Location via proxy:   [ UP ]  
[Report a bug]   [Manage cookies]                
コンテンツにスキップ

塩谷司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
塩谷 司
アル・アインFCでの塩谷司
名前
愛称 ソルティー、シオ
カタカナ シオタニ ツカサ
ラテン文字 SHIOTANI Tsukasa
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1988-12-05) 1988年12月5日(35歳)
出身地 徳島県小松島市
身長 182cm
体重 81kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 サンフレッチェ広島
ポジション DF(CB、SB)
背番号 33
利き足 右足
ユース
1996-1999 南小松島FC
1999-2001 大松SC
2001-2003 大塚FCジュニアユース
2004-2006 徳島県立徳島商業高等学校
2007-2010 国士舘大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2011-2012 日本の旗 水戸ホーリーホック 60 (5)
2012-2017 日本の旗 サンフレッチェ広島 140 (17)
2017-2021 アラブ首長国連邦の旗 アル・アインFC 88 (11)
2021- 日本の旗 サンフレッチェ広島 58 (3)
代表歴2
2014-2019 日本の旗 日本 7 (1)
2016  日本 U-23OA 4 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2024年1月5日現在。
2. 2019年2月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

塩谷 司(しおたに つかさ、1988年12月5日 - )は、徳島県小松島市出身のプロサッカー選手[1]Jリーグサンフレッチェ広島所属。ポジションはディフェンダー(センターバック、サイドバック)。元日本代表

来歴

[編集]

プロ入り前

[編集]

小学生時代は南小松島FCと大松SCに所属。中学生年代は大塚FCジュニアユース(現徳島ヴォルティスジュニアユース)に所属、2歳下に石川雅博がいる。当時は全く無名だった[2]

2004年、徳島県立徳島商業高等学校に進学[3]、高1および高2のとき選手権(第83回第84回)にミッドフィルダーとして出場している[4]。この選手権での活躍により国士舘大学からスポーツ特待生としてスカウトされる[2]

2007年、国士舘大学へ進学[3] し、国士大サッカー部に所属する。同期に新井章太大竹隆人。なお、後に広島でチームメイトとなる柴崎晃誠は4学年、 柏好文は1学年上の先輩にあたる。主にボランチや左サイドのMFとしてプレーしていたものの、レギュラーを掴むに至らなかった[2]。2009年大学3年時、父親が急死、退学し就職を考えていたが細田三二国士大監督に説得され思いとどまる[2]。2010年大学4年時に、柱谷哲二が国士大コーチに就任したことが転機となる。この年、柱谷によりセンターバックにコンバートされ鍛えられ、レギュラーを獲得した[2][5]。大学卒業の際にはJリーグクラブからオファーがなく、唯一JFL・SAGAWA SHIGA FCが声をかけたぐらいだった[2]

水戸ホーリーホック

[編集]

2011年、柱谷がJリーグ・水戸ホーリーホック監督に就任すると、宙ぶらりんの状況だった塩谷を水戸に誘った[2]。水戸は前年まで主力だった選手が大量に移籍退団したことから大学出身の新入団選手を大量に獲得しており[6]ロメロ・フランク小澤司鈴木将也代健司飯田優二金久保彩神村奨小幡純平笠原昂史が同期入団となった。またDFも大和田真史作田裕次ら主力が軒並み退団し[6]、DFライン再編を余儀なくされた状況だった。その中で塩谷はレギュラーに抜擢され開幕戦からスタメン出場を果たし[7]、シーズン中にはDFラインのリーダーになるほど成長した[6]北関東ダービーでは3試合でゴールを決めており「ダービー男」と呼ばれた[8]同年末の天皇杯ではガンバ大阪と対戦し、水戸の対J1勢初勝利に貢献した[9]。2012年シーズンも引き続き水戸で中心選手として活躍した[3]。同年、この活躍によりJ1勢の大宮アルディージャ清水エスパルスサンフレッチェ広島から獲得オファーが届き[10]、2012年8月、広島へ完全移籍(ただし移籍金については非公開)[3]。これは柱谷と広島の森保一監督がドーハの悲劇時のオフトジャパンメンバーで、柱谷が広島を推薦したことにより決まった[2][11]

