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2024-12-03

anond:20241203181852

中学生腐女子みたいなベタベタな化粧してる25歳、骨格猪木で目をつぶってないとヤレない180cmのゴリラ、肌にアトピーがひどいかコロナ理由マスクさせたままヤったブス、ちんこ入れたら切り落とされそうな出っ歯ワンナイトなら色々やったけど若い女ってだけでやるのは簡単だぞ

それを推奨するわけじゃないけど、そういう場に行かなかったってだけだろ

2024-11-03

日本プロレス史上最も重要試合10選【追記あり

試合の内容の是非というよりは、後世に残した影響の強さを重視して選出しました。

力道山vs木村政彦 1954年12月22日 蔵前国技館

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でもお馴染みだが「プロレスとは何か」を深淵の底に落とした試合である。この試合真実に関しては諸説あるが、ともかく力道山木村シュートで潰したことは単純に眼前の事実である。「プロレスとは八百長ではなかったのか?」日本プロレス史における「プロレスとは何か」という問いへの解答がこの一戦で全て分からなくなってしまい、今もその謎が解けたとは言い難い。また、当時のプロレス界は柔道出身が多かったものの、木村がこのような形で潰されたため、もし木村が勝っていたら今のプロレス界は柔道系譜もっと強くなってまるで違う別物に変わっていた可能性が高い。当時の日本の強さの象徴といえば柔道であり、その柔道プロレスが上回ったのだから当時の衝撃たるや、である。少なくとも逆水平チョップという技がこれほどスタンダードな技として使われる(アメリカなどはナックルが主流)のは間違いなく力道山の影響だろう。

アントニオ猪木vsモハメド・アリ 1976年6月26日 日本武道館

わずとしれた世紀の凡戦であるが「猪木・アリ状態」が発生しただけでこの試合人類史に残す価値のある試合である。この辺はあらかた語り尽くされているので多くは書かない。また、試合を実現させる猪木マジックとも呼ぶべき「巻き込み力」はエネルギッシュだった昭和の世相を反映していると言えよう。

タイガーマスクvsダイナマイトキッド 1981年4月23日 蔵前国技館

初代のタイガーマスクデビューした試合で、今見ても全く色褪せない。漫画キャラクターが実現するメディアミックスという手法も新しかったが、マスクを被った佐山の才能は20年ほど時代を先取りしていた。四次元殺法とも評されたその戦いぶりは軽量級レスラーに偉大な影響を残した。

ジャイアント馬場vsスタン・ハンセン 1982年2月4日 東京体育館

選手としてはピークを過ぎて会社内での立場も危うくなってきた馬場が、自身レスラー生命の生き残りを懸けて行われた一戦。ハンセンはこの当時、選手として全盛期であったため馬場は殺されてしまうのではとさえ言われていたが、試合開始直後に放った16文キッククリーンヒットし、会場の空気が一気に馬場一色となった。この試合引き分けという不透明決着に終わるも、馬場はその人気再沸騰で会社内でのイニシアチブを取り戻すこととなる。レスラーリング上でこそ輝きを取り戻すという、レスラーの原点を示した一戦。個人的には倒れているハンセンの左腕をガッツリ踏み潰すキラー馬場が滲み出た瞬間が一番アツい。

アントニオ猪木vsマサ斎藤 1987年10月4日 巌流島

公私ともに何もかも上手くいかず、自暴自棄になっていた時期の猪木が行った一戦(元々の発案者は藤波であったとも言われているが、なぜか猪木がやることに)。猪木巌流島に立てられたリング上で時間制限、ノールールレフェリー無し、無観客試合という前代未聞の試合に付き合えるのはマサ斎藤くらいしかいなかった。後年、この試合を振り返るマサ斎藤インタビューがあるのでこちらも読んで欲しい(https://number.bunshun.jp/articles/-/842688)。試合は2時間を過ぎたところでマサ斎藤裸絞めで失神し、猪木勝利した。観客を排して一切のしがらみを捨て、レスラー純粋に二人のためだけに試合をしたらどうなるのか、という後年でも見られない極めて前衛的な試合になったと言える。

