○朝食:なし
○夕食:考え中
○調子
おやすみなので、はややーって言いながら、レンタルビデオを見ていた。
4本もまとめて見て、特に面白かったのがズートピアってアニメ映画、とってもよかった。
あの世界観は、いくらでも掘り下げられると思ったので、テレビシリーズとかもやらないかなあ。
ノー課金。
○ポケとる
ログボのみ。
ログボのみ。
あともう一枚は欲しいなあ。
うーん。
真に笑顔のスキルをマスターできれば、とぼけて隙を作る必要は無いと思うけどなぁ。。
それから自立することも大事だけど、助け合って、支え合って生きることはもっと大事だからね。
どんなに自立していたって倒れることはあるんだから、本当に目指すべきは助け合って、支え合える女。
ペドフィリアであることの告白は『他者を傷付け人権の衝突を引き起こす』(=公共の福祉に反する)為、表現すべきでないという言説-togetterまとめ
を読んで思ったことを書く。
まず、筆者は「ペドファイル」と「チャイルドレマスター」の区別の件は知っていて、表現規制に反対の立場であることを明示しておく。
さて、まとめ内では「ペドフィリアであることの告白」は「恐怖をもたらす(保護者や児童に対して)」から、その表現自体が規制されるべきと言われている。
しかし考えて欲しい。ペドフィリア以外でも、そもそも「属性の表明」は結局何らかの恐怖をもたらすのではないか?コメント欄から引用するが、「ウェイ系であることの告白」は「陰キャラにとっては恐怖」とも言われている。この人の書き方はちょっと微妙な例だとは思うが、基本的にはこの考えに同意である。
ペドフィリアが全員チャイルドレマスターではない。ペドフィリアだとしても、現実に児童に危害を加える人は殆どいない。ウェイ系の中で陰キャラに危害を加える割合のほうがよほど多いだろう。それでも「すべての」ウェイが陰キャラをいじめているんだなどと言い出したらトンデモである。
そしてこの「全員がそうではないがなんとなく恐怖の対象になりかねない属性」なんてのはいくらでもある。逆に陰キャラを毛嫌いしている人からすれば、自分は陰キャラだからと表明している人にある種の恐怖を感じるかもしれない。何かを欲しいと表明する人がいたら、その何かを持っている人が自分のものが盗まれるのではないかと恐怖するかもしれない。実際、ネット上で画像を上げてこれがほしいと発言した人に、違法や強引な手段で手に入れようとするに違いないと決めつけて犯罪予備軍とでも言わんばかりの苦情が発生したという事件も見たことがある。
とどのつまり、「属性の表明」は全てとは言えないにしても、突き詰めれば何らかの恐怖をもたらす可能性はペドフィリア以外にもたくさんある。ペドフィリアであることの表明が、恐怖だからという理由で制限されることが是とされれば、当然別の恐怖をもたらす属性を表明することも規制されかねなくて、「いかなる属性も表明するな」に繋がるのではないか。例えば児童に危害を加えた犯罪者の中には教師が含まれるが(そして一方で殆どの教師は犯罪など犯さない)、では教師であることを表明するのは恐怖を与えるとして制限されるとなるのか。包丁を持った人間が殺人を犯したから、包丁を持っているとの表明は殺されるかもしれないという恐怖心の理由になるから規制されるとなるのか?ありえないだろう。
属性の表明なんてどういう発言がそういうものと見なされるのかわかったものではない。したがって、恐怖だからという理由で表明そのものを規制しては何も言えない世の中になってしまうのではないか?と思う。特に、職業の属性であることを表明せずに仕事をするのは不可能である。
勿論TPOを考慮せずに不適切な属性告白の仕方をするのが良くないというのは当然である。わざわざ小さい子供を持つ親の前で自分はペドフィリアだと余計に表明するのは良くないだろう。しかしながら、いかなる場合でも許さぬという方向になると、こういうディストピアの出現を邪推せざるを得ない、とも思う。
以上の理由から、「ペドフィリアであることの表明」も含む属性告白は、TPOなどの配慮が求められるのは当然とは言え、それ自体犯罪扱いされたり表現規制を受けるなどということはよろしくないのではと思う。
で、おまえは何がしたくて何ができるんだよ(面接官)
一般社員の平均年収とリーダークラスの平均年収、マネージャークラスの平均年収を聞いておいたほうがいいです。
たとえばプログラミング言語やフレームワークを変更するという発表がされていた場合、それがいつまでに出るのか聞いておく必要があります。
具体的な時期が決まっていない場合、いつか出る書き直されたコードを夢見ながら既存のどうしようもないコードを触るはめになります。
会社としてコミュニケーションに課題を感じていると回答が来た場合は、社内の状況として、言ってもどうにもならないという閉塞感が漂っている場合があります。
年単位で運用されているのにドキュメントがあまりないという回答が来た場合、逃げたほうがいいです。
これから世にでる物の場合は自分が書いていくという覚悟が必要になります。
また、会社の情報・営業の情報・サービスの仕様が一箇所にまとまってしまっている場合は、目的のドキュメントを探しづらくなっていることが予想されます。
1時間の会議が週に4回あれば、1週間の営業日のうち半日が会議にもっていかれる計算になります。
自社サービスを作るということは、世の中にあるツールでは解決できない問題があるからこそ作るものだと思います。
つまり、自社が一番自社サービスを使っている人達になるはずです。
自社サービスを使っているという回答があった場合でも、開発の動作確認用に使っているだけ……ということがあるかもしれません。
空気清浄機をオフィスにどれくらい置いているか、換気はしているかなど聞いたほうがいいです。
例えば売上が評価において3-4割の重みを持つ場合、既存コードのリファクタリングなどをさせてもらえず、新しい機能や機能改善を違法増築していくことになります。
ちなみに私はこれらを聞かなかったばかりに転職して後悔しています。
これ以上転職して不幸になる人が増えないでほしいです。
当然のことだけど、全身の剃毛はしてるんだろうね?
