタイルで始まるのですが、途中から「この世は空であり、すべては…
僧堂で朝、鈴を鳴らして修行僧を起こすのは振鈴の役目ですが、開枕では直堂が太鼓と鐘を鳴らして就寝時刻であることを告げます。 日泰寺専門僧堂ではその際、以下のような偈を読み上げます。 「謹んで大衆に申す。生死事大(しょうじじだい)、無常迅速(むじょうじんそく)、各々宜しく三宝を念じ、謹んで放逸なることなかれ」(謹んで修行僧たちに申し上げる。生と死の意味を明らかにすることは一大事であり、世の中は無常で時間はすぐに過ぎ去ってしまう。各自とも仏・法・僧の三宝をしっかりと敬い、無為に過ごすことがないように) 僧堂によっては就寝ではなく起床の際に唱えるところもあるようです。 「生死事大、無常迅速」は禅宗の決…
曹洞宗宗務庁運営企画室が先月発表した「曹洞宗 2045年予測」(曹洞宗のホームページで見ることができます)がなかなか衝撃的な内容なので、その一部をご紹介します。 何より驚かされるのは、近年顕著となり、今後も加速が予測される僧侶数の減少です。 曹洞宗の僧侶数は2005年にピークに近い26,603人を記録しましたが、2024年には約15%減の22,521人に落ち込み、2045年にはそこから約30%減の15,749人にまで減る見通しです。 その一番の要因は2005年に始まった10~30代の若手僧侶の急激な減少傾向、つまり僧侶のなり手不足です。 1995年に全体の39.4%を占めていた若手僧侶は、20…
米国などでブームになっている「マインドフルネス」に焦点を当てたNHKの教養バラエティー番組(あしたが変わるトリセツショー「新・瞑想のトリセツ」)をつい最近、録画で視聴しました。 番組自体は大変面白かったのですが、マインドフルネスと上座部仏教の瞑想、それに曹洞宗の坐禅が、一括りにして扱われていることに、少々驚きました。 この3者はまったくの別物であるというのが曹洞宗の基本的な立場ですが、一般的には同じようなものと理解されているのでしょう。 ここで3者の違いについてあらためて考えてみたいと思います。 ご存じのように、上座部仏教の瞑想(以下瞑想)と曹洞宗の坐禅(以下坐禅)は、釈尊が菩提樹の下に座り、…
長年感じていた生き辛さが仏教の勉強を始めるきっかけとなったと以前に記しましたが、今から40年以上前、青年期の私にとって一番辛かったのは孤独でした。 誰かに虐められたり、友人がいなかったわけではないですが、一人ぼっちの部屋で孤独感に苛まれた夜を、歳月を経た今もはっきりと思い出すことができます。 しかし、これはたぶん、昔の私だけに限ったことではないでしょう。 SNSが現代の若者の間で大流行している背景には、孤独に対する恐怖があるように思えてなりません。 原始仏典の「スッタニパータ」の「犀の角」の章には、そんな孤独に悩む若者を応援する言葉が並んでいます。 「林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲…
もう30年以上前の公開となりますが、ピーター・ウィアー監督の米国映画「いまを生きる」をご存じでしょうか。 ニューイングランドの全寮制学校を舞台に、ロビン・ウィリアムズが演じる型破りな教師と多感な学生たちとの交流を描いた作品です。 映画の原題は「Dead Poets Society(死せる詩人の会)」(主人公の教師が学生時代に結成したサークルの名前)で、邦題は、主人公が学生たちに教えるラテン語の成句「Carpe Diem、カルペ・ディエム(その日を掴め)」からとられています。 映画が秀作なのは確かですが(アカデミー脚本賞を受賞)、私は「いまを生きる」という題名につられて映画館に足を運んだ記憶があ…
話が前後しますが、曹洞宗の出家得度式では、三帰戒、三聚浄戒、十重禁戒の十六条戒を受けます。 三帰戒は、仏(釈尊)、法(釈尊の教え、真理)、僧(僧侶)の三宝に対する帰依。 三聚浄戒は、摂律儀戒(悪いことはしない)、 摂善法戒(善いことをする)、 摂衆生戒(一切の衆生を救う)という誓い。 そして十重禁戒は、不殺生戒(殺さない)、不偸盗戒(盗まない) 、不貪婬戒(淫欲を貪らない)、不妄語戒(うそをつかない)、不酤酒戒(酒に溺れない)、不説過戒(他人をとがめない)、不自讚毀他戒(自慢して他人を貶めない)、不慳法財戒(物惜しみをしない)、不瞋恚戒(怒りで我を忘れてはならない)、不謗三宝戒(三宝をそしらな…
