上流域(鳴子町・美豆の小島)
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「江合川」の記事における「上流域(鳴子町・美豆の小島)」の解説
大谷川の鳴子峡 鳴子温泉 鳴子ダムの下流で、右岸から支流の大谷川をあわせる。大谷川は源流域で山形県都の県境になっている川で、江合川に合流する手前では、花渕山の裾野で落差100メートルの断崖に挟まれた険しいV字谷の鳴子峡を形成している。 その崖上には、ここを通過する中山越出羽道(現在の国道47号)の尿前(しとまえ)関所が置かれていた。当地を古代から歌に詠まれた「いはての関」に比定する説もあり、松尾芭蕉の『おくのほそ道』にはここを通過した際の記述が残されている。 大谷川の合流後は東に転じ、鳴子火山群を北に回りこむ。このあたりの右岸には、鳴子火山群の麓に温泉が湧き、川沿いに鳴子温泉、東鳴子温泉、川渡温泉などが点在している。 これらの温泉地帯を過ぎたあたりで、川の両側に小黒ヶ崎山などが迫り、谷が狭まる。ここに「美豆の小島」(みずのこじま)と呼ばれる岩場がある。 をぐろさき みつのこじまの 人ならば 宮このつとに いざと言はましを(大意)小黒ヶ崎と美豆の小島が人だったなら、土産として都に連れていけるのに — 詠み人しらず、『古今和歌集』 人ならぬ いはきもさらにかなしきは みつのこじまの秋の夕暮れ — 順徳院、『続古今和歌集』 さそふべき みつのこじまの人もなし ひとりぞかへる みやここひつつ — 藤原道家、『新後撰和歌集』 ほかにもさまざまな和歌撰集に小黒ヶ崎山と美豆の小島を詠んだものがあるほか、『曾良旅日記』や『おくのほそ道』にも登場する歌名所として知られていた。これらの史料では、小黒ヶ崎山は巨岩・奇岩の岩山で頂部に松の老木が並び、美豆の小島は川の中洲の岩場に三本の松が生える佳景の地として描かれている。しかし、1890(明治23)年に洪水があり、もともと風化していた岩場が損傷したと伝わっている。その後は荒廃していたが、2008(平成20)年から大崎市や地元の有志によって往年の姿を取り戻す取り組みが行われている。しかし、県の管理下にある河道の改修などを伴うため容易ではない、という課題が示されている。 小黒ヶ崎山の麓でいちど谷が狭くなり、江合川は山裾に沿って南に弧を描く。これを過ぎると岩出山町の扇状地が始まる。この「扇の要」部に相当するあたりには、古い時代には池月沼や小黒ヶ崎沼と呼ばれる河跡湖があったと伝えられている。安永期(1772-1780年)の史料では、当時はもう池月沼はなくなっていたとされているが、平安時代に源俊頼が詠んだ歌が遺されている。 小黒崎 沼のねぬなは ふみしだき 日も夕昏に かはづ鳴くなり — 源俊頼、『夫木和歌抄』 この「池月沼」付近は、宇治川の戦いの先陣争いで知られる名馬池月の産地だという伝承があり、池の跡地には馬の神を祀る池月神社の祠があった。この付近には延喜式神名帳掲載の荒雄川神社(里の宮)がある。かつてはこの地点から上流側を「荒雄川」、下流側を「玉造川」と称していた。
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上流域(小平市・小金井市・西東京市)
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「石神井川」の記事における「上流域(小平市・小金井市・西東京市)」の解説
戦後間もない時期の空中写真では、現在の小平市鈴木町一丁目の鈴木小学校体育館付近の谷頭部(周囲標高はおよそ73 m)の湧水を水源とする流路が東へ延びていた。現在でも正門前からゴルフ場へ至る周囲との高低差が3 - 4 mほど、距離が400 mほどの小さな谷地形が東へ延び、これは国土地理院などの地形図でも確認できる。途中でゴルフ場「小金井カントリークラブ」の中を通るが、ゴルフ場の一部で川が地上に露出していた。しかし2000年代初頭頃に埋め立てられた[要出典]。
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