TITLE:
中国近世史学評論史研究 - 「史通
」学を中心に( Abstract_要旨 )
AUTHOR(S):
楊, 文信
CITATION:
楊, 文信. 中国近世史学評論史研究 - 「史通」学を中心に. 京都大学,
2000, 博士(文学)
ISSUE DATE:
2000-03-23
URL:
http://hdl.handle.net/2433/180781
RIGHT:
At
l.
・
.
.
I:
I.
'
‑
ヨウ
楊
文
′
し
名
"文
氏
博
士
学 位 記 番 号
文
博
学位授与の 目付
平 成 1
2年 3 月 2
3日
学位授与の要件
学 位 規 則 第 4 条 第 1項 該 当
研 究 科 ・専 攻
文 学 研 究 科 東 洋 史 学 専 攻
学位論文題 目
中国近世史学評論史研尭
‑
(
主
論 文調査委 員
第
二の
H
M
別
山
E
:
学位(
専攻分野)
『史通』学を中心 に‑
査)
教 授 夫 馬
進
論
教 授 砺 波
文
内
容
護
の
要
教 授 杉 山正 明
旨
中国唐代の人,劉知幾が書 いた 『
史通』 は,中国における代表的な史学方法論の書 とされる0本論文は, この 『
史通』が
後也
なかで も明清時代にいかに受容 され論評 されたのかという問題につ き, これをお もに書誌学の手法によって明 らかに
した ものである。 本文は 5章か らなり,ほかに付録 2編が付 けられているO
第 1葦では,本研究の研究意義 とこれまでの研究史が述べ られ る。
『史通』の明清時代における受容を明 らかにするために
は, その版本の異同を徹底的に調査す る必要があるが, これまでの研究ではこの点 をなおざりに して きた。本研究では 『
史
通』 版本を調査することを主眼 とし, これを基礎 として清代史学評論史を樹立 しようとする, と研究 目的を述べる0
第 2葦 「
版本 ・校勘篇」では,
『
史通』諸版本の調査 とともに,民国期の研究者であ った洪業の 『
史通』版本研究が述べ ら
萄本)
,嘉靖 1
4年陸深刻
れ る。 まず中国大陸,台湾, 日本の図書館を調査 した結果,明代刻 本 として,正徳 ・嘉拷問刻本 (
本 (
陸本)
,寓暦 4年泳 一貫校刻本,寓暦 5年張之象校刻本,寓暦 6年胡東塘刻 本,寓暦 3
0年張鼎思校刻本 (
鼎本)
,寓暦 3
2
年刻本郭延年 『史適評釈』
,寓暦刻本陳継儒 『史通 (
訂)註』
,天啓 ・崇福間刻本李絶境評 ・郭延年附評 『史通評釈』
,高暦 3
9
年刻本王惟倹 『
史通訓故』の各種およびそれ らの再刻本,三刻 本などがあるとす る。 さらに酒代の 『史通』渚版本をも調査
し,
「
現存 『
史通』版本一覧表」を掲 げて これまでの研究の空白を補 っている。 これにより,たとえば萄本が台湾所蔵の一部
史通評釈』 を低 く評価するが,両
のみであるというこれまでの認識が誤 りであること,黄叔琳 『
史通訓放補』では郭延年 『
者を対照すると前者の注釈の多 くが後者 より踏襲 したものであると指摘する。 諸本のなかでは特 に国立中央図書館 (
台湾)
蔵の 「
烏孫欄本」を詳細 に調査 し, これが萄本や象本 と比較 して も 『
群書拾補』所引の宋本に近 く, さらにはその内容 につ
いては宋本 より 「
局線欄本」の方が正 しい場合があるとする。最後 にかって燕京大学教授 ・‑‑ヴァ‑ ドエ ンチン研究所研
究員であった供業の 『
史通』研究を紹介 し,彼の業績を高 く評価す る。
第3
牽 「
社会 ・学術篇」では,明活時代に 『
史適』がどのように受容 され,研究 されていたのか, またどのように普及 し
たのかを考察する。第 1節 「
『
史通訓故』の編纂よ り見た晩明河南 の知識人 と学術」では,明代河南省の人,王惟倹の 『
史通
訓故』がどのように編纂 されたかを究明する。『史通訓故』 は河南人のネッ トワークを活用 し,「萄本」あるいは 「萄本」系
の ものを底本 とし,同 じく彼が編纂 した 『
文心離龍訓放』 にな らい,数多 くの文献を用 いて注釈が加え られ,比較的よい評
価を得た。
『
史通』研究史を研究 した増井経夫 は,王惟倹の 『
史通訓故』の出現を,官僚 としての保身 と文人 としての名声を
得ん とす る学風の現れであり, 自由奔放 さを失 い 「
穿隻の癖」 に陥 る清朝考証学の先駆 けとして評価するが, この評価 は事
『
史通削繁』は "
時代的な使命"を荷 っていたか」は,清代の紀頭の 『
史通削繁』につい
実 と合わないと主張する。第 2節 「
て論ずるO紀魂が 『
史通削繁』を編纂 し,劉知塊の本来の 『
史通』のうち問題のある本文その ものを削除 したことを,
「
文字
の獄 」 の時代 に名教を護持するため,時代的な使命を帯 びて現れた, と増井経夫が評価 したのに対 して,当時の一般の知識
人の感覚では,
『
史透』 本文をまで削除 しようとす るのはむ しろ例外的であったことを論証 し批判す る。第 3節 「
『
史通』の
普及 と科挙試験の史学策」では,
『
史通』が明惰時代 に普及 した大 きな要因 として,科挙問題で しば しば史学策が出題 された
‑
.
‑3
1‑
ことを指摘する。 つまり,受験生 は受験対策 として 『史通』を読んでお く必要があったとす るのである。第 4節 「
章学誠一
情代の劉子玄‑ の 『
史通』観の変遷」では,劉知幾 と並ぶ史学理論家 として知 られ る章学説 を論ずる。従来の研究では,章
学誠 は劉知幾の大 きな影響を受 けたとして評価す るか,逆 に章学誠の独創性を強調す るため劉知幾の影響を極力低 く評価す
るかであったが, ここでは章学誠の 『
史適』観の変化が跡づけられる。そ して章学誠の 『
史通』観 は学問の成熟過程 にとも
なって変遷するが,劉知幾 に対す る尊敬の念 は生涯変わ らなか ったとす る。
第 4章 「
評論 ・注釈篇」では,清代を通 じ 『
史通』に対 してどのような評論が加え られ,注釈が加え られたかを,主 に世
界の主要漢籍図書館 に残 る 『
史通』への書 き込みを調査す ることによって明 らかにす る。清初の人 としては銭陸燦 (
北京図
書館所蔵 「
鼎本J
)
,鵜野 (
静嘉堂文庫所蔵 「
鼎本」初修影印本など)
,何蝉 (
南京図書館所蔵貴重烈旧蔵 「
嘉靖本」
)の 『史
,
通』評論が,正統論,歴史人物への評価,歴史家への評価 『
史通』が提起 した史書の書志 ・表 の存廃問題 に対す る考え,
『
史
通』
「
疑古」篇 「
惑経」第にたいする評価,『
史通』の論説の誤謬の指摘などの問題 に即 して検討 される。乾隆年間の人 とし
ては,南京図書館所蔵の黄叔琳 『
史適訓故補』への浦起龍の書 き込み,紀的 『
史通削繁卦で述べ られる意見などが検討 され
る。 嘉慶年間か ら清末民初 までは丁宴,喬載顕,唐翰題,株屋,楊守数,慮靖,博増瀬,呉慈培,部邦述,糞景葵,謬茎孫,
孫敏修,朱希祖,莫友芝その他の書 き込みが検討 される0
域外嘉一 日本での 『
史通』受容の一二一」では, 日本の江戸時代 に 『
史通』がいかに受容 されたかを論ずるO こ
第 5章 「
こでは従来指摘 されなか ったこととして,林窓の 『
史通』観などが紹介 されるO
筆者既鬼の善本 『
史通』序抜」を掲げる。ここでは上海図書館所蔵 『
史通通釈』
,中国科学院図書
最後 に,付録 1として 「
」『史通』2部それぞれ,北京大学図書館所蔵
館所蔵 『
史通評釈』
,北京図書館所蔵 「
象本
」
」
」
「
陸本」
『
史通』,北京図書館所蔵
」
「陸本 『
史通』
,北京図書館所蔵 「
張本 『
史通』,上海図書館所蔵 「
張本 『
史通』
,上海図書館所蔵 「
沈一貫本 『
史通』
,南京
図書館所蔵「
隆本」
『
史通』など,合計 1
8の『
史通』注釈書 に書かれた序践原文が紹介 される。さらに付録 2として,
●史通』及 び『
』「象本」 巻 7 「鑑識」 と 『史適通釈』 巻 7 「曲筆」 の錯簡を示す影印 2枚を付す る。
本文の理解を助 けるため, 『
史通
論 文 審 査 の 結 果 の 要 旨
唐代の劉知幾
(
6
6
1‑7
2
1
)が著 した 『
史通』は,中国で最初の史学方法論の尊者である それは,それまでに書かれた史
。
書 を分類することに始 まり,史書 には何を書 くべ きで何を書 くべ きではないか, いかなる叙述 につ とめるべ きか,歴史家 は
どのような態度で史書の編纂 に臨むべ きか,などの問題 に論及するO さらには,たとえばその 「
疑古」篇 において,『尚書』
『
論語』 などの経典 に記 される古代の史実, なかで も聖人 とされる人物 たちが とった行為 に対 して草薙な疑義が投 げかけら
れ,また 「
惑経」篇 において,孔子が編幕 したとされる 『
春秋』の叙述方法 に対 してす ら数多 くの問題点が提示 されている。
『
史通』は,一方で正史編纂のための道標 としてその後の史書編纂に応用 され,またその旺盛な批判精神 に対 して高い評価が
与え られたが,一方で司馬遷 ・班固 ら代表的なそれ までの歴史家のみな らず,古代の聖人たちを も好んで謀 るものとして,
厳 しく批判 されて きたO
この 『
史通』の各種刊本が出て一般 に流布 し,さらにこれに対する研究が始 まったのは明代の中晩
1
6世紀か らであ った.