「「原因」と「結果」の法則」(ジェームズ・アレン著、坂本貢一訳、サンマーク出版)という本をご存じでしょうか。 英国の作家ジェームズ・アレン(1864~1912年)が1903年に出版した、自己啓発書の原点ともいわれる本です。 宣伝文句によると、聖書に次いで1世紀以上もの間、世界中の人たちに読まれ続けているというロング・ベストセラーで、日本語版も60万部を突破しているそうです。 実は私も10年以上前に手にし、続編も買い求めました。 ところで、チベット学者の今枝由郎氏は「ブッダが説いた幸せな生き方」 (岩波新書)で、「「原因」と「結果」の法則」の冒頭の文章は、原始仏典の「ダンマパダ」の自由訳に過ぎな…
「すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること」が、仏教徒としての私の毎日の生活のモットーであると記しました。 当たり前のことを並べたようにもみえますが、この言葉は仏教が極めて倫理的な教えであることを、あらためて思い起こさせてくれます。 もしすべての人たちによって実践されるなら、世界から犯罪は無くなり、社会はもっと住みやすくなるでしょう。 実際のところ、私はこの言葉を特別に意識するようになってから、生きるのが楽しくなり、人生が好転しだしたような気さえします。 「ダンマパダ」には次のような一節もあります。 「行いの悪い人は、この世でも、あの世でも悔いる。『わたしは悪いことをした…
仏教徒として日々、何を実践し、どう生きたらよいのか。 釈尊は苦(ドゥッカ)を消滅し、涅槃(ニルヴァーナ、心の平安)に至る実践的な手段として、「八正道」を説きました(釈尊が45年間にわたって説いた教えは、実質的にこの八正道に凝縮されるともいわれます)。 八正道とは、正見(正しい理解)、正思(正しい思考)、正語(正しい言葉)、正業(正しい行い)、正命(正しい生活)、正精進(正しい努力)、正念(正しい注意)、正定(正しい精神統一)を指します。 ただ、凡夫が毎日の生活において、この8項目を常に心掛けるのは容易ではありません。 また、正精進や正念など、具体的にどうしたらよいのか、すぐに思い浮かばないもの…
僧堂安居の話を続けます。 在家出身の中高年に限らず、これから僧堂安居をしようとする人たちにとっては、どの僧堂を選ぶかが重要となります。 私は名古屋市内の自宅から近いという理由で日泰寺に決めましたが、もし地元に僧堂がなければ、刊行物を取り寄せたり、その僧堂で安居を終えた人に聞くなりして、全国に17ある僧堂の中から、自分に最もふさわしい場所を選ぶことをお勧めします。 どうせなら、永平寺や總持寺で安居したいと考える人たちも多いでしょうが、大本山僧堂が地方僧堂と比べて修行が厳しいのは間違いないようです(大本山僧堂で挫折した人が地方僧堂で安居をやり直すケースも少なくないとか)。 一方、その地方僧堂も、か…
曹洞宗の僧侶を目指す者にとって、僧堂安居が最大のハードルとなると以前に記しましたが、在家出身の中高年の場合、このハードルはより高くなります。 お寺の跡継ぎの若者が多数を占める僧堂にあって、在家出身の中高年はもともと少数派ですが、途中で挫折せずに最後まで続ける安居者となると、その数はさらに少なくなるようです。 数字的なデータが手元にあるわけではありませんが、私が僧堂のOBなど複数の人たちから聞いた話では、完走率は半分以下か、もっと低いという印象です。 お寺の跡取り息子の場合、どんなに修行が厳しくても、それに耐えて僧侶になるしか選択肢がないので、ある程度心の覚悟ができていますが、在家出身者の場合は…
私は名古屋市千種区にある日泰寺専門僧堂で僧堂安居を行いました。 一般にはそれほど知られていないようですが、日泰寺は釈尊の真骨を祀る日本唯一の寺院です(以下、簡単に由緒を記します)。 1898(明治31)年、ネパールとの国境に近いインド北部ピブラーワーで、世紀の大発見がなされました。 英国の行政官ウイリアム・ペッペが人骨の入った壷を見つけ、それが釈尊の本物の遺骨であることが分かったのです。 それまで伝説上の存在に過ぎなかった釈尊が、歴史上の人物であることが初めて立証され、世間は大騒ぎとなりました。 遺骨は仏教国であるタイの王室に贈られ、さらにその一部は、遺骨を安置する超宗派の仏殿を建立することを…
曹洞宗の僧侶になるために必ず通過しなければならない僧堂安居について、私自身の体験も踏まえながら、何回かに分けて記したいと思います。 一般にはあまり知られていない僧堂の修行生活の実態を伝える本としては「食う寝る坐る永平寺修行記」(野々村馨著、新潮社)が有名です(残念ながら、現在は絶版となっています)。 デザイン事務所に勤めていた30歳の著書が、永平寺での一年間の修行体験を記録したもので、新到(新入りの修行僧)が古参(先輩の修行僧)に罵倒され、殴る蹴るの体罰を受けるありさまが、赤裸々につづられています。 ただし、この本が出版されたのは30年近く前で、現在は多少様子が異なっているようです。 実は、曹…
