飲み込めなかった午前一時。
バイト終わり、いつものセブンイレブンに寄る。
辛いものかどかんとしたものが食べたくて麺類を物色していると、とみ田の二郎ラーメンが目に入る。
私はこの商品と巡り合わせが悪い。
食べたい時に限って、なぜか棚に並んでいないのだ。
おかげで飢餓状態のまま、いつもコンビニを彷徨うことになってしまう。
そんな二郎ラーメンが今、目の前に。
すごく飢餓状態というわけでもなかったけど、まあ胃には入るだろうと、時間なんか考えず手に取った。
これを逃すときっと次は遠くなる。
レジにはいつもの店員さんでなく、最近見かけるようになった店員さんが立っていた。
いつもの人だと少し恥ずかしいから、ちょっと助かった。
家で食べられる、お手軽二郎系ラーメン。
ジャンクなものをお腹いっぱい食べたい時、これ以上の最適解はない気がする。
お店は一人で入る勇気がないのと、急かされてる感じが苦手なのと、そもそも家から出たくないのとであまり行ったことがない。
コンビニさまさまだ。
食べ応えのある麺、ガツンとしょっぱいスープに乱暴な野菜。
ほろほろ崩れるチャーシュー、存在感のあるにんにく。
いつも少し量が多いくらいなのに、なんだか今日はするすると胃に入った。
どうやら自分が思っていたよりも、私のお腹は空っぽだったらしい。
つまらない話を聞いた。
誰それを妬んでいるとか、羨ましく思っているとか、つまるところの劣等感。
それを一緒に働いている人に向けているらしいから、本当に困ってしまう。
個人的には同じ組織内の誰かの不満を、同じ組織内の誰かに言うことは御法度だと思うのだけれど。
妬んでいる人を蔑ろにするわけにもいかず、妬まれている人を庇うわけにもいかず。
適当に相槌を打っていたら、ちょっと擦り切れた。
彼女は一体、私になんて言って欲しかったのだろうか。
それともただ味方が欲しかっただけか。
いずれにせよ私は欲しい言葉をあげるような間抜けじゃないし、諭してあげられるほど高尚でもなければ優しくもない。
第一、きっと相談してきているこの人は、私がそこまで頭を回しているなんて夢にも思っていないのだ。
心底腹が立つ。
あなたには絶対に、見せてあげないけど。
澱を見せられるたび、つくづく人間は他と比べてしまう生き物だなあと思う。
比べるということは、誰かを見下すということにもなる。
そして見下す行為には、どうやら底がないらしい。
バイトがニートを。
整形した人が美容に関心のない人を。
後天性の障がい者が先天性の者を。
本来、人間に上下は存在しないと思っている。
綺麗事という意味じゃなくて、明確な秤がない。少なくとも、私にはまだ分からないから。
ただ、一個人にとっての下は探せばいくらでもある。
下が居ると安心できる。それが余裕になって、余裕は優しさにだって化けるかもしれない。
ヒト、本当に嫌な生き物だ。気持ちが悪い。
私は劣等感も優越感も嫌いだ。
それでも残念ながら私も気持ちの悪いヒトなので、そういう節はある。
だって現に、私は今、きっと彼女を見下している。
彼女が私の癌になっていることを知らないように、きっと知らないところで私も誰かを癌にしているのだ。
それが申し訳なくて恥ずかしくて、やっぱり早く死んでしまいたいとも思う。
けどそれは出来ないから、せめていつでも離れられる場所で、あるいは独りで、私はいつでも達観してるフリをする。
フリだけでも、素面よりは誰かを見下さないでいられる気がするから。
そうやって私という存在が誰かの、そして巡って私自身の癌とならずに済むことを祈っていたい。
そういえば劣等感の原因について、彼女は自分自身の負けず嫌いを挙げていたけれど、本当の負けず嫌いは違うと思う。
負けることが怖くてやるせなくて、きっと土俵にも立てないから。
悔しさに耐えられない、私みたいな人間だ。
では彼女が劣等感と呼んでいたものは、一体何なのか。
それは彼女自身が考えるものだし、きっと今のままじゃ気付けないことなんだろうとも思う。
……そしてそのどれもこれも、きっと私には関係のない話。
私はすでに、可能な限り、人生ごと戦線離脱してるつもりだ。
だからこそ、適当な人間に大事なものを明け渡したりはしない。
澱に触れたって、引っ張られたって、誰かに何か言いたくなったって、高みの見物でラーメンをすすってやるのだ。
私のことは私が全力で守ってあげる。
じゃないと一体誰が、私を救ってくれるというの。
スープまで飲み干して、しっかり冷たい水を飲む。
午前一時半。
満足したお腹、すっかり温まった体で、私は眠れない夜に備えるのだ。