『史適』は 8世紀初期 に著 されたものであり,明代中頃までにはすでに 8
0
0年以上 の隔たりがあったため,以後の研究でまず
必要であったのは,劉知幾の本来の 『
史通』本文 はどのような ものであったかを定める校勘であった。 また 『
史通』 は,数
多 くの典故を踏んで叙述 され文章 も難解であったため,注釈が必要であった。 さらには 『
史通』 には独創的な見解が多 く見
られるとともに, 儒教では聖人 とされる人物 まで容赦な く批判するものであったか ら,その個々の論点に対 して様 々に穀誉
褒腔が加え られたOつまり 『
史通』研究 は,明代中頃か ら現在 にいたるまで,校勘,注釈及 び批評の三点か らなされて きた
のである。
本論文は,明清時代か ら民国期に及ぶまで,
『
史通』が この校勘,注釈,批評の三点でどのように研究 されて きたのか との
問題 について, これを主 に書誌学的手法を もって究明 したものである。 なかで も世界の主要漢籍図書館に所蔵 され る各種の
『
史通』
,及び 『
史通』 の注釈書 ・評論書を精査 して各刊本の優劣を比較 し, さらにそれ ら各種刊本に明 ・清 ・民国各代の研
究者が書 き込んだ序紋 と批注を徹底 して調べあげ, もって 『
史通』 が各時代 にどのように受容 され論評 されていたのかを請
じた点 は,高 く評価 されればな らない。
本研究の成果ない しは独創的な点 として,以下の ものをあげることがで きる。
‑3
5‑
まず本論文は,従来容易に手 にす ることのできた各種刊本を比較するだけではな く,世界の主要漢籍図書館 に所蔵 される
『史通』及び 『史通』の関連図書を博捜することによって,い くつかの発見をな している。たとえば清の黄叔琳 『史通訓故補』
が,明の郭延年 『
史通評釈』 を陸深刊 本を改蔑 した もの と非難 し,内容 も雑駁で校訂 もおろそかであると酷評 しなが ら,そ
の実その外篇補注で出所 を明示 しないものの半分以上が郭延年の注を用いた ものであり,一字 も変更せずに踏襲 している例
も少 な くないことを発見 している. また国立中央図書館 (
台北)所蔵烏孫欄抄本 『
史通』 が,他の明刊 本 よりも慮文沼 『
群
書拾補』所収の宋本 に近 く, さらには 『
群書拾補』 所収の宋本 よりも内容の点で正 しい場合があると指摘する。 これは従来
ほとんど注意 されなか ったことで,今後の 『
史通』の校勘では烏練欄抄本 はもっと重視 されねばならないO中国本土,台湾,
日本のどの図書館 にどのような刊本が現存す るのかを示 した 「
現存 『
史通』版本一覧表」も有用である.
