「新札見た?」
「まだ見てない」
の会話があった文月から3ヶ月。皆様のお財布の中も、徐々に新札の割合が増えてきていることと存じ上げます。
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ねこさんのお財布には、なかなか居着いてくれない福澤諭吉。
1984年(昭和59年)から2024年まで40年間一万円札の顔でした。
近頃、日本のお札は20年で肖像画が変更されています。ですが、前回の刷新の時、福澤諭吉だけは続投してます。
「お札と言えば聖徳太子」世代がいるように、「お札と言えば福澤諭吉」世代もいるかもしれません。
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その福澤諭吉は、大阪の中津藩蔵屋敷で下級武士福澤百助の子として1835年に生まれました。5人兄弟の末っ子です。
その後、1歳半で父が亡くなったため大分県の中津に帰郷します。身分制度による理不尽な差別、貧困と困難にあえぎながらも、学問によって頭角を現します(13歳頃までは勉強嫌いだったが「近所で自分だけが勉強していないのは世間体が悪いと、試しに勉強してみたら面白くなったらしい)。
その後、蘭学塾(後の慶應義塾大)を開いたり、一橋大や神戸商業高等学校の創設にも力を貸したり、使節団の一員として外遊したり、本を書いたり、新聞を発行したり、北里柴三郎を助成したりと、精力的に活動しています。それらが、日本の近代化に大きな影響をあたえたことは衆目の一致することではないかと思います。
明治維新後、「国会開設しようぜ!」「憲法作ろうぜ!」と自由民権運動が広まります。
多様な意見が議論される中、喧々諤々ナンダカンダ云々かんぬん暗中飛躍あれやこれや権謀術数斯く斯く然々・・・・・・ドイツ(プロイセン)をモデルとした国家、政治の仕組みが成立します。
歴史に「if」はないのは分かってますが、福澤諭吉らが理想としていたイギリス流が選択されていたら・・・自由民権運動に大きな影響をあたえたフランス流が選択されていたら・・・今とはちょっと違った社会のあり方だったかもしれませんね。
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で、「お札せんべい」の話でしたね。
「お札せんべい」です「お礼せんべい」ではありませんよ。
中津市名物「壱万円お札せんべい」。
卵がふんだんに使われた甘くて香ばしいお煎餅です。
一万円の肖像画が福澤諭吉ではなくなったら、せんべいも消えるのか? と、気になっていました。
ですが、道の駅なかつに行ってみると、まだ山盛りの「福澤諭吉(せんべい)」が売られていました。
さらに、新旧の一万円札5枚ずつセットが新商品で発売中。
新商品があるってことは、これからも販売されるってことですね。
お財布から諭吉さんが消えようとも、壱万円札お札煎餅から諭吉さんが消えることはないでしょう。
おまけ
道の駅なかつの外壁を見上げる・・・
「不滅の福澤プロジェクト」なる活動が始まっていました。
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参照:
福澤諭吉旧居・福澤諭吉記念館ホームページ
ウィキペディア
まなれきドットコム(明治十四年の政変)
刀剣ワールド(自由民権運動)
広報東京都子供版(新札を世に送り出せ)
偉人・ミニチュア粘土人形+エッセイ2「鴎外のやかん」
読売新聞オンライン
日本放送ラジオAM「週間なるほど日本」
渓月堂「壱万円お札せんべい特設サイト」
他