背乗り
背乗り
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背乗り(はいのり、這い乗り)とは、工作員や犯罪者などが正体を隠すために実在する他人の身分・戸籍を乗っ取って、その人物に偽装する行為を指す警察用語[1]。
英語圏の機関の間でidentity theftまたはghosting, identity fraudと呼ばれる。
日本で北朝鮮工作機関が「背乗り」を行う場合、対象者の選定は、在日朝鮮人の補助工作員が北朝鮮本国からの指示を受けて行うことが多かったと指摘されている[2]。
概要
「なりすまし」は警察用語で「背乗り」「這い乗り」ともいい、工作員などが実在する人物の身分を盗用することを指す[1]。背乗りには、既に死亡または失踪している人間の戸籍を不正に取得する場合と、なりすまし対象の人間を拉致したり、殺害した上で身分証明書などを奪ってなりすます場合がある。
たとえば辛光洙事件では、北朝鮮工作員の辛光洙が、1980年に宮崎県で拉致した原敕晁名義の旅券で海外を旅行し、大韓民国でも工作活動を展開していた[1]。1977年の宇出津事件でも、拉致犯は年齢を指定して拉致対象者を選んでおり、被害者久米裕は拉致に先立って戸籍謄本がだまし取られているので、背乗り目的の拉致であるとみてよい[1][注釈 1]。
ただし、1987年の大韓航空機爆破事件の実行犯、金勝一は「蜂谷眞一」名義の日本国旅券を所有していたが、実際の蜂谷眞一は当時日本国内で健在だった人物であり、彼は北朝鮮工作員の宮本明こと李京雨に旅券を貸し与えており、拉致・殺害されないまま、また、死亡も失踪もしていない状態で身分が盗用されたのであった[1][注釈 2]。
背乗りは、元々は旧ソビエト連邦の情報機関が古くから用いた方法だといわれており、北朝鮮にはソ連の影響下にあった冷戦時代にもたらされたともいわれている[注釈 3]。日本人拉致事件に背乗りを目的としたものが多いのは、日本で工作活動を行うほか、大韓民国など第三国に入国するための日本国旅券を得る目的もある[1][注釈 4]。上述の辛光洙事件や1985年発覚の西新井事件は、そうした事例に属する。
背乗り目的の拉致の場合、工作員と年恰好が同じで、旅券を今まで取ったことのない人物、身寄りの少ない人物などの条件にもとづいて対象者があらかじめ選んでおき、戸籍謄本などを入手したうえで拉致犯罪におよんでいる[1]。身寄りのない人が狙われるのは、周囲に気付かれにくく、失踪しても騒がれる心配がないためである[1][5]。拉致被害者は比較的年配の人が選ばれたが、宇出津事件、辛光洙事件、西新井事件のいずれでも、拉致犯罪にかかわった工作員が日本統治時代を経験しており、とりわけ辛光洙や「朴」(チェ・スンチョル)は戦前に日本本土で生活していたこともあって、法的身分さえ得られれば日本人になり切ることは容易だったと考えられる[1][注釈 5]。
2016年(平成28年)10月、21年間にわたって不法滞在を行っていた中華人民共和国国籍を持つ男が京都府警察により日本で逮捕された[6]。この中国人男性は、1991年6月6日に就学査証で日本に合法的に入国し、在留期限が1996年5月31日までであったにもかかわらず、日本人になりすましていたもので、検挙理由は入管難民法(出入国管理及び難民認定法)違反であった[6]。この件では、日本の年金手帳が定期的な更新の必要がないことが悪用されていた[7]。男は、実在する日本人の年金手帳を身分証明書として背乗りすることで、本来の持ち主の日本人の名前と身分で生活していたのである[6][7]。
事件例
- 大寿丸事件(滝川事件) - 1962年(昭和37年)7月24日、山口県警察・大阪府警察・警視庁摘発(検挙)
- 東大阪事件 - 1968年(昭和43年)11月18日、大阪府警察摘発(検挙)
- 石原事件 - 1971年(昭和46年)9月21日、大阪府警察摘発(検挙)
- 水山事件 - 1973年(昭和48年)12月22日、愛知県警察摘発(検挙)
- 北総事件 - 1974年(昭和49年)6月26日、警視庁摘発(検挙)
- 宇出津事件 - 1977年(昭和52年)、北朝鮮工作員金世鎬らによる久米裕拉致事件。
- 辛光洙事件 - 1980年(昭和55年)、北朝鮮工作員の辛光洙とその共犯者(金吉旭ら)が日本人原敕晁を北朝鮮に拉致し、原名義の戸籍を用いて普通自動車運転免許や日本国旅券を不正に取得、彼になりすまして多年にわたり諜報活動をおこなっていた事件。辛光洙は1985年に韓国で逮捕され、犯行を自供した。