武藤敬司vs高田延彦 1995年10月9日 東京ドーム

プロレスを守るためにプロレスをした武藤と、プロレスを強くするためにシューティングをした高田一騎打ち新日本UWFインターの対抗戦として行われたこ興行のメインイベントは、新日本4勝、UWFインター3勝で迎えられた。高田としてはこの試合に勝てば4勝4敗で終われるが、この試合武藤の保持するIWGP王座がかかっていたため、4勝4敗でもベルトが動いた分UWFの方が上を取れるという状況であった。お互いのスタイルをお互いが貫き合い、武藤の持つドラゴンスクリューという極めてプロレス的な技が、高田の多用するキックへのカウンターとして機能することが勝敗を分けた。最後も足4の字固めというプロレス代表する固め技で武藤ギブアップを奪った。戦いのスタイルが全く違っても、そのスタイルを両者がいかに主張できるかで試合面白くなる、ということを示した貴重な一戦。

橋本真也vs小川直也 2000年4月7日 東京ドーム

橋本の1勝3敗で背水の陣を敷くべく「負けたら即引退」を掲げて小川へのリベンジを臨んだ一戦。この二人のシングルマッチで一番面白いのはやはりこの5戦目である橋本ジャンピングエルボーを炸裂させて小川の肩を脱臼させるも、その後の三角絞めで腕を取った際に外れた肩を偶然嵌めてしまうという珍事も小川に味方し、最終的には小川がSTOの連発で橋本をKOした。完敗した橋本は本当に引退するも、折り鶴兄弟(詳細は省略)の助力もあり復帰。最終的には小川とタッグチームを組み、親友となった。戦いの末に友情が生まれるというジャンプ漫画でありそうな展開は現実でも起こるという、プロレスフェイク無しを魅せつけた一戦。

長州力vs大仁田厚 2000年7月30日 横浜アリーナ

既に引退していた長州をなぜか大仁田ストーキングとも言える言動を繰り返すことで呼び戻すことに結果的成功し、大仁田お家芸である電流爆破デスマッチが実現した。プロレスは「ネバー・セイ・ネバー」(絶対に無いということは絶対に無い)という矛盾を孕んだ言葉まやかし大仁田の執念が証明してみせた一戦。試合長州勝利。なお、この大仁田長州へしつこく対戦を要求する様子は当時のプロレス番組で放映されており、それをレポートする真鍋アナウンサーとのやり取りも「大仁田劇場」として注目された。最初大仁田から理不尽な扱いに「サラリーマンって大変だなぁ」とファンに同情されていたほどだったが、最終的に真鍋大仁田へ「電流爆破、見たいです!」と直言するまで成長し、この試合の実況も大仁田に傾倒する内容で行った。

渕正信vs蝶野正洋 2000年9月2日 日本武道館

2000年はプロレス界激動の年だった。6月全日本プロレスから選手クーデター同然に大量離脱し、残った選手川田利明渕正信の2名だけとなった。全日本はなんとかして起死回生を図らなければならず、鎖国状態にあった同じ老舗団体である新日本プロレスとの交流に活路を見出した。8月11日、渕がスーツ姿で新日本リングへ上がり「(鎖国状態にあった)壁をぶち破りに来ました」と話し、新日本現場監督である長州力と固い握手を交わしたところへ抗議しに現れたのが蝶野だった。乱闘しかけようと興奮する蝶野だったが、渕は冷静に受け流し、蝶野が落とした帽子を「蝶野忘れ物だ!」と帰ろうとする蝶野へ投げつけるシーンが完全にプロレスファンの心を掴んだ。これを受けて行われたのが全日本リングでの二人のシングルマッチである。結果は蝶野勝利であったが、全盛期をとうに過ぎた渕が堂々とした態度とマイク第一線を張ったおかげで全日本は辛うじて生き残ることができた。いつ誰がどんな形で主役を張らなければならないかは分からない、運命の数奇というものプロレスにはあり、渕は突如訪れたその大役を果たすことができたから今も全日本という団体は存続している。

三沢光晴vs小橋健太 2003年3月1日 日本武道館

一方、全日本プロレスを大量離脱した選手たちによって旗揚げされたプロレスリング・ノアは、旗揚げして1年足らずで日本テレビの中継がつき、ほどなくして日本武道館興行が行われるなど、ハッキリ言って順風満帆だった。試合クオリティも高く、当時の2chプロレス板で「ノアだけはガチ」というフレーズも生まれた。この試合三沢小橋花道から場外マットへタイガースープレックスで投げ飛ばすという荒業を敢行。実況していたアナウンサーが「死んでしまう!」と絶叫した。しか最後小橋バーニングハンマーを繰り出して逆転勝利ベルトの価値、そして団体価値というものをどうやって高めるのか、を方舟に乗ったレスラーが探し求めて辿り着いたのがこの試合である。純プロ路線でありながらその究極系を突き詰めた結果という意味において、選出すべき試合であることは間違いない。