サンフレッチェ広島

[編集]

移籍当初は森脇良太のバックアップとしてリーグ戦3試合の出場にとどまったが[5]、2013年に森脇が浦和レッズへ移籍すると、塩谷は3バックの一角としてスタメンに定着し、その森脇の穴を埋める以上の活躍を見せ、千葉和彦水本裕貴と共にリーグ戦全34試合に出場しチームの連覇に大きく貢献した[12]

翌2014年には攻撃参加の精度に成長が見られ、第6節の名古屋グランパス戦までに4ゴールを挙げた。最終的にリーグ戦で6ゴールを記録し、ベストイレブンに選出された。オフにはFC東京から獲得のオファーがあったが[13]、「広島からワールドカップに出る」とクラブに5年契約を求め、契約を更新した[14]

2015年、主力としてJリーグ優勝を達成。

アル・アインFC

[編集]

2017年6月15日、UAEの強豪クラブ・アル・アインFCへ完全移籍[15][16]。移籍金は150万ドル(約1億6500万円)と現地メディア『albayan』が伝えている[17]。9月30日、第3節のアル・アハリ・ドバイ戦で移籍後初得点を決めた。

2018年に開催されたFIFAクラブワールドカップ2018では4試合にフル出場し、2得点を挙げ、チーム初の準優勝に貢献した[18]。なお、その内1得点はレアル・マドリードから挙げたものである。クラブワールドカップ通算得点も4に伸ばし、歴代通算得点ランキング英語版でもトップ10入りした(2021年大会終了時点で6位タイ)。

2021年6月12日、アル・アインは塩谷の退団を発表した[19]

サンフレッチェ広島復帰

[編集]

2021年10月1日、サンフレッチェ広島への加入が発表された。背番号は「3」。4年ぶりの復帰となる[20]

2023年シーズンより、背番号を「33」に変更。

日本代表

[編集]

アルベルト・ザッケローニ日本代表監督の目に止まり、2014年5月の日本代表キャンプに呼ばれたものの[21]、この時点でのAキャップ出場はならず2014 FIFAワールドカップにも選出されなかった。その後、ハビエル・アギーレ監督時代の10月10日、キリンチャレンジカップジャマイカ戦で日本代表デビューを果たした。AFCアジアカップ2015ヴァイッド・ハリルホジッチ監督時代2015年10月のFIFAワールドカップ・アジア予選にも選出されたが、共に出場はなかった。

2016年6月14日、リオデジャネイロオリンピックに出場するU-23サッカー日本代表オーバーエイジ枠に選出[22]。センターバックに入りグループリーグ全試合フル出場を果たすも、不慣れな環境下で[23]、DF植田直通との距離感が悪く、ビルドアップでもリスクの高いパスを選択して危険を招く[24] など期待に応えられず[25]、チームはグループリーグ敗退となった。

2019年1月5日、守田英正の負傷離脱に伴い、AFCアジアカップ2019に臨む日本代表に追加召集され[26]、森保ジャパン初選出。3年3ヶ月ぶりのA代表復帰となった。グループステージ第3戦のウズベキスタン戦で代表初ゴールを決めた[27]。なお、このゴールを挙げたスタジアムは、所属するアル・アインのホームスタジアムであった[28]。決勝戦となったカタール戦では遠藤航が負傷した影響で、先発出場。縦パスで南野拓実の得点の起点を作ったが、試合は1-3で敗れ、準優勝となった[29]

プレースタイル

[編集]

対人の強さに加え[30]、タイミングの良いスルーパスで好機を生み出し[31]、パスセンスとパンチ力も併せ持つ[32]

