イタリア空軍入隊後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/26 15:42 UTC 版)
「フェルナンド・マルヴェッツィ」の記事における「イタリア空軍入隊後」の解説
1935年に操縦資格を取得、第3航空団第85飛行隊に配属となった後、第116飛行隊の配属となり、偵察機の乗員としてエチオピア侵攻作戦に参加した。この際の実戦経験から空軍パイロットへの憧れを持ち、帰国後は正規任官を目指してフィレンツェの空軍学校へ入学して課程を終えると、教官としてフォリーノ飛行学校に配属となった後、第85飛行隊に配属された。 第二次大戦開戦直前に「変人(Picchiatello)」というあだ名で呼ばれていた急降下爆撃機の操縦士に選ばれ、グラーツにあるドイツ空軍急降下爆撃学校に派遣となり、シュトゥーカの飛行訓練を行った。この訓練は期間は短かったものの、密度の高いものであり、終了後は独立第96急降下爆撃航空群に配置されたシュトゥーカ(Ju87 B-2、Ju87 R-2)の最初の操縦士の1人に選ばれている。 中尉となったマルヴェッツィは第236飛行隊長に仮任命となり、1940年9月のマルタ島とその周辺の目標をイタリア軍のシュトゥーカ部隊が攻撃した際に、初めてシュトゥーカで実戦に参加した。同年10月から翌1941年1月にかけてギリシャ戦線で戦った後、カステルベニートへと移動した。そこで北アフリカ海岸沖のイギリス海軍の艦船攻撃に頻繁に参加し、1941年1月10日にマッツェイ曹長、クレスピ軍曹と共にイギリスの巡洋艦サウサプトンに250kg爆弾を命中、大破させた。翌日の軍広報は、マルヴェッツィ、マッツェイ、クレスピの「変人」3機小隊が巡洋艦に命中させたことを紹介している。 その後、トブルク港に対しての重要な作戦行動に参加したが、4月11日にシュトゥーカで攻撃中に対空砲火を浴びてエンジンに被弾し、不時着したものの軽傷で済んだ。2日後もシュトゥーカで出撃、航空日誌によればトブルク港の船舶に爆撃を行い、1隻に命中させたという。
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