キリスト教、イスラム教とともに、仏教は世界3大宗教の一つに数えられますが、前2者とは性格が大きく異なります。 仏教は宗教じゃないという見方がありますが、私も仏教を学ぶ中で似たような思いを抱いています(僧侶がそんなことを言っていいのかと叱られそうですが)。 ちなみに宗教という言葉を「広辞苑」で調べると、「神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事。また、それらの連関的体系 」と説明されています。 日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老は「仏教は迷信ではないし、信仰でもない。論理的で実践的な心の科学である」と語っています。 …
臨済宗妙心寺派では10年前から、「第二の人生プロジェクト」と題して、定年退職者の出家を支援する取り組みを行っています。 この旗振り役となったのが、大手電機メーカーの役員を定年退職後、65歳で出家得度し、1年3カ月にわたる修行生活を経て、2001年に長野県千曲市にある開眼寺の住職となった柴田文啓さん(1934年生まれ)です。 柴田さんは「老後出家」を代表する存在として、さまざまなマスコミに取り上げられ、ネットでもその記事を読むことができます。 柴田さんの場合、サラリーマン時代に座禅会に通い、そこで禅僧の加藤耕山師の指導を受けたことが、仏門を叩くきっかけとなったとか。 実は、東京国際仏教塾の修行体…
これまでお寺と縁がなかった中高年が、曹洞宗の一人前の僧侶になるにはどうすればいいのか、時間や費用はどれくらいかかるのか、私自身の経験をもとにお伝えしたいと思います(もし間違っている点がありましたら、ぜひコメント等でご指摘ください)。 なお、ここでいう一人前の僧侶とは、葬儀や法要を営むことができ、お寺の住職になれる和尚(2等教師)を指すものとして話を進めます。 在家出身者が和尚になるには、「出家得度(しゅっけとくど)」「僧堂安居(そうどうあんご)」「法戦式(ほっせんしき)」「伝法(でんぽう)」「瑞世(ずいせ)」という5つのプロセスを順番に踏まなければなりません。 「出家得度」は、師僧から僧名や血…
私のように会社を定年退職後に僧侶になって、第二の人生を仏道探究と社会貢献に費やしたいと考える人は少なくないかもしれません。 私としては、ぜひお勧めしたいという気持ちと、簡単にはお勧めできない、という気持ちが半々というのが正直なところです。 60歳を過ぎて僧侶になることは可能ですが(ただし、後述するようにそれなりにお金と時間がかかり、厳しい修行に耐える必要があります)、お寺の住職になることは過疎地以外では容易ではありません。 住職になるのが難しいのは、日本のお寺が世襲制で、お寺の跡取り娘と結婚して婿入りする場合を除き、在家出身者に門戸をほとんど開いていないからです。 近年、地方から都市部への人口…
少し前の本になりますが、仏教学者のケネス田中氏の「アメリカ仏教」(武蔵野大学出版会)で、米国で「ナイトスタンド・ブディスト(夜の電気スタンド仏教徒)」が増えているという話が紹介されています。 映画俳優のリチャード・ギアが熱烈なチベット仏教徒であることや、アップルの創業者のスティーブ・ジョブズが生前、永平寺での修行を切望していことは有名ですが、田中氏によると、米国の仏教徒は人口の1%以上に当たる350万人(1960年当時の17倍)に上り、キリスト教、ユダヤ教に続く3番目に大きな宗教となっているそうです。 ナイトスタンド・ブディストは、仏教徒を自称しないものの、仏教に同調する、共感を抱くという人々…
東京国際仏教塾の専門課程で曹洞宗コースに進んでからは、毎朝の日課として坐禅を始めました。 自宅近くの曹洞宗の寺院で毎週一回坐禅会が開かれていることを知り、そこに通うとともに、自宅で行うために座蒲と小さな畳マットを購入しました。 坐禅の作法について、道元は「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」や「正法眼蔵」の「坐禅儀」に詳しく記しています。 「坐禅は静かなところでするのがよろしい」「昼夜とも暗くしてはならない」「冬は暖かく、夏は涼しくすべきである」。 「半跏趺坐(はんかふざ)、あるいは結跏趺坐(けっかふざ)で行う」。 「右手を左足の上に置き、左手は右手の上に置く」「かならず、耳と肩、鼻とへそが真っすぐ…
