考案
自然法則を利用した技術的思想の創作をいう。実用新案法第2条に定義されている。
考案
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関連項目
考案
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美濃部は対敵機動部隊の戦術として特攻を考案している。日本軍が特攻を実施する前であるマリアナ沖海戦前の戦闘316飛行隊長だった時から準備を進めていた。「敵の戦闘機隊が十分な行動ができない未明に、まず芙蓉部隊機が敵空母甲板上の敵機を銃撃ロケット弾で攻撃し、発艦前に打撃を与え雷爆特攻機をもって撃滅戦を行い、最後に黎明銃爆特攻隊で搭乗員諸共敵空母甲板上に特攻し、敵空母甲板上の艦載機を一掃する」という方針である。特攻は硫黄島戦の1945年2月17日に実行されたが、敵を発見できずに帰還している。芙蓉部隊による機動部隊への攻撃は対象を発見できず、全て空振りに終わっている。特攻には本人の志願という建前があったが、美濃部に特攻を命じられた河原少尉によれば、指揮所に行くと志願をしてもないのに自分の名前が出撃者名簿の中にあり、「機動部隊を見つけたら、そのままぶち当たれ」と命じられたという。また、岩川基地からの初出撃となった1945年5月27日にも、敵機動部隊の索敵と攻撃のために彗星15機と零戦4機が屋久島南方200マイルに出撃しているが、出撃する隊員の前には、特攻隊員が出撃前に食すことが多かったぼたもちの他に、硫黄島の戦いで美濃部が特攻を命じた時と同じように別杯が並んでいた。美濃部は別杯を前にした搭乗員らに「攻撃はすべて命令した通り、諸君らの健闘を祈る。」と発破をかけたが、実質的な特攻出撃を命じられた初陣の搭乗員らは、出されたぼたもちに手を付ける気になれず出撃した。しかし、この日も敵を発見できず帰還している。 芙蓉部隊報告書で、美濃部は「不幸にも決号作戦が実施されなかったせいで考案していた特攻戦術を行う機会が終戦まで恵まれず、これまでの研究錬成が葬られた。恨むべくは戦闘316飛行隊を司令が防空に使い、実施できなかったことがあ号作戦敗戦の一因」と指摘している。また、「特攻は戦機に乗じ臨機必死隊を出すべきものにして常用するは戦闘の邪道なり」ともしていた。美濃部は訓練中に、「貴様ら、うまくやれないと、特攻隊に入れるぞ」と隊員を脅すこともあった。戦後、美濃部は「戦後よく特攻戦法を批判する人がいるが、それは戦いの勝ち負けを度外視した、戦後の迎合的統率理念にすぎない。当時の軍籍に身を置いた者にとって負けてよい戦法は論外である。不可能を可能とすべき代案なきかぎり特攻もまたやむをえないと今でも思う。戦いの厳しさはヒューマニズムで批判できるほど生易しいものではない」と語っている。芙蓉部隊隊員の元戦闘機搭乗員渋谷一男も「美濃部さんは特攻自体を完全否定していたわけではない。代案がなければ『やむなし』と思っていた。」と証言している。 特攻を命じたことのある美濃部であるが、特攻を命じたことがないと主張したり、他者の特攻命令に対する批判を行っている。戦後のインタビューでは「ああいう愚かな作戦をなぜあみだしたか、私は今もそれを考えている(中略)あの愚かな作戦と、しかしあの作戦によって死んだパイロットとはまったく次元が違うことも理解しなければならない」「私は、若い搭乗員に特攻作戦の命令を下すことはできなかった。それを下した瞬間に、私は何の権利もなしに彼らの人生を終わらせてしまうからだ。」と語っている。遺稿でも特攻は本人の意思で行うことがあっても他から命令するのは冷酷、非情な軍隊指揮で死刑宣告に等しい人格否定で自分には出来ないと語っている。遺稿では硫黄島戦などで特攻を命じたことについては書かれていない。また、特攻隊員に同情するような記述をする一方で、特攻兵器桜花を運用していた神雷部隊は、桜花特攻隊員の鈴木英男大尉によれば、桜花隊員は他の特攻隊員と異なり純粋な志願者ばかりだったので士気も高く、訓練や座学に勤しみ、余暇にはスポーツを楽しむなど全体的に落ち着いていたという証言があるが、美濃部は遺稿で、桜花特攻隊員の士気維持のために「密かに女を抱かせて気を紛らわせていたと聞く」などという、美濃部自身も真偽を確認していない風聞のような記述で特攻隊員を誹謗している。 美濃部は日本海軍伝統の「一族決死」「指揮官先頭」の楠公精神を重視していたが、戦争が進むにつれその精神が掛け声だけになったと嘆き、「芙蓉部隊が特攻に反対せし根本理由は若い搭乗員で特攻隊を編成し、司令、飛行長、隊長を編成から除く点にあり」と述べおり、決号作戦(本土決戦)における芙蓉部隊の作戦計画『芙蓉部隊決号作戦計画』においては、美濃部が指名した部下熟練搭乗員と共に、自らが先頭に立って敵機動部隊に特攻し、残される整備兵などの地上要員に対しては、一兵たりとも後退を禁じて、敵上陸軍を道連れに周辺住民もろ共、地雷や航空爆弾で自爆攻撃を命じる計画を立てている。