@koichi_kawakami 科学とニセ科学の峻別というのは20世紀前半に論理実証主義者が始めた議論ですが、トマス・クーンが『科学革命の構造』(1962)を出版して以降、科学とニセ科学を区別する客観的基準は存在しないというのが… https://t.co/ex05aPRijm
March 27, 2016 戸田山和久『科学的実在論を擁護する』書評 戸田山和久『科学的実在論を擁護する』名古屋大学出版会 2015 http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0801-3.html 本書は戸田山氏による本格的な科学的実在論の研究書である。 まず、日本語でよめる実在論論争史の紹介として、現時点で本書がもっとも充実したものだということは間違いない。20世紀における論争の紹介内容は、シロスのScientific Realism: How Science Tracks Truth (Psillos 1999)という定評ある研究書を下敷きにしていることもあり(これについてはあとで触れる)、信頼性は非常に高い。また、21世紀になってからの動きとして、チャクラバティの「半実在論」(semi-realism)やスタンフォードの「新しい帰納法」など
次のメールを日本科学者会議の東京支部幹事の知り合いに送りました。下記に入れた「経緯」のPDFを添付してのことです。 あのような粗雑なもの(増田氏のもの)を掲載するだけで恥を知るべきです。なんせ使う放射線汚染マップが早川由紀夫氏のだからなあ。 内容以上に、会員が非難されているのに反論させないという経緯に驚きよりも怒りが湧いてきました。 ─────────────────────────── 左巻健男です。 日本の科学者2015年10月号の増田論説があまりにもお粗末なので反論が載ると思ったら添付のような経過だということで、抗議を込めて退会します。 手続きは本部に連絡しようと思います。 ─────────────────────────── その一人から次の返事が来ました。 ─────────────────────────── メール、ありがとうございます。 いやー、科学者会議、驚きの対応です
菅裕明他『研究する大学――何のための知識か』岩波書店,pp. 165-195. *草稿なのでコメントあればお願い致します. 基本的には,人文学(と自然科学)が分離し,対立していく歴史を辿りながら,「人文学は,速度と効率を優先させる市場価値には還元できない別次元の価値が厳として存在することを、『スローサイエンス』の旗印のもとに積極的に言挙げすべきなのである」(pp. 186-187)と論じている.わりと共感できる部分は少なくないのだが,気になる点も多い.以下にそれを列挙する. 野家のイメージする人文学の狭さ どう見ても野家のイメージする人文学は狭すぎるように思われる(あるいは,多様なものでない).たとえば,野家によれば,「人文学の研究成果が論文の改訂を経て書物としてまとめられるまでには、通常二、三年を要する」(p. 186)という.また,この論文の位置づけは,「人文学では論文は書物となる前段
mojimojiさんは,先日のエントリの内容を「trivial」*1 なものであり,「サイエンス・ウォーズにおけるソーカルのツッコミみたいなもの」*2 だと記しておられます. ぼくの批判が細部または枝葉末節に関わるものだという点はべつに否定しません.ですが,ぼくはソーカルやブリクモンが『知の欺瞞』でやったような批判をしたわけではありません. まず,mojimojiさんのエントリ「サイエンス・ウォーズ」の全文をみてみましょう. 一般論として、ある命題と、その論証において、論証がまちがっていることを指摘するのは、それはそれで意味がある。ただ、命題そのものにはちゃんと意味があるから、その意味において(どういうわけか)使えたりもしてしまう。だから、結局のところ、その命題が使えてしまっているならば、命題の論証に瑕疵があることを指摘するだけではなくて、その命題を別のやり方で論証するか、あるいは、あるい
科学と差別の関係は複雑である。 差別の定義も多様であるが、ここでは「本人の行為ではなく属性によって取り扱いに差をつける」ということにしておく。 また「本人の努力によってどうすることも出来ない事柄で不利益な扱いをすること」という言い方をすることがあるが、これはたぶん「属性」だと意味がよくわからないことを配慮して言い換えたものではないか、と推量される。ここでいう「属性」とは、たとえば国籍や民族、宗教、人種、家柄、肌の色、心身の障がい、性的指向、といったことである。 単に「差をつける」のか「不利益な扱い」に限定するのかは論点の一つである。 一般には、たとえば「黒人/アフリカ系であればトラック競技が得意であろう」といった前提で物事を決めるのも、表面的には「不利益」ではなく優遇措置に見えるが、それによってトラック競技をしたい「黒人ではない」人々に不利だということだけではなく、トラック競技が得意であろ
社会科学については社会科学の哲学という分野があって、どういう研究が社会科学の名に値するかというのはその分野の一つの話題ではあります。ただ、名前がどうかよりも社会科学に特有の方法論というのはありうるのか、いわゆる質的研究をどう評価するのか、といった問いの立て方の方がよほどメジャーだと思います。 人文学の哲学はそもそも科学哲学の一分野としては成立していないと思います。もちろん科学哲学のこれまでの議論の蓄積を使って論じることのできるテーマだと思いますし、実際「歴史学の哲学」は一つの分野として議論が行われています。ただ、この議論は哲学者というよりも主に歴史家たち自身によって行われていると思います(わたしの授業でも一度Appleby et.al のTelling the Truth about Historyを使ったことがありますが、この著者たちも歴史家ですね)。