体から分泌された脂が細菌によって分解されることで強い匂いが発生するのだけど、
その細菌が一番多く住むのが毛だ。
だから、全身の毛を剃ることでにおいの発生量を劇的に減らすことができる。
仮に、行政権限の強化によって長時間労働を徹底的に是正できたとする。
日本経済が、違法・不当な長時間労働に支えられているのだとすれば、日本経済は大きな打撃を受けることになる。
では、労働者の生産性を高めることで長時間労働を是正できないか。
どうやらその衰退の大きな原因となっているのが実力のあるライターが
ラノベやアニメ等のエロゲよりはまだ勢いのあるジャンルに人材流出してしまっているということらしい。
そこで思いついたんだけど、流出してしまった分はWeb小説界からスカウトしてくればいいんじゃないか?っていう案。
なろうなんかでそこそこ話題になってる作品をゲーム化すればある程度は売り上げも担保されそうだし、
そういえばちょっと前までアニメでやってたこのすばやリゼロなんか今考えたら結構エロゲ向きなシナリオだよなーって気がしないでもない。
エロゲならアニメと違ってレム・ラムルートの補完なんてのもできるしね。
Web小説原作で円盤売り上げ5000枚超えるレベルに人気が出るアニメなんかも最近連発してるし、
書籍化→ゲーム化→アニメ化の流れでアニメがオバロやリゼロみたいに大きく話題になればアニメからエロゲへの
これ割りとエロゲ界を救える革新的アイディアじゃないか?って気がしてるんだけど、
どうだろうか、エロゲ界のお偉い様方。
ずっと強い女になりたいと思いながら、今まで生きてきた。
腕っぷしが強いとか、気が強いとかではなく、きちんと自立していて、問題解決のために理論的に動き、感情の制御ができて、他人に寛容な女になりたかった。
今もそう思っているし、完璧ではないにしても、そうなれるよう出来る限りの事は最大限行っているつもりだ。
何度か好きな人ができたことはあるけれど、自分から好きだと伝えたことはない。
そのことが原因なのは自明であるが、感情の押し付けによる軋轢を防ぎつつ情報伝達を遂行するにはどうすれば良いのかがわからない。
無論、愛されたこともない。
一度、同級生とそういった類の話になった際、「隙がない」と言われてしまった。
意味がよくわからなかったので、詳しく話を聞くと、「優しいのはわかるが、バリアがある」のだそうだ。
自立していたいと考えて生きているが、そのことが原因かと聞いてみると、「おそらくそのせいだと思う、そんな感じがする」と同級生は言った。
同級生は大変恋愛経験が豊富で、私とは全く違う性質の人間であるが、いくつも人として尊敬できるところのある人物だ。
そんな彼が、「女性は貴方よりももう少し笑っていて、とぼけていて隙がある方がいい、男はそういう女性にしか近づけないから」と言った。
なんとも言えない気持ちになった。
笑顔はこれからの人生で必要になるだろうから、きちんと身につけるとして、その他の要素をいかに調達したものかと悩んでいる。
私はとぼけてもおらず、隙のある人間でもないようなので、そういう人間に見せるには、ある種の嘘をつくことになる。俗に言う「養殖」とよばれる技術である。
しかしそれは、恋愛をするためだけに外面を取り繕うようなものであり、恋愛を抜きにしても、人間関係を執行する上で非常に不誠実であるように思われる。
私はそういう人間ではないし、そういう人間を求める人に、自身の欲求をもとに自身をあてがうようなことは大変失礼に思われる。
一方、恋愛を遂行するためにそういった要素が不可欠であり、その要素を取り入れないということが恋愛に対して不誠実であるならば、
嘘をつかない私という存在自体が、恋愛という事象そのものに対して失礼であるということになる。
これらの仮説に対する答えを私は持ち合わせてはいない。
子供が欲しいとか、愛し愛されたいとか、そういった事柄を補填するものはいくつもあるため、あまり重要なことではない。
人間という群れの一個体として、私に恋愛という役割が期待されていないのなら、そういう人生を歩むのも良い。
ただ、死にゆく親を目の前にして、「私は人間として恋愛という役割を期待されていない」とは、とても胸を張って言えないような、そんな気がする。
【追記】はてブの上の方にこれが来ていて驚愕しました。コメントを下さった方々、どうもありがとうございます。
確かにこれに置き換えたら、パタッと静かになるだろうさ。