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常道とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 人文 > 哲学 > 真理 > 常道の意味・解説 

じょう‐どう〔ジヤウダウ〕【常道】

読み方:じょうどう

つねに人間が守るべき道。「—を踏みはずす」

だれもがとる普通のやり方一般原則かなったやり方。「商売の—」

「常道」に似た言葉

常道

名字 読み方
常道つねみち
名字辞典では、珍しい名字を中心に扱っているため、一般的な名字の読み方とは異なる場合がございます。

常道

読み方
常道つねみち

常陸国

(常道 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/21 07:44 UTC 版)

常陸国

-常陸国
-東海道
別称 常州(じょうしゅう)
所属 東海道
相当領域 茨城県の大部分
諸元
国力 大国
距離 遠国
11郡153郷
国内主要施設
常陸国府 茨城県石岡市常陸国府跡
常陸国分寺 茨城県石岡市(常陸国分寺跡
常陸国分尼寺 茨城県石岡市(常陸国分尼寺跡
一宮 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市
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常陸国(ひたちのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。現在の茨城県の南西部を除いた地域にあたる。

沿革

7世紀に成立した。成立時期については、『常陸国風土記』によれば大化の改新645年)直後に創設されたことになるが、壬申の乱672年)の功臣である大伴吹負が後世の常陸守に相当する「常道頭」(「常陸」ではない)に任じられたとする記事がある事から、「常陸」という呼称の成立を7世紀末期とする考えもある。なお、『常陸国風土記』(逸文)の信太郡の条に「白雉4年(653年)、物部河内・物部会津らが請いて、筑波・茨城の郡の700戸を分ちて信太の郡を置けり。この地はもと日高見の国なり。」とあり、令制国成立前は日高見国だったとされている。

古くは筑波国造新治国造茨木国造仲国造久自国造高国造道口岐閉国造がそれぞれ支配する国に分かれていたが、律令制が敷かれた当初の常陸国は多珂国を編入したため、現在の茨城県の大部分(西南部を除く)と、福島県浜通り大熊までに至る広大な国であった。『常陸国風土記』には、「久慈郡多珂郡の境の助川を道前(道の口)と為し、陸奥国石城郡苦麻の村を道後(道の尻)と為す。」という記述があり、「助川」が日立市に、「苦麻」が大熊に相当する。言い換えると、現在の福島第一原発付近が、常陸国と陸奥国の境であった。

後に陸奥国が設けられると、常陸国の北端は菊多郡まで(陸奥国との境:現在の湯本駅付近)になった。更に718年養老2年)に、菊多郡が新設の石城国に入れ替えられ、常陸国と石城国の境に当たる現在の平潟トンネルのすぐ近くに菊多関(後の勿来関)が建てられた。これ以後は常陸国の範囲は変わらず、西南部を除いた茨城県に相当する範囲となった。新治郡、筑波郡、信太郡、茨城郡、行方郡、香島郡(後に鹿島郡)、那珂郡、久慈郡、多珂郡(後に多賀郡)、白壁郡(後に真壁郡)、河内郡から構成される。

東海道は、下総国荒海駅から香取海を渡船し榎浦津駅[1][注釈 1]で常陸国に入った。805年以降は、この路線は廃され、現在の利根町から鬼怒川を渡船し若柴・馴馬付近(龍ケ崎市)から常陸国へ入る路線となった。

平安時代天長3年9月6日826年10月10日)、常陸国と上総国、上野国の3国は、国守に必ず親王が補任される親王任国となり、国級は大国に格付けされた。親王任国の国守となった親王は「太守」と称し、官位は必然的に他の国守(通常は従六位下から従五位上)より高く、親王太守は正四位以上であった。親王太守は現地へ赴任しない遙任で、例えば葛原親王時康親王のような常陸太守が実際に任地に赴くことはないので、国司の実質的長官は常陸介であった。

律令制による国郡支配が解体された平安時代末期以降、荘園の分立やの分割が進んだ。近世始めに実施された太閤検地の際に、細分化された郡や荘を再編成して古代の郡の復元が図られたが、その領域は古代のものとはかなりの違いがある[注釈 2]明治政府による郡区町村編制法郡制の施行による再編を経て、第二次大戦後の現代まで続いた茨城県の郡の区分と領域は、この太閤検地で再編されたものを基礎としている。

近代以降の沿革

国内の施設

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

国府

常陸国府跡碑(石岡市

和名抄』によれば、国府茨城郡にあった。現在の石岡市にあたり、「常陸国府跡」として国の史跡に指定されている。国衙は石岡小学校(石岡市総社、北緯36度11分22.92秒 東経140度16分7.79秒 / 北緯36.1897000度 東経140.2688306度 / 36.1897000; 140.2688306 (常陸国衙跡))において7世紀末から11世紀までの遺構が発掘されており、古代には一貫して同地に所在した(詳しくは「常陸国府跡」参照)。