以上の成果 と関連 して, それ ら世界の図書館に所蔵 され る個々の 『
史通』及 び関連図書 に対 して,明 ・清 ・民国各時代の
研究者 たちがどのような序枚を書 き込み,欄外の各処 にどのような批注を書 き込んだのか徹底 して調査 し, これをもって各
時代 における 『
史通』の受容 とそれに対する評論 との考察のための基礎資料 としていることも,本論文の貴重 な成果 と言わ
ねばな らない。たとえば,明末清初期 については,銭陸燦,裾野,何蝉の書 き込みが紹介 され,正統論 について,歴史人物
,
,
への評価 について,歴史家への評価 について 「
疑古」篇 「
惑経」篇についてなど 『
史通』が提起 した諸問題 に対する彼 ら
の見解が検討 される。ここで検討 される 『
史通』研究者 は合計約 3
0人に及び,論者が踏査 した図書館 は主なところだけで も
北京図書館,北京大学図書館,中国科学院図書館 (
北京),南京図書館,上海図書館,故宮博物院 (
台北),中央研究院博斯
年図書館 (
台北)
,国立中央図書館 (
台北)
,静養堂文庫 (
東京)
,関西大学図書館内藤文庫 (
大阪)などに及ぶ.付録 1とし
て掲 げる 「
筆者既兄の善本 『史通』序抜」 こそ, それ ら書 き込み原文であって,現代の 『
史通』研究者 は, ここ数百年の問
にこれまでの 『
史通』研究者 たちがどのような批評を加えて きたのか,居なが らに して知 ることができるようになった。
『
史通』がいかに受容 され批評 されたかの例 として,明代の主催倹によってなされた 『
史通訓放』の編纂
さらに本論文 は,
ど,清代の紀頭によってなされた 『史通削繁』の編纂をとくに取 り上げる。王惟倹は河南省の人であり,河南省人のネット
ワークを利用 し,彼 らの助力を受 けなが ら 『史通』記事の出典調べを徹底 して行い, この注釈書を著 したこと,それが 「
萄
本」あるいは 「
萄本」系のテキス トを底本 としたこと,その校勘がおおむね妥当なこと,校勘のためには合計 90余の書物が
用い られたこと,彼 は経世の書 として 『
宋史記』の編纂を意図 してお り,
『史透訓故』はその編纂原則を定める基礎作業で も
あったこと,などを指摘 している。また清代乾隆年間に紀絢は,
『史通』のなかで 「
疑古」第など彼が不適当 と考える部分を
『史適削繁』を著 した。これがち ょうど 「
文字の獄」の時代になされたことであったので,増井経夫はかつて,
勝手 に削除 し,
名教を護持するために時代的な使命を帯 びてこの書が現れた, と評価 した0本論文は紀絢の周辺でなされた 『史通削繁』に
かかわる言説か ら判断 し,本文を勝手に剰 除す ることにはむ しろ批判の方が強か ったことを論証 している。 さらに 『
史通』
の流布 と受容の背景 には,科挙の問題で しば しば史学策が出題 されたことがあ ったとの指摘 も,首肯できる。
本論文 はこのように,主 に明清時代 において 『
史通』が どのように受容 され, これにどのような評論が加え られたのかを
明 らかに してお り, とくにこの書 に関する書誌的調査では現在の水準を大 きく超えていると言 ってよい。実 は 『
史通』諸版
本 についての この様な徹底 した調査 は,かつて燕京大学教授で‑‑ヴァ‑ ド・エ ンチ ン研究所研究員でもあ った洪業 (ウイ
リアム ・ホン)が志 した ものであったが,業半ばに して死去 したため成 らなか ったものである。本論文には漁業の企てを継
承 しようとする意欲が見 られ, さらにここでは供業 白身による書 き込み も調査の対象 となっている。すなわち,洪業の意図
はここにかな りの程度達成 されただけではな く,一部ではこれを超えていると評価できる。
ただ本論文にも問題がないわけではな い。 最 も大 きな問題 は,本研究が 「中国近世史学評論史」の研究を目指 し,『
史通』
の場合に即 して序級や批注の書 き込みを も精査収集する徹底 した書誌的調査を行いなが ら,それ らが書かれた同時代の史学
研究ない しは史学評論 を十分 に視野 に入れていないため,史学評論史全体のなかでの 『
史通』評論史の意味が十分に位置づ
けられていないことである。 また王惟倹が 『
史通訓故』を著 した意味を考察す るに当たっては,彼が明代史つ まり 「
現代史」
を書 こうとしていたことを
踏
まえる必要があろうし,紀的が 『
史通削繁』を著 した意味を考察す るに当たって も,当時の 「
文
字の獄」の意味を正面 か
ら 捉
える必要があったであろう。 しか しこれ らの諸点 は,論者 自らによって克服 され,今後大 きな
中国近世史学評論史研究
と
な
って結実す るものと期待できるo
に
よ
り
内
容
と
以上,審査 したところ
日に調査委員三名が論
文
,本論文 は博士 (
文学)の学位論文 として価値あ るものと認め られる。なお,2000年 2月 2
2
それに関連 した事柄について口頭試問を行 った結果,合格 と認めた0
‑3
6‑・
TITLE:
中国近世史学評論史研究 - 「史通
」学を中心に( Abstract_要旨 )
AUTHOR(S):
楊, 文信
CITATION:
楊, 文信. 中国近世史学評論史研究 - 「史通」学を中心に. 京都大学,
2000, 博士(文学)
ISSUE DATE:
2000-03-23
URL:
http://hdl.handle.net/2433/180781
RIGHT:
At
l.
