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私の愛しいアップルパイへ
ときに、幼い頃にいつの間にか刷り込まれた先入観が自分の世界をひどく歪め、狭めていることってありますよね。
私の場合、一番たちの悪かった先入観が「人生は一般的に右肩下がりになるものなんだ」と思っていたことです。少しずつワクワクすることが減っていって、いずれ死ぬのを待つだけの退屈な毎日になるんだろうって漠然と思ってました。
年をとるに連れて責任なんてものが増えていって、そのぶん不自由になって、溜息の出るような毎日が待ってるんだって、繰り返し教わってきた気がします。実際まわりの大人たちを見ればそれがあながち嘘ではないということも分かりましたし、確信は強まる一方でした。
みごと右肩下がりになった人生
小学校は毎日が文句無しに楽しかった。中学校は部活と受験が面倒だったけど楽しさで満ち溢れていました。高校は選択肢が広がった楽しさがありましたけど、逃れようのない不幸が待っているような不安を感じはじめました。
専門学校に入ったらもう余命2年みたいな絶望的な気分になっていました。就職したらもう絶望なんて通り越して、はやくも諦めムードが漂いはじめました。
あとは上から降ってくる仕事を器用にこなすだけ。5年は仕事をうまいことこなして、そのうちマイカーと家庭をもって、35年ローンで持ち家を買って、週末のゴルフをはじめて、定年までひとっ飛びかと。
身の回りに多くの先人が居たことで将来設計は万全でした。ただ一つ、私がまったくワクワクしなかったことを除いては。
人生が右肩下がりになっていくことに対して強烈な不安と恐怖を感じていた私は、かえって右肩下がりの人生に突き進んでしまったのかもしれません。
かくして私は、生まれてから25年間もの間、不当な条件づけに従って失敗したってわけです。
自分の中の矮小な常識を覆せ!
大理石像の如く冷徹になってみたら、小学生のころより社会人になった今のほうがつまらないもんだなんて先入観は馬鹿げた考えだって気づきました。先は長いんだし、むしろ右肩上がりにワクワクしていく人生じゃないと、やってられないじゃありませんか。
28歳にもなってゼロから音楽家を目指したって全然いいじゃないですか。どんなに不安定でも、死ぬのをただ待つような人生よりずっとマシです。
私の失敗の根幹にあったのは「常識の盲信」でした。常識を盲信して「分かってる奴」になろうとしたことが大きな過ちだったんです。
私はもともと空気を読むことに長けようとするところがありましたから、これが悪い方向に作用しました。
私は勇気を持っていいますが、常識なんてものはジンクスとほとんど変わらないものです。コアラのマーチに眉毛つきが入ってたら運がいいとか、道路で黒い猫を見たら不吉だとか、その程度ものです。誰一人としてあなたと同じ人生を歩んでいる人なんて居ないんですから。
誰がなんと言おうと人生は右肩上がりにできます。根拠なんて不要でしょう。他でもないあなたがそれを選択できるんです。いつ死んだって後悔はないと思える人生に、今日からなれるはずです。いや、そうすべきなんだ!
貴下の従順なる下僕 松崎より