国分寺・国分尼寺

神社

延喜式内社

延喜式神名帳』には、大社7座7社・小社21座20社の計28座27社が記載されている(「常陸国の式内社一覧」参照)。大社6社は以下に示すもので、全て名神大社である。

総社一宮以下

『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧[2]

安国寺利生塔

  • 安国寺 - 曹洞宗朝日山安国寺(笠間市上郷、本尊:南無釈迦牟尼仏)。
  • 利生塔 - 現存しない。

郡衙

郡衙跡は概ね次のように比定されている[3]

  • 新治郡 - 真壁郡協和町古郡。
  • 真壁郡 - 真壁郡真壁町古城・源法寺。
  • 筑波郡 - つくば市平沢。
  • 河内郡 - つくば市金田台。
  • 信太郡 - 不明(江戸崎町下君山にあったとも推定される[4])。
  • 行方郡 - 行方郡玉造町内と見られる。
  • 鹿島郡 - 鹿嶋市神野向。
  • 那珂郡 - 水戸市渡里。
  • 久慈郡 - 久慈郡金砂郷町薬谷・大里。
  • 多賀郡 - 高萩市内と見られる。
  • 茨城郡 - 石岡市茨城。

地域

領域

明治維新直前の領域は、現在の茨城県から下記を除き、千葉県印旛郡栄町の一部(生板鍋子新田・龍ケ崎町歩)を加えた区域に相当する。※の区域はいずれも1899年明治32年)に常陸国に編入されている。

江戸時代の藩

常陸国には明治維新を迎えた藩として水戸藩御連枝(分家・支藩)として府中藩宍戸藩、そして付け家老として明治以降独立する松岡藩、その他に土浦藩笠間藩下館藩谷田部藩麻生藩牛久藩下妻藩がある。

明治元年から廃藩置県まで藩となったものに志筑藩松川藩龍ヶ崎藩がある。

人口

  • 1721年(享保6年) - 71万2387人
  • 1750年(寛延3年) - 65万5507人
  • 1756年(宝暦6年) - 64万1580人
  • 1786年(天明6年) - 51万4519人
  • 1792年(寛政4年) - 49万5083人
  • 1798年(寛政10年)- 49万2619人
  • 1804年(文化元年)- 48万5445人
  • 1822年(文政5年) - 49万5575人
  • 1828年(文政11年)- 49万5859人
  • 1834年(天保5年) - 45万7321人
  • 1840年(天保11年)- 49万9761人
  • 1846年(弘化3年) - 52万1777人
  • 1872年(明治5年) - 64万8674人

出典: 内閣統計局・編、速水融・復刻版監修解題、『国勢調査以前日本人口統計集成』巻1(1992年)及び別巻1(1993年)、東洋書林

人物

国司

守護

鎌倉幕府

  • 1189年~1203年 - 小田知家
  • 1228年~? - 小田知重
  • 1248年~1250年 - 宍戸国家
  • 1301年~? - 小田宗知
  • 1315年~? - 宍戸時家
  • 1317年~? - 佐介時綱(北条時綱)
  • ?~1333年 - 小田氏・宍戸氏

室町幕府

脚注

注釈

  1. ^ 榎浦津駅は、現在の江戸崎町下君山(信太郡衙推定地)とほぼ近い位置と見られる。
  2. ^ たとえば「国府・…」の節にある通り、常陸国の国府は茨城郡に置かれた。しかし、ほぼ同じ位置に成立した江戸時代の城下町である常陸府中(明治以降の石岡)は新治郡に属する。これは近世以降の新治郡が古代の茨城郡の一部を領域として成立したことによる。また、それまで陸奥国高野郡に属していた依上郷はこの時に常陸国久慈郡に編入されている。
  3. ^ 慶応4年1月24日(1868年2月17日)に水戸藩附家老中山家が明治政府の特旨によって立藩。手綱藩と呼ばれた時期もあった。
  4. ^ 慶応4年7月14日(1868年8月31日)に交代寄合本堂家志筑領が戊辰戦争の功により加封されて立藩。
  5. ^ このうち川崎・鬼長は1896年(明治29年)に常陸国に編入されている。

出典

  1. ^ 「千葉県の歴史通史編」千葉県、2001年
  2. ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 中世諸国一宮制研究会編、岩田書院、2000年、pp. 230-235。
  3. ^ 糸賀茂男「常総のまつりごと 文化のあけぼのから兵の世へ」27-35ページ(長谷川伸三・糸賀茂男・今井雅晴・秋山高志・佐々木寛史編『茨城県の歴史』山川出版社 2003年)
  4. ^ 『阿見町史』、『江戸崎町史』

関連項目

外部リンク


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