イタリア海軍の活躍と戦争終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/08 10:32 UTC 版)
「伊土戦争」の記事における「イタリア海軍の活躍と戦争終結」の解説
イタリア軍は海軍優位を生かし、内陸部遠征への援護としてオスマン帝国本土に対する攻撃を多方面で敢行した。1912年1月7日、紅海沿岸を巡察していたイタリア海軍はアラビア半島の港町クンフダーを攻撃し、7隻の古いオスマン軍船を撃沈させた。続いて2月24日にはジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦「フランチェスコ・フェルッキオ」と「ジュゼッペ・ガリバルディ」がレバノンのベイルート港に突入、応戦したオスマン海軍の装甲艦「アヴニッラー」と水雷艇「アンカラ」を撃沈する一方的な勝利を収めた(ベイルート海戦)。オスマン海軍を殲滅した後、損害のなかったイタリア海軍はベイルート市街地を砲撃で徹底的に破壊して帰還した。 敗戦はオスマン海軍の弱体さを示すと共に、東地中海の制海権が完全に失われた事を示した。イタリアはエリトリア駐屯軍を増強して東西からオスマンの北アフリカ領を圧迫することができるようになった。また4月以来、イタリア海軍はエーゲ海にまで足を伸ばしてダーダネルス海峡の封鎖により首都イスタンブールを砲撃したり、ドデカネス諸島とロドス島を占領するなど本土周辺を自国近海のように自由に行動した。7月にイタリアはダーダネルス海峡へ潜水艦を増派したが、海峡閉鎖による海運の中断を憂慮したロシアがイスタンブールに圧力を行使したため、オスマン側は十分な対応を取ることができなかった。 これらは単にオスマン帝国に精神的な屈辱を与えるだけでなく、状況を見ていたバルカン諸国に大きな自信感を与えた。北アフリカに軍が食い込んでいる事も然ることながら、イタリア海軍が東地中海を席巻する事は、バルカン方面のオスマン軍が非常に不利な状態になる事を意味した。1912年後半、ブルガリア、セルビア、ギリシャはバルカン同盟を結成、イタリア海軍によって孤立させられていたバルカン半島のオスマン軍を攻撃した(第一次バルカン戦争)。 一方、1912年1月16日と18日の両日にわたり地中海上でオスマン軍に渡す軍需品を積んでいたフランス国籍の郵便機船2隻がイタリア海軍に臨検を受け、サルデーニャへ連行される事件が発生した(カルタゴ・マヌーバ事件)。この問題で、フランス政府が抗議して船舶は釈放されたが、イタリアではオスマン側に対する兵器供給を傍観したフランスを糾弾する感情が強くなった。フランスもトリポリタニアでの戦争が自国の北アフリカ属領に及ぼす影響を警戒したので、三国協商と三国同盟の間で綱渡り外交を展開するイタリアの意図に疑いを抱いていた。仏伊間の葛藤は終戦後の1912年10月28日、モロッコとリビアの相互支配を認めた協定が締結されたことにより収まった。 @media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important} トブルクに向けて出撃するイタリア艦隊 ベイルートを艦砲射撃するイタリア艦隊 ベイルートで撃沈された「アヴニッラー」 紅海のクンフダー湾で撃沈された砲艦「バフラ(Bafra)」
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