・
.
.
I:
I.
'
‑
ヨウ
楊
文
′
し
名
"文
氏
博
士
学 位 記 番 号
文
博
学位授与の 目付
平 成 1
2年 3 月 2
3日
学位授与の要件
学 位 規 則 第 4 条 第 1項 該 当
研 究 科 ・専 攻
文 学 研 究 科 東 洋 史 学 専 攻
学位論文題 目
中国近世史学評論史研尭
‑
(
主
論 文調査委 員
第
二の
H
M
別
山
E
:
学位(
専攻分野)
『史通』学を中心 に‑
査)
教 授 夫 馬
進
論
教 授 砺 波
文
内
容
護
の
要
教 授 杉 山正 明
旨
中国唐代の人,劉知幾が書 いた 『
史通』 は,中国における代表的な史学方法論の書 とされる0本論文は, この 『
史通』が
後也
なかで も明清時代にいかに受容 され論評 されたのかという問題につ き, これをお もに書誌学の手法によって明 らかに
した ものである。 本文は 5章か らなり,ほかに付録 2編が付 けられているO
第 1葦では,本研究の研究意義 とこれまでの研究史が述べ られ る。
『史通』の明清時代における受容を明 らかにするために
は, その版本の異同を徹底的に調査す る必要があるが, これまでの研究ではこの点 をなおざりに して きた。本研究では 『
史
通』 版本を調査することを主眼 とし, これを基礎 として清代史学評論史を樹立 しようとする, と研究 目的を述べる0
第 2葦 「
版本 ・校勘篇」では,
『
史通』諸版本の調査 とともに,民国期の研究者であ った洪業の 『
史通』版本研究が述べ ら
萄本)
,嘉靖 1
4年陸深刻
れ る。 まず中国大陸,台湾, 日本の図書館を調査 した結果,明代刻 本 として,正徳 ・嘉拷問刻本 (
本 (
陸本)
,寓暦 4年泳 一貫校刻本,寓暦 5年張之象校刻本,寓暦 6年胡東塘刻 本,寓暦 3
0年張鼎思校刻本 (
鼎本)
,寓暦 3
2
年刻本郭延年 『史適評釈』
,寓暦刻本陳継儒 『史通 (
訂)註』
,天啓 ・崇福間刻本李絶境評 ・郭延年附評 『史通評釈』
,高暦 3
9
年刻本王惟倹 『
史通訓故』の各種およびそれ らの再刻本,三刻 本などがあるとす る。 さらに酒代の 『史通』渚版本をも調査
し,
「
現存 『
史通』版本一覧表」を掲 げて これまでの研究の空白を補 っている。 これにより,たとえば萄本が台湾所蔵の一部
史通評釈』 を低 く評価するが,両
のみであるというこれまでの認識が誤 りであること,黄叔琳 『
史通訓放補』では郭延年 『
者を対照すると前者の注釈の多 くが後者 より踏襲 したものであると指摘する。 諸本のなかでは特 に国立中央図書館 (
台湾)
蔵の 「
烏孫欄本」を詳細 に調査 し, これが萄本や象本 と比較 して も 『
群書拾補』所引の宋本に近 く, さらにはその内容 につ
いては宋本 より 「
局線欄本」の方が正 しい場合があるとする。最後 にかって燕京大学教授 ・‑‑ヴァ‑ ドエ ンチン研究所研
究員であった供業の 『
史通』研究を紹介 し,彼の業績を高 く評価す る。
第3
牽 「
社会 ・学術篇」では,明活時代に 『
史適』がどのように受容 され,研究 されていたのか, またどのように普及 し
たのかを考察する。第 1節 「
『
史通訓故』の編纂よ り見た晩明河南 の知識人 と学術」では,明代河南省の人,王惟倹の 『
史通
訓故』がどのように編纂 されたかを究明する。『史通訓故』 は河南人のネッ トワークを活用 し,「萄本」あるいは 「萄本」系
の ものを底本 とし,同 じく彼が編纂 した 『
文心離龍訓放』 にな らい,数多 くの文献を用 いて注釈が加え られ,比較的よい評
価を得た。
『
史通』研究史を研究 した増井経夫 は,王惟倹の 『
史通訓故』の出現を,官僚 としての保身 と文人 としての名声を
得ん とす る学風の現れであり, 自由奔放 さを失 い 「
穿隻の癖」 に陥 る清朝考証学の先駆 けとして評価するが, この評価 は事
『
史通削繁』は "
時代的な使命"を荷 っていたか」は,清代の紀頭の 『
史通削繁』につい
実 と合わないと主張する。第 2節 「
て論ずるO紀魂が 『
史通削繁』を編纂 し,劉知塊の本来の 『
史通』のうち問題のある本文その ものを削除 したことを,
「
文字
の獄 」 の時代 に名教を護持するため,時代的な使命を帯 びて現れた, と増井経夫が評価 したのに対 して,当時の一般の知識
人の感覚では,
『
史透』 本文をまで削除 しようとす るのはむ しろ例外的であったことを論証 し批判す る。第 3節 「
『
史通』の
普及 と科挙試験の史学策」では,
『
史通』が明惰時代 に普及 した大 きな要因 として,科挙問題で しば しば史学策が出題 された
‑
.
