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DB2/4とは? わかりやすく解説

DB2/4(1953-1957年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/11/28 06:23 UTC 版)

アストンマーチン・DB2」の記事における「DB2/4(1953-1957年)」の解説

1953年10月登場したDB2/4はDB22+2座席とし、スペアタイヤ用だったトランクリッドテールゲート改めたモデルで、折りたたみ式リアシート装備されており、今日ハッチバックスポーツクーペ元祖と言うべき一台である。DB2時代同様にドロップヘッド・クーペ用意された。その他外観上で曲面フロントガラス大型化されたバンパーヘッドライト位置変更などで識別されるエンジン当初DB2のVB6E型を踏襲したが、1954年半ばにはVB6/J型・2,922cc140hpに強化され最高速度は193km/hに達した。 DB2/4も1955年ラリー・モンテカルロミッレミリア出場したが、この頃になるとアストンマーチンレース活動レーシングモデルであるDB3中心となっていた。 1955年にはDB2/4マークII発展したエンジンはDB3Sでの経験を採り入れた大径バルブ採用して165hpに強化され流行影響されボディには小さなテールフィン追加された。テールランプ自体当時のヒルマン・ミンクスのものを流用した。また2シーターで普通のトランクリッド付きのフィックストヘッドクーペも追加された。 なお、マークIIになって車体製造従来のフェルサム(Feltham )からティックフォード(Tickford )に移管されたが、ここもデヴィッド・ブラウン1954年買収され会社であった後年DB4登場する頃になると、アストンマーチン生産工程全体がティックフォードのあるニューポート・パグネル(Newport Pagnell )に集約されていく。 DB2/4の生産台数は764台、マークIが565台(うちドロップヘッド102台、ベルトーネスパイダー4から5台)、マークII199台(ドロップヘッド16台、フィックストヘッド34台、カロッツェリア・トゥーリングスパイダー3台)であった

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DB2/4(1953-1957年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/01 14:36 UTC 版)

アストンマーティン・DB2」の記事における「DB2/4(1953-1957年)」の解説

1953年10月登場したDB2/4はDB22+2座席とし、スペアタイヤ用だったトランクリッドバックドア改めたモデルで、折りたたみ式リアシート装備されており、今日ハッチバックスポーツクーペ元祖と言うべき一台である。DB2時代同様にドロップヘッド・クーペ用意された。その他外観上で曲面フロントウインドシールドガラス、大型化されたバンパーヘッドランプの高さ変更などで識別されるエンジン当初DB2のVB6E型を踏襲したが、1954年半ばにはVB6/J型・2,922 cc 140 hp強化され最高速度193 km/h達した。 DB2/4も1955年ラリー・モンテカルロミッレミリア出場したが、この頃になるとアストンマーティンレース活動レーシングモデルであるDB3英語版)が中心となっていた。 1955年にはDB2/4マークII発展したエンジンはDB3Sでの経験を採り入れた大径バルブ採用して165 hp強化され流行影響されボディには小さなテールフィン追加された。リアランプ自体当時のヒルマン・ミンクスのものを流用した。また2シーターで普通のトランクリッド付きのフィックストヘッドクーペも追加された。 なお、マークIIになって車体製造従来のフェルサム(Feltham )からティックフォード(Tickford )に移管されたが、ここもデヴィッド・ブラウン1954年買収した会社であった後年DB4登場する頃になると、アストンマーティン生産工程全体がティックフォードのあるニューポート・パグネル(Newport Pagnell )に集約されていく。 DB2/4の生産台数は764台、マークIが565台(うちドロップヘッド102台、ベルトーネスパイダー4から5台)、マークII199台(ドロップヘッド16台、フィックストヘッド34台、カロッツェリア・トゥーリングスパイダー3台)であった

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