建設計画時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:37 UTC 版)
「東北・上越新幹線反対運動」の記事における「建設計画時」の解説
1971年(昭和46年)10月1日に東北・上越新幹線の建設計画の認可が下りた。この時点の計画では、「赤羽から高架で北上しながら荒川沿いを通り、荒川を斜めに渡って戸田市に入り、戸田市の途中から地下に潜って浦和市・与野市の地下を通過して大宮駅に至り、大宮駅からまた高架になって北上する」というものであった。この発表に伴い、戸田市民と東京都北区民を中心とした建設反対を掲げる住民運動が展開された。一方建設区間のうち、当初の工事実施計画で荒川から大宮駅南側にかけて、延長10.6kmの「南埼玉トンネル」によって地下を通過する こととされていた浦和市民や与野市民の間には、目立った反対運動は生じなかった。 年表 1971年(昭和46年)1月18日 - 運輸大臣により東北・上越新幹線の基本計画が決定される。 4月1日 - 運輸大臣により東北・上越新幹線の建設計画が決定される。 10月1日 - 東北・上越新幹線の建設計画の認可が下りる。 10月8日 - 栗原浩埼玉県知事から戸田市・浦和市・与野市・大宮市の4市の市長(市名は当時)に、東北・上越新幹線のルートが戸田市・浦和市・与野市を経て大宮市に至ると内示される。 10月9日 - 国鉄の当該区間の工事担当部署である東京第三工事局の責任者が、沿線となる各市を訪れ正式に概要を説明する。 10月12日 - 東北・上越新幹線の工事認可申請。 10月14日 - 東北・上越新幹線の工事実施計画が運輸大臣によって認可される。 10月21日 - 戸田市の対策担当責任者が東京第三工事局を訪れ、「赤羽 - 荒川までは高架、戸田 - 大宮操車場付近は地下トンネル(「南埼玉トンネル」)にする」と説明を受ける。 11月26日 - 東北・上越新幹線の建設が開始されるが、伊奈町から北区にかけては反対運動が強く着手できず。
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