- 西新井事件 - 北朝鮮工作員のチェ・スンチョルが日本人(小熊和也、小住健蔵)になりすまして、日本や韓国、ヨーロッパで活動した。1985年(昭和60年)に発覚。
- 大韓航空機爆破事件 - 1987年11月29日、ビルマ(ミャンマー)上空で起こった爆弾テロ事件。1988年ソウルオリンピックの開催を妨害するためといわれる。北朝鮮工作員である金勝一・金賢姫は、偽造した日本国旅券を使って日本人になりすまし、航空機爆破を遂行した。
- 黒羽・ウドヴィン事件 - 1995年(平成7年)に発覚した事件。東アジア系のソ連工作員が失踪した日本人の黒羽一郎に成りすまして諜報活動を行っていた[8][9]。警視庁公安部外事第一課の捜査で判明した。捜査に気付いたこの男は行方を絶ち、公安部は国際刑事警察機構(ICPO、通称インターポール)に男を手配したが、未だに男の行方は分かっていない。
対策
世界各国では国民識別番号が導入されており、日本でも個人番号やマイナンバーカードの普及が推進されている。
背乗りを取り扱った作品
- 小説
- 漫画
- 釋英勝『ハッピーピープル I LOVE JAPAN』 - 主人公の山田久と実家にいる家族らが、日本を敵視する“集英国人”に背乗りされる。
- 安彦良和『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』(2001年) - 『機動戦士ガンダム』では、主人公のライバルであるシャア・アズナブル(キャスバル・レム・ダイクン)は素性を隠すために偽名で軍に入隊していたが、リメイク版の『ジ・オリジン』で、その手法が背乗りであったことが描かれている。
脚注
注釈
- ^ また、日雇い労働者の多い東京都の山谷地区でも拉致未遂事件が発生していたことが報告されている[1]。
- ^ 独居生活をしていた蜂谷眞一は李京雨に外国旅行に誘われて合法的に旅券を取り、その旅券を李に渡した[1]。彼は1998年に養老院で死去している[1]。
- ^ ただし、人気スパイドラマ『名もなき英雄』のモデルといわれ、2000年に拷問死した女性工作員の李善実は、戦前日本で生活していた申順女という女性になりすまして韓国国内で工作活動に従事していた[3]。その手口は辛光洙事件において辛光洙がとった手口に似ていると指摘されている[3]。
- ^ 北朝鮮は1970年代中葉の一時期に偽造日本国旅券を多量に発行して工作活動を行っていたが、当時の中国の公安当局は、日本旅券を所持する朝鮮語話者が少なからず北京経由で出国し、その後、北京を経由して北朝鮮入りするという現象に不審をいだき、北朝鮮当局に警告して工作員を逮捕したため、偽造旅券は使えなくなった[4]。そこで、本物の日本国旅券が必要となったという事情があったという[4]。いずれにせよ、日本の旅券が北朝鮮の工作活動にとって最も安全であるため、日本人拉致工作がなされたのである[4]。
- ^ また、第二次世界大戦直後の日本では、相当数の戦没者・戦争犠牲者の遺体が特定不能とされたことから、この時期の背乗りも容易だったとみられる。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l 高世(2002)pp.127-128
- ^ “北朝鮮が使う「スパイ術」で、日本の警察組織をかく乱した主婦がいた(竹内 明) @gendai_biz”. 現代ビジネス. 2022年3月15日閲覧。
- ^ a b “朝総連衰亡史(18) 労働党3号庁舎と一体となった朝総連組織”. 統一日報 (2016年10月26日). 2021年10月5日閲覧。
- ^ a b c 重村(2002)pp.44-45
- ^ “スパイ:ロシア人の男を書類送検 失踪日本人になりすます”. 毎日新聞. (2008年8月14日). オリジナルの2008年9月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c “日本人なりすまし21年不法残留、中国籍男を再逮捕 京都”. 京都新聞. (2017年10月20日). オリジナルの2018年1月23日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 井戸(2007)
- ^ “【成りすましスパイ事件】巧妙な背乗り 30年発覚せず (1/2ページ)”. MSN産経ニュース. (2008年8月13日). オリジナルの2008年8月14日時点におけるアーカイブ。
- ^ ロシアの背乗りスパイ | 北村滋 前国家安全保障局長 2022/12/08 文藝春秋 電子版
参考文献
- 井戸美枝『『社会保険 これでスッキリわかる!』』日本実業出版社、2007年8月。ISBN 978-4534042712。
