設置までの流れと駅名の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 15:08 UTC 版)
「京王堀之内駅」の記事における「設置までの流れと駅名の由来」の解説
多摩ニュータウン開発に絡み京王帝都電鉄(当時)は、当初、京王相模原線を京王多摩センター駅から橋本駅へ延伸する際、現在の南大沢駅(建設計画時は「由木平駅」と呼んでいた)のみを設置することとしていた。この後、ニュータウン開発の進捗に伴ってマスタープランに則り、その中間地点に当たる「別所・堀之内」地区に住民サービスの拠点となる「地区センター」の設置場所を定め、同「地区センター」へ当駅の建設を決定した。また、その一方で当駅周辺は、ニュータウン開発以前より居住する住民が多く、既存地区への公共交通の便を充足する役割も持っている。 しかし、駅名を巡っては以下の問題が発生することとなった。駅所在地名は八王子市堀之内であるが、隣接する別所との境界付近にあり、駅名を「堀之内」にするか「別所」にするかが議論された。最終的に、開設場所の北側に属する地名が選択されたが、既に京浜急行電鉄に「堀ノ内駅」が存在していたことから、京王帝都電鉄は社名を冠して「京王堀之内駅」と決定した。なお、京王では誤りを防ぐため定期券等の購入の際には、必ず「京王堀之内」と記入するようにさせている。 この「堀之内」という名称は、平安時代にこの地を拠点としていた地元武士団「西党一族」の館周辺の堀の内側であったことに由来する。「堀」があったのは平安時代の話であり、堀の跡は現存しない。 また、駅周辺を建設中に人骨が出土し、「殺人か?」と大騒ぎになったが、後にこの人骨は縄文・弥生期のものであったことが判明し、人骨以外にも多数の縄文土器・弥生土器や石器など、さまざまな遺物が出土した。これにより、この地域には縄文時代より人が住んでいたということが明らかとなった。
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