イタリアの攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 01:35 UTC 版)
「ビル・ハケイムの戦い」の記事における「イタリアの攻撃」の解説
1942年5月26日夜間、ロンメルは攻撃を開始、戦いの主導権を握った。第15、第21装甲師団、及び第90軽歩兵師団とトリエステ、アリエテの両イタリア師団は、ビ=ラケムを大きく取り囲むために南下した。このドイツ軍の攻撃を不意を突かれたイギリス機甲部隊は混乱の中、即席の部隊を編成して反撃を行ったが、多数の死傷者を出すこととなった。この動きの中、ケーニグは部隊を召集、即座に反撃を行うよう命令した。5月27日午前9時、ロンメルはジュゼッペ・デ・ステファニス(イタリア語版)将軍に命令を下し、アリエテ師団に南東からビル・ハケイムを攻撃するよう命令した。アリエテ師団にはM13/40を装備した第132戦車連隊 (イタリア軍)(イタリア語版)、第8ベルサリエーリ連隊(イタリア語版)、第132砲兵連隊(イタリア語版)が所属しており、午前9時半、2回連続して自由フランス軍を攻撃した。ベルサリエーリ連隊は装甲部隊の前進を支援するために、トラックから下車して戦おうとしたが、フランス砲兵部隊の集中砲火により、撤退せざるを得なくなった。装甲車両は歩兵の支援無しに、果敢にも地雷原横断を行い、なんとか戦車6両が防衛線を突破、地雷と対戦車砲の攻撃を避けようとしたが、75mm砲の攻撃で撃破され、乗員は捕虜となった。自由フランス軍のアンドレ・モレル(André Morel)大尉は第5中隊を率いて必死の防戦を行い、中隊旗と機密文書を焼き払わなければならないと考えるまでに至っていた。 アリエテ師団はたった45分の戦闘で戦車が33両となっていたが、残存戦車は北から攻撃を行い、自由フランス軍の側面を攻撃しようとした。しかし、Vゾーン地雷原にこの動きを阻止された。そのため、第132戦車連隊連隊長パスクワーレ・プレスティシモーネ(イタリア語版)を含む91名の捕虜と32両の破壊された戦車を残し、再編成を行って退却した。この戦いでは200から400mの至近距離で対戦車砲撃を行い、フランス兵は後退せず、トラック、砲門が破壊されたが、たった2人のフランス兵が負傷しただけであった。さらに、イタリア第27歩兵師団も南で敗退したが、ビル・ハケイムの北方では第5インド歩兵旅団(英語版)は撃破された。そして、弱体化していたイギリス第4歩兵旅団(英語版)、第7機甲旅団はビル・エル・グビ(Bir-el-Gubi)、エル・アデム(イタリア語版)へ退却せざるを得なくなり、ビル・ハケイムは完全に孤立化した。 5月28日、29日、イギリス空軍はビル・ハケイム周辺を爆撃したが、イタリア軍戦車の残骸を誤認、効果は上がらなかった。ケーニグはこの誤認を重く見て、ド・ラマーズ(フランス語版)大尉に戦車の残骸を破壊するよう命令を行った。さらにイギリス第150旅団(英語版)と連絡を取るために部隊を派遣、北の遠方に配置された。2、3時間後、イタリア砲兵部隊がこれを攻撃したが、フランス部隊は反撃、なんとかイタリア軍のハーフトラック7台を破壊した。5月29日、ガブリエル・ブリュネ・ド・セリニェ(フランス語版)大尉の分遣隊はドイツ軍戦車3両を破壊、この日のことをサン=ティリエはこう語る。「我々の砦には情報も送られず、ただ、インド第3旅団(英語版)がイタリア第27歩兵師団の戦車44両を破壊したこと、イギリス第4、第7旅団がビル・エル・グビとエル・アデムへ退却したことだけ知っていた。」 5月30日、31日は一度だけ地雷原への侵入があったのみで、ビル・ハケイムは平穏であった。 枢軸軍の捕虜となっていたが、砂漠のど真ん中で解放されたインド兵620名がビル・ハケイムへ到着したが、すでに枢軸軍の捕虜243名を抱えていたビル・ハケイムは水が不足する可能性が存在した。そのため、ド・ラマーズ大尉の分遣隊はイギリス第7機甲師団(英語版)の要求により、枢軸軍装甲部隊が地雷原を突破する前に、防衛線を封鎖、外部からの侵入を拒んだ。アミラクヴァリ大佐に率いられた部隊は敵の待ち伏せを受けたが、ピエール・メスメル率いる第9中隊のユニバーサル・キャリアの援護を受けて退却することができた。 5月31日、ジャン=ピエール・デュロー(フランス語版)大尉に率いられた第101自動車化中隊が50台の水槽車を伴って、ビル・ハケイムに到着、帰還の際には、インド兵、および捕虜を後送した。アミラクヴァリ大佐の指揮の元、メスメル、ド・ルー、ド・サリニェの各分遣隊による奇襲は枢軸軍の戦車5両と車両修理場を破壊した。ドイツ軍はイギリス第150旅団の反撃により、一時的に西へ退却したが、その夜、ドイツ軍の攻撃によりビル・ハケイム北方で撃破され、翌朝、再びビル・ハケイムは包囲された。
※この「イタリアの攻撃」の解説は、「ビル・ハケイムの戦い」の解説の一部です。
「イタリアの攻撃」を含む「ビル・ハケイムの戦い」の記事については、「ビル・ハケイムの戦い」の概要を参照ください。
- イタリアの攻撃のページへのリンク