学校法人光星学院
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 03:51 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動学校法人光星学院(がっこうほうじんこうせいがくいん)は、青森県八戸市に本部を置き、大学、短期大学部、高等学校、幼稚園を運営している学校法人である。創立者は中村由太郎、理事長は法官新一。
沿革
- 1956年 学校法人白菊学園による光星学院高等学校(現八戸学院光星高等学校)設置
- 1958年 学校法人白菊学園による光星学院高等学校廃止、学校法人光星学院により同校名で再設置される。
- 1967年 しののめ幼稚園(現八戸学院幼稚園)設置
- 1968年 スクールバス運行開始、多賀台幼稚園(現在は廃止)設置
- 1970年 八戸市美保野に学校用地取得(美保野キャンパス)
- 1971年 八戸短期大学(現八戸学院大学短期大学部)設置
- 1972年 野辺地町に学校用地取得(野辺地キャンパス)
- 1973年 光星学院野辺地工業高等学校(現八戸学院野辺地西高等学校)設置、白銀幼稚園(現在は廃止)設置
- 1974年 光星学院高等学校に一種自動車整備士2級課程専攻科(自動車科)設置
- 1976年 聖アンナ幼稚園(現八戸学院聖アンナ幼稚園)設置
- 1978年 びわの幼稚園(現在は廃止)設置
- 1979年 光星学院野辺地自動車工学専門学校(現在は廃止)設置、第二しののめ幼稚園(現八戸学院第二しののめ幼稚園)設置
- 1981年 八戸大学(現八戸学院大学)設置
- 1983年 初代理事長中村由太郎逝去、中村キヤ第2代理事長に就任
- 1986年 光星学院情報処理センター(現八戸学院地域連携研究センター)設置
- 2000年 光星学院高等学校硬式野球部夏の甲子園ベスト4進出
- 2001年 中村覺第3代理事長に就任
- 2003年 光星学院高等学校硬式野球部NEW!!わかふじ国体初優勝
- 2011年 光星学院高等学校硬式野球部夏の甲子園準優勝、神宮大会優勝
- 2012年 光星学院高等学校硬式野球部春・夏の甲子園準優勝
- 2013年 法官新一第4第理事長に就任
校名変更
2012年
2013年
- 3月14日:4月1日より新しい役職として学院主を設けることを発表。初代学院主には第3代理事長の中村覺が就任[2]
- 3月16日:2013年度からの校名変更を正式発表。学校法人については「八戸学院」が定着後に変更することとした。[3]
- 3月18日:八戸学院のシンボルマーク発表。[4]
運営校
- 八戸学院大学(青森県八戸市)
- 八戸学院大学短期大学部(青森県八戸市)
- 八戸学院光星高等学校(青森県八戸市)
- 八戸学院野辺地西高等学校(青森県上北郡野辺地町)
- 八戸学院幼稚園(青森県八戸市)
- 八戸学院聖アンナ幼稚園(青森県八戸市)
- 八戸学院第二しののめ幼稚園(青森県八戸市)
脚注
- ^ 「八戸」前面に 光星学院が校名変更へデーリー東北新聞2012年8月30日(2013年3月22日閲覧)
- ^ 新理事長就任について学校法人光星学院 2013年3月14日(3月22日閲覧)
- ^ 新名称「八戸学院」を正式発表デーリー東北新聞 2013年3月16日(3月22日閲覧)
- ^ 平成25年4月1日、新生「八戸学院」始動学校法人光星学院 2013年3月18日(3月22日閲覧)
関連項目
外部リンク
「光星学院」の例文・使い方・用例・文例
- 準決勝で,光星学院は栃木県の作(さく)新(しん)学院高校を5-0で破った。
- 吉(よし)永(なが)健(けん)太(た)朗(ろう)投手が光星学院を完封した。
- 光星学院の生徒や応援者ら約700人が八戸(はちのへ)市(し)にある同校の体育館のスクリーンで決勝を観戦した。
- 光星学院は東北地方の学校として初の甲子園制覇を果たすことはできなかった。
- 光星学院は3回表に試合を2-2の同点とした。
- 光星学院は5回に1点取って反撃した。
- しかし,6回以降,大阪桐蔭の先発,藤(ふじ)浪(なみ)晋(しん)太(た)郎(ろう)投手は光星学院を無得点に抑えた。
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