‑3
1‑
ことを指摘する。 つまり,受験生 は受験対策 として 『史通』を読んでお く必要があったとす るのである。第 4節 「
章学誠一
情代の劉子玄‑ の 『
史通』観の変遷」では,劉知幾 と並ぶ史学理論家 として知 られ る章学説 を論ずる。従来の研究では,章
学誠 は劉知幾の大 きな影響を受 けたとして評価す るか,逆 に章学誠の独創性を強調す るため劉知幾の影響を極力低 く評価す
るかであったが, ここでは章学誠の 『
史適』観の変化が跡づけられる。そ して章学誠の 『
史通』観 は学問の成熟過程 にとも
なって変遷するが,劉知幾 に対す る尊敬の念 は生涯変わ らなか ったとす る。
第 4章 「
評論 ・注釈篇」では,清代を通 じ 『
史通』に対 してどのような評論が加え られ,注釈が加え られたかを,主 に世
界の主要漢籍図書館 に残 る 『
史通』への書 き込みを調査す ることによって明 らかにす る。清初の人 としては銭陸燦 (
北京図
書館所蔵 「
鼎本J
)
,鵜野 (
静嘉堂文庫所蔵 「
鼎本」初修影印本など)
,何蝉 (
南京図書館所蔵貴重烈旧蔵 「
嘉靖本」
)の 『史
,
通』評論が,正統論,歴史人物への評価,歴史家への評価 『
史通』が提起 した史書の書志 ・表 の存廃問題 に対す る考え,
『
史
通』
「
疑古」篇 「
惑経」第にたいする評価,『
史通』の論説の誤謬の指摘などの問題 に即 して検討 される。乾隆年間の人 とし
ては,南京図書館所蔵の黄叔琳 『
史適訓故補』への浦起龍の書 き込み,紀的 『
史通削繁卦で述べ られる意見などが検討 され
る。 嘉慶年間か ら清末民初 までは丁宴,喬載顕,唐翰題,株屋,楊守数,慮靖,博増瀬,呉慈培,部邦述,糞景葵,謬茎孫,
孫敏修,朱希祖,莫友芝その他の書 き込みが検討 される0
域外嘉一 日本での 『
史通』受容の一二一」では, 日本の江戸時代 に 『
史通』がいかに受容 されたかを論ずるO こ
第 5章 「
こでは従来指摘 されなか ったこととして,林窓の 『
史通』観などが紹介 されるO
筆者既鬼の善本 『
史通』序抜」を掲げる。ここでは上海図書館所蔵 『
史通通釈』
,中国科学院図書
最後 に,付録 1として 「
」『史通』2部それぞれ,北京大学図書館所蔵
館所蔵 『
史通評釈』
,北京図書館所蔵 「
象本
」
」
」
「
陸本」
『
史通』,北京図書館所蔵
」
「陸本 『
史通』
,北京図書館所蔵 「
張本 『
史通』,上海図書館所蔵 「
張本 『
史通』
,上海図書館所蔵 「
沈一貫本 『
史通』
,南京
図書館所蔵「
隆本」
『
史通』など,合計 1
8の『
史通』注釈書 に書かれた序践原文が紹介 される。さらに付録 2として,
●史通』及 び『
』「象本」 巻 7 「鑑識」 と 『史適通釈』 巻 7 「曲筆」 の錯簡を示す影印 2枚を付す る。
本文の理解を助 けるため, 『
史通
論 文 審 査 の 結 果 の 要 旨
唐代の劉知幾
(
6
6
1‑7
2
1
)が著 した 『
史通』は,中国で最初の史学方法論の尊者である それは,それまでに書かれた史
。
書 を分類することに始 まり,史書 には何を書 くべ きで何を書 くべ きではないか, いかなる叙述 につ とめるべ きか,歴史家 は
どのような態度で史書の編纂 に臨むべ きか,などの問題 に論及するO さらには,たとえばその 「
疑古」篇 において,『尚書』
『
論語』 などの経典 に記 される古代の史実, なかで も聖人 とされる人物 たちが とった行為 に対 して草薙な疑義が投 げかけら
れ,また 「
惑経」篇 において,孔子が編幕 したとされる 『
春秋』の叙述方法 に対 してす ら数多 くの問題点が提示 されている。
『
史通』は,一方で正史編纂のための道標 としてその後の史書編纂に応用 され,またその旺盛な批判精神 に対 して高い評価が
与え られたが,一方で司馬遷 ・班固 ら代表的なそれ までの歴史家のみな らず,古代の聖人たちを も好んで謀 るものとして,
厳 しく批判 されて きたO
この 『
史通』の各種刊本が出て一般 に流布 し,さらにこれに対する研究が始 まったのは明代の中晩
1
6世紀か らであ った.
