王道とは、次のことを意味する単語である。
- 孟子が説いた王の道。「徳によって本当の仁政を行う者」を指し、「小国であっても人民や他国はその徳を慕って心服するようになる」と説いた。対義語に武力を以って国を統治する「覇道」という言葉がある。明らかに古くから日本に根付いた概念であり、「王としての正しい道」というところから「正攻法」の例えに使うのは1950年代から用例がある。
- Royal Roadの訳語「王の道」。「一番近い距離を進む直線の道」を表す言葉。転じて「安易な道」のことを意味する言葉となる。「学問に王道なし」。元来Royal Roadという外来の言葉を日本語で紹介・説明するために便宜的にあてられた対訳語であり、一般の日本語表現として使われていた歴史はない。簡単に言えば、「何事も王道(安易な方法)ばかり考えていてはいけない」といった使い方はしない(元々ない)。
2について
「王の道(Royal Road)」とは、紀元前6世紀頃から紀元前4世紀頃まで存在していたアケメネス朝ペルシアに建設された、古代の公道。
当時からすればとても利便性の高い大公道であり、迅速な交通と通信を容易にした。
ちなみに、一部に既存の公道を利用したためか、厳密には最短でも最も容易なルートでもない。
「昔の王様は権力者だったので、庶民には通れないようなとんでもないショートカットや近道をいくらでも通ることできた」というところから生まれた言葉という説もある。
誤用について
一般的には、「正攻法、ベタな展開」あるいは「大多数の人たちに受け入れられ、支持されているもの(作品、商品など)全般」を指す言葉として用いられている。
しかし、これは「微妙に誤用」とされている。
この誤用が生まれた原因がネットなどで議論された結果、概ね以下の2つの説があるようだ。
- 上記1の「徳によって本当の仁政」から転じて、「正攻法」→「定番」→「ありがち」となった。
- 上記2の「楽なやり方」という意味より転じて、「多くの者が選びそうなやり方」「ありがち」となった。
1.は「正攻法」までは誤用と言えないが「ありがち」まで行くとちょっとズレている。大体あってるんじゃないかという感がある。
2.はそもそも「楽なやり方」という意味の王道が実際にはほぼ使われていないという事を考えると苦しい。使われない言葉は誤用もされないんである。
なお、どちらかと言うと「Royal Roadの訳語の『楽なやり方』という意味の王道」を何の注釈もなくいきなり文中に使うのは誤用である。