所属クラブ

[編集]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2011 水戸 20 J2 35 3 - 3 0 38 3
2012 6 25 2 - - 25 2
広島 33 J1 3 0 - 1 0 4 0
2013 34 3 2 0 6 1 42 4
2014 32 6 3 0 3 1 38 7
2015 27 3 4 0 2 0 33 3
2016 30 5 0 0 2 0 32 5
2017 14 0 2 0 - 16 0
UAE リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2017-18 アル・アイン 33 AGL 18 3 2 0 - 20 3
2018-19 26 4 6 1 - 32 5
2019-20 19 2 7 0 - 26 2
2020-21 25 2 2 0 - 27 2
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2021 広島 3 J1 5 1 - - 5 1
2022 26 0 8 1 5 1 39 2
2023 33 27 2 2 0 0 0 29 2
通算 日本 J1 198 20 21 1 19 3 238 24
日本 J2 60 5 - 3 0 63 5
UAE AGL 88 11 17 1 - 105 12
総通算 346 36 38 2 22 3 406 41
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2012 広島 33 - 1 0
2013 6 0 -
2014 8 2 -
2015 - 4 2
2016 4 0 -
2017 アル・アイン 2 0 -
2018 9 1 4 2
通算 AFC 29 3 9 4
その他の公式戦

クラブ

[編集]
サンフレッチェ広島
アル・アイン

個人

[編集]

代表歴

[編集]

出場大会

[編集]

試合数

[編集]
  • 国際Aマッチ 7試合 1得点(2014年 - 2019年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2014 2 0
2019 5 1
通算 7 1

出場

[編集]
No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 大会
1. 2014年10月10日 日本の旗 新潟 デンカビックスワンスタジアム ジャマイカの旗 ジャマイカ ○1-0 キリンチャレンジカップ2014
2. 2014年10月14日 シンガポールの旗 カラン シンガポール・ナショナルスタジアム ブラジルの旗 ブラジル ●0-4 国際親善試合
3. 2019年1月17日 アラブ首長国連邦の旗 アル・アイン シェイク・ハリーファ国際スタジアム ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン ○2-1 AFCアジアカップ2019
4. 2019年1月21日 アラブ首長国連邦の旗 シャールジャ シャールジャ・スタジアム サウジアラビアの旗 サウジアラビア ○1-0
5. 2019年1月24日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ アール・マクトゥーム・スタジアム ベトナムの旗 ベトナム ○1-0
6. 2019年1月28日 アラブ首長国連邦の旗 アル・アイン ハッザーア・ビン・ザーイド・スタジアムム イランの旗 イラン ○3-0
7. 2019年2月1日 アラブ首長国連邦の旗 アブダビ シェイク・ザイード・スタジアム カタールの旗 カタール ●1-3

ゴール

[編集]
No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 大会
1. 2019年1月17日 アラブ首長国連邦の旗 アル・アイン シェイク・ハリーファ国際スタジアム ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン ○2-1 AFCアジアカップ2019

出演

[編集]

