信濃との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:16 UTC 版)
藤原宗忠の『中右記』によると、仲宗は息子たちと共に白河上皇に仕えていたが、寛治8年(1094年)8月17日、嫡男唯清が上皇を呪詛したとして伊豆大島に配流となり、その父や弟にも処分が下った。 父の仲宗 周防国に配流 弟の顕清 越前国に配流 弟の仲清 阿波国に配流 弟の盛清 信濃国に配流 このとき盛清の配流先が更級郡村上郷だったとされており、顕清にも後に村上郷に住したとする説がある[要出典]。
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