『史適』は 8世紀初期 に著 されたものであり,明代中頃までにはすでに 8
0
0年以上 の隔たりがあったため,以後の研究でまず
必要であったのは,劉知幾の本来の 『
史通』本文 はどのような ものであったかを定める校勘であった。 また 『
史通』 は,数
多 くの典故を踏んで叙述 され文章 も難解であったため,注釈が必要であった。 さらには 『
史通』 には独創的な見解が多 く見
られるとともに, 儒教では聖人 とされる人物 まで容赦な く批判するものであったか ら,その個々の論点に対 して様 々に穀誉
褒腔が加え られたOつまり 『
史通』研究 は,明代中頃か ら現在 にいたるまで,校勘,注釈及 び批評の三点か らなされて きた
のである。
本論文は,明清時代か ら民国期に及ぶまで,
『
史通』が この校勘,注釈,批評の三点でどのように研究 されて きたのか との
問題 について, これを主 に書誌学的手法を もって究明 したものである。 なかで も世界の主要漢籍図書館に所蔵 され る各種の
『
史通』
,及び 『
史通』 の注釈書 ・評論書を精査 して各刊本の優劣を比較 し, さらにそれ ら各種刊本に明 ・清 ・民国各代の研
究者が書 き込んだ序紋 と批注を徹底 して調べあげ, もって 『
史通』 が各時代 にどのように受容 され論評 されていたのかを請
じた点 は,高 く評価 されればな らない。
本研究の成果ない しは独創的な点 として,以下の ものをあげることがで きる。
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5‑
まず本論文は,従来容易に手 にす ることのできた各種刊本を比較するだけではな く,世界の主要漢籍図書館 に所蔵 される
『史通』及び 『史通』の関連図書を博捜することによって,い くつかの発見をな している。たとえば清の黄叔琳 『史通訓故補』
が,明の郭延年 『
史通評釈』 を陸深刊 本を改蔑 した もの と非難 し,内容 も雑駁で校訂 もおろそかであると酷評 しなが ら,そ
の実その外篇補注で出所 を明示 しないものの半分以上が郭延年の注を用いた ものであり,一字 も変更せずに踏襲 している例
も少 な くないことを発見 している. また国立中央図書館 (
台北)所蔵烏孫欄抄本 『
史通』 が,他の明刊 本 よりも慮文沼 『
群
書拾補』所収の宋本 に近 く, さらには 『
群書拾補』 所収の宋本 よりも内容の点で正 しい場合があると指摘する。 これは従来
ほとんど注意 されなか ったことで,今後の 『
史通』の校勘では烏練欄抄本 はもっと重視 されねばならないO中国本土,台湾,
日本のどの図書館 にどのような刊本が現存す るのかを示 した 「
現存 『
史通』版本一覧表」も有用である.
