Location via proxy:   [ UP ]  
[Report a bug]   [Manage cookies]                

永野嚴雄とは? わかりやすく解説

永野嚴雄

(Izuo Nagano から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/21 02:36 UTC 版)

永野 嚴雄
ながの いづお
生年月日 1918年3月20日
出生地 日本 東京都
没年月日 (1981-10-08) 1981年10月8日(63歳没)
死没地 日本 静岡県田方郡韮山町
出身校 東京帝国大学法学部
前職 弁護士
所属政党 自由民主党
称号 正四位
勲二等旭日重光章
法学士(東京大学)
親族 父・永野護(参議院議員)
叔父・永野鎮雄(参議院議員)

選挙区 広島県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1974年7月7日 - 1981年10月8日

公選第5-7代 広島県知事
当選回数 3回
在任期間 1962年5月29日 - 1973年10月10日
テンプレートを表示

永野 嚴雄(ながの いづお、1918年3月20日 - 1981年10月8日)は、日本弁護士政治家広島県知事(5-7代)。参議院議員(2期)

経歴

父は、戦後揃って政経財界で活躍した「永野六兄弟」の長兄で戦中戦後に国会議員を務めた永野護であった。旧制広島高校を経て1941年東京帝国大学法学部を卒業し司法試験に合格[1]。すぐに海軍に入隊し1943年海軍主計大尉[1]。戦後は東京地方検察庁検察官、法務総裁秘書官を歴任[1]

弁護士や会社経営を経て、広島県知事大原博夫がスキャンダルで任期途中で辞任したため、1962年に行われた県知事選挙で当選した[1]。3期(1962年5月29日 - 1973年11月10日)にわたり広島県知事を務めたが、この時期は高度経済成長もあり広島県の経済が発展した反面、公害問題も深刻になった。また島根県との合併を提言したが、構想から進展することは無かった。

知事離任の翌年の1974年に行われた第10回参議院議員通常選挙広島県選挙区から立候補し初当選。1980年の第12回参議院議員通常選挙で再選したがその直後、健康診断として東京女子医科大学病院で入院中に脳梗塞を起こし、快方に向かっていたが1981年10月8日、心不全のため療養中の静岡県田方郡韮山町の伊豆韮山温泉病院で死去、63歳[1]。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正七位から正四位に叙される[2]。墓所は築地本願寺和田堀廟所

永野の後継として補欠選挙で当選したのが永野の後継知事であった宮澤弘宮澤喜一の弟)だった。

脚注

  1. ^ a b c d e 第95回国会 参議院 本会議 第9号 昭和56年11月13日
  2. ^ 『官報』第16416号6頁 昭和56年10月15日号
議会
先代
金井元彦
参議院地方行政委員長
1978年 - 1979年
次代
後藤正夫
公職
先代
大原博夫
広島県知事
公選第5 - 7代:1962年 - 1973年
次代
宮澤弘




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「永野嚴雄」の関連用語

永野嚴雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



永野嚴雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの永野嚴雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS