なぜ自然選択は、私たちをこれほど多くの精神疾患に対して脆弱なままにしたのだろう? これは価値のある問いであり、これに答えようとする試みによって、精神疾患に対する私たちの理解は深まるはずだ。これが、本書のシンプルなテーマである。
「エピローグ」p.449
というわけで、『なぜ心はこんなに脆いのか』を読んだ。
読んでいる途中で気づいたのだが、この著者は『病気は、なぜあるのか』という本の著者でもあった。
というわけで、おれはこの本を「進化医学の中でも進化心理学を中心として、病気のなかでもとくに『精神病はなぜ、あるのか』なんだな」と思って読みすすめることにした。なにせおれは精神病の当事者、双極性障害(躁うつ病)の手帳持ちであって、なおかつ進化心理学好きだからだ。
とはいえ、「なぜ、おれの脳みそはこんなに脆いのか」というくらい、読むのに手間取った。当事者であり、進化心理学の本は何冊か読んできたとはいえ、やはり基礎がない。文系の高卒やぞ。小さい文字で書かれた「参考文献」だけで58ページあるような本を読むのは、正直、疲れる。
とはいえ、この著者の書きっぷりはユーモアもあり、具体的なエピソードも多く、決して読みにくいものではない。それだけははっきり言っておきたい。そして、なんならとりあえず、上の「エピローグ」から読んでもいいんじゃないかと思う。
というわけで、精神病、ひいては人間の心理がどうしてこうなっているのか気になっている人、進化心理学、進化医学というものに興味がある人は、ぜひ読んでみてください。「自分の心はどうも弱い。どうやったら治せるのだろうか」という即効性を求めても、あまり答えは書いていないかもしれない。
以上。
……というのが、おれのこの本についての紹介。あとは、だらだらと自分のメモを書き残す。引用を除いたおれの言葉はまるで正確性を欠くので。もちろん、引用した部分というか、この本の内容について問題がある、間違いがある、内容が古いなどという話があれば、読んでみたいので誰か書いてください。
ティンバーゲンの四つの問い、そしてVDAA
図を写真に撮って引用しようかと思ったけど、Wikipediaに項目があったからいいや。この四つの問いのうち、どれか一つを選んだのでは、完全な説明にならない。すべてに答えなくてはならない、という。
とはいえ、病気に対する進化的な説明をするなかで、おかしてはならない間違いがあって、それがVDAAだという。Viewing Diseases As Adaptaitons。「病気を適応として見る」。
病気自体は、自然選択によって形づくられてはいないのだ。ただし、私たちを病気に対して脆弱にするような身体的特徴は、進化的に説明することができる。
この視点が進化医学についての基礎的な考えになったという。
なお、本書後半で「症状を病気として見ること」としてVSADという文字列が出てくる。これも「Viewing なんとかAs Diseases」かなと思って、調べてみるもなかなか出てこない。結局著者の名前などを入れてみて「Viewing Symptoms As Diseases」だと知った。というか、著者のTweetじゃねえか。そういうこと。
VSAD-Viewing Symptoms As Diseases-is the source of vast confusion. Bad feelings like anxiety and low mood seem obviously abnormal. But they are features, not flaws. Natural selection shaped them because they are useful. They are symptoms not diseases.
— Randy Nesse (@RandyNesse) June 4, 2019
体と心が病気に対して脆弱である六つの理由
いきなりなんかバズりそうなネット記事のタイトルみたいだが、載っていたので引用しておく。p.65。
本書は、これらのうちから、主に精神病に関わるものに多くを解説しているんじゃないのかな。たぶん。
ミスマッチ。楽園追放論ではないけれど、われわれの作り上げた現代社会の急速な発展に対して、長い時間をかけてつくられたわれわれの脳が追いついていない。たとえば、薬物などの依存症。現代、高度に精製され、大量に供給される物質(ドラッグ、タバコ、もちろんアルコール)に対しては無力。あるいは、食生活。有り余るほどの砂糖と塩と脂肪。アフリカのサバンナにいたころには有用だった欲求が、今や病気の原因になっている。もちろん、先進国のそれなりに豊かな世界の話だが、幸いなことに世界全体は年々豊かになっているらしいので。
繁殖。
私たちの体は、健康や寿命を最大化するようにできているのではなく、遺伝子の伝達を最大化するように形づくられている。子孫の数を増やすような対立遺伝子(一つの遺伝子の異なるバージョン)は、それがたとえ個体の寿命を縮め、苦しみを増やすものだったとしても、世代を追うごとに広まっていく。
p.73