以上の成果 と関連 して, それ ら世界の図書館に所蔵 され る個々の 『
史通』及 び関連図書 に対 して,明 ・清 ・民国各時代の
研究者 たちがどのような序枚を書 き込み,欄外の各処 にどのような批注を書 き込んだのか徹底 して調査 し, これをもって各
時代 における 『
史通』の受容 とそれに対する評論 との考察のための基礎資料 としていることも,本論文の貴重 な成果 と言わ
ねばな らない。たとえば,明末清初期 については,銭陸燦,裾野,何蝉の書 き込みが紹介 され,正統論 について,歴史人物
,
,
への評価 について,歴史家への評価 について 「
疑古」篇 「
惑経」篇についてなど 『
史通』が提起 した諸問題 に対する彼 ら
の見解が検討 される。ここで検討 される 『
史通』研究者 は合計約 3
0人に及び,論者が踏査 した図書館 は主なところだけで も
北京図書館,北京大学図書館,中国科学院図書館 (
北京),南京図書館,上海図書館,故宮博物院 (
台北),中央研究院博斯
年図書館 (
台北)
,国立中央図書館 (
台北)
,静養堂文庫 (
東京)
,関西大学図書館内藤文庫 (
大阪)などに及ぶ.付録 1とし
て掲 げる 「
筆者既兄の善本 『史通』序抜」 こそ, それ ら書 き込み原文であって,現代の 『
史通』研究者 は, ここ数百年の問
にこれまでの 『
史通』研究者 たちがどのような批評を加えて きたのか,居なが らに して知 ることができるようになった。
『
史通』がいかに受容 され批評 されたかの例 として,明代の主催倹によってなされた 『
史通訓放』の編纂
さらに本論文 は,
ど,清代の紀頭によってなされた 『史通削繁』の編纂をとくに取 り上げる。王惟倹は河南省の人であり,河南省人のネット
ワークを利用 し,彼 らの助力を受 けなが ら 『史通』記事の出典調べを徹底 して行い, この注釈書を著 したこと,それが 「
萄
本」あるいは 「
萄本」系のテキス トを底本 としたこと,その校勘がおおむね妥当なこと,校勘のためには合計 90余の書物が
用い られたこと,彼 は経世の書 として 『
宋史記』の編纂を意図 してお り,
『史透訓故』はその編纂原則を定める基礎作業で も
あったこと,などを指摘 している。また清代乾隆年間に紀絢は,
『史通』のなかで 「
疑古」第など彼が不適当 と考える部分を
『史適削繁』を著 した。これがち ょうど 「
文字の獄」の時代になされたことであったので,増井経夫はかつて,
勝手 に削除 し,
名教を護持するために時代的な使命を帯 びてこの書が現れた, と評価 した0本論文は紀絢の周辺でなされた 『史通削繁』に
かかわる言説か ら判断 し,本文を勝手に剰 除す ることにはむ しろ批判の方が強か ったことを論証 している。 さらに 『
史通』
の流布 と受容の背景 には,科挙の問題で しば しば史学策が出題 されたことがあ ったとの指摘 も,首肯できる。
本論文 はこのように,主 に明清時代 において 『
史通』が どのように受容 され, これにどのような評論が加え られたのかを
明 らかに してお り, とくにこの書 に関する書誌的調査では現在の水準を大 きく超えていると言 ってよい。実 は 『
史通』諸版
本 についての この様な徹底 した調査 は,かつて燕京大学教授で‑‑ヴァ‑ ド・エ ンチ ン研究所研究員でもあ った洪業 (ウイ
リアム ・ホン)が志 した ものであったが,業半ばに して死去 したため成 らなか ったものである。本論文には漁業の企てを継
承 しようとする意欲が見 られ, さらにここでは供業 白身による書 き込み も調査の対象 となっている。すなわち,洪業の意図
はここにかな りの程度達成 されただけではな く,一部ではこれを超えていると評価できる。
ただ本論文にも問題がないわけではな い。 最 も大 きな問題 は,本研究が 「中国近世史学評論史」の研究を目指 し,『
史通』
の場合に即 して序級や批注の書 き込みを も精査収集する徹底 した書誌的調査を行いなが ら,それ らが書かれた同時代の史学
研究ない しは史学評論 を十分 に視野 に入れていないため,史学評論史全体のなかでの 『
史通』評論史の意味が十分に位置づ
けられていないことである。 また王惟倹が 『
史通訓故』を著 した意味を考察す るに当たっては,彼が明代史つ まり 「
現代史」
を書 こうとしていたことを
踏
まえる必要があろうし,紀的が 『
史通削繁』を著 した意味を考察す るに当たって も,当時の 「
文
字の獄」の意味を正面 か
ら 捉
える必要があったであろう。 しか しこれ らの諸点 は,論者 自らによって克服 され,今後大 きな
中国近世史学評論史研究
と
な
って結実す るものと期待できるo
に
よ
り
内
容
と
以上,審査 したところ
日に調査委員三名が論
文
,本論文 は博士 (
文学)の学位論文 として価値あ るものと認め られる。なお,2000年 2月 2
2
それに関連 した事柄について口頭試問を行 った結果,合格 と認めた0
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