アメリカと中国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 02:15 UTC 版)
ビルマの戦いでの中国軍(国民党軍)は10万名が戦死、編成時3,000名を擁していたアメリカ軍メリルズ・マローダーズ(英語版)は、ミイトキーナの戦いまでの間に戦死・負傷・戦病を含め8割の損害を被った。 アメリカは勝利によって援蔣ルートを回復し、中国を連合国につなぎとめることに成功した。しかし米中連合軍がレド公路打通を達成したとき、最大の功労者スティルウェルの姿はそこにはなかった。スティルウェルは1944年10月19日、蔣介石によって中国軍における役職を剥奪され、ワシントンへ召還されていた。その理由はスティルウェルがルーズベルトを介し、中国軍全体の抜本改革を任せるよう要求したことに対して、蔣介石が反発したことが原因だった。 もしスティルウェルの計画が完全に実施されていたら、中国国民党軍が中国共産党軍に敗れることもなかったかもしれない。蔣介石政府へのアメリカの巨額の軍事援助は水泡に帰し、アメリカは中国大陸を制圧した共産主義政権と、朝鮮戦争、ベトナム戦争を戦うことになるのである。ただしトルーマン政権のアジア政策も対中政策を最も重要視し、国共内戦の調停を成立させることによって中国の「大国化」を達成しようとしたが、蔣介石は最大の援助国アメリカの内戦回避の意向を無視して内戦を起こしたことでアメリカは中国の経済援助政策を打ち切り(当初は軍事支援は受けていた)、さらにアメリカも中国内戦から撤退したため、蔣介石自身にも非はある。
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