氷柱の涙
最近、ツイッターを見るコツが少しだけわかってきた、って感じ。
自分のブログの言及もいろいろ見たけど、ツイッターのツイートからこんなの見つけてびっくりした。
「毎日かあさん」の漫画家の人がコメントつけてくれてる!
びっくり。びっくり。
ほかにも、いろいろびっくりする人がいるー。
あの記事は、もー私の手の届かないところまでいろいろ広がってっちゃったからね。
今もときどき、ツイッターでぶわーって広まる波が出来てたり。
ずっと前に書いた記事に、今もまだいろいろコメントつくと、あの記事は時間がと止まってる、って感じたりする。
自分が書いたものが、ずっと時間が止まったとこにいて、私だけ時間進んで、あれからだっていろいろ考えて。
はてなブックマークは、盛り上がっても、その波がひけばもー、嵐が去って静かになるけど。
ツイッターは、「その時」の時間をスタンプされたままの言葉がずっとずっと流れ続けてる。
タイムスリップしたいみたいに、過去の言葉が、まるで「今」の言葉のよーに目の前に流れてきて、それに気づかなくて、人は「今」と向き合ってるつもりで「過去」を見てる。
ツイッターってフシギ。
でも、ツイッターのコメントはすごい面白いのばっかだった。
はてなブックマークとまた違う、って感じのコメントがいろいろ多かった。
はてなはじめて、たった4か月しかたってないけど、すっごい色んな体験した、っていう感じがする。
この4か月、私にとってはすごい濃かった、っていう気がする。
きっと、それは自分にとって、貴重な体験だったりするんだろーね。
でももっと、薄い積み重ねのほーが、自分にはラク、って思ったりもする。
私、ずっとなんでか泣けないでいたのに、今日、なんか泣けた。
それは、これ、読んだから。
まだ16歳っていう、オトナになってないけどコドモからは脱した年の子が、あんな殺され方して。
そーいうことにも、いろいろ世の中の大人は意見つけて。
その子が殺されたっていうのに、どんな理由を並べても、そのことのひとつに「自業自得」っていう言葉を投げかける「この世の大人の正義」っていうのがあって。
その子の怖さ。
殺される時の怖さ。
ストーカーされてる時の怖さ。
その子が殺されちゃったお母さんの気持ち。
そんなこと思うと、どんな正義が「自業自得」って言葉、吐きだせるの、って、なんか叫びたくなってた。
正義っていうのは、とても弱ってる人に力をわけてあげるものじゃないの?
弱ってる人に、弱った原因をつきつけてやるのが正義なんかじゃないのに。
人が殺された時、その事実に憤りを感じることが正義じゃないの?
殺された人の何かの落ち度をひとつ並べることの正義が、いったいだれを救うの?
そんなことがずっと私の中でぐるぐるしてたから、この記事読んで、なんか急に涙が出てきた。
とても未熟な年の子の、ちょっとした過ちが、命を奪われるほどのものなの?
みんなだれも、そんな未熟な年を通過してきてるはずなのに、たまたま無事に通り過ぎてきた大人が、無事に通り過ぎれなかった人に偉そうな正義をかざす。
そーいう人たちが「オトナ面」して、ちょっとした過ちで殺された若者を愚か者って見下す。
人がひとり死んでも、自業自得、っていえるのがオトナなら、そんなオトナになりたくないよ。
人の心を簡単に殺すことに、殺意の自覚もない人が、他人の奪われた命を追いかけてお説教する。
そんな絶望を感じさせる正義の言葉が吐かれるネットの中で、人の弱さをそのまま見つめる目もある。
オトナになるって、人の弱さを知っていくことなんだと思う。
自分の弱さも知っていくことと一緒に。
その弱さに絶望したり批難したりしないで、それも人の一部、ってことにして、100%のただしさなんていう理想に幻想抱かないで、未完全な現実受け止めて、不自由な世界でなんとか生きて、人を赦して。
そんなことがとても自然にできるよーなオトナ、って、そんなにいないのかもねー。
そんなことをとても自然に言葉にしてるこの記事を読んでたら、なんかわかんないけど泣いちゃった。
冷たい正義の氷柱がだれかを刺しそーな時、その尖った先を溶かす言葉もあるよね。