終戦時は「降伏なき皇軍には、今や最後の指揮官先頭、全力決戦死闘して天皇及び国民にお詫びするとき」が来たと考えて、部下だけ送り出して自分らは出撃しない特攻隊の指揮官らとは違い、最後は自ら特攻で戦死すると決めたというが。美濃部が硫黄島戦で編成した特攻隊は、当時飛行隊長で指揮官であった自分を除いている。 美濃部は指揮官先頭を常に意識しており、出撃する芙蓉部隊員に「いずれ後からいく、それまで待っていてくれ」と最後は戦死した百余名の部下の後を追うと約束していたが、終戦後の草鹿や横井の説得で、美濃部から徹底抗戦を焚きつけられていた芙蓉部隊隊員から見れば「コロッ」と態度が一変したかのごとく翻意し、1997年に81歳の天寿をまっとうしている。終戦時に、「特攻隊の英霊に曰す」という遺書を遺して自決した大西や、第5航空艦隊司令長官拝命時から最後は自ら特攻出撃すると決め、その決意通り特攻出撃した宇垣のほかにも、練習機白菊特攻を指揮した高知海軍航空隊司令の加藤秀吉大佐は、副官らが自決しないよう軍刀や拳銃を取り上げたにも関わらず、井戸に飛び込んで自決し、芙蓉部隊と同様に主に沖縄近海の艦船や飛行場へ通常攻撃を行って特攻支援をしていた陸軍航空隊第66戦隊の指揮官藤井権吉中佐は、妻子とともに拳銃自決し、飛行教官として多数の特攻隊員を訓練し、軍令部参謀として大西と一緒になって特攻主体の本土決戦を準備していた国定謙男少佐も、妻女と子供2名の一家4名で拳銃により心中している。以上のように、特攻に関わった悔恨や謝罪の情で自決した将官・士官も多数存在する。美濃部は、自決した大西や部下とともに私兵特攻で死亡した宇垣について「自らの判断、行動を正当化する自己満足ではなかったか」と批判し、特攻兵器桜花の神雷部隊司令岡村基春大佐が戦後自殺したことに対しては、岡村が美濃部の義父と家族ぐるみの付き合いがあったとしながら「哀れを留めた」「やや思慮に欠けるが」「苦しい中に世間の風も冷たかった」「桜花特攻推進強行は天も恐れざる所業ではなかったか」などと遺稿に記述するなど、特攻に関わった指揮官らの自決に対して批判的であった。岡村の自殺は遺書もないことから動機は不明であるが、美濃部と同様に、出撃する神雷部隊隊員に「お前たちだけを行かせやしない。俺も必ず行く」と言って送り出しており、第一回目の桜花の出撃で、指揮官の野中五郎少佐の代わりに自分が出撃しようとしたが野中に拒否された結果、野中ら桜花隊は全滅し自分が死に損なったことを終生悔やんでいたこと、復員庁勤務時に自費で神雷部隊基地であった鹿屋や、船を借りて南海の島を特攻隊員の慰霊巡りしていたことが、死後に判明している。 戦後、美濃部は部隊の使命として「特攻に依らず若年パイロットに対しても夜襲攻撃能力を急速錬成して敵戦闘機、防御火力の弱い夜間に戦果の活路を求める」にあったと語っている。美濃部は特攻を採用しなかった指揮官として紹介されることもある。多数の未帰還機を出しながら任務を継続したのは、指揮官の美濃部が特攻を拒否して通常攻撃任務を通したため、美濃部は隊員らに常に戦果を求めていたからとする意見もある。ただし、美濃部は決して冷酷な人物ではなく、訓練や任務のときには極めて厳しかったが、そうでないときは、部下隊員たちと気さくに接し、美濃部を知るもののなかでは「話の上手な楽しい人だった」「場を明るくする人だった」「口は悪いけど面白い人だった」という肯定的な印象を抱くもののほうが多かったという意見もある。
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考案
「考案」の例文・使い方・用例・文例
- 彼らは新型のワープロを考案した
- 彼らは新しい機械を考案した
- 計画を考案する
- 絵画統覚テストはハーヴァード大学のアメリカ人心理学者ヘンリー・マレーとクリスチアナ・モルガンにより考案された。
- パノプティコンはイギリスの思想家ベンサムが考案した。
- 石川馨が考案した特性要因図は問題を引き起こす潜在的なファクターを可視化するものである。
- 相対力指数はJ・ウェルズ・ワイルダーが考案したもので、金融市場分析で最も広く利用されるテクニカル指標の1つになっている。
- 今までに3タイプの渋滞のモデルが考案されている。
- 現在この問題について考案中です。
- 現在これについて考案中です。
- 私は温度を計算するための方法を考案した。
- 彼は複雑なぜんまいじかけのおもちゃを考案した。
- 彼はシロアリを退治する計画を考案しようとした。
- 彼はガソリンを使わないエンジンを考案した。
- 人間は自らを守るために住居を考案した。
- フロイトは精神分析を考案した。
- エメットが建築デザインのプロセスを容易にするために「ダイアド」スタイルを考案したことは確実である。
- 君たちは実験をし, 推理し新しい装置を考案しなければならない.
- 新種のエンジンを考案する.
- 作者はよい筋を考案した.
品詞の分類
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