コンビニのレジで無言で商品と小銭を置き、無言で立ち去るひとがあります。それを見ても日常の光景、まるで景色のようで何も感じなくなりつつある自分があります。通常人になにかしてもらったらではなく、人と人とが出会ったら挨拶が生まれます。何かしてもらったときはお礼が自然に出ます。
これを躾の善さとか社会のあり方から考えるのではなく、個人の規範意識の表れとして捉えますと、つまりそう振舞うことに利益があるからそうするのではなく、そうするべきであるからそうするという観点から見ますと、現在の個々人の振る舞いの多くに、この規範意識の欠如または変容があると考えます。
規範意識とは人間を人間であると認めうるものは何かということです。通常それぞれの国や民族にはその規範意識の共有があり、それがひいては社会のあり方とかいうものを規定し、守るべきものを抱えた保守というものが存在すると考えます。
そこで、65年前以前の規範意識の断絶と急激な社会変化をながめ個々の事象に遭遇すると、利益があるからそうするというものしか見えず、または自己の規範意識と乖離してみえ、多くの人が保守すべきものが見えなくなってしまったと感じます。
変化とか改革を競い合う今日、日本に保守はあるのか、また保守すべきものはあるのかということは大きな問題であると感じます。
お礼
回答ありがとうございます。合っていて良かったです。 親米保守はタカ派ですが、ウィキペディアに親米保守はハト派と書かれてます。 タカ派もリベラルという意味でしょうか。