例えば新型感染症は新しい知見しかありません。患者の訴えを「査読が通っていないからニセ科学」と無視したら、下手すると全滅します。 @hindu_kush420 @packraty 「査読システムに耐えたものが科学 http://twitter.com/pririn_/status/558908990868828160 ※強調は引用者による そんな人がどこにいるか知りませんが、もしも、ある言説について、査読に通っていないという条件だけでニセ科学と言う人がいれば、その人は間違っています。そんな人がどこにいるのか知りませんが。 それで、査読に通るという事が科学であるための必要条件だと仮定すると、査読に通っていない事から言えるのは、それは科学では無い(非科学である)というものです。 だって、たとえば、脈絡も無く、医師免許を持っていないからニセ医者、と言う人がいればおかしいでしょう? 医者と呼ばれるに
『現代思想』2001年8月号(vol. 21-10) 「サイエンス・スタディーズ」特集号についての読書案内 隠岐 さや香(東京大学) 「サイエンススタディーズ」特集として組まれている対談、論文などは以下のようになっている。 エッセイ 「科学の外部評価」 養老孟司 インタヴュー 「<科学の現在>を捉える」 村上陽一郎、平川秀幸(聞き手) 「戦後科学論の鉱脈 遡行と展望」 中山茂、塚原東吾・柿原泰(聞き手) 「労働・近代・技術」 中岡哲郎、柿原泰(聞き手) 遺伝子 「遺伝子改造社会のメタ倫理学」 金森修 「緑の遺伝子機械 物と人の政治学」 大塚善樹 「遺伝子組み替え作物のリスクと倫理をめぐる専門家による言説構成」 B. ウィン 塚原東吾訳 科学と帝国主義 「科学と帝国主義 パイエンソン批判」 P.パラディーノ M.ウォーターボーイズ 塚原東吾訳 「『科学と帝国主義』が開く地平」 塚原東吾 「科
牧野淳一郎氏が、次のような主張をしていました。 もちろん、伊勢田さんみたいな、科学と非科学に線引きできるはず、という立場をとるなら、なんかあることになるけど。 http://twitter.com/jun_makino/status/546180929253687296 強調は私が施しました。このつぶやきで牧野氏は、科学哲学者の伊勢田哲治氏が、科学と非科学に線引きできるという立場であるのだ、と発言しています。 この後に牧野氏は、質問に応えて、伊勢田氏がそういう立場である事が判る文献として、科学哲学における線引き問題の現代的展開【PDF】を紹介しています。つまり牧野氏は、伊勢田氏の文献を参照し紹介しつつ、伊勢田氏の立場が科学と非科学に線引きできるというものであると主張しているのです。 ところが、伊勢田氏はそもそも、科学と非科学に線引きが出来るという立場などでは無いと私は考えます。 牧野氏自身
忘却からの帰還〜Intelligent Design 創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など トップページページ一覧メンバー編集 「我々が科学を信じない理由についての科学」 最終更新: transact 2020年12月31日(木) 13:10:39履歴 Tweet 批判サイド>否定論・陰謀論を信じる理由 > 我々が科学を信じない理由についての科学 Chris Mooney: 我々が科学を信じない理由についての科学 以下は「動機づけられた推論(motivated reasoning)」をとりあげた「Chris Mooney: "The Science of Why We Don't Believe Science"」の訳です。 [ Chris Mooney: "The Science of Why We Don't Believe Science" (201
無駄な文系コンプレックスをこじらせている人ほど、文系学部が必要ないと言い出す。 そして、その多くの「自称文系」は、文系としてもダメなことが多い。 確かに理系学部は、実社会における工学的な技術の基礎になっていて、実用的な印象になっているのは否めない。 けれど、それってその人が無能だから役に立ってないというだけで、文系学問の手法が役に立たないというわけではない。 恐らく、理系の場合は 仮説 先行事例を研究する実験データ検証 仮設へのフィードバックという考え方を基礎としている。 実験において大切なのは再現性である。同じ手順、同じ環境を元にすれば、同じ結果が得られるということが大切だ。 しかし、歴史であったり、社会的な問題、また文学に関しては、あまり再現性を前提とすることが出来ない。まず同じ環境を準備することが不可能であるのは間違いない。 では、文系学問においては何をするのか。基本的には、以下のよ
前回記事では、科学哲学の目的は科学を理解することだ、と書きました。じゃあ具体的に科学者は何をしてるのでしょう。色々な物事を説明してます。じゃあ説明って何でしょう?ということで、今回は「説明とは何か」ということについて少し突っ込んで考えてみたいと思います。と思ったのですが、それだとあまりにもテーマが大きいので、少し分割して、今回は「目的論」について。目的論とは何か?物事をその目的から説明することです。っておいおい、いきなり「目的」かよ、全然科学的じゃないじゃん、と思われた方。そうでもないんですよ。実際、目的論的思考は、科学の発展と密接に結びついてきました。そのうちのいくつかは乗り越えられ、いくつかは生き残った。そう、今でも目的論的思考は息づいているのですよ。では、どんな仕方で?というのが今回のテーマです。 しかしその前に、そもそも、物事を説明するとはどういうことでしょうか。とりわけ「科学的に
"Oxygen" or "Sauerstoff"? A scientist conducts an experiment in an undated German film Two Norwegian scientists have won the Nobel Prize for physiology or medicine - for work published in the English language. Historian of science Michael Gordin explains why they wrote in the language of Dickens and Twain rather than Ibsen and Hamsun. Permafrost, oxygen, hydrogen - it all looks like science to me.