以下、選外

ジャックブリスコvsジャイアント馬場 1974年12月2日 鹿児島県体育館

この当時、最も権威のあったNWAヘビー級ベルトを日本人で初めて戴冠した試合

ザ・ファンクスvsブローザー・ブロディジミー・スヌーカー 1981年12月13日 蔵前国技館

全日本プロレスで開催されたこの年の最強タッグリーグ戦の優勝決定戦で、ブロディ親友であるハンセンセコンドに帯同。場外戦にもつれ込んだ際、ハンセン試合ラリアートで介入し、ブロディスヌーカー組の優勝をアシストした。この暴挙馬場が怒り狂い、試合終了後にハンセン乱闘を繰り広げ、前述のシングルマッチへ発展する。

三沢光晴vs川田利明 1999年1月22日 大阪府立体育館

故意事故か、川田三沢に対して垂直落下式パワーボム通称三冠ボム)を敢行した試合勝利した川田だったが、試合中に実は腕を骨折しており全治3ヶ月となった。

本田多聞泉田純vsハヤブサ新崎人生 1999年2月13日 後楽園ホール

ハヤブサFMW)、新崎人生みちのくプロレス)というインディー団体レスラーでもメジャー団体ベルトを巻けることを証明した試合。この当時のインディー団体立ち位置は非常に弱いもので、これを覆すのは至難の業だった。この両名はインディー団体の中でも頭2つ抜き出た存在で、全日本プロレスの至宝を獲得することに成功した。なお、このコンビは米マット界でも活躍しており、日本代表するタッグチームと呼んで良い。

ザ・グレート・サスケvsスペル・デルフィン 2003年11月2日 有明コロシアム

犬猿の仲となり、顔を合わせるのもNGであった二人のシングルマッチが、みちのくプロレス創立10周年という大舞台で実現。ホーム戦であったサスケが敗れ、試合後のマイクで弱音を吐いたところ、客席より「みちのくプロレス50年化計画はどうなるんだ!」という野次勇気づけられ、顔を上げたサスケは「みちのくプロレス永久に不滅です!」と改めて宣言した。客もまたプロレスを作り上げる1人であることを明示した試合である

伊藤竜司vs葛西純 2009年11月20日 後楽園ホール

デスマッチの「やれるところまでやる」をやり切った試合。頭の中に引退がチラついていた葛西後楽園ホールバルコニーからテーブルダイブ攻撃を浴びせるなど、デスマッチ限界を攻めた試合となった。30分1本勝負のところを29分45秒で葛西勝利し、この年の週刊プロレス大賞ベストバウトを受賞した(デスマッチが受賞するのは極めて珍しい)。試合後のインタビュー葛西現役続行宣言したことからデスマッチというジャンルにおいて次の時代への扉を開けたワンマッチであったと言えよう。

前田日明vs坂田亘 1995年5月20日 控室

今もなお語り継がれる衝撃映像のアレだが、そもそも試合ではないことと、別に重要ではないため選外。

追記

10選じゃなくて10戦にすればよかったなぁ。でも検索に引っかかりにくくなるからいか

全日本プロレス軽視では?

⇒そういうつもりもなかったが、全日本は良くも悪くもプロレスというものを護ろうとして頑張っていた保守団体なので、地道な積み重ねをしていて変革が起きる瞬間というのが限られていたので仕方ない。逆に全日本があったか新日本ハチャメチャでも許されたのだと思ってるし、ハチャメチャし過ぎた結果、何度も会社ごとハチャメチャになりかけていた点をプロレスファンは忘れていない。選外には全日本が多いのでご容赦を。

最近試合/◯◯の試合が無い

自分最近試合を追いきれていないのもあるが、どちらかといえば後年振り返ってみて「アレがあったからだよなぁ……」と思わされる要素があるかどうかで選出した。タイガーマスクがいなければ今のジュニア戦線はヘビーの焼き直しかルチャのマネごとレベルになっていた可能性もあるし、渕があそこで全日本崖っぷちで踏みとどまらたから後々の団体交流戦の活性化が生まれたのだと思う。歴史を紐解いた時に外せないかどうか、って感じ。例えば「猪木vsホーガン」みたいな試合事件としてはとてつもなく大きなものだけど、じゃあアレが後年に何か影響を与えたかって言ったら、そういう種類の話ではないので。

