1年のある時期に鳥たちが姿を消す理由について、古くからさまざまな珍説が唱えられてきた。鳥は種類によって冬ごもりをしたり、別の種に変身したりすると考えたのは古代ギリシャのアリストテレスだ。中世のヨーロッパでは、カオジロガンが冬に現れるのは、果実のように木で育つからだといわれていた。
鳥が「渡り」と呼ばれるはるかな旅をしていたという驚くべき証拠が見つかったのは1822年。ドイツの狩猟家がコウノトリの仲間シュバシコウを撃ち落としたところ、首に刺さっていた矢がアフリカ中部で使われているものだったのだ。この鳥は何千キロも旅してきたと、博物学者たちは推測した。1906年、野鳥愛好家らがシュバシコウに足環を付けて調査し、この鳥がサハラ砂漠以南のアフリカで越冬することが実証された。
渡りルートは環境とともに変化
以後、研究者と野鳥愛好家の連携で、何千種もの渡りが調査されてきた。知られている鳥類のうち、半数ほどの種が渡りをする。
膨大な歳月にわたる適応を通じて、鳥たちは渡りのルートを確立してきた。熱帯に生息していた鳥が温帯に進出したことから渡りが始まったという説がある一方で、多くの鳥はもともと温帯にいて、気温が下がる時期に熱帯に行くようになったとの見方もある。「おそらくその両方がある程度の規模で起きたのでしょう」と米ミシガン大学の鳥類学者ベン・ウィンガーは言う。
現在のルートが形成された適応の過程を探るには、通常とは異なる渡りが参考になりそうだ。ドイツのマックス・プランク鳥類学研究所の元所長ペーター・ベルトルトが例に挙げるのは、ヌマヨシキリの渡りだ。この鳥はドイツ北部からアフリカ東部に旅し、数週間そこで過ごした後、アフリカ南部に向かう。
「かつてはサハラ砂漠のすぐ南で越冬できました。この地域は緑豊かな季節が長く、ヨシキリの楽園だったのです。その後、環境が悪化し、鳥たちはもっと南に移動せざるをえなくなりました」
こうした渡りの行動は遺伝子に刻まれているのだろうか。それとも、若鳥が成鳥に学ぶのか。「生まれか育ちか」論争の例に漏れず、この場合も遺伝と学習の双方が関与している可能性が高い。「この分野の研究はまだ始まったばかりです」と、オランダにあるフローニンゲン大学の研究者ジェシー・コンクリンは言う。
※ナショナル ジオグラフィック3月号「鳥たちのはるかな旅」では、渡り鳥の圧倒的に美しい写真とともに、「渡り」の最新研究を紹介します。