王統の根拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 07:05 UTC 版)
詳細は「en:Robert de Brus, 5th Lord of Annandale」を参照 ブルース氏族のスコットランド王位請求の根拠は、1219年に第4代アナンデイル領主ロバート・ドゥ・ブルース(英語版)がハンティンドン伯デイヴィッドの娘でスコットランド国王ウィリアム1世獅子王の姪にあたるイゾベル・オブ・ハンティンドン(英語版)と結婚したことから来ている。この結婚はイングランド、スコットランド双方の地を添えて両家に莫大な富をもたらした。2人の息子で、'競合者' として知られる第5代アナンデイル領主ロバート・ドゥ・ブルース(英語版)は時には王位後継者(タニスト)であった。スコットランド国王アレグザンダー3世の死亡時にブルースとジョン・ベリヤルの双方が継承を主張した。アレグザンダー3世の孫娘であるノルウェーの乙女マルグレーテ(マーガレット)が後継者に指名されたものの、彼女は1290年に王位を求めてスコットランドへ渡航中に亡くなった。彼女の死から程なくしてブルース家とベイリャル家(英語版)及びそれぞれの支援者との間での内戦を恐れたことから、スコットランド王国の守護官(英語版)(摂政)は内戦を回避するために隣国のイングランド国王エドワード1世長脛王に請求者達の仲裁を求めた。スコットランドをウェールズと同じように征服してブリテン島全土を支配することを長いこと待っていたエドワード1世はこれを好機と見做した。1292年にエドワード1世はイングランドに忠誠を誓ったベイリャルの方を選んだ。 しかしながら直にベイリャルはエドワード1世に反旗を翻し、最終的には敗北して1296年のダンバーの戦い(英語版)後に退位すること余儀なくされた。
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