総合格闘技戦について

自分桜庭和志には胸熱した世代ではあるものの、さすがにPRIDEリングでの試合を選出するのは違うだろうと思った。そもそもアレは総合格闘技という競技たまたまプロレスラーと柔術家がやっていただけである桜庭が勝ったのはもちろん嬉しかったが「プロレスラーは強いんです」と言われたのは複雑で正直、気持ちとしては受け入れ難かった。それは桜庭個人総合格闘技という競技に向かい合って努力した結果であって、プロレスラーというもの一般化してしまうのは危険なのでは……と思っていたら翌年、普通に永田ミルコに負けていた。

女子プロレスは?

女子女子で深いジャンルなので、もうそこまで踏み込んじゃうと10選じゃ足りなくなるので恐くなって考えるのを止めました。そもそも女子はそこまで詳しくないので。というわけで、これを見ている増田! 書かないのか!?しかないぞ、俺達がやるのは!

・信彦じゃなくて延彦な

正直すまんかった、正直ポカした。

2024-09-09

anond:20240909222126

異議あり

猪木世代なら1度は考えるネタであり、

投稿した増田が同一人物とは限らない



ぇえー……

この道を行けばどうなるもの

危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。

踏み出せばその一足がみちとなり、

その一足が道となる。

わず行けよ、行けばわかるさ。

2024-04-26

花粉症が酷い

1週間前くらいから症状が酷い。

鼻水だらだら。くしゃみ連発。

これ、ヒノキ?本当にヒノキ??

あれ?ヒノキって今がピークだっけ??

ちなみにスギはあまりない。ちょっとかゆくなるくらい。

3月スギ花粉で辛そうな人を見ながら、そろそろ来るかなって思ってたら、キターヒノキー!!猪木ー!!

くしゅんっ。

くしゅんくしゅんっ。ハーックッション!!

どんどん酷くなる。あーかゆっ。

tenki.jpで調べてみると、中国地方ヒノキ花粉の飛散ピークは4月上旬

ですと?

ん??

やっぱりこれ、違うやつ??

黄砂も調べたけど今日はほぼ無ってある。

何かしら。何なのかしら。もー!!

2024-03-05

猪木の曲とBE MY BABY

猪木ボンバイエ猪木ボンバイエ!とビーマイベイベービーマイベイベーの部分、口ずさんだら混ざっちゃう

2024-01-15

自殺した父親プロレスの話したかった

もともとプロレスに詳しくない夫が最近アントニオ猪木にハマって、彼の過去試合をよく見てる。

私もプロレスは詳しくない。

たまたま猪木とグレートムタの試合を見ていた。

覗いたらなぜか見たことのある試合だった。

思い出した。

私の父はプロレスが好きだった。

私が子どもの頃は深夜にプロレス放送されてて、父はそれをビデオに録画して私たち兄弟の子守りをしながらよく見ていた。

そして父はグレートムタが好きだと言っていた。

この試合を繰り返し見てここがどうだとか、そんな解説を聞いてもないのに楽しそうにしていた。

あーあ、N64プロレスゲーム買ってきて出来がいいって喜んでるお父さん楽しそうだったな。

すごい優しいってか甘い人だったな。

今考えると男社会で生きていくの苦手で、打たれ弱い人だったんだろうな。

から転職を繰り返したししんどくて怖くてパチンコに逃げて借金重ねて逃げようとして自殺したんだろうな。

自殺することなかったのに。

借金は200万あったらしい。

祖父がまだしっかり働いてたんだから本気で謝れば全然どうにかなったのに。

けど向き合うことから逃げたんだろうな。

かいろいろ思うけれど父の人生からそれについて怒ってるとか恨んでるとかそういうのはない。

高一まで育ててくれてありがとう面白かったよ。

ただなー、お正月にあった時なんかさ、全然詳しくない夫私と私の子どもたちの為に動画解説してくれる父がいたらなあと思った。

なにも自殺することはなかったと思う。

2023-11-25

昔のプロレスだったら猪木vs塩村の60分一本勝負開催確定だったのになぁ

抗議に謝罪って、、、

2023-10-27

anond:20231027145935

嘘つき!元気なときでも馬場猪木はできなかったくせに!

