事業化に至るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/22 03:26 UTC 版)
こうした状況下、国と新潟県・新潟市の3者は1992年(平成4年)9月、栗ノ木バイパスに該当する都市計画道路「栗ノ木線」の名称と起点・終点を変更し、紫竹山IC - 寄居町間の延長5.6kmを都市計画道路「万代島ルート線」として計画決定し、翌1993年(平成5年)には柳都大橋の建設が決定。道路を高規格化して栗ノ木バイパスと東港線の各一部を連続立体交差化し、柳都大橋へ直通させる方針も打ち出された。さらに国は1994年(平成6年)12月16日、亀田バイパスの新潟亀田IC - 紫竹山IC間と万代島ルート線全線の延長8kmの区間を「新潟南北道路」として地域高規格道路に指定した。しかし一方、周辺環境の悪化を懸念する地元住民の一部が栗ノ木バイパスと東港線の立体交差化に反対する旨を唱えるなど、計画は難航した。 その後紆余曲折を経て、栗ノ木バイパス北側と東港線の立体交差化は当面見送り、まず渋滞が著しい栗ノ木バイパス南側について連続立体交差化を実施する方針が決定し、「栗ノ木道路」の事業名称で2007年(平成19年)度に事業化された。さらに紫竹山ICの完全立体化と、紫雲橋交差点 - 紫竹山IC間の複雑な道路構造を解消する方針も決定し、「紫竹山道路」の事業名称で2011年(平成23年)度に事業化された。
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