CM

[編集]
  • 東亜ハウス

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 塩谷司vsネイマール?? 日本の高校、大学、そしてJ2で育った遅咲き選手が試される”. J論 (2014年10月13日). 2014年10月15日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 塩谷司とネイマール。大学時代も無名の男が、世界を知った後に思うこと”. J論 (2014年10月17日). 2014年10月15日閲覧。
  3. ^ a b c d “水戸のDF塩谷を獲得”. 中国新聞. (2012年8月3日). オリジナルの2012年10月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121024194949/http://www1.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw201208030055.html 2014年1月24日閲覧。 
  4. ^ “塩谷(徳島商出)、J2水戸に入団”. 徳島新聞. (2010年12月29日). オリジナルの2011年1月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110101225236/http://www.topics.or.jp/localSports/122545398109/2010/12/2010_129358637316.html 2014年1月24日閲覧。 
  5. ^ a b 水戸から広島へ、J1初先発の塩谷が6試合ぶり完封に貢献”. ゲキサカ (2012年10月6日). 2014年1月24日閲覧。
  6. ^ a b c ゆく年くる年:今年の漢字 水戸”. J's GOAL (2011年12月31日). 2014年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月24日閲覧。
  7. ^ “体格生かし攻守に活躍、水戸の徳島市出身・塩谷”. 徳島新聞. (2011年4月24日). オリジナルの2011年7月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110712160746/http://www.topics.or.jp/localSports/122545366453/2011/04/2011_130361118454.html 2014年1月24日閲覧。 
  8. ^ “ダービー男”塩谷先制弾!水戸が栃木との北関東ダービー制す”. ゲキサカ (2012年6月2日). 2014年1月24日閲覧。
  9. ^ 水戸が2度のビハインドを跳ね返し、G大阪を撃破!!小池のヘディング弾が決勝点”. ゲキサカ (2011年11月17日). 2014年1月24日閲覧。
  10. ^ 広島 水戸・DF塩谷を完全移籍で獲得”. スポーツニッポン (2012年8月1日). 2014年1月24日閲覧。
  11. ^ 闘将が太鼓判を押すサンフレッチェ広島DF塩谷司の日本代表入り”. スポーツ屋台村 (2013年2月24日). 2013年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月15日閲覧。
  12. ^ 広島、J1連覇の原動力とは…一貫した強化方針がベースに”. サッカーキング (2013年12月8日). 2014年1月24日閲覧。
  13. ^ FC東京、広島DF塩谷獲りへ!代表での活躍で白羽の矢”. スポーツニッポン (2014年11月20日). 2015年1月10日閲覧。
  14. ^ “塩谷、新たに5年契約 「広島からW杯出る」”. 中国新聞. (2014年12月21日). オリジナルの2014年12月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141223142102/http://www.chugoku-np.co.jp/sanfrecce/article/article.php?comment_id=115789&comment_sub_id=0&category_id=131 2015年1月10日閲覧。 
  15. ^ 塩谷司選手 アル・アインFC(UAE)へ完全移籍のお知らせ”. サンフレッチェ広島FC (2017年6月15日). 2017年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月15日閲覧。
  16. ^ 広島DF塩谷司、UAEのアル・アイン移籍が決定…リオ五輪出場の28歳”. SOCCER KING (2017年6月15日). 2017年6月15日閲覧。
  17. ^ 塩谷司、中東への移籍金は1億6000万円超か。「多くのアジア人選手にとって野望」 フットボールチャンネル 2017年6月15日
  18. ^ 「あれはまぐれ」アルアイン塩谷司、レアルに一矢報いるヘディング弾”. ゲキサカ. 2018年12月26日閲覧。
  19. ^ アル・アイン、DF塩谷司の退団発表「クラブのために尽くしてくれてありがとう」”. サッカーキング (2021年6月13日). 2021年6月13日閲覧。
  20. ^ 塩谷司選手 アル・アインFC(UAE)より完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)サンフレッチェ広島、2021年10月1日https://www.sanfrecce.co.jp/news/team/44992021年10月1日閲覧 
  21. ^ 大久保、塩谷、鈴木がゴール。中村憲剛も2アシスト!W杯へラストアピールを見せた国内組候補たち”. jsports (2014年5月11日). 2014年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月15日閲覧。
  22. ^ “G大阪の藤春廣輝、広島の塩谷司がリオ五輪のオーバーエイジ枠に内定”. サッカーキング. (2016年6月14日). http://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20160614/455692.html 2016年8月12日閲覧。 
  23. ^ 塩谷が苦悩する“慣れない”4バック。コロンビア戦、DF陣は余裕を持てるか。 Number Web 2016年8月7日
  24. ^ フットボール批評 issue13』カンゼン、2016年、53-55頁。 
  25. ^ OA塩谷、藤春は期待はずれ…国際経験乏しさ露呈 日刊スポーツ (2016年8月5日)
  26. ^ 乾と塩谷を追加招集!負傷の中島と守田が離脱デイリースポーツ(2019年1月5日)
  27. ^ 森保J、3連勝で首位突破!塩谷が弾丸ミドル ウズベクに逆転勝ちスポーツニッポン(2019年1月18日)
  28. ^ “本拠地”で輝いた塩谷を現地絶賛 「アル・アインの“ミスター多芸多才”が能力を誇示」 football-zone.net 2019年1月18日
  29. ^ ボランチで先発の塩谷、敗戦に肩落とすも「代表でやるサッカーは楽しいと再認識できた」 ゲキサカ 2019年2月2日
  30. ^ 『週刊サッカーダイジェスト 2013 J1&J2選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2013年、17頁。ISBN 978-4-905411-10-9 
  31. ^ 『週刊サッカーダイジェスト 2014 J1&J2&J3選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2014年、16頁。ISBN 978-4-905411-16-1 
  32. ^ 『サッカーダイジェスト 2015 J1&J2&J3選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2015年、71頁。ISBN 978-4-905411-24-6 

参考資料

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]