2023-10-11

世の中80/20パレートの法則

できる2割は猪木とアーリー

猪木勝手フラフラしてるが

アーリー層が年齢と共に後方セグメントに移行

ここが老害の温床

2023-10-09

一部の猪木信者猪木を信奉するあまり棚橋オカダといった今の新日トップレスラーをこき下ろしてるけど

猪木理想とした「ガチの強さを追い求めてそこからまれる殺気をプロレスで発揮する」は

ゴールデンで中継してたTVから放映権料を中心とした揺るぎのない経済基盤あらばこそなんだよな

今みたいにチケット買ってくれるお客を相手興行しなきゃいけない時代にそんな

俺の理想についてこれるやつだけついてこいなんて殿様商売できるわけがないんだよ

屋台たこ焼き買ったおまけにチケットが付いてたドン底の新日をひとり背負って

本当にやりたかった地味でクラシカルレスリングを捨てて飛び技やエアギターで観客の目を引く工夫を追及したり

興行を打つ地域地元メディアに頻繁に顔出して営業に汗かいたり

棚橋の必死努力否定することはどうしても許せないんだよ

2023-09-17

anond:20230827094607

昭和野球漫画プロレス漫画には川上長嶋王力道山馬場猪木とか当たり前のように出てきてたな。

梶原一騎原作が多かったけど、それ以外でも、小学館学年誌野球漫画とかね。

そう言えばアニメの「ド根性ガエル」に長嶋出てたな。原作は未読だけどどうなんだろ? 

あと、平成になっても、猪木ぽいガチプロレスラーは、猿渡系板垣系のお約束実在ではないが猪木なしには存在しえないキャラだろう。

2023-07-14

anond:20230713170159

小学生の頃合唱曲歌詞に出てくる「いのち」を何でもかんでも「猪木」にする奴いたな

anond:20230713170159

死にかけなのを撮影されてて、かわいそうだった。そっとしておいてやれよっておもった>猪木

2023-05-12

セルフレジ店員さんから学んだこと

結論:現時点においてはセルフレジは普及段階で、サポート過剰反応フェーズですね。

セルフレジはいろいろあるけど、バッグの重量を最初に測るシステムだったり、計測しないシステムもある。(おそらく前者のほうがより厳密で万引き防止かと思われる)

今日入ったスーパーでは通常買い物バッグで計量しているので問題ないのだが、たまたま別のバッグを利用していたため、最初の重量の変化が計測されて止まってしまった。

「なるほど」と思い一度キャンセルしてやりなおそう、と思ったその瞬間、うしろからやる気に満ち溢れた店員さんが「お客様ーッ!どうされましたーッ!」とものすごい鼻息ヘルプに突進してきた。

 

私は「一度キャンセルするプロセスを学びたい」と思い、自力操作たかったのだが、「全部キャンセルでよろしいですかーッ!」とその鼻息に押され、「あ、は、はい・・・」と云うよりほかなかった。これにより私の「このスーパーセルフレジOS操作」を習熟する機会が失われてしまった。

店員さんは悪くなく、ただやる気があるだけである。唯一問題があったとすれば、客層を見ずに多くの老人向けのカスタマーサービスをしてしまたことであろう。客によっては、セルフレジに習熟してより効率的に買い物をしたい人も少なからずいるはずである

 

その店員さんは、客を見ずに「介護」をしてしまったのである。「介護」の対象は、成長する必要はないのである一方通行でいい。ここにカスタマーサービス本質があるように思える。客を成長させるのが真のカスタマーサービスである、という学びを得たのだ。

 

「お客さまーッ!元気ですかーッ!」

その店員さんから、先日なくなった猪木さんのパワーをもらえた気がした。

2023-05-06

うちの猫ローキックしてくる。

茶トラの雄で二才。

普段からごろごろしてて、ほぼ一日中寝転んでる。この連休最初のうちは俺が家にずっと居るのを不振がってて「え?なんでずっと居んの?仕事行けよ」といった冷たい視線を投げ掛けてきてたんだけど三日目には消えた。

たぶん、慣れたんだろう。

でもその代わりにローキックしてくる。

名前呼びながら近づくと寝転んだまま俺にローキックを仕掛けてくる。

お前はアリ猪木戦の猪木かよと言わんばかりに寝転んだままキックをしてくる。

猫だけに。

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