絶望にどう対処するか
創業して間もないソフトバンクの経営は絶好調。しかし、孫氏はその最中に大きな挫折に直面し、絶望するハメになる。
娘も2人生まれて幸せな生活がスタートし、意気揚々とした創業でした。
創業して2年目の時に、会社の健康診断をやったんですね。そしたら、引っかかったんです。即入院することになり、余命5年だと言われました。肝硬変の直前の慢性肝炎でした。
まあ、泣きましたね。本当に心の底から泣きました。病院のベッドで、一人でいると、やっぱりいろんなことを思うんですよね。
なんで俺なんだ、と。なんで俺がこの若さで肝臓を患うんだ、と。3年半は入退院を繰り返しました。怖くて悲しかった。絶望しました。
それなのに、病院を抜け出して毎週会社に行きました。会社の経営会議、役員会議ではどうしても決断しなければいけないテーマがいくつもあるわけです。創業して2年ですよ。
ですから、いろんな難題があり、意思決定しなければいけないことがいっぱいあった。病室を抜け出して会社に行くわけですけど、主治医の先生からこっぴどく叱られました。「孫くん、何をしているんだ? 自分で自分の命を縮めてどうするんだ? なんのために自分の命を縮めるような行為をしてでも会社にいくのか?」と聞かれました。
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確かにそうですよね。自分で自分に問いまいした。お金のためか? 名誉のためか? なんのために病院を抜け出して、命を縮めてまで会社に行くんだろうと問いました。
何のための会社か
そうなると、欲しいものなんてなくなるんですよね。
毎日パジャマで過ごしているのでかっこいい服を着ようなんていう欲望は消え失せます。かっこいい車が欲しいなんてサラサラ思わない。家なんて、どうせ5年で死ぬんだからいらない。お金を稼いだって5年で死んじゃうんですよ。突然死ぬよりある意味つらいです。だって限られた人生で余命を宣告されるわけですからね。
そういう中でつくづく考えました。何のための人生か、何のための会社か。
その時に、私が心の底から思ったのは、見栄とか、格好とか、大義名分とか、社会的に形式張ったこと、そんなものはどうでもいいと。本音でいらないと思いましたね。では、自分は何があったら幸せかというと、生まれたばかりの娘や家族の笑顔をみること。もうそれだけで幸せだと思いました。そのためなら残りの人生を捧げたいと思いました。
ふと思ったのは、家族の笑顔だけでいいのかということ。一緒に創業した社員は家族同様なんです。彼らは自分の家族の延長線で、彼らの笑顔も見たい。じゃあ、彼らの笑顔だけで良いのか。