そっか、お休み。いい夢見てね。
また出てきちゃったの?
ふだんは大きめの窓から街や遠くの山が見えていい眺めなんだけど、耐震工事か何かで渡り廊下の周りに覆いがかけられて、窓の外は壁のように見えるようになってしまった。
で、これがすごい圧迫感。
うまく言葉にできないけど。
何日かまえ、「twitterで架空のウヨアカを作ってネトウヨを釣る」という遊びが話題になっていた。
http://blog.livedoor.jp/nanyade/archives/11513419.html
http://blog.livedoor.jp/nanyade/archives/11535403.html
浅はかな「ネトウヨ」がダボハゼの如く次から次へと食いついて、はじめて4日で片山さつきからDMが来るまでになったのは笑ってしまった。
しかしこれ、よく考えれば笑ってばかりもいられない。上記記事のブコメでも何人か指摘していたが、この「爆釣」という結果は、彼らによる包摂の速度強度がきわめて高いということであり、それはコミュニティとして非常に良好な状態にあるということだ。
https://togetter.com/li/1077784
これは、「ネトウヨ」の言動について覆面調査をしたという人物の感想等をまとめたもの。
「リベラル」は、賛同RTをしても冷淡である。それに対して「ネトウヨ」は非常に優しくて、有名人でもフォロー返しをしてくれるし、批判をしたりされたりしたときにも加勢してくれるなど、積極的にコミュニティ感を醸し出してきて、居心地がいいのだという。
今回の「ネトウヨ」釣りの顛末は、まさにここで述べられていることそのまま、という感がある。
では、こうした「リベラル」と「ネトウヨ」の違いはなぜ生じるのか。
先ほどのまとめでは、前者には知らないと批判されることが多くあるのに対し、後者にはそれがないという考察が紹介されていた。これはこれで一理あるかもしれない。
しかし私は、こうした違いの生じる最大の原因は、単純に数の違いだと思う。
「はてなはリベラルの巣窟」などと言われることもあるが、そのはてなにあってさえ、「リベラル」は間違いなく少数派である。現代のネット社会一般について見ると、「ネトウヨ」を100とするならば、「リベラル」など10いるかどうか、という程度の、半ば絶滅危惧種のような存在なのだ。
そして、数が少ないと当然できることも少なくなる。仮に「リベラル」も「ネトウヨ」も同じ割合(仮に1割としよう)で包摂のためのアクションを起こすと仮定しても、総数100の「ネトウヨ」が10のアクションを起こすとき、総数10の「リベラル」は1のアクションしか起こせないということになる。これでは「リベラル」が「ネトウヨ」に敵うはずもない。
「リベラル」は「ネトウヨ」と同じように包摂を試みていたのでは勝ち目がない以上、リソースをどこかに集中する必要がある。その際に参考になるかもしれないのがこのサイトだ。
https://ncase.me/crowds/ja.html
このサイトから得られる教訓を、本記事に必要な限りできわめて雑にまとめると、世の中を変えるためには「つながりのない人間」、そして「多くの者に影響を与える人間」に着目する必要がある、ということになるだろう。「つながりのない人間」は変えやすい。そして変化を伝播させていくためには「多くの者に影響を与える人間」を変える必要がある、ということだ。
しかしここで、「多くの者に影響を与える人間」とはつまり、「多くのつながりがある人間」ということだ。「つながりのない人間」を変えてもその者がボッチ、コミュ障であれば変化はそこで止まってしまう。逆に「多くのつながりがある人間」は変化を伝播させていくことはできるがその者自身を変えることが難しい。「つながりのない人間」であり、かつ「多くのつながりがある人間」……そのような者がいるのだろうか。
新人は、新規参入時には当然ほぼつながりのない状態であるため、影響を与えることは容易である。しかし、そのつながりのなさはあくまでも新人であることに由来するものであり、ボッチ、コミュ障というわけではない(と思われる)のだから、その後活動を続けていく中で、それなりに多くのつながりを形成していくことが見込まれる。ゆえに、新人は「つながりのない人間」であり、かつ「多くのつながりがある人間」(正確には「多くのつながりを見込みうる人間」)なのだ。
数に劣る「リベラル」は、このように影響を与えることが容易でありかつ変化を伝播させていくことが期待できる新人の包摂に、力を注ぐべきである。
健闘を祈る。
格闘技で誰も使ってないあたりでお察しだよね
2~3年前、WiiUを買おうかどうか迷うって確か増田にも書いた気がする。
結局WiiUは買わなかった。
当時の私は中学生で、親にネットの利用は許されていても書き込みは禁止されていた
まあスマホもなかった当時、田舎のパソコン所有率と言ったらひどいもんで
そんな中で小学生のころからパソコンを使わせてもらえるだけ幸せな環境だったから文句言えない
親としては周囲のネットリテラシーも高くない中でむやみやたらと扱わせたくないのもわかる
そんな中、Pixivでとってもとってもお気に入りの絵描きさんを見つけた
ろくなソフトも使ってないんだろうガタガタの線なのに明らかにうまいとわかる
何より全ての絵の構図が最高
一目で惚れた
でもさっき言ったようにアカウントに登録できなかった私はあなたの絵は最高です!の一言すらその方に言えなくて
高校生になった私はパソコンアドレスを持つことを許可してもらった
それでも私はうれしくて、すぐにPixivに登録してあの絵描きさんのすべての絵をお気に入り登録した
そういえば前Twitterで過去の絵は黒歴史だからいいねしないで!って流れてきたけど、私みたいな人間もいるので大目に見てほしい
なんとあの方が某アニメのキャラデザを担当することになったのだ
意味が分からなかった、だってその方はそれまで目立ったイラストレーター業はしていない(普通に別の仕事をしていたからだ)
はじめてそのアニメを見た日、私はあの方の絵が動いていることに感動し泣いた
アニメの出来もめちゃくちゃよかった
なけなしの金で資料集とdvdを買ったけど今思えばBlu-rayで買いたかった
今その方はイラストレーターに転職し、華々しく活躍していらっしゃる
高校生までの間、応援したくても廃れていくのを見過ごすしかなかったものが多くあった
その理由は人気であったり、売り上げであったりしたが、当時の私は両方とも貢献することができない立場であった
こちらがどんなにその作品が好きでも、相手に伝えることができなければそれは「ないもの」に等しい
だからその方が今も活躍しているのがうれしい反面、描き始めた初期に目に見える形で応援できなかったことを心苦しく思っている
ファンの想いが作り手にダイレクトに伝わることに関しては賛否両論あるだろうけど、+の感情を届けるツールが増えたことは喜んでいいと思うんだよね
なるほど、あなたのような方を避ける魔除けにもなるのか。