- 重村智計『最新・北朝鮮データブック』講談社〈講談社現代新書〉、2002年11月。ISBN 4-06-149636-0。
- 高世仁『拉致 北朝鮮の国家犯罪』講談社〈講談社文庫〉、2002年9月(原著1999年)。ISBN 4-06-273552-0。
- 軍事研究 「ワールド・インテリジェンス」 2006年11月号「北朝鮮&中国の対日工作」
関連項目
背乗り
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1985年(昭和60年)3月に発覚した西新井事件の主犯で北朝鮮工作員のチェ・スンチョル(通称、「朴」)は、1980年(昭和55年)4月に小住健蔵の戸籍を函館市から東京都足立区に移した後、小住名義の旅券や運転免許証を不正に取得して「小住健蔵」その人として行動した。この際、戸籍の移動を不審に思った小住の姉と妹が電話番号を調べ、小住健蔵に電話をかけたが、チェが同居人として電話に出て「彼はいま麻雀に行っている」などと応対し、数回にわたって誤魔化し続けた。チェは1980年6月16日に小住健蔵名義のパスポートを取得し、それを用いて東南アジアやヨーロッパ、具体的にはイギリス領香港、マレーシア、タイ王国、西ドイツ、大韓民国などを計6回訪れた。チェは偽名を用いて足立区西新井に居を定め、日本人女性を騙して内縁関係を持ち、1972年には福島県出身の小熊和也の戸籍を奪って小熊になりすまし、小熊名義の旅券で海外に渡航する一方、足がつくことを恐れ、在日朝鮮人の金錫斗(江口智)に小熊の拉致を命じていた。小熊が1976年に死去したため、次に狙いを定めた相手が小住健蔵であった。 チェ・スンチョルはその後もしばらくスパイ活動をしていたが、1983年(昭和58年)2月4日、日本からマレーシアに出国したとみられる。1985年(昭和60年)3月1日、警視庁公安部外事第二課が在日朝鮮人金錫斗(当時49歳)を逮捕したことで事件が発覚した。チェ・スンチョルに対しては旅券法違反などの容疑で国際手配されているが、まだ逮捕されておらず、その行方は不明である。なお、チェ・スンチョルは1978年7月31日、新潟県柏崎市で蓮池薫(当時20歳)・奥土祐木子(当時22歳)のカップルを拉致し、工作船に乗せて北朝鮮に連れ去り、2人の自由を奪うという犯罪も犯している。 西新井事件の発覚とチェ・スンチョルの指名手配後、警察は1985年に「見破られた北朝鮮工作員-日本人になりすました大物スパイ」というパンフレットを出している。そこには比較的具体的なことが記述されており、小住健蔵名義の運転免許証とパスポートが写真付きで掲載されている。 小住健蔵本人については、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(通称「救う会」)や西岡力は、チェ・スンチョル自身が拉致実行犯であり、土台人の金錫斗に対しても北朝鮮にいる家族を持ち出して脅迫したうえで工作員教育を受けさせ、小熊和也拉致命令をいったん下していた事実もあることから、北朝鮮に拉致された可能性が高いとみている。その時期は、1980年6月から数か月前、すなわち1979年から1980年にかけての時期とみている。外事警察もまた、同じころ北朝鮮に拉致された可能性が高いとしている。ほぼ同じ時期に起こった原敕晁拉致事件(辛光洙事件)では、拉致被害者の原敕晁(北朝鮮が、拉致被害者田口八重子の「結婚相手」だったが1986年に「夫婦」相次いで死亡したと説明している人物)もまた家族と連絡が絶たれており、なりすましの対象として拉致されたと考えられる点でも状況が似ている。辛光洙の場合は、金正日が辛に対して直接、「日本人を拉致して北に連行し、日本人として完全に変身した後、対韓国工作活動を続けよ」との指示を下している。なお、チェ・スンチョルの部屋の保証人になった在日韓国人李京雨(日本名、宮本明)は、大韓航空機爆破事件の実行犯のひとりでバーレーン国際空港で事情聴取中に服毒自殺した金勝一の日本人名義の不正旅券を知人にとらせた人物であり、田口八重子の勤めていた店に客として通い、彼女の拉致にかかわっていた可能性のある人物である。 2002年(平成14年)10月のクアラルンプールでの日朝交渉では、小住は田中実、松本京子とともに、日本側が北朝鮮側に安否確認をおこなっている。北朝鮮側は、入国を確認できなかったと説明している。2005年(平成17年)7月24日、「小住健蔵さんの拉致認定と未帰還者救出のための経済制裁を求める函館集会」が北海道函館市で開催された。
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