2014-10-02 はてな科学ブロガーのまとめ ブログ 科学 はてなブロガーまとめを読んだ。このまとめに科学ブロガーが全く入ってなかったのでついまとめてしまった。反省はしている。 はてなブロガーまとめ(再) Tophatenarをベースに僕の独断と偏見に基づいて並べました。抜けてる有名人がいたら教えて下さい。 はてな科学ダイアラーid:NATROM ニセ科学批判で超有名。本も出しているお医者さん。 NATROMの日記 id:scicom 病理医の榎木先生。 科学政策ニュースクリップ id:warbler アンチニセ科学のサイエンスライター。 warblerの日記 id:semi_colon 一世を風靡した超人気生物ブロガー。現在はブログ運営停止中。 過去の蝉コロン 蝉コロン id:active_galactic 宇宙とか物理とかやってる人。 Active Galactic : 11次元
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20140910/1410394021 http://d.hatena.ne.jp/dlit/20140911/1410405410 個人的には、歴史は科学じゃなくて(事実と推定されるものを元にした)文学だと思うなあ。事実の推定のやり方はそれなりに科学的だと思うけど、事実と事実の関係の解釈が完全に文学。「歴史の流れ」とかさ、SFとかで時々出てくる「歴史の補正力」と同レベルのトンデモでしょ。 事実推定の段階から文学入ってる歴史修正主義みたいなクソと一緒にすんなっつーのは分かるんだけど、左翼の人たちが大好きな唯物史観だって、都合のいい事実だけを繋げて作った「星座」だと思うしなあ。 ある出来事Aと別の出来事Bに因果関係が存在することを証明するのって、再現がほぼ不可能な「歴史」においては事実上不可能なはずなのに、経済学とか社会学
2016.2.22 田口たつみさんとのコラボによる解説記事のリンクです。 「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター解説(1)扇情的な見出し・結果の曲解 「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター解説(2)「利益相反」 「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター解説(3)「相関関係と因果関係の混同」 「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター解説(4)推測表現 (おまけ:「科学的風だけど実は科学的証拠ではないもの」の例) 「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター解説(5)小さすぎるサンプルサイズ/代表的でないサンプル 「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター解説(6)対照群がない/盲検試験が行われていない 2014.6.26改定 ファイル名が「.JAPなのはヤバイ」というご指摘を受け、「.JP」に直しました。 元サ
という論文を読んだ(リンク)。著者はスウェーデンの科学哲学者で、科学哲学が科学者及びその卵である理系学生に貢献できる理由と方法について書いてある論文だ。 なぜ教えるのか 科学者やその卵である理系の学生にに科学哲学を教えるべき理由として、著者は方法論的な理由を強調する。科学者の養成過程で、学生はその科学の方法論についても学ぶ。しかし著者の見るところ、その方法論にはきちんとした正当化を欠いたまま教えられているものがあるという。著者の挙げるのは次のような例だ。 経済学では単純なモデルが尊ばれる。たとえばは著名なミクロ経済学の教科書の著者であるヴァリアンは「考えられうる限りで最も単純なモデルを書き付けて、それがなおなにかおもしろい振る舞いを見せているかチェックせよ。そしてもしそういう振る舞いを見せているなら、モデルをもっと単純にせよ」と述べる。しかし著者の見るところ、なぜ単純なモデルが優れているの
自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか 作者: キャロル・キサク・ヨーン,三中信宏,野中香方子出版社/メーカー: エヌティティ出版発売日: 2013/08/28メディア: 単行本(ソフトカバー)この商品を含むブログを見る 本書はアメリカで活躍するサイエンスライター,キャロル・キサク・ヨーンによるヒトの生得的認知傾向としての「分類する心」と,生物分類学の関わりを扱った一冊.原題は「Naming Nature: The Clash Between Instinct and Science」.後半にはかつて1980年代に燃えさかった生物分類学論争が取り上げられていて,そこも読みどころに一つになっている.なおこの後半部分はこの大論争の直接の目撃者(かつ参加者)でもある三中信宏が邦訳を担当している. 第1章には前書き的に著者の本書を執筆するに至った経緯が書かれている.著者は元々生物
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