Photo Stories撮影ストーリー
1999年にベトナムのタムコックで制作された刺繍作品。戦のためにゾウに乗った徴姉妹は、2000年近くにわたりベトナム美術の人気の題材となっている。(HALIA TRAN-ADAMS)
ベトナムで、通りや寺の名になっている「ハイバチュン」。実はある姉妹を指している。ベトナムの民族的英雄である徴姉妹(チュン姉妹)だ。
ベトナムは紀元前111年から939年まで中国の支配下にあった。そのさなかである西暦40年、徴側(チュン・チャク)と徴弍(チュン・ニ)の姉妹は、後漢に対する反乱を指揮して独立を勝ち取った。反乱はわずか3年で鎮圧されてしまったが、ベトナム人は昔から徴姉妹のために供物を捧げ、ゾウに乗って戦に向かう姉妹をカラフルな山車や本物のゾウを使って再現し、勇敢な姉妹を讃えてきた。
徴姉妹は、国内外のベトナム人の心のよりどころとなっている。北の隣国との長く複雑な関係、外国からの介入、家族を分断して世界中に離散させた苦しい内戦、そして母系社会の伝統が、2000年も前に生きた2人の女性への畏敬の念を抱かせているのだ。
徴姉妹の反乱
西暦40年、後漢の支配下にあった交趾郡(現在のベトナム北部の地域)で、地元の有力者の娘である徴側と妹の徴弍は、新税に抗議して反乱を起こした。姉妹はゾウに乗って交趾郡の首都に進軍し、紅河流域の65以上の町や地区から支持を得た。
交趾郡の太守は逃げ出し、姉妹は自分たちがこの地の支配者であると宣言し、新税を廃止した。後漢の光武帝は、馬援を将軍に任じて討伐を命じた。1万人以上の兵士を率いて南下した馬援は43年に徴姉妹の軍を破った。
徴姉妹は命を落とした。敵に捕まるくらいならと自害したとも、馬援に捕らえられて処刑されたとも言われている。この反乱が鎮圧されてから900年近く、ベトナムは中国の諸王朝の属国であり続けたが、徴姉妹の物語はベトナムの人々に希望を与え続けた。
ベトナム人のルーツ
徴姉妹の英雄的な物語は、ベトナム人の起源に関する神話とつなげて語られることも多い。
貉龍君(ラクロンクアン)は、南の海を治める優れた王だった。あるとき、冷酷で貪欲な北の王が南の地に侵攻してきた。貉龍君は民を守るために海からあがってきて北の王を追い払い、山で救出した仙女、嫗姫(アウコー)と恋に落ちた。
2人は結婚して100人の強健な息子が生まれ、この子たちがベトナム人の祖先となった。しかし、海の龍と山の仙女がいつまでも一緒に暮らすわけにはいかなかった。貉龍君は50人の息子とともに海に入った。嫗姫は残り50人の息子とともに陸に残り、その1人が雄王としてベトナム最初の王朝をひらいた。伝説によると、貉龍君が海に降りるときに尾を叩きつけ、ハロン湾のすばらしい島々が生まれたという。
この建国神話は、ベトナムの歴史における2つの重要なテーマ、すなわち外国の侵略に対する抵抗と先史時代の母系社会を強調している。人々は徴姉妹の家系を神話の貉龍君と嫗姫に結びつけることで、彼女たちをベトナム人の祖先とし、抵抗の精神を子孫に伝えた。徴姉妹の物語のどこまでが歴史なのか、神話なのか、伝説なのかは、語り手が誰で、何を語ろうとしていたかによって違ってくる。
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