なにがなんでもわれわれは繁殖するように自然選択されてきたのだぜ、というのは、ケンリックの本で読んだ(本書にもケンリックの実験について一つ言及があった)。
あるいは、われわれは遺伝子の乗り物にすぎないぜ、っていう話を思い出す人もいるかもしれない。
本書にもこの本(の内容)への言及は多く、また、発表されたときのインパクトについても語られていたっけ。
さらについでにいえば、われわれがこんなにもセックスについての問題を広く抱えるのも、自然選択が快楽のためでなく、繁殖のためにあるからだ。悲しいね。
……まあ、ともかく、この六つがベースになる。でも、VDAAに気をつけろよ。双極性障害という病気そのものに利点があるわけでもないぜ。あるいは、ある脆弱性について、このうちのどれか一つが適用されるというわけでもなく、複合的なものだぜ、ということだ。
感情を感じる理由
第二章のタイトルがこれだ。本書の邦題は「心」とかんたんに言ってしまっているが、なぜ感情があるのかというところから話ははじまる。そうなると、「心」ってなんよ、ということにもなろう。して、もちろん、「心」……情動、感情というものも遺伝子のためにある。
これについて、長いこと哲学者や思想家、医学者、人類学者などが考えを巡らせてきた。もちろん、文化によって固有のものもある。とはいえ、人間全体に共通するものもあるのではないか。どのように分類できるのか。そのあたりが読みどころ。
ところで、ポジティブな感情はよいもののように思われる。が、かといって「過剰なポジティブ情動」と「不十分なネガティブ情動」も問題だ、という。このあたりは、なんか字面からだけでも想像つくだろう。双極性障害のおれなどは想像つきやすい。
不安になることを正しく学んだ者は、最高のことを学んだことになるのである
―セーレン・キルケゴール『不安の概念』
そして、われわれの不安。もちろん、不安を感じる能力のある個体のほうが、同じような危険を避けることができて、繁殖の可能性が高くなるからだ。そして、もしも不安という煙探知器が誤報であったとしても、それが鳴るメリットがデメリットを上回っている。そのデメリットがパニック発作になったりもする。
脇道にそれるが、ブレーズ・パスカルが神を信じる理性的な理由をこう説いた。
神を信じるコストは低く、信じなかった場合は地獄の火で永遠に焼かれることになるかもしれない
なるほど、神を信じることについてコストが本当にコストが低いのであれば、一つのっかりたくなる話ではある。現実にはそんなにコストが低いとも思えないが、いつかちょっと考えてみたい。南無阿弥陀仏と唱えるだけで、いや、唱える必要すらないなんて、すごく低コストだよな。
でもって、この不安の警報な。誤報であればいいんだが、本当の警報を無視しているというのも危険だ。茂みの物音を「なあに、平気さ」といって無視したら、ライオンに食われたりする。
そういう意味で、おれの病について考えてみると……。たまに主治医が「あなたのは外因性だから」ということを言う。おれの双極性障害、あるいは不安症(抗不安剤も処方されている)について、外の理由がある=不安の原因が実在すると言っているように聞こえる。そして、おれは医師にできる限り正直おれの人生、生活環境、労働環境、経済状況を申告しているので、なんというか、まあ。そしておれは「不安システムの働きを妨害する」薬を飲むのだ。
不安、そして「落ち込んだ気分」。これについても考察が載っている。ちなみに、「落ち込んだ気分」という用語一つについても、mood、affect、emotionそれぞれのdisorderがあって……というところから、ちゃんと定義されている。
でも、「落ち込んだ気分の一つの特徴は、自分の抱える問題についてくよくよ考えすぎてしまうこと」なので要注意。わかっているんだけどな。え、「落ち込んだ気分は、必ずしも脳の混乱からくるわけではない。叶う望みのない目標を追求し続けることへの、正常な反応でもあり得るのだ」ってさ。
ただ、この誤謬にもご用心。
落ち込んだ気分は役に立つ場合があることを知ると、これを「落ち込んだ気分は治療しないほうが良い」という意味に解釈する人がいるのだ。これは、麻酔が発明された当初にみられた誤りに似ている。当時の医者の中には、痛みは正常なものだから、たとえ手術のためであっても麻酔を使うのは拒否する、という人たちがいた。落ち込んだ気分の役割についての理解が進んでも、それが精神的な痛みを軽減する取り組みを阻害することがあってはならない。p.193
まさに、正常な反応として苦しんでいる病人当事者として、そうあってもらいたい。できることなら医者に原因まで解決してもらいたいが(おれにすごくたくさんお金をくれる、など)、そうはできないので、苦しみの軽減を。
所有できないものを欲する者には、絶望が永遠の宿命となる。
―ウィリアム・ブレイク「自然宗教は存在しない」
あと、本書では章の先頭になんか引用されているんだけど、これが気になったのでさらに引用しておく。絶望を永遠の宿命にしたくはないけれど、果たしておれが本当に望むものは、所有できるものなのであろうか。あんたはどうだろうか?