私が僧侶になろうと決めたのはいつなのか、正確に思い出すことはできません。 実は、東京国際仏教塾に入塾した時に既に、第二の人生を僧侶として送るのも悪くないなあと漠然と考えていました。 ただし、この時に想定していたのは浄土真宗の僧侶で、むかし手に取った雑誌で、ミュージシャンが浄土真宗の僧侶になったという記事を読み、僧侶になるのはそれほど難しくないようだと勝手に解釈していたためです。 塾の専門課程も当初は浄土真宗コースを選ぶつもりでしたが、結局、曹洞宗コースを選んだというのは前述した通りです。 浄土真宗を選ばなかったのは、原始仏教に傾倒する中で、「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽浄土に往生できるという発…
中村元氏の著作を読んで、大乗非仏説とパーリ仏典に記された釈尊の教えに衝撃を受けたという話を記しましたが、もう少しこのことに触れたいと思います。 釈尊は自分の教えについて何も書き残しませんでした(釈尊の生没年代は諸説ありますが、紀元前5世紀前後。一方、文字の成立は同3世紀です)。 釈尊が入滅して間もなく、誤った教えが広まることを恐れた10大弟子の一人、マハーカッサバが500人の弟子を集め、釈尊が生前に語った言葉の編さん作業を行いました(第一回結集)。 これが骨格となって口伝され、後代の人たちが書写したものが経典です。 幾世紀にもわたって伝承、伝来されるうちに、肉付けされたり変容が加えられたりする…
中村元氏の「原始仏教 その思想と生活」を読んで二つの大きな衝撃を受けたと記しましたが、もう一つはパーリ仏典に残された釈尊の教えには、謎めいた神託のようなものは一つもなく、現代にも通用する真理を語ったものばかりであるという点です。 同書によれば、釈尊は真理である「法(ダルマ)」を悟り、それをただ人のために開顕しただけであり、一方、法は普遍的で、種姓を超越したものですから、これは当然のことかもしれません。 釈尊は「真理は一つであって、第二のものは存在しない」とも語っており、この世に絶対的な真理などというものは存在しないと考えていた自分には新鮮に響きました。 実践的な性格が強いのも、釈尊の教えの特徴…
東京国際仏教塾が私にとって仏教の入り口になったというのは、これまで記した通りですが、同塾のスクーリングのテキストとして指定された一冊の本が、私の第二の人生を大きく転換させることになりました。 その本は、立正大学仏教学部非常勤講師の佐野靖夫先生が仏教概論の教材として指定された「原始仏教 その思想と生活」(中村元著、NHKブックス)です。 まったくお恥ずかしい限りなのですが、それまで中村元氏(1912~99年)の著作を読んだことがありませんでした。 そして中村氏が日本の仏教学会において、他の追随を許さない巨人のような存在であることも知りませんでした。 自分がこれまでいかに仏教学と縁のない世界に住ん…
私が仏教の道へ進む出発点となった東京国際仏教塾について追加説明します。 塾は、仏教全般について学ぶ仏教入門課程(4~10月)と、宗派ごとに分かれて理解を深める宗旨専門課程(11~3月)の2期1年制。 それぞれスクーリングと修行体験に参加し、決められた課題のレポートを提出します。 スクーリングや修行体験は週末にかけて行われるので、仕事を持ったままの履修も可能です。 塾が「還暦得度運動」を提唱した大洞龍明師によって設立されたことは前述したとおりですが、入塾に際し、年齢や性別の制限はありません。 また、大洞師は浄土真宗の光明寺(岐阜市)の元住職ですが、塾自体は超宗派で、どこかの宗派に勧誘されるような…
私が40年近く続けた仕事は仏教とまったく関係なく、これまで仏教に特別な関心を抱くこともありませんでした。 道元禅師の場合、最愛の母を8歳のときに失い、世の無常を感じたことが出家のきっかけだったとされますが、私の人生において信仰心を引き起こすような特別な事件や出来事はありませんでした。 ごく平凡的な、ある意味恵まれたサラリーマン人生を送ってきたといいでしょう。 ただし、生き辛さのようなものはずっと感じており、それが定年退職後に何か新しいことを始めようと思ったときに、多くの選択肢の中で仏教の勉強を選んだ理由のような気もします。 生き辛さを感じてきたのは、一つには自分の生来の性格のせいであり、もう一…
長年勤めた会社を定年退職したのを機に仏教の勉強を始め、それが高じて曹洞宗の僧侶になりました。 全国に約2万3000人いるとされる曹洞宗の僧侶の中で、例外的な存在といっていいでしょう。 定年後に仏教を勉強しようと思ったのは、時間ができたので何か新しいことにチャレンジしようというありふれた動機によるものでした。 最初は大学の聴講生になることを検討したのですが、適当なものが見つかりませんでした。 そんな中、ネットを検索していて東京国際仏教塾が新年度の入塾生を募集しているのを知り、これに応募しました。 東京国際仏教塾は「還暦得度運動」を提唱した大洞龍明師(1937~2020年)が1988年に立ち上げた…
「ブログリーダー」を活用して、井上大道さんをフォローしませんか?