プラトンは、快楽の追求が不幸につながると警告した。ブッダは、人間の欲は決して満たされないと説いた。あらゆる宗教が、快楽を追い求めるのをやめて感情の重荷を手放すように助言している。だが、そうした忠告は、ダイエットに関する助言に似ている。正しくて、善意に溢れており、尽きることがない。そして、進化的に妥当な理由から、その助言どおりに私たちが行動することはほとんど不可能だ。p.216
人類の不幸を考えよ。あと、ダイエットについては、正しくない助言も多そうだし、宗教についても同じことが言えるかもしれない。ダイエットについての言及はあとの方にも出てくる。「食べたいと感じる物は避けて、あまり食欲をそそらない物だけを食べなさい」。コントロールできない行動。
キャンディー屋でタンタロスがスマホでポルノを見てツイートしている
双極性障害
小見出しで「双極性障害」とあったのでうれしくなってしまった。うれしいか? まあいい。
双極性障害の人は、この気分調節器が壊れてしまっている。
そうだ、われわれ双極性障害者は気分調節器が壊れているのだ。双安定系なのだ。……とはいえ、II型のおれは、あまり躁状態のエピソードがないんだけれど。そして、べつに大失敗(全財産を失う系の)をしていなくても「自分には価値がなく、未来もないものだと思い込む」状態にあるんだけど。なんなんだろうね、損だよな。
ちなみに。
双極性障害になるかどうかは、ほとんど完全に遺伝的変異によって決まる。双極性障害に対する疾患脆弱性の80%以上を、遺伝的変異が占めているのだ。
でも、原因となる対立遺伝子はまだ見つかっていません。双極性障害の本を読んでも、まあそんなこと書いてありますわな。
抗うつ薬が「神経伝達物質のバランスの乱れ」を正常化するという考え方は魅力的に聞こえるし、投薬による治療を正当化する根拠にもなる。しかし実際には、特定の神経伝達物質の異常がうつ病に関連していることを示すエビデンスは存在しない。
で、そうなんですな。モノアミン「仮説」、ですわな。
あとの方にも双極性障害についての言及がある。ノーバート・ウィーナーの『サイバネティックス』の中にある「フィードバック制御システムの不全が一部の精神疾患の原因である可能性」について。
この考えは特に双極性障害に密接な関係がある。人は挫折を経験すると、行き急ぐのをやめて努力を緩めるようになることが多いが、双極性障害の患者はその逆の行動をとる場合がある。ほとんどの人は、失敗を経験したあと、少しずつ前向きな姿勢を取り戻して生活を続けるが、気分障害を抱える人の場合、フィードバックのスパイラルにはまり込んでしまい、孤独と抑うつに自らを閉じ込めてしまう。
あれ、おれ、II型だけど、こういう末路をたどってない?
法則定立的説明と個性記述性説明
でもって、話は「個人をどう理解するのか」ということになる。うつ病の患者の大量のデータをあつめて解析して一般法則を導き出そうとする。一方で、個別の患者に医師として接する。法則定立的なアプローチと個性記述的なアプローチの融合。そんなん確立してくれよな。
……という本章のタイトルは「社会生活の喜びと危険」。ドーキンスの反響から、囚人のジレンマまでいろいろと。
そして、「現実をフィルター無しに描いたように思えるストーリーも、実は適当にまとめられたナラティブなのだ」という話なども。
私たちは意識の外側で決断を下し、そのあとに自分の行動を説明するようなストーリーを作り上げる。ティモシー・ウィルソンがその著書の中で言っているように、私たちはときに、ゲームセンターのカーレースゲーム機の前で、車を操作しているつもりでハンドルを回し、実際にはデモ映像が流れているのを見ているだけの子どものようなものなのだ。
ゲームセンターのたとえはわかりやすいな。しかし、そんなものなのか、われわれの意識。そして無意識の強さ。われわれはわれわれの動機や情動にアクセスできない。そして、認知的不協和によって自らを守る。
……と、このあたりにしておこう。双極性障害者として、いろいろと納得できる話も多かったし、進化心理学というものによりいっそう興味をいだいた。なるほど、たしかに精神病理学にこの考えが取り入れられたことで、いきなり治療法が様変わりすることもないだろう。でも、取り入れられている実例もあるというし、進化生物学と精神医学の橋となり、「進化精神医学」というものが確立されることもあるだろう。おれはそれだけダーウィン進化というものを信じているところがある。信じているというとなんだけれど、自然選択がわれわれの「心」のようなものに関わっていないはずがない、ということだ。そんなところ。
私たちは人生の苦悩に圧倒される代わりに、これほど多くの人が精神の健康に恵まれていることの奇跡に感動し、畏怖の念を抱くべきなのだ。
ただ、最後にこんなこと書いてるけど、「多くの人」側でないおれにとっては、感動と畏怖の念は抱けねえな。悪いけど。
以上。